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相武山 妙法寺 ブログ

おさめ御講を奉修

12月12日(日)と13日の両日、今年最後の日蓮大聖人御報恩講(おさめ御講)を執り行いました。今年もコロナ禍に翻弄された不安定な世相でしたが、妙法院はまじめで篤いご信心の檀信徒有志によって支えられ、法華の法燈をともし続けることができました。

おさめ御講は参詣僧俗倶に心を合わせて、如法に仏祖三宝尊への献膳、読経、献香、唱題を申し上げ御報恩の志をささげました。
法要後は持妙尼御前御返事「月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ(掌)ににぎり、竜王をしたがへて雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ給ひき。始めは悪王なりしかども、後には仏法に帰し、六万人の僧を日々に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ」から結びの「まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまして、かうべをわらんとをもふ鬼神の候べきか。又、釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ」までを拝読。

はじめに御書システムの「解題」について。
解題というのは当該御書についての解説。その御書が真筆(宗祖のお筆)なのか、真偽未決(宗祖の真撰か偽撰か判定不明)なのか、偽撰書なのかを学問的に解説。さらに真筆の所在や上代の高弟等の書写について。真撰であるなら、いつどこで誰に授与された御書であるのか。なにゆえに真偽未決、偽書とされるのか等を解説。その上で当該御書の内容を概説している。日蓮大聖人の遺された御書を理解するためには最適な解説といえるものです。

御書拝読の注意点を述べた後、対告衆である持妙尼からの御供養について。インドで仏教に帰依し厚く守護されたアショーカ王と徳勝童子のいわれを説明。法華経と仏の関係について仏は法華経から生じた存在であるとの宗祖のご教示を解説。その上で、火の信心と水の信心について説明し、宗祖は持妙尼の水の流れるような信心を愛でられたこと。また、人生の困難や苦悩に臨んでは「自身の信仰が試されている」と解釈しなければならないという宗祖の教えをお伝えしました。

その後、是非味読してほしい法華経要文を紹介。
結びに「今年は宗祖の御生誕800年、妙法院開創40周年という佳節の年でしたが、コロナ禍のために佳節らしい事業をなすことができず残念。明年には企画を練り直して取り組みたい。妙法院の法華衆は一人ひとりが日蓮仏法の担い手であるという自覚に立って、日々の信仰を大切に信行を深めて行こう」と述べておさめ御講の法話を終了。
参詣の皆さまと共々に今年一年の仏祖三宝尊への報恩感謝を申し上げました。

相武山 山主

2021年12月30日

小事つもりて大事となる(下)

世相に続いてテーマの「小事が大切《小事つもりて大事となる》」のお話。物ごとは結果ばかりに注目されやすいものですが、その経緯が大切なことは改めていうまでもありません。その経緯を小事と観ることについての私の所見です。

小事というのは取るにたらない事柄、ささいな事柄ということで、一般的には「小事もいいかげんにすると大事になるから、疎 かにしてはいけない」という意味で用いられますが、ここではささやかなことを大切に積み重ねてこそ、大きな安らぎを得ることができることを解説。

はじめに日蓮大聖人のことば『衆生心身御書〔C1・建治三年頃〕』より、「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」を拝読。
宗祖は法華経の行者として法難重畳、波瀾万丈のダイナミックな人生であったがために、ややもすると豪快なご性格と想像されがちですが、「小事つもりて大事となる」と、ものごとの本質を語っていることを紹介。小さなことでも疎かにすることなく、佳い習慣を大切にしてこそより心豊かな人生が歩めることを宗祖のお言葉から解説。

此処では鎌倉仏教の最後に登場して今日まで日本仏教界に大きな影響を与えた宗祖についても略述。平安時代前期仏教の二大潮流である天台宗と真言宗の存在にふれながら、平安末期には浄土教や禅宗が大きく台頭してきた史実を紹介。その上で、大乗仏教の精華を法華経に見いだされ、天台教学の上に独自の御法門を建立された意義を説明。その宗祖が小事を大切されたことを述べました。

私たちにとって大切にすべき小事とは「常日頃の心のはたらきであり、言葉の使い方や立ち居振る舞いであり、臨終のその時まで人間としての成長を諦めないこと。愚痴や不平や不満を離れて応分の瑞々しい人生をあゆむこと」と所見を述べ、また「家族、親族、友人、仲間、隣人、そして社会や自然にまでも想いをいたし、それぞれにささやかな心遣いを忘れることなく、細やかな配慮と小さな実践の継続が、やがては豊かさや安らぎ、悦びに通じている」ことをお伝えしました。

人生において小事を大切にすることは古今東西変わらぬことですから名言は数多くありますが、中国の古諺とガンジーの言葉を紹介しました。
『漢書』からは「少を聚めて多を成し、小を積みて巨に致す」。
『張華「励志詩」』からは「高きは下きを以て基とし、洪は繊に由りて起こる」。
『林逋「省心録」』からは「足らざるを知る者は学を好み、下問を恥ずる者は自ら満す」。
『陶淵明「雑詩」』からは「古人寸陰を惜しむ、此れを念えば人をして懼れしむ」。
『曹操「短歌行」』からは「山高きを厭わず、海深きを厭わず」。

ガンジーの言葉
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。だが、正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。」
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

むすびには日蓮大聖人の『撰時抄』
「衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱へ伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」を紹介。

