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相武山 妙法寺 ブログ

同志の旅立ち

【江戸大道師 霊山へ】
4月17日の早朝、静岡県下田市法円寺住職江戸大道師(73歳)逝去の報せをうけました。前夜、師は突然の心筋梗塞に襲われ、救急対応が間に合わず亡くなられたとのことですが、折からの新型コロナウイルスの影響もあったとうかがいました。時局柄、静岡教区だけで葬儀を執り行うということでしたが、法円寺様とは青年期の頃からのご縁があり、また静岡県と神奈川県の同信僧俗は東海正信連合会として連携。さらに正信会の記録を担当しておられた江戸師とは何かと連絡をとることがありましたので、感染防止対策の外出自粛要請下でしたが、19日の御通夜、20日の葬儀に参列させて頂きました。
荻原昭謙師(応身寺住職)の御導師のもと、有縁僧俗の読経唱題に送られて江戸師は静かに霊山へと旅立って行かれました。

江戸師は日達上人の年分得度1期生として昭和35年春、大石寺で出家得度されました。私は年分得度4期生ですので3年先輩にあたります。師は多芸多才な方で影像や音楽にも造詣が深く、パソコンや映像機器にも詳しい方でした。全国大会の放映ビデオや記録ビデオの制作、正信会諸行事記録のほとんどは法円寺様の労作です。師の遺された各種影像は今後のためにも貴重な資料となることでしょう。

師は下田市法円寺に赴任されて約40年、地元はもちろんのこと下田の地から覚醒運動のために各地を奔走された後半生でした。信仰については堅固な一家言をお持ちの方でしたが、他方、人懐こく優しい方でもありました。2月の初旬頃、今年3月当山で開催予定の東正連の大会についてお話したのが最後の会話となってしまいましたが、穏やかでやさしい言葉遣いが耳朶に残っています。心よりご冥福をお祈りします。

【山﨑潤道師 霊山へ】
今年は江戸大道師の前に二人の同志の方が霊山に旅立たれました。お一人は奈良県五條市妙観院住職の山﨑潤道師(68歳)。昨年の12月30日に逝去されました。師は日達上人の年分得度第5期生として昭和39年春、出家得度されましたので、師は私の一年後輩となります。彼が得度してから昨年末まで長いご縁でした。学生時代や在勤教師時代はそれぞれの在勤寺院が異なりますからさほどの交誼はありませんでしたが、昭和52年に覚醒運動が起こると師も速やかに参画され、その後、一緒に運動に励んできました。

師は大阪府の源立寺執事から広宣寺五條出張所の執事・住職となり、平成7年には本堂を建立し信徒の育成するなど妙法流布に精進されました。師は二十数年もの間、人工透析の治療をうけており、近年、体調不良が続いてましたが、私は逝去される3日目にお送りした相武山だよりの件で病床の師と言葉を交わすことができました。「大山さんありがとうございました。今度は厳しそうです・・・」と語る言葉が耳に残ります。

年が明けた3日の御通夜、4日の葬儀は簗瀬明道師(聖道寺住職)の御導師のもとしめやかに営まれました。私は御通夜は参列できませんでしたが葬儀には参列させて頂き霊山への旅立ちを祈りました。お別れの時に拝見したお顔は、朗らかな性格の山﨑師らしく清々しいものでした。厳しい体調や環境にもめげることなく明るくご奉公された山﨑師。心よりご冥福をお祈りいたします。

【近藤譲行師 霊山へ】
宮城県登米市本源寺の近藤譲行師(74歳)が3月9日逝去されました。近藤師は昭和53年2月、興起したばかりの覚醒運動の最中、富士大石寺門流の古刹である本源寺住職に赴任。本源寺は第三祖日目上人の開基で大石寺よりも歴史がある寺院です。師はこの地で約43年間、覚醒運動に精励されました。

宮城県の北部にあたる登米市は一部因習の残るような土地柄でもありましたが、師は自らの信じた覚醒運動の険しい道を切り拓いて行かれました。まずは自らに与えられた環境のなかで精進するという法華の教えに準じて、登米市宝江新井田の地域に溶け込むことに努められていたようです。したがって地元では信仰の有無にかかわらず師を慕う方々が多いようでした。

私は宮城県北部に在る富士大石寺門流の奥四箇寺(本源寺、上行寺、妙教寺、妙円寺)には何回かうかがったことがありますが、本源寺様にはご信徒と倶に3回ほど参詣したことがあります。その折りには寺族やご信徒の方々に本当にお世話になりました。
師は持病をお持ちでしたが病に負けることなく、お弟子の法行師をよく訓育され、平成29年末には未来の覚醒運動のために本道寺を建立落成されました。

私は翌年6月、東日本大震災慰霊の旅の最後に新築成った本道寺に参詣させて頂きました。その折りに師から本源寺での約40年におよぶご奉公と本道寺建設までの貴重なご苦労をうかがうことができました。ありがたい一時でしたが、今、振り返ればその時が師との最後の面談となってしまいました。
葬儀は3月16日・17日の両日、荻原昭謙師(応身寺住職)の御導師のもと、有縁僧俗によって営まれました。私は法務のため葬儀には参列できませんでしたので、今月6日、緊急事態宣言が発令される前に本道寺に参詣。お弟子の法行師の導師を頂いて供養をささげました。心よりご冥福をお祈りいたします。

【古稀を前にして】         今年になって3ケ月半という間に3名の覚醒運動の同志が霊山に旅立って行かれました。「諸行は無常、会者定離は世の習い」仏門に身を置く者として自ら認め他者に説きながら、人情としてはやはり一分の悲哀を覚えます。しかし、皆さん宗開両祖の門弟らしい僧道を歩まれたのですから満足なさっておられることでしょう。
私とて古稀の手前ですから旅立たれた諸師と年齢の差はありません。寿命は誰にもわかりませんから、今日一日の命の営みを大切にするとともに、できるだけ迷惑をかけぬよう準備をして、霊山に迎えていただけるよう信仰を深めて行きたいと思っています。

相武山 山主

2020年04月28日