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相武山 妙法寺 ブログ

龍ノ口法難会

12日(土)と13日(日)の両日、龍ノ口法難会を執り行いました。13日は午前中の日曜法話会に引き続いての法要。参詣の皆さまと献膳・読経・焼香・唱題と如法に御報恩申し上げた次第です。
仏教寺院ではその年中行事をみれば、およそその寺院の教えと信仰が理解できるようになっています。当山でも年中行事を丁寧にたどると日蓮法華宗、富士日興門流の教えと信仰の概要が理解でき、1月から12月までの年間行事にすべて参詣すれば日蓮大聖人の御事跡もよくわかります。年中行事への参詣が大切といわれるゆえんです。

この春以来、コロナ禍もあって当山でも行事や法要への参詣は自粛をお願いしてきましたが、7月からは三密を避け感染防止に注意して少しずつ参詣頂いています。皆さまバランス良くお参り頂き、本堂内も密になることはなく、全員マスク着用で静かに読経・唱題を勤めていますので、油断はできませんが当面はこのスタイルでやむを得ないかなと思っています。

時局柄やむを得ないことですが、人間は文字通り、他者との関わりや交わりによってさまざまな活力が生まれますから、仏道においても信仰の道場である寺院に僧俗が集い、倶に信行に励むことによって信仰心も磨かれます。それが、「みんなで一緒にお参りができない、学び合えない、啓発しあえない・・・」となる現況は実に残念でなりません。
しかし、法華経では諸法は実相(あらゆる存在の姿に偽りはない)と説かれていますから、私はこのコロナ禍によって私たちの寺院や信仰のあり方についても再考がうながされているのではないかと考えています。
振り返ってみれば仏教寺院のあり方や活動も歴史の波に大きく影響されてきました。もちろん真理を説く宗教として時代の変化に左右されない普遍性は堅持されますが、時代によって変化したものも少なくありません。いつの時代もどの分野においても存続してきたということは、存在意義が認められ当事者の知恵と工夫と努力がなされてきたことに他ならないのです。

徳川の時代、庶民統治の一環として檀家制度が利用され全国には多数の寺院が建立されました。しかし、その後、明治時代の廃仏毀釈の嵐や戦後の都市化の波に洗われ、檀家制度意識もすっかり弱くなり、全国に約7万7千存在するという寺院も、今や住職がいない無住のお寺や修理もできずに維持が困難なお寺が3割以上もあるというのですから、深刻な危機を迎えているといっても過言ではありません。
仏教の教えや信仰はいかにすばらしくてもその護持伝承は容易なことでありませんから、私たち仏教徒の覚悟と精進が今問われていると思うのです。

【宗祖の心意気】
法要後の法話は『四条吾殿御消息』を拝読。真偽未決の御書ではありますが宗祖の心意気が伝わるような御書です。
「度々の御音信申しつくしがたく候。さてもさても去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくち(龍口)までつれさせ給ひ、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。
日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくかありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海河も仏土にもあらざるか。
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや。
其の故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云く「十方仏土中 唯有一乗法」。此の意なるべきか。此の経文に一乗法と説き給ふは法華経の事なり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。除仏方便説と見えたり。若し然らば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。
娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」
以上。

御書システム(興風談所)の解題には
「本状は龍ノ口法難の九日後、依智本間邸にて四条金吾に宛てた書状である。冒頭龍ノ口法難の際、宗祖が頸を切られたならば腹を切ると述べたことを、感慨を以って語られている。これは後弘安三年十月八日の 番号384「四条金吾殿御返事」(『定本』2巻1800頁。真筆は無いが大石寺六世日時『三師伝』に引文される)に「殿は馬の口に付て足歩赤足(かちはだし)にて泣悲み給、事実にならは腹きらんとの気色なりしをば、いつの世か思忘るべき。」とあるのと符合する。
更に『方便品』の「十方仏土中唯有一乗法」との経文の如くならば、頸の座に据えられた相模国片瀬龍ノ口こそ寂光土であること、又霊山にては四条金吾こそ『法華経』の故に腹を切ろうとした法華経の行者であると釈尊に申し上げること、そして月天子は光り物として頸の座に、明星天子は本間邸に下り日蓮に見参し、残る日天子の加護がいかばかりか楽しみである等と述べられている」とあることを紹介。

宗祖が法華経と合一された龍ノ口を寂光土とよばれたように、「私たち門下僧俗も自らの仏道修行の地を寂光土といえるよう信行に努めること。職場であれ、学校であれ、家庭であれ、社会であれ、一方的に環境が悪いと愚痴をいうのではなく、艱難辛苦を覚えながらも人生の大切な局面と心得て、汗を流して努力し、道を切り拓いてゆくことはすばらしく、その世界も輝く」とお伝えしました。

相武山 山主

 

2020年09月28日