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相武山 妙法寺 ブログ

社会の安寧を願う立正安国論(上)

蝉の初鳴きに夏の到来を覚える11日(日)は7月度の日曜法話会でした。コロナ禍の切り札といわれるワクチン接種は、5月から7月初旬までは予定どおりに進んでいたようですが、7月初旬過ぎからは少々混乱気味。東京オリンピックの開催をとにかく推し進めたいIOCと東京都&政府も気をもんでいるいるようですが、コロナ禍の速やかな収束を願う私たち国民も接種が進まぬ現状を心配しています。

 感染状況の様子によって緩急はありましたが、当山も昨春からの自粛がすでに16ヶ月に及んでいます。この間、檀信徒の参詣や集いを積極的に案内することができず、行事法要は寺内中心。檀信徒も各自の判断で感染予防対策をして静かに信仰を護持するばかりです。法華経と日蓮大聖人の教えを伝えるお寺としての機能はかなりそがれ、信仰の護持や啓蒙に資することが難しい状況が続いています。

【はじめに】
今月の法話会のテーマは「社会の安寧を願う立正安国論」。日蓮大聖人が時の為政者に安国論を奏進したのは文応元年(1260)7月16日。社会の安寧を願う日蓮大聖人の思いとコロナ禍の速やかな収束を願ってのテーマとなりました。
参加聴聞者は20数名で新来の方はいらっしゃいませんでしたが、いつものように初めにレジメの冒頭に示している法話会の趣旨「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を。法華経と日蓮大聖人の教えにふれよう」について解説。
続いて、釈尊の仏教では基本的姿勢として「現実を直視する」が説かれていることを述べ、現実から眼をそらしても課題が解決することはなく、現実をしっかりと見据えて対峙する姿勢の大切さを説明。仏教では修行と修学が求められますが、それはけっして平坦ではない人生を歩む私たちが、生きる力を涵養するためであることをお伝えしました。

仏教というと我が国では寺院や僧侶、葬儀や法事、歴史や観光など、現実の生活と密接な関係にあるものと観る方は多くありませんが、仏教を創始された釈尊はインド土着のバラモン教のような神秘主義や難行苦行を否定され、「限りある人生を如何に生きるべきか、苦しみや悩みを如何に乗り越えるべきか」という現実生活の課題と率直に向き合われたことを解説。

【立正安国論の奏上】
日蓮大聖人は大乗仏教の精華である法華経の教えを実践されました。その聖人の畢生の書といわれているのが『立正安国論』です。聖人自ら『撰時抄』には「外典に云く、未萌をしるを聖人という。内典に云く、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみやうあり。一には、去にし文応元年〈太歳庚申〉七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かひて云く、禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ゐなきならば、此の一門より事をこりて他国にせめられさせ給ふべし」と述べています。

日蓮大聖人の遺された御書は中世の文書としては他に類のないほど膨大で貴重なものですが、それらを拝読するとその主張と意見には一貫して経典と論書の裏付けがあります。思いつきや無断引用をすることなく、できる限り引用文を明らかにしているところに宗祖の学問と信仰への真摯な姿勢を拝することができることをお伝えしました。

レジメと一緒にお渡しした「立正安国論真蹟の冒頭画像」と「立正安国論の解題」から安国論の概要を説明。解題とは聖人の遺された御書についての学術的解説と当該御書の概要を示したもので、岡山県興風談所制作「御書システム」に在るものです。聴講者と一緒に解題を丁寧に読み進め、安国論は宗祖自ら「勘文」といわれるように、幕府の依頼によるものではないものの、勘文の意識をもって認められたもので、その大部分は経文の引用であること。客と主人の九番の問答と最後客の決意で構成されていることを学びました。

次に立正安国論を所蔵する法華経寺が所在する市川市のホームページを紹介。
そこには
「法華経寺が所蔵する二つの国宝のうちの一つです。日蓮48歳の時の著で、鎌倉幕府の前執権・北条時頼に建白した『立正安国論』の控えの真筆です。厚手の楮紙を36枚継ぎ、縦29センチメートル、全長は15.98メートルにも及び、各紙片の端に枚数を記しています。
原文は漢文で、「当今いろいろと国に災いが続くのは念仏の流行に原因がある。もし、これを禁じないでおけば、さらに内乱外寇が必ず起こるであろう」と経文をあげて予言し、これを防ぐためには法華唱題を広めるよりほかになく、またこれを用いない為政者は早死にするということを、主人と旅人の問答形式で書いています。
奥書には「文応元年(1260)太歳庚申勘之 従正嘉始之文応元年勘畢」と記し、ついで予見的中の諸箇条を追記したあと「文永六年(1269)太歳己巳十二月八日写之」と執筆の年次が明らかになっています。
これは日蓮が正面から堂々と幕府を諫めたものなので、字体も略字を用いず楷書で書き、厳しい調子が全体にあふれています。このため、以後日蓮は次々と迫害を受けることになるのです。
なお、第24紙目は紛失したため、これを慶長6年(1601)11月6日に日通が補写して挿入しています。また軸紙によると正保3年(1646)8月に本阿弥光甫が補修していることが分かります。」
とありました。

【大乗仏教の精神】
宗祖は大乗仏教の精神、ことに一仏乗と諸法実相を説く法華経の教えによって立正安国論を奏上されました。そこには「災難にあえぐ庶民の苦悩を取り除きたい。国や社会の安寧は一人ひとりの幸福に不可欠なものである。正法によって災厄を調伏し国家と庶民の平安をもたらしたい」という大乗菩薩道の実践がありました。

インドの原始仏教や初期仏教では元来個人の悟りや救済が主眼であり、国や社会の救済やその安寧ということは対象ではなかったようです。ここに初期仏教と大乗仏教との相違を見ることができます。法華経を最勝の教えと信受した日蓮大聖人は、積極的に庶民や国家の平安を願われて安国論を奏上されたことをお伝えしました。

有名な安国論の冒頭箇所
「旅客来たりて歎きて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之れを悲しまざるの族敢へて一人も無し」
を真蹟画像で皆さまと一緒に読み上げた後、レジメに示した当時の歴史書である『吾妻鏡』等から正嘉元年(1257)から弘長元年(1261)まで、4年間の大地震や風水害、干ばつなどの自然災害、飢饉や疫病の流行、大火事や悪党の蜂起などの記録を概観しました。

安国論では宗祖が「国の平安は庶民の安心安全の基盤であり、国の平安は正しい仏法の流布によること」をうったえたことを学び、そこには大乗仏教で説かれる「自らの悟りと平安を求めるばかりでなく、他者ともろともなる救済を願う大乗菩薩道」が存在していることを確認。さらに大乗仏教では個人の精神世界の充実と深化を大切にしながら、人生の現実生活におけるさまざまな課題と向き合い、それらに真摯に対応することが大乗仏教の在り方であると所見を述べました。

法話会の時間はここでタイムオーバー。レジメの後半の法話は来月に持ち越しとなりました。来月の法話会は8月8日(日)午前11時からです。
つづく

相武山 山主

2021年07月28日