仏道において一足飛びはありません。どのように資質や環境に恵まれたとしても、一歩一歩着実にあゆみを積み重ねることが求められます。また、その道には疎かにしても良いという小事はありません。眼前の課題にはすべて意味があるとの心得が大切なのです。
これは仏道だけに限りません。法華経では仏道は人生そのものと教えていますから、人生においても小事が大事に至る道であることをお伝えして今年最後の日曜法話会は終了。

今年も無事に1月より11回の日曜法話会を開催することができました。コロナ禍の世相にもかかわらず、参加聴聞頂いた皆さま方々には厚く御礼申し上げます。明年も1月23日(日)から毎月1度の開催を予定しています。
皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2021年12月29日

小事つもりて大事となる(上)

今年最後の日曜法話会は11月14日でした。今回の法話会に初参加という方はおられませんでしたが、はじめに法話会の趣旨について「仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい」との念いで開催していることを述べ、「仏道は求める姿勢が基本であり生涯探究心を大切にすること。仏道は継続しての学びとその教えを人生に活かすことが大切」であることをお伝えしました。

続いて仏教寺院の役割について「寺院は仏教を護り伝える道場。僧侶と信徒の修行・修学の場。僧俗が信仰心を磨く場。心を浄め癒やす場。文化や歴史や伝統習俗を伝える存在・・・」であることを解説。妙法院は法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝える法華の道場であり、社会に開かれた仏教寺院として前向きに活動していることをお伝えしました。

11月の法話会のテーマは「小事が大事。《小事つもりて大事となる》」。
テーマについて語る前には「世相について」。身近な世相の話題について仏教的視点からの所見を述べています。仏教は現実直視という姿勢であり、あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではなく、起こる事象はすべて学びの対象と考えるからです。

世相の話題は「「2021年衆議院選挙 雑感」でした。
去る10月31日に行われた衆議院選挙についての私見です。まず、当たり前のことながら衆議院選挙の基礎知識。衆議院議員の定数は465人(小選挙区289人、比例代表176人)。小選挙区は当選者1名。比例代表は政党の得票数に比例して選出。多くの人が疑問に思っていることに、小選挙区と比例代表への重複立候補が可能で、小選挙区で落選した候補者が比例区で復活当選するという事態が起こることがあります。
所詮、政治家自らが選挙制度を作っているのですから、より良い選挙制度というよりもそれぞれの利害得失が反映された選挙制度であることがわかります。やはり第三者による合理的な選挙システムが必要だと思います。

選挙の結果はすでに報道されているとおり。自民公明の与党が安定多数を得、野党は維新と国民が増加、立民と共産は減。私は選挙権を得てから一度も投票しなかったことはありませんが、我が国では選挙についての理解が低い方も多く、投票率の低さは常に話題になっていることを説明。

国民一人ひとりが主権者である民主主義国家では、選挙は政治を選択する大きな権利であり、その選択と投票は義務とさえいえるものです。政治は生活に直結しているものですが、その実感に乏しく認識が薄いことは民主主義にとって実に残念なことです。
時に『選びたい候補者や政党がない』という声も聞きますが、自分自身が直接立候補しない限りベストな人や政党はないのですから、そこはベターな選択、少しでも理解できる人物と政策を選ぶしかないと思うのです。棄権するということも一つの意思表示だと言われますが、一つでも二つでも私たちの生活に直結する政治が良くなる方向に意思表示する方が賢明との所見を述べました。

選挙の大切さをお伝えするために総務省のホームページから「選挙は国民の権利と義務」より《選挙の意義》を取り上げ、「『選挙』は、私たち一人ひとりのために。」「私たちは、家族や地域、学校や職場など、さまざまな場でくらしています。私たちの生活や社会をよくするためには、私たちの意見を反映させてくれる、代表者が必要であり、その代表者を決めるのが『選挙』なのです」を紹介。

そこで解説されている「みんなの代表、多数決、身近な選挙、憲法と選挙、選挙と政治、政治と国民」というポイントを読み上げて紹介し、民主主義にとっていかに選挙が大切であるかを一緒に学びました。
選挙の基礎的認識の啓蒙に続き、2021年総選挙の実施と結果について、日経新聞から二つのコラムを参照しながら以下のように私見を述べました。

①として「考える時間を与えない選挙」だったということ。9月3日、コロナ対策の不手際や様々な政権批判に対してほとんど説明しない対応などで、世論調査で不人気であった菅総理大臣が突然自民党総裁選挙不出馬を表明。
菅氏の退陣表明によって自民党政権が長期化してきた理由の一つに挙げられる「疑似政権交代イメージ」の総裁選挙が実施。総裁選は岸田氏が勝利。国会で総理に選出された岸田氏は任期満了間近にもかかわらず直ちに解散を宣言し総選挙となった。菅氏の不人気に油断していた野党も慌てたようだが、国民も過去の安倍・菅政権に対する冷静な検証をする時間が無かったと思う。
②として「投票率が低い」。今回の投票率は55.93%。国民の4分の1ほどの得票で政権が決まることになった。「投票しない国民に問題があるのは当然として、これで果たして民意は反映されているのか?政権は支持されたのか?」という指摘も至当である。
③として「政策の争点が見えにくい」。与野党倶にイメージ選挙の様相で具体的な政策が提示されたようには思えなかった。「本当に国民の日常生活を見て政策を練っているのだろうか?国際的な視野から日本の問題点を考えているのだろうか?ポピュリズムに流されていないか?」との疑問が湧いた。素人ながら政権選挙ならば政権の大綱を示し直近の課題と対策を具体的に提示して支持を求めるべきだと思う。
内政外交ともに厳しい現状である。「過去の検証と総括がなされないところに健全な未来はない」といわれている。選挙では与野党ともに未来について発言したが、安倍・菅政権の検証がなされ、その功罪が具体的に問われたのか?甚だ疑問。
④として「各政党の選挙協力は?」選挙では各政党の選挙協力が話題になった。与党は従来からの自民公明の選挙協力。野党は全国で野党統一候補としての選挙協力を行った。与党は従来からの効果を発揮したようだが、野党の結果は微妙なものとなって選挙協力の是非が検証されることになった。
⑤として「選挙は民主主義国家の主権者としての義務」。日頃から政治は自身の生活に直結するものとして関心を持ち、政治に対して自らの意見を持つように努めるべき。選挙では投票所に足を運び、政治への自らの意思を表明する。一人ひとりの投票は小事に思えるかもしれないが大事に至る行為。
以上5点について世相への所見をお伝えしました。

