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相武山 妙法寺 ブログ

御誕生会を奉修

2月13日(日)午後1時、しとしとと冷たい雨が降る中、日蓮大聖人の御誕生会を執り行いました。宗祖のご誕生は2月16日と伝えられていますから3日ほど早いのですが、2月は行事が重なりますので繰り上げさせて頂き、月例御講と併せて奉修いたしました。


御宝前に赤飯の御膳をお供えし、参詣者の唱題裡に献膳を申し上げ、法華経要品を読誦、献香、南無妙法蓮華経の唱題と懇ろに宗祖のご誕生を報恩申し上げた次第です。

法要後の法話では佐渡御書「日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず。不軽品に云く「其罪畢已」等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし。何に況や日蓮今生には貧窮下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり、其の中に識神をやどす。濁水に月のうつれるが如し。糞嚢に金をつつめるなるべし。
ー 略 ー 此の経文を見ん者自身をはづべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは、是れ仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり」を拝読。

誕生会なので宗祖の出自について他宗の祖師との違いを述べ、人間の価値は出自や家柄、資質や知識、学歴や地位、肩書きや資産などで判断されるものではなく、その人がどのような志をもち、どのような人生を歩んだかで判断されるべきという仏教的視点をお伝えしました。

また、宗祖はご誕生前年の承久の乱について常に言及されていたことから、誰もが生を受けた時代や環境に影響を受けることを解説。さらに宗祖の遺された御書を拝読するにあたってはその真偽と背景を学ぶことの重要さを述べ、「御書システムの解題」の活用をお勧めしました。

開催中の冬季オリンピック北京大会にもふれ、アスリートの言葉が多くの人々の琴線に触れることについて、『資質に恵まれたアスリートがさらに演技を磨き上げて競技した直後に語る言葉であるから。そこには偽りのない、飾ることのない本音の言葉であるから』と所見をお伝えしました。

昨年はコロナ禍のために御生誕800年を思うように慶祝できずに残念でしたが、私は遇不遇、幸不幸、苦楽などあらゆる事象にはきっと何らかの意味があると考えていますから、宗祖御生誕800年の佳節をコロナ禍によって願うように慶祝できなかったことにも、きっと何らかの意味があるのではないかと思っています。

思うようにならぬことを否定的に捉えるのではなく、法華弘通による法難を仏法の悦びと捉えた宗祖の御振舞いを鏡として、自らを信じ、仏法の道理を信じ、より力強く意義深い人生をあゆむ力に変えて行くことが大切だと思うのです。そのためにも南無妙法蓮華経のお題目を心をこめて唱え信仰を深めて行きたいものです。

相武山 山主

 

2022年02月26日

興師会(せり御講)を奉修

2月7日は法華宗日興門流の門祖白蓮阿闍梨日興上人の御命日。当山は昭和56年(1981)2月7日の開創ですので当山の開創記念日でもあります。
コロナ禍も三年目に入りましたが、未だまん延防止等重点措置が講じられる状態で世相が落ち着くことはありません。妙法院の行事や法要も自粛下ですので静かな状況が続いています。そのような時局ですが、2月7日には数名の御信徒と倶に興師会(芹御講)を奉修いたしました。

御宝前には日興上人が好まれたと伝えられる清々しい芹をお供えし、真心こめて読経・献香・唱題と如法に奉修。上人への御報恩を申し上げ、妙法院開創以来の歩みを振り返りました。法要後には私より日蓮大聖人がご入滅にあたり六老僧を選定されたこと、なかでも法華宗日興門流の門祖としての日興上人のお給仕と法華弘通について解説し挨拶としました。

その後、執事の興厳房が日興上人の御生涯をレジメに沿って丁寧に解説。ことに「日興上人の出会いと選択」について、さまざまな人生の出会いを法華信仰に活かし、「日蓮が弟子」という揺るぎない信仰に照らして選択された人生であったことを語っていました。参詣者も日興上人への理解を深めることができたのではないでしょうか。
コロナ禍が収束して御信徒の皆さんと一緒に、賑やかに日興上人への報恩会を執り行いたいと感じた静かな興師会でした。

