相武山 妙法院のブログです。
6月度の日曜法話会は18日でした。今月は初めて参加された方もおられましたので、始めに当山の日曜法話会が「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を願う。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれる。」を趣旨としていることをプロローグとしてお伝えしました。
何ごとについてもいえることですが、「仏教」といっても聞かれた方はそれぞれ勝手にイメージをされることでしょう。仏教に関心のある方もいればまったく関心のない方もおり、敬意を払われる方もいれば当然否定的な方もおられます。もとより、仏教への理解と認識は各人各様の見識によるのですが、私たち仏教への信仰を持つ者は、自分のためにも誤解や理解のない方への啓蒙のためにも、より正しい知識を身につけ伝えなければならないと思うのです。妙法院は現代に法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の寺院ですので、できるだけ正しい知見を得て頂きたいと願って法話会を開催しています。
プロローグとしては
「周知のように仏教はインドの釈尊によって創始された宗教ですが、2500年の永い歴史を有し、アジア全域におよぶ広範な地域に伝播しました。また、それぞれの時代や各地域によってさまざまな受容と展開をしながら現代に至っていますので、簡単に説明することは難しいことです。多少関心のある方でも、根気よく学び続けなければ仏教を理解することはできませんし、解説することはさらにハードルが高いといえます。
まして、仏教は古来仏道と称されてきたように、仏教の知識を学べば良いというだけでなく、自ら実践して人生に活かされなければなりません。知識と実践を修めることが求められているのです。難しいといえばそのとおりですが、根気よく学び続けて信行して行けば少しずつ理解が進み、その教えの深さとおもしろさ、さらには愉しさまで味わうことができ、不惑の安心を得ることができます。せっかく大乗仏教を受容した日本の国に生まれたのですから、深いご縁と受容して仏教を学んでいただきたい。」
とお伝えしました。
次に「仏教」は真理を意味する「仏法」ではなく、仏が覚られた真理を伝えるための手立て(教え)を意味していること。さらに仏教という表現は近世欧米の宗教的区別の在り方に準じて、あえて他宗教との異なりを示すために仏陀釈尊の創始された宗教という意味で仏教と呼称されていること。中国や日本では実践が重んじられ永く「仏道」と称されていたことを紹介。
日本の仏教の現状と本来の釈尊仏教の在り方を略述した後、今月のテーマである「身を護る ー人生は貴重であると知るー」の法話。
「人生は貴重なものであるという自覚があれば身を護るようになり、その自覚は人生が貴重なものであると認識した証し。思うような人生を歩めなくても努力したことを誇りとして、たとえ高齢となり認知症となったとしても尊厳を失うことなく、最後までこの身を愛おしむ人生でありたい。今世の生き様は来世につながっていると信じて油断なく努めよう。」と述べ、「身を護る」という意味は多岐にわたりますが、「今回は健康にポイントを置いて所見を述べる」とご案内。
《仏教では人生は奇跡の連続と説く》
仏教では「諸行は無常」と教え、人生のすべてに当たり前などということは一つもなく、人生のすべてが一日一日奇跡的に続いているに過ぎない。思議し難い妙法によって支えられ育まれ活かされていることに気づくことが大切であることが説かれていることを紹介。
しかし、奇跡を売りにするような新興宗教やスピリチュアルなどの存在もあるので注意が必要。
《邪な宗教や信仰、スピリチュアルなどから身を護る》
・超常現象や奇跡体験を吹聴する人々
「オウム真理教の教祖麻原などをはじめ、新興宗教やヨガ・神秘主義、スピリチュアルの教祖たちには超常現象(自然科学の知見では説明できない現象のこと)を吹聴して信者を獲得しようとする者も多い。数十年前には不思議や奇跡を売りに人気者となったインドのサイババ(後にインチキが露見)が有名だが、いつの時代にもこのような人物が聖者と自称して活躍する。
オウム真理教の麻原などのようにことば巧みに信徒を誑かし、貴重な人生を堕獄の世界に変えてしまう邪悪な存在がいたのは事実。しかし、それはそのような教祖に問題はあるが、そのような教祖を求めてやまない神秘主義者がいるからでもある。オウム真理教の信者となって貴重な人生を棒に振った人々の中には、まじめでインテリと呼ばれる人も少なくなかった。ただ、『神秘主義』に惹かれ、教祖のマインドコントロールにはまってしまったのである。
