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相武山 妙法寺 ブログ

オリンピック雑感

法話会の日は東京2020オリンピックの閉幕日でしたので、「はじめに」ではオリンピックの開催についても簡略に私見をお伝えしました。

【オリンピックの開催?】
オリンピックは4年に一度開催されるスポーツと平和の祭典。スポーツを通して人間育成と世界平和をうったえるのがその目的です。毎回アスリートの素晴らしい競技と演技に魅了され感動と生きる勇気を頂きます。私もスポーツ観戦を愉しみにしている一人ですから、世界のトップアスリートが集い躍動するオリンピックは大きな楽しみです。

東京は2度目の開催。昭和39年(1964)の開催は中学生だった私の記憶にも鮮明に残っています。戦後の復興から高度成長期の真ただ中での開催は、太平洋戦争に敗戦し荒れ野原となった我が国の奇跡的復興を象徴するかのような大会でした。
今回の大会は当初未曾有の大災害であった東日本大震災から復興を意義つける「復興の五輪」でしたが、コロナのパンデミックに見舞われると「コロナに打ち勝った証の五輪」となり、1年延長しての大会は「多様性と調和の五輪」に変遷していました。テーマがうつり変わるというだけでもいかに困難な開催であったかがわかります。

【各自の意見を尊重】
昨年来、コロナ禍の現状をふまえて国の内外から開催への賛否両論の意見が交わされました。我が国では「自分自身の意見を持つことや発表することは大切なこと」と子供の頃から教えられますが、他方、横並びでないと不安になったり、他者からの同調圧力もかなり強かったり、出る杭は打たれるということもありますから、思考をまとめて自身の意見を持ち、発するという教育が適切になされていないようにも思えます。

「一人ひとりに思いや考えにちがいがあるのは当然。互いの思考や意見の違いを認め合ってその表現を尊重する」ということは基本的人権に通じるものであり、一人ひとりの存在が尊重されている証ですから大切にされなければならないと思うのです。
ある程度の年齢に至ると常識や良識は自然に身につくという考えもありますが、他者の意見を尊重するということは大切なことなので教育の一環としてしっかり教えてほしいと願っています。

【レッテル貼りのような批判】
というのも意見をたたかわせて議論することや他者の言動を批判すること自体に問題はないのですが、時折、一方的にレッテルを貼って他者の意見を封じるような言動にふれることがあるからです。

今回のオリンピック開催についての賛否についてもおかしな批判を読みました。それは安倍前首相が月刊誌『Hanada』における対談で、東京五輪を政治利用する野党に向けた発言というなかで、「極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」という表現です。
共産党や朝日新聞への個人的意見は自由ですが、「歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています」という表現は首肯できません。オリンピックの開催に疑問を持ったり反対している人は、反日という立場で意見を述べているのではなく、コロナ禍によるパンデミックにもかかわらず、熟考しないで開催を強行して本当に良いのかと疑問を呈しているだけです。

他者の意見まで忖度できませんが、私は世界を襲ったパンデミックの渦中で、何故危険をおかしてまで開催するのかということに疑問をもちました。国民が不安を覚える感染拡大のなか、何のために、誰のために、オリンピックを開催するのかが理解できないだけのことです。そういう人は多いのではないでしょうか。
また、右だから左だからなどと単純な色分けは大いに迷惑です。現代は政党政治ですから人物よりも政党の政策が選択の中心となるのはやむを得ませんが、我が国では支持政党をもつよりもその時々の政策や人物を選択している国民の方が多いのではないでしょうか。前首相が自説を語るのは結構ですが国権を担った人物なのですから、稚拙なレッテル貼りのような批判は若い有権者の見識に有益ではないので、言動には十分な配慮を願いたいものです。

【たしかな検証を】
開催への疑問や反対の意見の多くは、コロナ禍によるパンデミックなのになぜオリンピックを開催する必要があるのか?本当に安全安心の大会が開けるのだろうか?というものです。
開催前の世論調査では疑問~反対の意見は6割~7割ほどもありましたが、アスリートの活躍が連日報道されると、自然にその声も静かになりました。閉幕後の世論調査では開催して良かったという声の方が多くなりそうです。人心は移ろいやすいものです。開催推進派の人からは「反対していたのにアスリートの活躍を楽しむのは不謹慎、自己矛盾」という批判もありました。
私は開催是非の意見は意見として、開催決定後にコロナ禍の拡大防止と大会の安全を祈ること、アスリートの活躍を称えること、関係者の無事と労苦に感謝することは矛盾しないと思っていますが如何でしょうか。

まだパラリンピックが開催中ですが、東京2020大会についてはしっかりと検証してほしいと思います。「忘れやすい国民性」などと流されてしまっては困ります。パンデミックの中での大会は歴史上かつてないことだったのですから、今後のためにも確かな検証を求めたいと思うのです。

相武山 山主

2021年08月28日