相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

おさめ御講と冬季法門研修会

令和2年も師走を迎え当山でも今年の法要行事をおさめることになりました。今年は年初からの新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るい、社会や生活に不安と混乱をもたらしました。今まで以上に衛生観念の向上が求められ、リモートによる学習や仕事も一気に拡大。通勤や通学に対しての意識も変化しています。多くの人が生活スタイルがコロナ禍以前とはちがったものになってきているような気がしていることでしょう。やがてあの時が時代のターニングポイントだったといわれるようになるかもしれません。

大乗仏教の精華である法華経を信行する当山もコロナ禍によって大きな影響をうけました。感染防止には三密の防止が基本といわれています。しかし、信行の道場である本堂は扉を開放しない限り密閉ですし、僧俗が多数参加する法要や行事の執行によって各自の信仰を深めて行くのですが、僧俗が参集すれば密集となります。さらには基本的行法として法華経要品を読誦し南無妙法蓮華経のお題目を唱えますから、飛沫を拡散する密接にも該当してしまいます。

修行のすべてが三密に抵触するのですから、その徹底をはかるということは信仰活動の停止に他なりません。同じ宗教界でも最も制限をうけている信仰の一つといえるでしょう。3月下旬から7月上旬のお寺の静けさを思えばよくわかります。しかし、相手は未知のウイルスですから慎重に対応し、社会全体で克服に取り組んで行かねばならないことは明白。寺院や宗教も社会の一員として倶に感染防止に努めるのは当然のことです。

時代によって思想や宗教、モラルや価値観、社会制度や生活スタイルなど、さまざまに変化が生じることは誰もが認める真実ですが、それは変化したものごとに只したがえば良いという単純なものではなく、「変化して良いもの、変化しなければならないもの、変化しなくても良いもの、変化してはいけないもの」があることを思慮しなければなりません。その判断は各自の価値観によるものですが、コロナ禍にあって当山も試行錯誤しながら対応に苦慮した一年でした。コロナ禍の収束が見えてくる頃には検証が必要になることでしょう。

12月13日(日)は午後1時から今年最後の日蓮大聖人御報恩御講(おさめ御講)でした。参詣のご信徒と倶に真心を込めて、献膳、読経、焼香、唱題と如法に奉修。今年一年の無事とご加護を日蓮大聖人と仏祖三宝尊に報恩感謝申し上げました。

法要後には佐渡御書を拝読しての法話。この御書は真偽未決でありますが、宗祖佐渡御流罪の翌春、弟子檀越に送られた書状として伝わり、長く門下の信行の糧となっているものです。
佐渡御書の冒頭箇所
「世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶身を惜しむ、況や人身をや。癩人猶命を惜しむ、何に況や壮人をや。仏説いて云く「七宝を以て三千大千世界に布き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」〈取意〉。
雪山童子の身をなげし、楽法梵志が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是れを布施として仏法を習へば必ず仏となる。
身命を捨つる人他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし」を拝読。

極寒の佐渡に流罪となられた宗祖のご様子を想像してその御心にふれ、仏の弟子はひとしく仏道を求める志を最優先とすべきことと、人生はまことにはかなく「邯鄲(かんたん)の夢」のようなもであり、人生の無常を自覚して永遠の真理である南無妙法蓮華経のお題目に生きることの大切さをお伝えしました。

【冬季法門研修会】
おさめ御講に引き続いて「冬季法門研修会」を開催。
法門研修会は春夏秋冬の四季それぞれ法華経と日蓮大聖人の教えをじっくり学んで頂くための研修会です。研修会では法話会とことなり少し難しい仏教用語や仏教思想も解説されますが、何回も聴聞するうちには必ず理解が進み、信仰を深めるたしかな礎となるものです。

秋の研修会に続いてはじめは興厳師による「五時八教の教判」。今回は化法の四教についての講義でした。化法の四教は教説の内容によって四種をたてたもの。蔵教(ぞうきょう)は小乗の教え、通教(つうぎょう)は大乗・小乗に通ずる教え、別教(べっきょう)は大乗のみを説いた教え、円教(えんきょう)はすべてを包摂する円満な教えであることことを解説しました。

次の講義は私が「日興門流の教えと信仰」から「不軽菩薩と日蓮大聖人」について。
末法の法華経の行者としての御自覚に立たれた宗祖は自らを不軽菩薩の跡を承継すると仰せになり、御書にも不軽菩薩とご自身を「境・智・行・位」に比しておられます。
寺泊御書には
「法華経は三世の説法の儀式なり。過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来は不軽品為るべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為るべし」
顕仏未来記には
「彼の二十四字と此の五字と、其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。」
上野殿御返事
「日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏の末法の不軽菩薩のごとし。はた又歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し」
とあることを紹介。

法華経を修行するにあたっては不軽菩薩の精神で臨むことが、法華宗日興門流の教えと信仰であることをお伝えしました。研修会は瞬く間に終了。参加者の皆さんは仏法聴聞のたしかな功徳を積み、また一歩信仰を深められました。

相武山 山主

2020年12月29日