相武山 妙法院のブログです。
今年の当山の御会式御正当法要は衆議院議員選挙の投票日でした。私は選挙権を得てから今まで一度も投票を棄権したことがありません。それは「政治は生活と密接不可分」という認識を持ち、選挙は国民としての権利であり義務であると考えているからです。また、大乗仏教は只管自身の悟りを追求する初期仏教や上座部の仏教とは異なり、日常生活がそのままが仏道修行の世界であり、生活のすべてが仏教を実践する機会であるとの思想にもよります。今回も当日の投票は難しいと考えて期日前投票に行ってきました。
政治に関心がない方は投票に行く必要性を感じないかもしれませんし、自分ひとりの投票に意味があるのかと考える人もいることでしょう。また、投票したい人がいないという声もよく聞きます。日本は基本的人権が保障され、個人の意志が尊重される国ですから各人各様で問題なしなのかもしれませんが、「政治は生活」と考え、現在も未来の生活も政治による影響が大きいと考える私には投票しないという判断は残念に思えます。
もちろん私にも「誰を選び、どの主張を選ぶべきか・・・」と迷うことはありますが、ベストな選択ができなくても、自分自身の意志を確認し、よりベターな政治を願ってこれまで投票してきました。
そのような私がいつも気になるのは投票率です。報道によれば今回の投票率は約53%ということで、3年前衆議院議員選挙の55.93%を下回っています。ちなみに敗戦によって国民主権を得ることとなった昭和の時代、国政選挙の投票率は低くても60台後半、高いときには70%台半ばでした。多くの人々が投票に参加していたのです。しかし、民主主義が当たり前となってその意義が見失われてきたのか、平成になると2年の73.31%が最高でおよそ60%台後半で推移。ときに60%台を切るようになり、ついには50%台となってしまいました。令和になってからは前述のとおり、前回が55.93%、今回約53%ということですから、民主主義の衰退に通じているのではないかと危惧の念を抱きます。
大乗仏教の精華である法華経こそ一切衆生をゆるぎない幸い(成仏)に導く教法と覚悟された日蓮大聖人は終生立正安国をうったえられました。宗祖の本意と誓願が正法を立てて国を安んじることに在ることは、門下僧俗がよく知るところであり、識者の理解するところです。富士日興門流の御会式では住職が立正安国論を奉読するゆえんでもあります。
立正安国論の末文には「帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈に驚かざらんや豈に騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はば先づ四表の静謐を祈るべきものか」とあります。
現代語訳では「帝王は国家を基幹として天下を治め、臣民は田畠を耕作して世の中を保っている。しかし、他国から襲われて我が国が侵略され、国内に反乱が起こって領地が奪われれば、どうして驚かずにいられようか。どうして騒がずにいられようか。混乱は必至である。国が失われ、家が滅んでしまえば、人々はどこに遁れるところがあろうか。貴殿がもし一身の安泰を願うのであれば、まず何よりも、天下が穏やかに治まることを祈らなければならないだろう」ということになります。
君主制の時代なら主権者は帝王ですが、民主主義の現代では主権者は国民一人ひとりです。邪で悪しき政治が行われることは人心が迷惑し、現実の生活や未来の生活の安寧を喪うことになるのですから、仏教徒はより良い人生と社会の展開を願うために、政治の大切さを意識し実践しなければならないと想う秋です。
相武山 山主
2024年11月01日