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相武山 妙法寺 ブログ

信教の自由とその責任(下)

信教の自由とは、宗教を信じる自由のこと、信じない自由のことで、憲法20条1項前段において、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定されています。その保障されている内容は以下の3点です。

①信仰の自由(20条+19条)
信仰の自由とは「内心において、ある特定の信仰を持つ自由」。「信仰を持たない自由」も含み、ある特定の宗教を信じている人だけが関係する条文なのではなく、宗教を信じていない人にとっても、「信じない」ということを保障する条文。
明治憲法の時代には神道を信仰をすることが臣民(国民)の義務だったが、現憲法下では許されない。「信仰告白の自由」も含まれ、国家が個人に対して、何の宗教を信仰しているかを強制的に表明させることはできない。江戸時代の「絵踏」のような間接的に宗教を表明させることも禁止。

②宗教的行為の自由(20条+21条)
宗教的行為の自由とは、宗教を布教したり、宗教教育を行ったり、宗教上の儀式・祭典の開催・参加の自由などが含まれる。宗教的な活動の自由が保障され、信教の自由が内心の自由にとどまらず、実を伴うものとなる。

③宗教的結社の自由(20条+21条)
第三に宗教的結社の自由が保障されている。宗教的結社の自由とは、宗教団体を設立し活動することや、設立した宗教団体への加入の自由が含まれる。これにより、新たに宗教団体をつくることができ、また、参加をすることが保障される。
『ネット「法学」』を参照。

続いて信教の自由にも限界が在ることを解説。
憲法第20条によって信教の自由は保障されていますがその保障にも限界があります。信仰の自由については内心の自由でありその限界はありません。内心において何を考えていようがその限界を定めることは不可能です。限界に関する問題は宗教的行為の自由及び宗教的結社の自由において生ずるものです。

信教の自由の限界については具体的な判例「加持祈祷事件。牧会活動事件。京都市古都保存協力税条例事件。オウム真理教解散命令事件など」を紹介。ここでは詳細を割愛しますが、最高裁による昭和38年5月15日「加持祈祷事件」の判決では、「信教は自由であっても他人の生命・身体に危害を及ぼすことまでをも保障したものではない」として、信教の自由にも限界のあることが明示されています。

結びに「信教の自由とその責任」から学ぶべきこと。
「宗教教団にもその存在と維持には経済的要素が確実に存在する。しかし、常識外れの高額であったり、強制的な寄付は不当であり、健全な教団や寺院教会ではあり得ない。一般常識からかけ離れた金員の布施やドネーション・修行料を求める教団は邪教と認識するべき。信教は自由であるがその責任についても正しく理解しなければならない。
自由は基本的人権の要であるが自由には責任が伴う。教団が個人の生活や家族の生活を脅かしてはならず、社会に不安と混乱をもたらしてはいけない。」と所見を述べました。
第二部の「仏教に親しむ」では「本来の仏教教団では布施や寄付の強制、信仰の強制もないので宗教二世の問題は存在しない。釈尊の教えの根本とその姿勢に照らしても「・仏教は仏道を勧めるが信仰を強制することはない。・三宝(仏・法・僧)帰依が基本。・僧は「サンガ」で仏教教団のこと。・教団は仏道のための存在。本来、利害と存否の対象ではない。・仏教者の基本姿勢は法灯明(妙法を燈とする)と自灯明(自らを燈とする)。・仏教には支配する者も支配される者も存在しない。」ことをお伝えしました。

最後に大乗仏教の精華「法華経」の説相から。
《五千人の退座》「妙法蓮華経 方便品第二」
法華経を説かれた釈尊はその会座から退出する五千人の弟子を引き留めることはしなかった。
(別紙参照)
《逆縁の教化》「妙法蓮華経 常不軽菩薩品第二十」
釈尊の前世修行時の不軽菩薩は、あらゆる人々の仏性を尊び、礼拝合掌の修行をなしたが、批難迫害する人々を責めることはなかった。不信者が批難迫害することが仏縁を結ぶことになるとの教え。(別紙参照)
順縁(すなおに仏法を信受すること)逆縁(仏道に逆らうことで縁を結ぶこと)を認める法華経では信仰を強制する必要はありません。法華経では妙法の弘通を奨励し信受を勧めますが、強引に押しつけたり強制することを説いてはいないのです。私たち法華経信仰者は上記の二つの説相から真実の大乗仏教の姿勢を学び、人生の灯明として行くことを述べました。
※詳細は相武山だより「不染」からウエブ動画をご覧下さい。

相武山 山主

2022年10月30日