相武山 妙法院のブログです。
いつものように時の流れは早く、7月を迎え今年ももう後半に入りました。現役として学業や就業に在る方はもちろん、現役を退かれた方でも日々忙しい方もおらることでしょう。他方、ゆったりとした時間を楽しまれている方、次の目的のために準備をしておられる方、何をして良いか迷って時を送られて居る方、時間を持て余している方など、さまざまな時を過ごして居られることと思います。
人生は各自に与えられた貴重な時間と世界。人それぞれに価値観を磨いて自分らしい人生を歩んでいるのですから、他者のことをあれこれと云々することは非礼であり無粋というもの。メディアなどでは仕事柄でしょうが、人様のことをあれこれと詮索して報じていますが、私たち仏教徒は十分注意をしたいものです。
さて、近年「『きょういく』と『きょうよう』が大事」ということばを聞くことがあります。きょういくは「教育ではなく、今日行く」。きょうようは「教養ではなく、今日用事がある」ということで、人生受け身ではなく、自ら能動的(進んで物事をしようとするさま)に生きようという勧めのようです。
現役であれば振り払いたくなるほど、あれもこれもと所用・諸用に追われることも多いでしょうが、現役を退くと一般的には時間にゆとりが持てるようになります。そこで、問題となるのは、面倒くさいと出不精となる傾向性かもしれません。必要がなければ外出はしないものですが、それが当たり前となって、やがて外出そのものから遠ざかってしまう方もいるようです。
男女差でいえば、他愛のないことでもおしゃべりをして互いにコミュニケーションをとることは、どちらかといえば女性の方が上手ではないでしょうか。また、女性は人生でさまざまな環境の変化を求められることが多く、そのため、環境の変化への多応力も一般的には男性を凌駕しているように思えます。
したがって、高齢者となってからの生活でも変化を受容して、置かれているその環境を前向きに愉しんでいるのも、どちらかといえば女性の方が多いように見うけます。もちろん男性でもそのような方は少なくありませんが、どちらかというと無駄なことはしゃべらず、寡黙を佳しとして、積極的に他者とコミュニケーションを取ろうとしない男性も多いように見うけるのは少し残念です。
やはり人間は社会的存在ですから、他者との交わりの中から人生の喜怒哀楽、おもしろさを実感することも多いのではないでしょうか。そのためには受け身で何かが起きるのを待つのではなく、自らの意志で能動的に人生を歩みたいものです。
大乗仏教の精華、法華経では「命は最上の宝、人生は貴重なもの」と教え、自分にふさわしい修学・修行を心がけて仏道を歩み楽しむことを勧めています。
誰もが己れの寿命はわかりませんが、お迎えが来るまでは人生を歩まねばならないのですから、仏縁に想いをいたし、盂蘭盆会や夏の諸行事法要に積極的に参詣して命の洗濯をしてほしいと思います。ことさらに強調されなくても法華経の信仰には「『きょういく』と『きょうよう』は必然のことだと思うのです。
相武山 山主
2023年07月01日