オウム真理教ほどの邪悪さと残虐さはないものの、霊媒師にひかれたり、神秘主義にひかれて、現実離れした心の遊びに振り回され、スピリチュアルビジネス、ヨガビジネス、宗教ビジネスの餌食となる人は多い。そのような団体ではオウムのように、教団や団体への常識はずれた布施やドネーション(寄付)が行われ(巧みに自発的なかたちをとる)、印鑑や壺、不思議な水を売ったり、遠隔での祈祷をしたり、修行に段階をつけて高額の授業料を搾取している。」実態を紹介。
「マインドコントロールの怖さを知らなければならない。一度信じたら教祖の思うつぼ。現代に特別な聖者や覚者がいると信じる人の愚かさ(カリスマオタク)。普段から常識と良識を磨いておく必要があること」を述べ、「宗教にもある程度の布施や経済的支援は必要だが、世間の常識(通常会社員の日当は1万円~2万円)に収まるものであり、非常識な布施やドネーションを出させる(自主的に納めさせるようなシステム)教団や団体はどのように詭弁を弄してもまともな宗教ではない。宗教や信仰、スピリチュアルにも正邪があることを知らなければならない」と仏教の常識をお伝えしました。
《仏教では「人生を貴重な存在」と教えている》
当山の仏事の法話(住職)から。
仏教では「すべては縁起(さまざまな条件)によって成り立っているにすぎない」
「諸行は無常、あらゆるものは変化して止まない」
「自らの健康や環境などすべてはいつ変転するかわからない」
「人生に当たり前などということは一つもない」
「健康な人は健康が当たり前と思っているが、実はいつ健康を損ねてもおかしくない人が、たまたま健康であるに過ぎないというのが真実」
「目が見える、耳が聞こえる、手足が思うように動くということも当たり前ではない、いつ誰もが障害者となってもおかしくはない」
「私たちのからだは数え切れない細胞と神経のはたらき、それを統御する脳のはたらきなど、想像を絶するシステムが精妙にはたらいて維持されていることを識る」
と説かれていることをお伝えしています。
すなわち、「私たちの人生は日々奇跡の連続の上に成り立っている。当たり前なことは一つもない。そのように有ることが難しいこと(有り難う)が、今存在していることを知識し理解して感謝することが大切。」仏教では私たちを支え育んでいる存在を妙法と説き、妙法への感謝を教えているのです。
《不思議ですばらしい私たちの身体》
人体の細胞は60兆個。
人間の身体が動くメカニズムは、神経系と筋肉系の協力した働きによって実現されます。脳と脊髄からなる中枢神経系と末梢神経系中枢神経系は情報の処理や制御を行い、末梢神経系は身体の各部位と脳や脊髄をつなぐ役割を果たしています。
・どうして人間は動けるの、手足は動くの?
『学研キッズネット 科学なぜなぜ110番から』
人間の体を動かすために必要なものは骨と筋肉です。骨というと、棒のような形で両はじがふくらんでいる形のものを、よくまんがなどで見かけますが、うでや足の骨は本当にあのような形をしています。ふくらんでいるところは、関節です。ひざやひじなど、人間の体が動くところは全部この関節でできています。
この関節のふくらみにいろいろな筋肉がついて、そしてこの筋肉がのびたりちぢんだりすることで関節が動きます。関節が動くから体が動くといえるのです。
体中の関節は、すべてこれとおなじしくみで動いています。また、その筋肉ののびちぢみの運動は、脳からの命令によって行われます。脳はどこの筋肉をどのように動かすかという命令を一瞬のうちに出しているのです。人間が動けるのは、脳が命令しているからで、命令なしに勝手に筋肉だけが動くことはありません。を紹介。
《体を動かすメカニズム》
「生成AI『ビング(Bing)』・マイクロソフト」
『体を動かすメカニズムは、骨、筋肉、関節、神経、脳などが関係しています。骨は体の骨格を支える役割をします。筋肉は骨に付いていて、伸びたり縮んだりすることで骨を動かします。関節は骨と骨の間にあって、曲げたり伸ばしたりすることができるようにします。神経は脳からの指令を筋肉に伝えたり、体の感覚を脳に伝えたりする役割をします。脳は体の動きをコントロールする中枢です。自分の意志で動かしたいと思ったときや、反射的に動いたときも、脳が神経を通して筋肉に指令を出しています。体の動きは、脳から筋肉への指令という「運動神経」と、体から脳への感覚という「感覚神経」が連携して行われます。』も紹介。
すでにご承知の方も多いと思いますが、よく理解されていない方も居られると考えての解説でした。
《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》
相武山 山主
2023年06月26日