相武山 妙法院のブログです。
9月23日の中日を中心に秋のお彼岸を執り行いました。夏のお盆からあまり間がありませんからお参りの方もそう多くはないのかなと思っていましたが、20日の彼岸の入りから26日までお墓参りの方々が墓苑に三々五々にお参りされていました。お墓や供養のかたちは価値観の多様性に伴って変化しているようですが、皆さんなごやかなお顔で香華をささげておられ、ありがたいことと思っています。22日と23日の両日には天候不順のなか法要を執り行い、参詣者と一緒にご先祖有縁精霊への追善御回向を申し上げました。
法要後の法話では「忘持経事」を拝読。忘持経事はお母様の遺骨を身延山の大聖人様のもとに納められ、供養のまことを尽くされた富木入道に宛てられたお手紙ですが、お参りされた富木入道が経典を忘れて帰られたので経典を弟子が届ける時に認められた書簡。
親子の縁の深さと仏道の救いの在り方を『我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目尊者は同時の成仏なり。是の如く観ずる時無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふ』と説かれていることをお伝えし、令和元年秋の彼岸会の法話としました。
相武山 山主
2019年09月26日