相武山 山主

2022年02月25日

除災招福を祈って

節分は立春の前日の行事。立春が旧暦の新年ですからその大晦日にあたり、新年を迎える前の邪気を祓い、一年の無病息災を祈るものです。中国由来の除災招福の行事として現在は日本の習俗となっています。
当山でも2月3日に節分会を執り行いました。一般的には鬼を災厄に見立て、「豆(魔滅)をまいて鬼を追い払う」というイメージですが、本来、仏教行事というよりも日本の習俗として親しまれているもので、当山では厄年などを意識して心身の健康に注意をはらう行事としています。

当日は午後1時から御宝前に福豆をお供えし、法華経要品を読誦・南無妙法蓮華経の唱題とお勤めして疫病の退散、衆生の安寧を祈願。さらに災厄祈願を申し出られた方々と参詣者の方々の現当二世にわたるご健勝を祈念いたしました。
寿量品長行では私が「福は内」と念じて御宝前に福豆をまき、興厳房が本堂から客殿、ロビーから寺務所、客殿に福豆をまいて除災招福を祈りました。

法要後は節分のいわれを参詣者にお伝えして福豆を振る舞いました。今年は新型コロナも三年目ですから疫病の退散を強く祈念した次第です。

相武山 山主

 

2022年02月25日

仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』

世相に想うの後には「仏教に親しむ」の法話。
今月のテーマは「仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』」です。
はじめに当山の帰依する法華経と大乗仏教についての解説。今までにもこの法話会において大乗仏教や法華経については語ってきましたが、日本の仏教を理解するためにも日蓮大聖人の教えを理解するためにも必須なので重ねてお伝えした次第。

仏教学者の三枝充悳氏(日本大百科全書)の「大乗仏教」解説を紹介。
大乗はサンスクリット語のマハーヤーナmahāyānaの訳語で、「多数の人々を乗せる広大な乗り物」の意。すなわち一切衆生(いっさいしゅじょう)の済度(さいど)を目ざす仏教という趣旨。
仏滅後数百年(紀元前後ごろ)インドにおこった新しい仏教運動は、それまでの諸部派に分かれて各自の教理体系を固めていたあり方を鋭く批判しつつ、幅広い諸活動を展開し、やがて新しい諸経典が成立するなかで、『般若経(はんにゃきょう)』以来この自称が確定した。
従来の出家者中心の仏教を一般民衆に開放し、在家(ざいけ)信者を主とする進歩的な考えの仏教徒の間からこの運動はおこり、異民族に支配されて混乱していた、当時の悲惨な社会状勢や、仏教遺跡のストゥーパ崇拝などとも関連が深い。
その最大の特徴は、現在多方仏(げんざいたほうぶつ)を認めて利他に向かう多くの菩薩(ぼさつ)をたて、また多くの大乗経典が生まれたことにある。3世紀以降インドに栄えたが、7世紀からは密教化が著しく、それは大乗よりも金剛乗(こんごうじょう)と称した。大乗仏教は、のち中国、日本など、またチベットに伝わり、その主流となる。
なお部派仏教に対する小乗(ヒーナヤーナ)の貶称(へんしょう)は、インドには顕著でなく、大乗仏教を根拠とした中国や日本で盛んであった。   []