相武山 山主

2021年12月28日

鎌倉の歴史を散策

妙法院では日蓮大聖人ゆかりの鎌倉に隣接していることから、開創当時より折々に鎌倉の歴史と宗祖の御聖跡をたずねる鎌倉散策を行ってきました。10数年前からは鎌倉の歴史と文化に造詣が深い酒井俊克さんの案内で「鎌倉歴史散策の会」を開催しています。

コロナ禍ではありましたが、昨年も12月5日、「鎌倉から龍ノ口」までを散策。テーマは「龍口法難750年を偲んで」。宗祖の龍ノ口までの歩みを少しでも実感しようと、由比ヶ浜から御霊神社、極楽寺から七里ヶ浜、腰越から龍ノ口まで、初冬の冷たい小雨の中を3時間半ほど散策。皆無言で行軍のような雰囲気もありましたが、途中で酒井さんから宗祖御在世の鎌倉の様相をうかがい、厳しく険しい環境にひるむことなく法華弘通に精励された宗祖と門下僧俗をお偲びしました。

今年は12月4日、昨年の氷雨とは打って変わって、清々しい青空のもと鎌倉駅から三カ所の鎌倉幕府跡を経て十二所までを快適に散策。今年のテーマは明年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」を先取りして鎌倉幕府ゆかりの地の探訪。

参加者は例年にならって定刻の9時半に鎌倉駅西口時計台に集合。住職と酒井さんの挨拶から散策を開始。鎌倉の中心となる八幡宮の段葛前ではその由来を聞き、段葛北端西側にあった和田義盛邸(鎌倉殿十三人の一人)から若宮幕府跡へ。

続いて北条得宗家の邸跡などの説明をうけ北条執権家の邸跡である宝戒寺へ。ここから北に上り筋替橋へ、筋替橋は当時の交通の要衝。その北側一帯は三浦一族の邸跡(三浦義澄は十三人の一人)。今回の散策はここより東に歩みを進めます。はじめに八田知家(十三人の一人)邸跡と大蔵幕府跡の説明を受け、二代執権北条義時(十三人の一人)邸跡から頼朝に重用された文覚の邸跡へ。

その後、鎌倉の三大寺社の一つ頼朝創建の勝長寿院(俗称大御堂)跡を遠望して、室町時代の関東管領を担った上杉諸家の邸跡から報国寺へ。ここでは酒井さんより関東管領などの解説をうけました。続いて足利家ゆかりの浄妙寺と足利公方邸跡へ。ここでも足利家の概要と鎌倉公方、古河公方などについての解説がありました。

ここまでの散策時間は2時間ほど、暑くも寒くもない快適な散策日よりで、参加者皆さんの足取りも軽やかでした。十二所入り口に位置する明王院を見学して頼朝の重臣梶原景時(十三人の一人)邸跡を望み、三代将軍実朝の創建した大慈寺(俗称新御堂)跡を確認。続いて頼朝の側近となって守護地頭の設置など幕府創建に貢献した大江広元(十三人の一人)邸跡をうかがって最後の見学地は光触寺。

光触寺は鎌倉時代の一遍を開基とする時宗の寺院。この地は金沢の六浦湊と鎌倉を結ぶ朝比奈切通にあります。仁治ニ年(1241)に工事が着手されたと記録がある朝夷奈切通は、鎌倉幕府が六浦と鎌倉を結ぶ幹線道路(六浦道)。金沢・六浦は風浪を防ぐ良港だったため、鎌倉幕府の外港として物流の拠点となり、六浦や釜利谷で製塩が始まるとこの道を通って鎌倉に塩が運ばれたことから塩の道ともよばれていたそうです。朝比奈の切通しの解説で今回の散策は終了。散策時間は約3時間。散歩計によればこの日の歩数は約14000歩でした。
皆さんお疲れ様でした。

相武山 山主

2021年12月27日

かぶ御講を奉修

11月15日は日興門流第三祖日目上人の祥月の御命日。今年は前日の14日(日)午後1時から御報恩の法会を執り行いました。今年も緑区の落合さんご夫妻が手作りの蕪を御宝前にお供えされました。青々とした葉に見事な丸い蕪です。門流では日目上人会を「かぶ御講」と称して親しんできました。目師が蕪を好まれていたためか、この時季に収穫される美味なかぶに目師のご恩徳を偲んだものなのかは定かではありませんが、上人に親しみこめての呼び名であることはたしかなことです。法会では参詣のご信徒と倶に読経・唱題、御報恩を申し上げました。

