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相武山 妙法寺 ブログ

龍ノ口への道

12月5日(土)、今年も恒例となった「鎌倉歴史散策の会」を開催しました。当山では開創以来、機会を設けて日蓮大聖人のご聖跡を訪ねています。ことに鎌倉は宗祖が立教開宗以来佐渡流罪となって離れるまで法華弘通の縁深い地であり、横浜からも近いので何回企画したかわからないほど訪ねています。
十数年前からは深秋から初冬の頃、鎌倉の歴史や文化に造詣深い酒井俊克さんにご案内頂いて「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。歴史を知るためにはまず地勢や道を学ばなければなりません。鎌倉の地勢も時代によって変化しています。現代の鎌倉が昔から同じ鎌倉と思いこんでしまうと混乱のもとといえるでしょう。地勢という基本をしっかりとふまえてから、歴史と文化、政治と社会と生活を思考するのが大切だと思います。
酒井さんは地勢と古道に詳しくいつも適切なご案内を頂いています。

今回の散策会は今年が日蓮大聖人の「龍ノ口法難・佐渡御流罪から750年」となることから、「鎌倉から龍ノ口への道」というテーマでした。したがって鎌倉から龍ノ口(藤沢市片瀬)までの散策となります。少々道のりが厳しいかなと思いましたが、どなたも最後まで歩き通され、散策に臨まれる皆さんは日頃から足を鍛えられている様子がわかりました。

当日は今季初という寒波襲来が予報されていました。予報は的中。氷雨といっても良いくらいの寒さです。参加者は9時30分JR鎌倉駅西口に集合。一様に「さむいですね~」と挨拶。全員集合を確認して私から今回の散策会の趣旨について説明し江ノ電鎌倉駅へ。人気の江ノ電に乗車して二駅目、由比ヶ浜で下車。小雨がそぼ降る寒さのなか散策が開始。

始めに鎌倉時代初期の西の結界であった稲瀬川を確認して、四条金吾の屋敷跡と伝える収玄寺で四条金吾と主君の江間氏についての説明を受けました。次に御霊神社から鎌倉十井の一つに数えられる星の井を見学し、良観房忍性が切り開いたといわれる極楽寺切り通しを進み、極楽寺から鎌倉十橋の一つ針摺橋や大聖人ゆかりの袈裟掛けの松、十一人塚を経て稲村ヶ崎の海岸へ。稲村ヶ崎では鎌倉時代末期に新田義貞が軍を率いて鎌倉攻めをした際、難所であった極楽寺坂を攻略できず、この稲村ヶ崎の海岸を渡って鎌倉へ攻め入ったという有名な話をうかがいました。

氷雨はやみそうでやまず、皆さん「寒いね~」とつぶやきながら海岸線に沿って雨乞い伝説の霊光寺へ。途中龍ノ口法難に由来する行合橋の説明を聞き、大聖人の雨乞いを伝える田辺ヶ池と霊光寺を見学。続いて小高い丘を上って腰越へ。腰越では源義経が兄頼朝に送った腰越状ゆかりについて解説頂きました。

龍ノ口の刑場へ向かう途中の法源寺前では、さじきの尼が大聖人にぼたもちを供養されたという説明をうけ、散策のゴールは大聖人当時、鎌倉の西の結界に位置し、刑場だった龍ノ口(現、藤沢市片瀬)。霊跡に建てられた龍口寺を散策し、宗祖が投獄されたと伝えられる御霊窟を見学。最後に散策記念の集合写真を撮影し約4時間ほどの散策を終了。

希望に反して氷雨がやむことはありませんでしたが、皆さん「大聖人さまの歩まれた龍ノ口や佐渡を想えばこれくらいの氷雨は苦労のうちにも入りません」と、宗祖の門弟らしく気丈におっしゃっていました。
片瀬名物のしらす料理のランチを頂いて散会となりましたが、参加者は大聖人が鎌倉から龍ノ口の刑場へ向かわれた同じ道程を歩みながら、末法の法華経の行者として一切衆生を成仏へと導く御自覚に立たれた宗祖の崇高な御心に思いをはせたことでしょう。

相武山 山主

2020年12月27日