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相武山 妙法寺 ブログ

佐渡御聖跡研修会(中)

妙法院では今年の5月に佐渡御聖跡研修会を行いました。そのプロリーグと佐渡御聖跡研修会(上)はこのブログに掲載したのですが、その後の「研修会(中)と(下)」の下書きを整理してアップしていませんでした。「研修会(中)」を整理したので以下、掲載します。

5月19日(日)、長岡市での全国大会の終了後、佐渡御聖跡研修会への参加者は新潟港の隣接するホテルに宿泊。今回は札幌市の行足寺・清涼院講中とご一緒の研修会でした。翌日は朝からあいにくの雨模様でしたが、港に隣接するホテルを選択したので雨に濡れることなく新潟港に向かいました。少し出発の時間は早かったのですが、研修会参加の皆さんは意気軒昂、お一人も遅れることなく元気に新潟港佐渡汽船乗船場に参集。

新潟港から佐渡ヶ島にはジェットフォイルを利用。大型フェリーよりも料金はかさみますが、所用時間は約1時間。フェリーよりも1時間30分も時間が短縮できます。今回の研修会は時間が少しタイトなので、往復ジェットフォイルを利用しました。
雨天のために運行が少し心配されましたがほぼ定刻に出航、佐渡両津港にも無事に上陸することができました。

その後、レンタカーのマイクロバスで一路最初の御聖跡「松ヶ崎」へ。運転は我が講中のプロドライバー阿部さんです。とてもなめらかな運転で安心して御聖跡を巡ることができました。
はじめに両津から日蓮大聖人佐渡上陸の地「松ヶ崎」に向かいましたが、今年の正月に発生した能登半島地震の影響で佐渡でも数カ所で崖崩れなどの災害があり、その復旧作業のために峠越えには思ったよりも難儀しました。降雨でもあり予定時刻より遅れての到着でしたが無事に宗祖佐渡上陸の地「松ヶ崎」に到着。ここで山口市の蓮興院講中と旭川市妙道院講中の皆さまと合流。これからご一緒に御聖跡を訪ねることになりました。

松ヶ崎は昔から日本海の海運の要衝であり、国津として栄えた港と伝わります。現在は「松ヶ崎ヒストリーパーク」として整備されています。宗祖は文永8年(1271)10月10日、相模国の依知の本間邸を出立。12日の行程を歩まれ10月21日に越後の寺泊に着かれました。宗祖は寺泊の地で7日間風待ちをして佐渡にわたりますが、その上陸の地が松ヶ崎でした。
この松ヶ崎では雨の降る中でしたが、幕府から罪人として佐渡に流された宗祖がどのようなご心境でこの地に上がられたのか。参加者の皆さんは等しくそのご心中を偲ばれたことと思います。この地で越後の地に向かって一同にてお題目を三唱しました。

続いて雨の中を松ヶ崎の由緒寺院である本行寺を見学。ここでは札幌市清涼院住職の川田仙征師が松ヶ崎御聖跡の概要と意義をわかりやすく説明され、参加者の意識を高められました。態々住職がお出になられましたが、時間に余裕が無かったために残念ながら説明をうけることはできず、また時間の都合で「おけやき伝説」のケヤキはバスからの見学となりました。

その後、松ヶ崎から西南にある宗祖佐渡出立の地「真浦の津」に向かいました。文永11年(1274)3月13日、幕府より赦免された宗祖は一の谷を立たれて翌日「真浦の津」に滞留、16日に越後国柏崎に上陸。鎌倉には3月26日に入られます。宗祖の確かな足跡を伝える真浦には日蓮門下がそのいわれを顕彰していました。その顕彰の地では御殿場市妙報院執事の永山道心師から、宗祖の佐渡出立にまつわる御振る舞いについて適切な解説を頂きました。この地でも再びお題目を三唱。宗祖の佐渡出立に想いを馳せました。
雨も小ぶりとなった中、私たちは峠を越えて真野町に向かいます。少し予定時間を過ぎてしまいましたが、佐渡歴史伝説館にて海鮮丼の昼食を皆で美味しく頂きました。

小憩の後は塚原三昧堂の旧跡と伝える地を訪ねます。
日蓮大聖人とそのお弟子は11月1日に塚原の配所に入られました。その地が文永9年4月に一ノ谷に転居されるまでの宗祖の御在所。この地で宗祖は重要御書である『開目抄』をご執筆、塚原問答と伝えられる他宗の僧俗などとの問答も行われたのです。
種々御振舞御書には
「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろみの家より塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし」
とあります。
また、妙法比丘尼御返事には
「佐渡の国にありし時は、里より遥かにへだたれる野と山との中間に、つかはら(塚原)と申す御三昧所あり。彼処に一間四面の堂あり。そら(空)はいたま(板間)あわず、四壁はやぶれたり。雨はそと(外)の如し、雪は内に積もる。仏はおはせず。筵畳は一枚もなし」とあります。
現在、塚原跡として研究者が考察した場所が数カ所上げられています。それは「畑野村仙道説、妙満寺説、小倉川左岸川西説、根本寺の三昧堂説、やせがひら丘陵説・・・」です。当然のことながらそれぞれの意見が異なるわけですが、日蓮大聖人をお慕いする門下僧俗にとっても大きな関心事でありますから、今後のより確かな研究の成果を待ちたいと思います。

今回の私たちの研修会の目的は、まず佐渡の地に現実に立って信行の糧とすることですから、塚原の旧跡と伝える場所に立ち、雪中の宗祖の息づかいにわずかでもふれることが肝要だと思います。そこで塚原山根本寺、妙満寺、目黒町塚原跡碑、やせがひら丘陵などを研修しました。(つづく)

相武山 山主

 

2024年12月20日