続いてブリタニカ国際大百科事典 Mahāyāna Buddhismを紹介。
「1世紀頃に興った仏教の二大流派の一つ。古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加えた教派で,自分ひとりの悟りのためではなく,多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味で,みずからの立場を大乗仏教と呼んだ。
それ以前の釈迦の言行の伝承を中心とした原始仏教ならびに釈迦の法の注釈的研究を主とする保守派をいわゆる小乗仏教と貶称したが,これは適当でないので,上座部仏教,部派仏教などと今日では呼ばれている。この伝統的な部派仏教がセイロン (現スリランカ) ,ビルマ (現ミャンマー) ,タイなど南方に伝播したのに対し,大乗仏教はチベット,中国,日本など北方へ伝わり今日にいたっている。
大乗仏教と部派仏教では,仏陀の本質のとらえ方と,仏教徒として目指す理想が異なる。部派は古来より釈迦すなわち仏陀を真実の師とするのに対し,大乗は仏陀を俗界を解脱した存在であるとして,釈迦はその超絶した天上の存在が地上に現れた仮の姿であると解釈する。
大乗からみれば,部派の目指す羅漢は限られた己の目標にすぎず,すべての仏教徒が目指すべき理想は,菩薩すなわち己の悟りを開くのをおいても利他のために奉仕する姿である。
したがって,菩薩の徳である憐れみこそ,古来の仏教が強く説いてきた知の徳と同じものであるとする。このような菩薩思想の利点は他に受入れられやすい柔軟性であり,その概念は中国と日本で信仰される浄土教にも伝わっている。今日に伝わるそのほかの大乗派としては,禅宗,日蓮宗,天台宗がある。大乗仏教の経典はおもにサンスクリット語で記されているが,原典が失われチベット語訳や中国語訳のみが伝わるものもある。」

【法華経に説かれる小善成仏】
大乗仏教の精華である法華経にはささやかな仏縁(小善)が成仏への道であると説かれています。それは「御経の文句を一つ唱える、塔(ストウーパ)や仏舎利を礼拝する、仏像を拝む、子どもが戯れに砂で塔をつくるまねをする、壁に爪で仏像を描く・・・」など、そのすべてが仏縁(善縁)であるとする法華経の大きな慈悲と救済を顕すものです。

法話会では以下「法華経方便品第二(現代語訳)」を解説しました。
「あるいは広大な野原の中で、土を積みあげて仏の霊廟を造り、さらには、子どもが戯れに、沙を集めて仏塔を作ったりする。このような人びとは、みなすでに仏に成る道を成就している。
ー 中 略 ー
壁などに色彩画で、数多くの福徳によって飾られる仏像を、自分で描いても、また誰かに描かせても、その人たちはみな、すでに仏に成る道を完成している。また、子どもが戯れの中で、草や木や筆で、あるいは指の爪先で、仏像を描いたりする。このような人たちは、次第に功徳を積み上げ、大いなる慈悲の心を具えて、みなすでに仏に成る道を成就している。
しかもこの人たちは、おのずから多くの菩薩たちに勇気を与え、はかりしれない多くの者たちを、悟りの世界へと導いている。
もしも誰かが、以上のように造られた供養塔や宝像・画像に対して、花や香、幢旛や天蓋を供えて、尊敬の心をもって供養し、もしくは、誰かに音楽を演奏させ、鼓を打ち、角笛や法螺貝を吹き、簫や笛、琴や琵琶などの弦楽器や、銅鑼などの多くの美しい音楽を奏でて供養し、あるいは歓喜の心をもって歌い、仏の徳を詩にして讃え、またそれが、ほんの小さな声であっても、その人たちはみなすでに仏に成る道を完成している。
ー 中 略 ー
もしも、誰かが散乱した心のままで、供養塔の中に入って、たった一声『南無仏』と称えたりする。その人たちは皆すでに仏に成る道を完成している。多くの過去の仏に従い、現在の仏に従い、また仏が入滅された後に、もしも、この教えを聞くことができた人たちは、すべて仏に成る道を成就している。」

これらの経文から法華経では「小さな善き縁を大切にして仏道を成就する」ことがわかります。人間の愚かさを認めつつ仏の道を実践することの尊さが説かれている法華経。あらゆる小善が仏道であると説く法華経の大らかな世界をお伝えしました。

最後に日蓮聖人のことばを紹介。
『衆生心身御書』
「つゆ(露)つもりて河となる、河つもりて大海となる、塵(ちり)つもり て山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる」
『顕謗法抄』
「後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし。一切の悪縁よりは悪知識を をそるべしとみえたり」
『四信五品抄』(現代語訳)
天台大師は「相似即の位に進んだ者は、次の世に生まれてもその得たものを忘れることはないが、名字即と観行即の位の場合は、次の世に行くと忘れてしまう者と忘れない者に分かれる。忘れてしまった者も善知識に値えば、前世で得たものを思い出すが、忘れない者が悪友に値えば、せっかく忘れなかったものを失ってしまう」と述べている。