法要後は正信会のホームページに掲載されている「日目上人伝」を紹介。
「新田卿阿闍梨日目上人が誕生されたのは、文応元年(1260)のことです。時あたかも日蓮大聖人が『立正安国論』を鎌倉幕府に献上され、鎌倉で大いに活躍されていた時期でした。さまざまな因縁によって、日目上人はその献上の年に誕生されたのです。
日目上人は伊豆国仁田郡畠郷(現在の静岡県田方郡函南町畑毛)にて、父を奥州三迫新田太郎重房の嫡子・重綱、母を南条兵衛七郎の娘・蓮阿尼とし、その五男として生誕され、幼名を虎王丸と名付けられました。

最古の伝記である大石寺6世・日時上人の『日目上人御伝土代』によると、父方の新田氏、母方の南条氏は、ともに「御家人」とよばれる武士の家系でした。母の蓮阿尼は、後に大石寺の開基檀越となる南条時光の姉です。また、兄の頼綱は、後に富士門流(日興門流)最古の寺院である本源寺(宮城県登米郡)を寄進し、その次男は後に大石寺4世・日道上人となられます。」との【ご誕生】から解説。

【初等教育】【日興上人との出会い】【身延山へ登る】【耳引き法門】【伊勢法印との問答】【大聖人の葬送の儀】【輪番制の崩壊と身延離山】【奥州での布教】【大石寺における講学】【最後の天奏と御遷化】と日目上人の御生涯を参詣者と倶に学びました。
「日目上人は、同年の元弘3年(1333)11月、天奏のため日尊師・日郷師を伴い京都へ向けて旅立たれました。しかし、京都へ向われた日目上人一行ですが、11月15日、日目上人は途上の美濃国垂井(岐阜県垂井町)において74歳でもって御遷化されました」とお伝えしました。

日興門流の信仰を深める上において日目上人の御事跡をたずねることはとても大切なことです。法会ではこれからも皆さんと一緒に上人の護法と弘通の志を継承して行くことを誓願しました。

相武山 山主

2021年11月30日

桜の花に報恩の想い

御会式では御宝前の両側に仏法の法界を顕現するお飾りが設えられ、海や山の上には寂光浄土を寿ぐ桜の花が飾られます。その桜の花やつぼみ、葉は9月から信徒の皆さんによってつくられました。例年、御経日や御講などの後に本堂や客殿で和やかに作ってきましたが、昨春からのコロナ禍によって、今年も昨年同様、各自、自宅に持ち帰ってつくって頂きました。

その花やつぼみ、葉を持ち寄って、今月1日の御経日、13日の御講、14日の目師会と3日にわたって、割竹を支柱に桜の花をつくりました。例年、小田原市の竹籠店に割竹を注文していたのですが、ご主人の高齢化と需要の減少で惜しまれながら今春廃業となりました。ネットで新たに提供先を探すことになりましたが、四国は高知の竹屋さんが見つかり発注。幸いに割竹の仕事はとても丁寧で気持ちよく作業ができました。

一枚の葉、一つのつぼみや桜の花には、ご信徒の日蓮大聖人への御報恩の想いがこめられています。何ごとも心の想いは言葉に出し、振る舞いに現れて伝わって行きます。御会式の荘厳は日蓮大聖人とその教えを尊敬するご信徒の志の表明といえるでしょう。これからも「お花つくり」には一人でも多くの方にご参加頂きたいと願っています。

相武山 山主

2021年11月30日

秋季法門研修会(下)

《釈尊とその教団》
秋季研修会の後半は大乗仏教と法華経の概要解説。
はじめに「インド仏教史における大乗仏教概観」。仏教は紀元前5~6世紀、釈尊(ゴータマ・ブッダ)によって創始された宗教。釈尊は普遍の真理を探求し解脱して覚者となりました。その説かれた法理は仏陀の教説として広く流布し人々の心のともしびとなったのです。釈尊は帰依すべきものとして「三宝(仏、法、僧)」を説き、自らの仏教を護り伝える組織として仏教教団(僧団)を構成しました。僧団は出家した僧侶と尼僧によって構成され、釈尊の教えを伝承する基礎となりました。

釈尊の教えはその入滅後、摩訶迦葉を中心にまとめられ(結集)「経」として伝承されました。また、出家教団の規則として「律」が成立することになります。その後、経や律の解釈として「論」が展開さることになります。
教団は釈尊滅後100年~200年に根本分裂を起こします。保守的な教団とされる上座部と進歩的な教団とされる大衆部に分裂したのです。この分裂以前を原始仏教の時代と呼び、その後を部派仏教の時代とよぶことが現代(今のところ)では通説となっています。
根本分裂後紀元前1世紀頃までに20ほどの部派に分裂したといわれています。

《大乗仏教の誕生》
釈尊滅後、北部インドからインド全域、さらに周辺の国々に仏教は広く流布して行きます。マウリア朝のアショーカ王による仏教信仰が有名ですが、広範な伝播と倶に出家僧団による仏教研究も深く精緻なものになって行きます。
大乗仏教誕生のいわれについては、部派仏教(大衆部系)からの誕生、仏塔信仰の在家集団らの誕生など諸説有りますが、紀元前1世紀頃から大乗仏教運動が興ったといわれています。
その担い手は部派仏教の一部を小乗として批判、自らを大乗と称しました。その批判は僧団が「学問仏教、出家僧院仏教、権威主義・・・」に陥っているというもので、「あらゆる人々の救済を願う釈尊の教えから乖離しているのではないか」というものです。彼らは部派仏教とも共存しつつ、伝統的保守的な仏教を批判し、やがて大乗仏教運動を展開して行きます。

