相武山 妙法院のブログです。
令和7年あけまして
おめでとうございます
旧年中も仏天のご加護を賜り、信仰心の篤い檀信徒各位のご協力を得て、法華経の道場である相武山妙法院を護持運営できたことに心から感謝しています。また、仏縁を大切にされる方々と倶に法華経と日蓮大聖人の教えを深められたことも有り難いことでした。愚かな身ではありますが、今年も惰性に流されることなく、年頭に御仏大聖人様に仏道への誓願を立てて精進してまいります。
私は日頃から「人生は出会いとその選択」とお伝えしています。それは多くの方が理解されているように、人生は出会いと選択といっても過言ではないからです。出会いには自ら求めて得られる出会いもあれば想いもよらぬ出会いがありますが、人や社会、信仰や思想、自然や環境、そして絶え間なく生起する出来事など、人生は数え切れないほどの出会いに満ちています。私たちはその一つ一つを選択して自らの人生を紡いでいるのが現実なのです。
その自分の人生を左右する出会いを大切にすると倶に、その出会いをどのように選択するかを考えなければより良い人生を得ることはできないように思います。
出会いにも善と悪・賢と愚などがあり、選択にも是と非、可と否が求められますから、判断を間違う場合や過失なども当然なことです。自分を聖者だとか覚者だと名乗る教祖的な人物は別にして、私たちは諸行無常の世界を生きる有限な存在であり、愚かな凡夫の身ですから間違うことがあるのは当然なのです。
間違いや過失は自他倶に困ることが多いので、一方的にそれらを肯定することはできませんが、失敗は成功の母という言葉があるように、失敗や間違いにも大きな意味があるのは真実です。
そればかりか自覚していないかもしれませんが、行動すればそのすべてに何らかの評価がなされます。行動を起こさなくてもその評価がありますから、意識の有無にかかわらず行動には結果が生じているのです。そうであるならば、より良い人生のためには、出会いそのものをしっかりと見つめ、その取捨選択を理性的に考察することが大切ではないでしょうか。
出会いを大切にしてその選択に注意し、その後の結果に責任をもつという姿勢は「人生のすべてが学び」と考えることに到ります。自らの人生に生起するすべてが学びの対象と気づけば、遇不遇、幸不幸、苦楽、悲喜、喜怒哀楽という一時的な状況や感情に流されることなく、真実の安らぎに生きることができるようになります。ここに仏道を信行する尊いいわれがあります。
日蓮大聖人は四条金吾殿御返事に
「賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり」と仰せです。
現代語に訳せば
「賢人は八風と申して、八つの風に犯されない者をいう。八つとは利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽であり、具体的には、利益があっても喜ばず、破たんしても嘆かない、などの態度をいう。このように八風に犯されない人を、諸天は必ず守護される」
となります。
私たち法華の宗徒は新たな年もさまざまな出会いを楽しみ、その選択をとおして仏教徒らしい人生を紡いでまいりましょう。
相武山 山主
2025年01月01日