むすびに「人生は出会いとその選択で決まる。人生には善縁と悪縁がある(互いに転ずることは可能)。善縁からは善知識、悪縁からは悪知識。現当二世(現世と未来世)に安穏の道を説く大乗仏教は最上の善縁。仏縁(善縁)にふれて人生を深く学ぼう。」と述べて法話会を終了。

2月の日曜法話会は20日(日)を予定しています。コロナ禍の沈静化を祈りながら皆さまの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2022年01月30日

12年目を迎えた日曜法話会

平成23年(2011)3月から開始した妙法院の日曜法話会も今年で12年目を迎えました。第1回目の法話会は東日本大震災発生直後の混乱の中での開催。その後、コロナ禍のために3ヶ月休会することはありましたが、毎年1月から11月まで開催を継続してきました。
法話会は「世相に想う」と「仏教に親しむ」の二部構成。折々の世相を大乗仏教的な視点から解説すると倶に、仏教に関するテーマを掲げて仏教と信仰についての所見をのべてきました。

法話会は「仏教に親しんで頂き、仏教と信仰を正しく理解して頂きたい」と願っての開催。一般に解放している法話会ですが、当山のホームページと年に一度のタウンニュース(保土ケ谷区、旭区、瀬谷区、大和市)でのささやかな広報ですからさほどの広がりはありませんが、少ないときは約15名ほど多くて約30名ほどの方が参加されます。参加者の内訳は檀信徒の方と一般の方が半々といったところです。

澄み渡る冬の青空が寒さを感じさせる23日は今年初めての日曜法話会。今回のテーマは「仏縁(善縁)にふれる『法華経は小善成仏』」。この日初参加という方も居られたので趣旨の説明から。
妙法院の法話会は『仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解願いたい。大乗仏教の精華である法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい』が趣旨。法話会では『継続が肝要、仏教のおしえを地道に積み重ねて人生に活かしてほしい。仏道は求める姿勢が基本、生涯探究心を大切に。お寺の役割(僧俗修行の場、信仰を磨く場、仏教を学ぶ場、心を浄め癒す場、仏教や伝統や文化を護り伝える役割等々)を知って頂きたい』と申し上げました。

続いて法話会は世相を仏教の視点から観る「世相に想う」と仏教の教えと信仰を学ぶ「仏教に親しむ」の2部構成であることを解説。
なぜ世相か?では『釈尊の創始された仏教は現実直視が基本。神秘主義や不思議世界には浮遊しない。あらゆる事物・事象は私たちの生活や人生と無縁なるものではない。大乗仏教の精華『法華経』では諸法は実相と説く。起こる事象はすべて学びの対象。眼前の事物・事象を自分がどのように観ているかを認識し、自らの人生に活かすことが肝要』とお伝えしました。

【クリニック襲撃放火事件】
世相に想うのテーマは「地獄の心が引き起こす凶行」。
昨年末、大阪市北区で発生したクリニック襲撃放火事件を取り上げました。始めに事件の概要「12月17日、午前10時20分頃。大阪市北区曽根崎新地「堂島北ビル」(JR大阪駅から200mほど)の4階から出火。4階には心療内科『西梅田こころとからだのクリニック』の医師とスタッフ、患者26人が居た。火災の原因は放火。30分ほどで鎮火。27人が病院に搬送。うち25人が死亡。放火の容疑者も年末に死亡。死因はすべて一酸化炭素中毒(有毒ガス)。」を説明。

次に犯行の模様について「谷本盛雄容疑者(当時61)がクリニックの出入り口付近で持参のガソリンに火を付けた。院内の防犯カメラには、谷本容疑者が逃げ惑う患者らの前に立ち塞がって体当たりし、自ら炎の中に飛び込む姿も映されていた。多量のガソリンのほか、ナイフや催涙スプレーも持参していたことが判明」と解説。