《大乗仏教の展開》
大乗仏教の担い手は膨大な大乗経典を創出し、多数の仏、多数の菩薩、他方の仏土を創出しました。大乗経典は約9世紀わたって創作され、初期大乗経典(紀元前1世紀~紀元後3世紀頃)としては「般若経」「法華経」「維摩経」「無量寿経」「阿弥陀経」「華厳経」等々。中期大乗経典(紀元後4世紀頃~)としては「解深密経」など唯識系経典、「勝鬘経」、「大乗涅槃経」などの如来蔵系経典があり、後期大乗経典(紀元後7世紀頃~)としては「大日経」「金剛頂経」などの密教系経典があります。

少し整理するとインド仏教は「原始仏教・部派仏教・大乗仏教」に分類することが可能。原始仏教と部派仏教を厳密に区別することは難しく、部派仏教と大乗仏教が併存していたことも事実。原始経典は釈尊の教えを部派が伝持。また、大乗経典は仏教運動の中から創作された経典ですから、「大乗非仏説」として批判されてもいます。しかし、大乗経典の素材は釈尊の生涯とその思想であり、原始経典に提示されながら軽視された釈尊の思想を再興したと評価されてもいます。

歴史を重視しないインドの特徴もあり、インド仏教の歴史は直線的な思考では捉えられません。インド仏教の研究は大学などを中心に現在も研究中。インド仏教における大乗仏教は原典の発掘などからも注目されていることをお伝えしました。

《大乗仏教の精華「法華経」》
法華経の成立は紀元前1世紀~紀元後1世紀といわれています。法華経の梵名は「サッダルマプンダリーカ・スートラ」。サンスクリット原典は「ネパール本、ギルギット(カシミール)本、中央アジア(西域)本」三種の系統があります。法華経の翻訳は「漢訳、チベット語訳、西夏語訳、古代トルコ語、満州語、安南語、蒙古語、英語訳、フランス語訳、日本語訳・・・」など。
法華経の経題については、サンスクリット原典から「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」とすることが「仏の智慧の開顕と仏の存在とその出現」という意味において佳いのではないかとの所見を述べました。

法華経の漢訳には三種が伝わっています。西晋の竺法護(230年代)「正法華経十巻」。 姚秦の鳩摩羅什(344~413、350~409)「妙法蓮華経七巻」。隋の闍那崛多(523~605)・達摩笈多(?~619)共訳「添品妙法蓮華経七巻」です。最も有名で現代でも多くの信仰者や研究者に指示されているは鳩摩羅什訳の妙法蓮華経です。私たち法華信仰の根本に関わるところから鳩摩羅什について概略を解説(スペースの都合上ここでは割愛)。

次に梵本漢訳に異同があることもお伝えしました。提婆達多品は「正法華経、添品妙法蓮華経」では見宝塔品に包摂(27品)。「妙法蓮華経」でも当初欠、(27品)後に加増。薬草喩品の後半部分が妙法蓮華経にだけ欠如。嘱累品が「妙法蓮華経」では第22に在るが、「正法華経、添品妙法蓮華経」では経末に在る等々。経典は時の経過と各地に流伝する中で改変増広されて行くことがあることを説明。

《法華経の特色と思想》
法華経の普遍性と永遠性。
「すべての仏の根源に法華経が存在している。日月燈明仏(序品)、大通智勝仏(化城喩品)、威音王仏(常不軽菩薩品)が法華経を説く」などから。
一乗思想と絶対の平等
「方便品では一仏乗を説いて二乗の成仏を認める。すべての衆生が差別なく平等に成仏できることを提示。法華経が絶対平等の思想であることを示す。常不軽菩薩品では『われは深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等は皆、菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし』と。すべての人々を未来の仏として尊敬するという菩薩道の実践」これらのことから「一乗思想は教えの統一をはかったもの」との指摘があることを紹介。
ニヒリズムの超克
「二乗に成仏の記別を与え菩薩道を歩むよう教示したことは、ニヒリズムを超越したものであり、バラモン教、ヒンドゥー教などの輪廻思想からの脱却を意味する。現世を嫌わず菩薩道実践の世界と考え、現実世界での活動に大きな意味があることを教えている」。
仏の永遠性
如来寿量品では「他の大乗仏典と異なり、歴史上の釈尊を中心にすえ、仏の寿命が永遠であることを説く。釈尊は霊鷲山で常に説法教化、信仰者の前に釈尊は現前する。十方分身仏の参集(見宝塔品)に諸仏の統一を観る」。
以上、法華経の特色と思想を概観して秋季法門研修会は終了。(おわり)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(中)

《法華宗と日蓮宗》
研修会では宗名についても所見を述べました。
現代では日蓮門下の教団を日蓮宗と呼ぶことが一般的となっています。しかし、日蓮大聖人ご自身は日蓮宗と名乗られたことはなく、自らの宗旨を「法華宗」と称しておられました。したがって上代では日蓮の諸門流は「法華宗」を自称していたのです。但し、天台宗も法華宗と称していましたから、そのちがいを示すため「日蓮法華宗」との名乗りもありました。

