相武山 妙法院のブログです。
檀信徒の方々より申し出の仏事といえば葬儀や法事が主となりますが、時には結婚式や地鎮祭、上棟式、落成式などもあり、個人的な祈願は入仏式、七五三祝い、学業成就、当病平癒、交通安全など多岐にわたります。本宗ではそれぞれ法華本門の御本尊を奉安し、法華経要品と南無妙法蓮華経の唱題を修して法要とします。
この法要だけで仏事の意義は成就しているのですが、当山では営んだ仏事の意義についてもできるだけ説明をしています。なぜかといえば、法事や葬儀など仏事の意味くらい知っているといわれる方も当然居られますが、よく理解されていない方も居られるからです。儀式や行事の意味が理解できれば、参列者はその趣旨を尊重し、自らも儀式行事に参画しているとの自覚を持つことができることでしょう。
《なぜ、お経を読むの・・・》
ささやかなことですが、法事などに参列した小中学生などからは「なぜお経を読むの?」「なぜ南無妙法蓮華経のお題目を唱えるの?」という質問をうけることがあります。なぜ、なぜと問うことは子どもたちの成長のステップです。とはいえ実はこの質問への回答はそう簡単ではありません。読経の意味には深いものがあるからです。
しかし、素朴な問いですからシンプルに「釈尊の教えはお経によって伝えられて来ました。お経を読むということは仏陀釈尊の教えを敬い、仏法を悟られた仏さまを尊敬する仏教者の信心を顕しています。仏教徒はお経を読むことによって仏さまの教えを理解し、仏道の功徳を積むことができると信じています。そして、今日は皆さんが積んだ功徳をゆかりのある大切な故人に回向(供養)するのです。皆さんがお経を唱えたり、目を通すだけでも故人の供養になります。あなたの大切な故人も仏さまのお側できっと喜んでいますよ」と伝えています。
《なぜ、お題目を唱えるの・・・》
お題目を唱えることについては、「鎌倉時代に降誕された日蓮大聖人はあらゆる人々が仏法の教えによって救われることを願われました。日蓮大聖人はすべての仏法の根本は法華経にある(内在)と悟られ、仏さまは法華経から誕生すると信じられました。南無妙法蓮華経のお題目は法華経のエッセンスであり仏さまとなる種であると覚悟されたのです。
また、現代と同様、当時も仏道を歩んで修行・修学のできる環境と資質に恵まれた人は稀な存在でした。誰もが自由に仏道に分け入ることができるという時代ではなかったのです。さらに、当時の人々は『文字が読める、文字が書ける』という人はわずかであり、圧倒的多数の庶民は字が読めず書けません。そのような人々をも平等に仏という尊い世界に至るよう願われた日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経のお題目に仏法のすべてをつつみ、私たちにさずけられました。
このお題目は私たちを支え育む妙法であり、厳しく険しい人生を切り拓き安らぎの世界へと導くものです。日蓮大聖人の教えを護り伝える妙法院では人生をより良く歩むため、やがて訪れる霊山への旅立ちのため、そして大切な故人の供養のためにお唱えしています。幼子でもお題目を唱えることは難しくありません。声に出しても出さなくてもお題目を唱えると法華経の功徳を積むことができます。その功徳を大切な方にお送りしましょう」と伝えています。
当山では檀信徒の仏事が故人への追善供養と倶に仏縁を深める一助となることを願い、法要後には故人やご家族のゆかりときずなに想いを寄せて法話をしています。前述の子どもたちの素朴な質問なども法話の種となり、同様の疑問を持つ方々のもやもやも晴れて行くのではないかと思います。これからも仏道へのご質問をお寄せください。
相武山 山主
2023年05月31日