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相武山 妙法寺 ブログ

興師会(せり御講)に思う

2月7日は日興門流の開祖日興上人の祥月のご命日忌。当山では一週間前の1日(土)のお経日に併せて興師会(せり御講)を執り行いました。例月1日のお経日は御信心の篤い信徒が10名から15名ほど参詣されますが、この日は土曜日で興師会を併せての御経日となったためか、いつもより多くのご信徒が参詣されました。日興上人が好まれたと伝えられる清々しい芹を御宝前にお供えし、参詣の皆さまと倶に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経の唱題と如法に御報恩申し上げました。法要後には私より興師会の意義についてお話を申し上げ、続いて興厳房が妙風新聞の「御心を拝して」を拝読して法話をさせて頂きました。

弘安五年(1282)日蓮大聖人はご入滅にあたり六人の高弟を定められ滅後の弘通を遺命されました。弁阿闍梨日昭、大国阿闍梨日朗、白蓮阿闍梨日興、佐渡公日向、伊予公日頂、蓮華阿闍梨日持の六老僧です。現代に日蓮大聖人の教えと信仰を護持伝承する教団は、伝統のある教団から新興宗教的教団までさまざまに存在しますが、源流をたどればすべてこの六老僧に帰着するといって過言ではありません。

同じく日蓮大聖人より教えを受けたにもかかわらず、その滅後に教義の理解と展開の在りように差異が生じてしまったことは残念ですが、他面、個々の資質や環境によって教えの受用が異なったことはやむを得ないことかもしれません。宗教の世界では「帰依した信仰こそが正しい」と信じて人生の燈明としますから安易な妥協などできませんが、もとより人は一人ひとり資質や能力、気性や感性、自然環境や人的環境まで同じという人はいませんから、差異が生じることは一面自然であるといえるでしょう。
視点をちがう分野に広げて、学問や芸術、文化や伝統の世界を観ても理解できることです。大切なことは自らが主張するように他者にも主張があるということであり、どのような合理性をもって自らの意志を確立しているかということではないでしょうか。

私たちはそれぞれの機縁によって日興上人の教えと信仰を受持していますから、日興門流の末弟であり、その教宣の地となった富士にちなんで古来自他共に富士門流と称してきました。法華経と日蓮大聖人への信仰を持つ僧俗は現在一般的には日蓮宗と呼ばれることが多いのですが、この名称が広く認知されるようになったのは、本末制度や檀家制度などによって徳川幕府の宗教政策の一環にとりこまれた江戸時代からいえるでしょう。
日蓮大聖人は自ら「日蓮宗」などと名乗ることはなく、「法華宗」と名乗っておられましたから、門下上代は各門流は法華宗と名乗り、法華宗○○門流と称していたようです。ただし、法華宗といいますと天台法華宗も存在していますから、天台宗との違いを示すため日蓮法華宗と称したり、日蓮党と呼ばれることもあったようです。

さて、日蓮門下諸門流には当然各々の教えと信仰があります。しかし他宗同様、宗教や信仰への意識がうすい檀信徒の方々は『昔からの菩提寺だから・・・』ということで、その信仰の内容を問うことはあまりないようです。これは実にもったいないことです。宗教や信仰、ことに仏教は冠婚葬祭やひとときの気休めのためだけにあるのではありません。迷い悩む人生の燈明となり、日々の精神を磨き調え、真実の自己の確立に大きく寄与するものなのです。したがって、何らかの機縁によって法華経や日蓮大聖人の教えにふれたならば、やはりその内容を少しでも学び功徳を積んでほしいと思うのです。

せり御講(興師会)は当山開創の佳日。法会では他門流のことはともかく、私たちは日興門流の末弟であることを自覚して、これからも真摯にその教えと信仰を探求して行きたいと誓願しました。

相武山 山主

2020年02月26日