日蓮宗との呼称は「日蓮の教え、日蓮の信仰、日蓮を信ずる人々・・・」としてわかりやすいのは事実で、中世室町の頃より広まり、徳川幕藩体制下の仏教教団対策と民衆統治の施策の中で一般化したようです。仏教諸宗派はその時代の為政者によって大きな影響を受けますから、宗名などにも戦後まで変遷があったのが事実です。それでも、宗祖の御意志を継承するとして現在も法華宗を名乗る教団は少なくありません。ちなみに、現在は日蓮正宗を名乗る富士日興門流もかつては「法華宗日興門流、法華宗富士門流」と称していたのです。

妙法院は法華宗日興門流本来の教えと信仰を護り伝える寺院として開創されました。現在日興門流を名乗る教団や寺院は多数ありますが、本来の教えや信仰、化法や化義、行儀や作法については不明の点もあれば、明らかに御在世・上代と異なるものもありますから、私たちはこれからも真摯に探求して行かねばならないと思っています。現代は権力者からの強制などはないのですから、名乗りも宗開両祖の在り方に準じて行きたいものです。

《日興門流の基本と特色》
研修会では日蓮大聖人の仏法を継承する日興門流の基本と特色について概要を解説。
その教学は「①日蓮大聖人はあらゆる人々を差別無く救済する大乗仏教こそ釈尊の真意であると覚悟された。②大乗仏教の根本をその精華である法華経に見いだされた。③中国隋の時代、法華経を中心に中国仏教をまとめられた天台大師、唐の時代に天台法華宗を復興された妙楽大師、日本天台宗の祖である伝教大師の教説を宗祖は継承された。④日蓮仏教は天台法華宗(中国と日本)の教学を基礎としている。⑤日蓮大聖人は末法思想を受容した上で教義を展開している。⑥法華経を精妙に理解された日蓮大聖人はその文底に末法下種の「事の一念三千の法門」が存在していることを明らかにした。⑦末法の荒凡夫に下種されるべきは「事の一念三千を内包する南無妙法蓮華経」と教示された。⑧十界互具の妙法曼荼羅を法華信仰の本尊として図顕された。⑨末法の衆生は妙法曼荼羅を本尊として南無妙法蓮華経の唱題受持によって成仏できると説いた。」ことがその基本であることをお伝えしました。

特色としては「名字即成仏、未断惑の成仏、下根下機の成仏、本因妙の成仏、小善成仏・・・」が説かれ、それらはすべて末法の下根下機、三毒強盛の荒凡夫を救済することが仏道の眼目であることを教えています。
また、「天台沙門を名乗った門下直弟たちと『日蓮が弟子』と名乗った日興上人。下根下機の成仏道を理解された日興上人(法華専修、法華経文底本因下種の妙法、末法の教主は法華経の行者、信行は御書を根本に、謗法厳戒、教弥実位弥下・・・)」について解説し、他門流とのちがいを述べました。

日蓮大聖人の信仰者も研究者もその教えを学ぶためには御書(日蓮遺文)を修学することになりますが、その御書を理解するためには法華経と天台教学が必須となります。近年、新興信徒団体の影響により法華経や天台教学が疎かになっている日興門流ですが、旧来、法華経と天台教学を学んでいたことは明らかです。法華経の梗概を学ぶことは日蓮仏教を理解する道であることをお伝えしました。

注意しなければならないこととしては「日蓮の思想的変遷」を認めるということを説明。日興門流では日蓮大聖人を末法の大導師と仰ぎ信仰の対象としますので、どうしても絶対無謬化しやすく、その思想性についても直線的に捉えようとするきらいがあります。しかし、日蓮教学研究者が指摘するように日蓮大聖人の思想性については、複線的柔軟な思想性が存在することも認識しなければならないのです。これは私の自省をこめてのものですが、より正しく日蓮大聖人を理解するために必要な視点であろうと考えています。(つづく)

相武山 山主

2021年11月29日

秋季法門研修会(上)

妙法院では一昨年から四季それぞれに法華宗日興門流の御法門をご信徒と倶に学ぶ研修会を開催しています。午後1時から4時頃まで時間をかけてじっくりと法華経と日蓮大聖人の教えに向き合う研修会です。日蓮大聖人の仏法は極まるところ「末法適時の妙法受持」であり、「一言摂尽の南無妙法蓮華経の唱題行」によって「信の決定こそ末法の成道」となります。

したがって、末法の荒凡夫である私たちは、仏縁を有り難いものとして日蓮大聖人の教えに帰依し、素直に信仰を深めて人生にその教えを活かすことができ、現当二世(現在世と未来世)に生きがいと悦びと安らぎが得られればそれで良いのです。
しかし、現代は誰もが文字を読むことができ、時間をかければ文章の内容を理解することも可能なのですから、その信仰を深めて確かなものにするためにも教えを学ぶことは大事だと思うのです。

当山での法門の研鑽は日蓮教学を学び修めるということですが、それは「仏教にはさまざまな教えと信仰が説かれているが、日蓮仏教はどのような構成と内容なのか。日蓮仏教は他宗教や他宗派とどのように異なっているのか。日蓮大聖人の教えと信仰はなぜ人生に必要なのか。なぜ自分は日蓮大聖人の教えに帰依しているのか・・・」という自分自身への問いかけへの回答を得ることになります。

