相武山 妙法院のブログです。
《他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断》
「身を護る(上)」で身体の不思議と日々健康であることは当たり前ではないことを説明した後は私の愚かさについて。題して「他者には仏教の知見を伝えながら己れに油断」です。
・脊柱管狭窄症と私(住職)
「数年前から、腰から太ももまで、痛みとしびれの自覚。しかし、歩行にはあまり問題はなかった。腰痛による不調は昔から時々あった。症状が出ているのに深刻に考えなかった。
長く健康に恵まれていたことへの油断。亡くなった母親は「強度のリュウマチ」、遺伝からも想像できる。釈尊は娑婆を忍土と教えられた。仏道に「我慢と辛抱」はつきもの、子どもの頃からの僧侶の習性。僧侶は「修行」といわれたら我が儘はいえない」
と前説明。
※参考資料『脊柱管狭窄症』(日本整形外科学会のホームページから)配布。
《ことの顛末》
3年前、下肢に不調と不快が強くなったので整形外科を受診。
レントゲンを撮って頂くも医師の診断は「加齢によるしびれと痛みですかね・・・」。いくつかの質問もしたが丁寧な説明もなく、そんなに深刻ではないのかと独り合点。しかし、その後も改善することはなく、半年後にはひどい痛みでめずらしく数日混乱。別の整形外科にかかるも、やはり「加齢ですかね・・・」でした。きちんと診察してもらい治療しなければとは思ったのですが、しびれや痛みは出たり出なかったり。公私ともにいつも多忙のためにすっかり油断。
常の法話では「仏教では諸行は無常、あらゆる事は縁起によって成り立っており、健康なことは当たり前ではないと説かれています。健康である条件が不思議なほどに調えられて、今、健康であるに過ぎないのです。いつ病気になってもおかしくない身体が、今日はたまたま健康であるというのが真理なのです。今の健康に感謝しましょう」とお伝えしているのに恥ずかしい限りです。
下肢の不調はその後も続いていましたので、素人ながら「これは脊椎間狭窄症かもしれないな」と思っていました。今年になり二度長い時間歩くことがありついに間欠性跛行。体調からして脊椎間狭窄症と確信しました。前回二度の納得できない診断があったので、今度は医師の選択は慎重にしなければと判断。予備知識も学んだ上で、かかりつけ医にこれまでの経緯を説明。「私の質問に向き合って頂ける方、丁寧な説明、診察と治療も安心できる医師をご存知なら紹介願いたい」と伝えました。
すると、「そうなんです。医師もさまざまです。医師を選んでも良いんですよ。整形外科の先生でしっかりした医師を知っていますのでご紹介します。この先生に紹介状を書きますので、事前に先生が診察する日を確認して訪ねてください」と有り難い対応でした。
《同じ総合病院での診察・医師によって異なる診断》
ご紹介頂いたのはなんと以前診察してもらった総合病院の副院長で整形外科部長さんでした。当然、私の前回のレントゲン写真も(3年前)その病院に保存。診察にうかがった時に、その画像を見た医師は「この画像で脊椎間狭窄症というのはわかりますね。どのように診断されましたか?」と尋ねられました。あっさりとした医師のことばに私は驚きましたが、私は「その先生は、『加齢ですかね、まだはっきりわかりませんね・ ・・』との診察でした。」私はもう少し説明と対処を教えて欲しかったのですが・・・」と答えました。
すると部長医師は「そうですか」と嘆息。
その後、すぐにレントゲンの撮り直し、前回と違い4方向からの撮影でした。その結果をみて医師は「かなり悪化していますね・・・」とのこと。私の質問にも一つひとつ丁寧に応えて頂き、説明も的確で安心しましたが、さらに翌日にMRIの予約を入れて頂き、コルセットの装置と服薬を処置して頂きました。
3日後にはMRIの結果をもとに再度の診断。「長い時間をかけて悪化していますね。狭窄の箇所が広いので厳しい状態ですね・・・。まずは服薬とコルセット、リハビリ的なことから始めましょう、さらに悪化するようなら手術ということになります」ということでした。
明確に脊椎間狭窄症と診断されたので、これからは残された大切な時間のためにもまじめに治療にはげむつもりですが、すべては私の油断と反省し、「医師は選ばなければいけない」と自戒した次第。
「医師を選ぶ」などというと傲慢に聞こえるかもしれませんが。我が身を護るためには必須の心得かもしれません。私のことばで強くはいえないので参考として以下、「お医者さんは選ばなければならない」ということを「《生成AI「ビングBingからの参考意見》」として紹介しました。
二部の「仏教に親しむ」では
「仏教と医療」について。
《釈尊の覚り》
釈尊はバラナシーのサールナートで初めての説法(初転法輪)を行い、「四諦・八正道」を説かれたと伝えられています。
「四諦」とは
・苦諦(人生は思ようにはならない、苦に満ちていると諦める)。
・集諦(苦を引き起こす原因は欲望と執着を集めることと諦める)。
・滅諦(苦の原因である欲望と執着を滅すれば真の安らぎがあると諦める)。
・道諦(真の安らぎのためには八正道を実践することと諦める)。
「①正見(正しい見解) ②正思惟(正しい決意) ③正語(正しい言葉) ④正業(正しい行為) ⑤正命 (正しい生活) ⑥正精進(正しい努力) ⑦正念(正しい思念) ⑧正定(正しい禅定)」
であることを解説。
次に
「釈尊は医師として衆生の苦悩を治療」されたことを解説。
釈尊は衆生の「苦諦」病気(苦悩)の診断をされた。
釈尊は衆生の「集諦」病気(苦悩)がどこから来たのかを理解させた。
釈尊は衆生に「滅諦」病因(苦悩)を除去すれば治ることを教えた。
釈尊は衆生が「道諦」治療(仏道)に精進して心身を健康にすることを教えた。
ことを述べ、現代に生きる私たちも仏縁を大切にして仏道修行に精進しようとお伝えしました。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》
相武山 山主
2023年06月28日