2500年という悠久の歴史を有し、広範な地域に伝播した仏教は、とても広くて深いものですから、古稀を迎えたとはいえ愚鈍な私にとってはまだまだ緒についたばかりのように思えます。僧道の末席に身を置かせて頂いた者としては、世事に追われながら信仰を磨き仏法を護持されるご信徒よりも修行と修学に精励しなければならない立場なのですが、なかなか思うように御法門を会得できないことは恥じ入るばかりです。それでも常に意識を持って歩みを止めずに学び続ければ理解は深まるものと信じています。
《法華経と大乗仏教の概要を学ぶ》

この秋の法門研修会は10月31日(日)。当日は午前中に御会式を迎えるための境内堂宇の清掃でした。午後1時、参加者一同にて勤行唱題をお勤めし、行学二道の御聖訓を奉唱しての開会。
今回は春と夏の研修会に引き続いて「法華経要品 現代語訳(付)」がテキスト。日蓮大聖人の御生誕800年記念として正信会で発刊された「法華経要品 現代語訳(付)」を拝読しての解説を考えていましたが、前2回の研修会から、『要品の御文を説明する前に法華経や大乗仏教の概要について学ぶことが必要』ということに思いが至りました。そこで、秋の研修会は法華経と大乗仏教の概要を学ぶことにポイントを置き、レジメ「法華経方便品第二 現代語訳を読む」にそっての講義となりました。

日蓮大聖人の教えは天台教学と法華教学の上に構築されていますから、その教えをより良く理解しようと考えるならば、自ずと法華経や天台教学、大乗仏教の概要を識らなければなりません。しかし、「妙法の受持、信の一字の成道」を教示された日蓮門下諸門流では、法華最勝は自明のこととして専ら宗祖の御遺文が教学の中心となっています。これはこれで末法下種の仏法を伝承する日蓮門下としては当然のことといえます。
したがって、法華経や天台教学、大乗仏教の概要を学ぶことは専門的な修学を志す学僧や向学心のある信徒を除いては関心が寄せられないのが実状です。

宗開両祖の御在世はもちろんのこと、中世や近世の日蓮門下諸檀林の修学でも一般仏教や天台教学は必須の科目でした。私は現代でも、否、現代であるからこそ「妙法の受持、信の一字の成道」を護持する法華専修の信に立ち、宗祖の教えをより良く理解するために、法華経や大乗仏教の概要を学ぶことは有益だと思うのです。法華経や大乗仏教を知れば識るほど日蓮大聖人の教えにその魂魄が伝承されていることが理解されることでしょう。

他門流はともかく富士日興門流では日興上人のご教示として「当門流においては御抄を心肝に染め極理を師伝し、もしいとま有らば台家を聞くべきこと」と伝えられています。また、宗祖自ら「日蓮は広略をすてて肝要をこのむ」とお述べです。このような視点から仏教を広く学ぶことよりも狭く深く求める傾向があります。
どのようなものにもプラスとマイナスの二面性があるように、「広く浅く」と「狭く深く」も同様ではないでしょうか。私たちは日蓮の門弟ですから、宗祖の教えに準じて末法の下根下機を自覚し、末法の荒凡夫らしく「狭く深く妙法を受持」に努めて成道を願う信行を根本としますが、教えの由来となる大乗仏教と法華経、さらに天台教学についての基礎を修学することはお叱りを蒙るようなことではないと思うのです。(つづく)

相武山 山主

2021年11月28日

大乗仏教のふるさとを想う

法話会のメインテーマは「大乗仏教のふるさとを想う 『アフガニスタンは大乗仏教ゆかりの地』でした。
 アフガニスタンは駐留米軍の撤退が大きく報じられるわりにはあまり知識されていない国ですから、はじめに予備知識としてアフガニスタンの簡単な説明。
「アフガニスタンは中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東に中国と国境を接している。面積は65万2,000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国。首都は人口最大の都市のカーブル。人口は約3,900万人。そのほとんどがパシュトゥーン人、タジク人、ハザーラ人、ウズベク人などの民族。宗教はほとんどの国民がイスラム教」

《米軍のアフガン介入と撤退》
米国は2001年の米同時多発テロ後の同年10月、国際テロ組織アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権に対する攻撃を開始。米軍は同政権を打倒し、民主政権の樹立を支援。米軍はその後もアフガニスタンに駐留を続け対テロ組織掃討作戦などを続けていましたが、米国内では長引く戦争に撤退を求める声が高まっていたことを解説。
すでにトランプ前大統領が撤退を決定していましたが、バイデン大統領も4月、米同時多発テロから20年の節目となる今年9月11日までに米軍をアフガニスタンから撤退させ、米国史上最長の戦争を終わらせると表明。その後8月31日までに米軍を撤退する方針を打ち出していました。

米軍撤退の動きを受けて、8月中旬にはタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧。米国が支援するアフガニスタン政府が突然政権を放棄したために、大混乱の中、米軍と関係各国は短期間での徹底を余儀なくされました。
米中央軍のマッケンジー司令官は8月30日夕、オンラインで記者会見し、アフガニスタンの首都カブールの国際空港で展開していた退避作戦が完了したと表明。米国東部時間30日午後3時29分(アフガニスタン時間30日午後11時59分)、最後の米軍輸送機C17が同空港を離陸。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに始まった「米国史上最長の戦争」に終止符が打たれました。

アフガニスタンへの介入によって米兵や市民2461人が死亡、2万人が負傷しています。また、カブール空港で展開した退避作戦の結果について「政権崩壊前日の14日以降、米軍は米国市民6千人、アフガニスタン人や外国人7万3千人、合計7万9千人を国外に搬送。同盟国による搬送を合わせると12万3千人超を搬送。退避作戦最終盤の26日に過激派組織「イスラム国」支部組織の自爆テロで米軍兵士13人が死亡したことは残念」と米軍が発表したことを紹介しました。

《忘れられない中村哲医師》
アフガニスタンを語るとき、私たち日本人が忘れてならないのが中村哲医師。私は中村氏は大乗仏教の精神を実践された方として尊敬していますので、じっくり説明したかったのですが時間の都合上、参考資料を提供して読んで頂くこととしました。

《アフガニスタンと仏教》
時間は押してきましたが、ここから本題のアフガニスタンと仏教です。
アフガニスタンの領土は王国の興亡によって数千年にわたって変化し、文化的、宗教的な変化も多く見られます。地理的にはペルシアと南アジアの間に位置し、東西と南北のシルクロードに近接。交通の要衝として地域の歴史的、文化的な発展に大きな役割を果たした国です。

紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国の支配下にありましたが、紀元前4世紀にはギリシャのアレクサンドロス3世(大王)による東征下に置かれました。紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配しました。そのためこの地域にはヘレニズム文化が流入。仏教美術にも大きな影響を与えました。

1世紀以降、大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄えますと、ヘレニズム文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになります。アフガニスタンにおける仏教は一千年以上の長い歴史を持ち、大乗仏教の起源にまで遡ぼるといわれています。スキタイを含むパシュトゥーンの多くのイラン人は、イスラム教が伝わるまで仏教を信仰していました。バーミヤン遺跡などの多くの仏教遺跡は仏教文化が存在していたことを物語っています。

《ガンダーラ国と仏教》
ガンダーラ国は現在のパキスタン北西部に存在した古代の王国。首都バクラームなどを中心に栄えました。カーブル川北岸に位置し、その西端は現在のアフガニスタンの首都カーブル付近まで。東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していました。
ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀まで存続。1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えました。ことに2世紀中葉、第3世のカニシカ王はこの国に仏教を大いに流布させました。王は領土を西トルキスタン・アフガニスタンから東トルキスタン・インドの一部まで拡大。首都をプルシャプラ(現ペシャワール)に置きました。この王朝の下で大乗仏教とガンダーラ美術が大いに興隆したのです。

近年、ガンダーラからは多数の大乗仏典が発掘されました。
2019年7月26日 (日経報道)による「アフガン中部で経典写本を発見」の記事を紹介しました。内容は以下のとおりです。
アフガン中部で経典写本を発見
『仏教経典の写本が見つかったメス・アイナク遺跡』【カブール=共同】
「アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡で、7世紀ごろに作られたとみられる仏教経典の写本の一部が見つかった。アフガン考古局が26日までに明らかにした。
古代遺跡から写本が見つかるのは珍しく、栄えた仏教都市だったことを裏付ける発見。小説「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、旅行記「大唐西域記」で描いた仏教国「ブリジスターナ」である可能性が高まった。」
遺跡は首都カブールの南東約40キロにあり、3~7世紀の都市とされる。2009年にアフガン政府が本格的な発掘を開始。仏塔や仏像、壁画が次々と出土し、大規模な遺跡であることが判明した。
写本は遺跡の中心にある丘の斜面で17、18年に見つかった。考古局は「経典の保管施設があったのではないか」と推測している。』を紹介。

このメス・アイナク遺跡で見つかった写本を解読した仏教大の松田和信教授(仏教学)によると、『樹木の皮にサンスクリット語で大乗仏教の「般若経」や「弥勒下生成仏経」が書かれていた。玄奘は西域から大乗仏教の経典群を持ち帰り漢訳したとされている』こと。
メス・アイナク遺跡の保全、修復に協力している東京芸術大の前田耕作客員教授(アジア文化史の『初期仏典の発見は珍しい。大唐西域記に記述されたブリジスターナと大まかな位置関係も符合する。玄奘が立ち寄った可能性がある』との指摘も紹介。

玄奘三蔵は大唐西域記で、ブリジスターナについて「気候は寒さ厳しく、人々の性格は激しい。深く仏教を信仰し、学を尚び、徳行ある者に遵う」と記しています。
一方、遺跡の周辺には世界有数の埋蔵量とされる銅の鉱床が広がっています。鉱山開発が重要な財源となっているアフガン政府は07年、30年間の採掘権を30億ドルで中国企業に売却。遺跡に及ぼす影響が懸念されています。考古局は「発掘が終わるまで数十年は必要だ」と説明。国連教育科学文化機関(ユネスコ)なども保全の重要性を訴えていることをお伝えしました。

アフガニスタンの歴史と大乗仏教の歴史を略述しながら、アフガニスタンには「大乗仏教のふるさと」としての位置づけができることを述べました。平和の国日本で大乗仏教を学ぶことができる私たちは、仏教伝播のいわれを大切にしてアフガニスタンの人々の平和と安寧を祈り見守って行くことをお伝えして10月度の法話会は終了。
来月は今年最後の法話会。11月14日(日)午前11時からの開催です。皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

檀信徒の皆さまにはこの春から日曜法話会をウエブで配信していましたが、10月の法話会はPCの急な不具合で収録ができませんでした。悪しからずご了承ください。

相武山 山主

2021年10月30日