また、襲撃された「西梅田こころとからだのクリニック」について『クリニックの院長は発達障害の診療で有名な西沢弘太郎氏(49)。クリニックはうつ病や発達障害に苦しむ人たちをサポートしていた。ビジネス街にあるため中高年の患者が多かった。午前中に診療があるのは火曜と金曜日だけ、働く人たちのために午後は夜10時まで開院していた』とメディアからの情報をお伝えしました。

その後、クリニックに通院していた田中俊也さんの声『決して上から目線でアドバイスせず謙虚で、とても丁寧に診療してくださる先生です。トラブルを起こすような人ではありません。なんで放火などされたのか……。私は旅行業界に勤めていたのですが、3年ほど前にパワハラを受けうつ病を発症。ずっと真っ暗闇の中を生きているような重症でした。先生は、そんな私の話を一所懸命聞いてくれ後、こう言ってくださいました。『休んでください。ゆっくりしてください』と。何もヤル気にならんない自分を情けないと思い、悩んでいた私は、その言葉にどれほど助けられたことか……。
私は『リワークプログラム』にも参加しましたが、同じように悩んでいる人が大勢いることを知って、気持ちが和らぎました。ムリに自分を奮い立たさなくてもエエのやな、とい
うことがわかった。本当に救われた。今の自分があるのは先生のおかげです。』を紹介。
クリニックと西沢医師の人柄をお伝えしました。

谷本容疑者については
「クリニックとの間にトラブルは見つかっていない。動機は不明」警察の捜査によれば「事件前の数年にわたって、交友関係のあった人物は見つからなかった。容疑者のスマートフォンには電話帳の登録は1件もなく、通話していたのはガス会社や電話会社のみで、交友関係を示す通話履歴はなかった。
また、事件の前、税金の滞納が理由で所有する住宅を一時期差し押さえられていた。口座の残高もゼロになり経済的に困窮していた。警察は谷本容疑者が社会から孤立する中で、多くの人を巻き添えにみずからも死のうとして事件を起こしたとみて捜査し、今後、書類送検する方針」とのNHKの報道を紹介。

今回に類似する近年の事件として「2019年7月、京都アニメーション放火事件」(京都市伏見区、アニメーション製作会社が襲撃放火され35名が死亡)。「2008年6月8日、秋葉原通り魔事件」(東京 秋葉原の歩行者天国にトラックが突っ込み通行人がはねられた。さらに次々に通行人がナイフで刺され7人が死亡、10人が重軽傷を負った)を解説。
私たち人間の心には愚劣で凶暴な性質が存在することを説明しました。

【地獄の心が引き起こす凶行(心の奥に潜む闇)】
以下、凶悪な事件から私たちの心の中に潜む地獄の心について仏教的視点からの私見をお伝えしました。
ここでは地獄を「深刻な悩みや苦しみ、辛い試練が繰り返し続く状態や境遇のこと」としましたが、デジタル大辞泉では、仏教・キリスト教・イスラム教・状態や境遇・火山・奈落・私娼の7項目にわたって解説されていることを紹介。ブリタニカ国際大百科事典と百科事典マイペディアによる地獄の説明も紹介しました。

次に大乗仏教では「十界(人間が備えている十の仏教的世界)」が説かれていることを解説。「十界(じっかい)とは迷いと悟りの世界を 10種の領域に分けたもの。すなわち,地獄界,餓鬼界,畜生界,阿修羅界,人間界,天上界という6種の迷いの世界と,声聞界,縁覚界,菩薩界,仏界という4種の悟りの世界との総称」(ブリタニカ国際大百科事典)。

世界大百科事典には「仏教の世界観の一つ。精神的な生き方を,迷いより悟りへの10層に分け,最下の地獄より餓鬼,畜生,修羅,人間,天上,声聞,縁覚,菩薩,仏へと上昇するもの。はじめの六つが凡夫,後の四つが聖者の世界で,凡夫はそれらの六つを輪廻転生するから,六道,または六趣とよぶ。また最後の仏界以外は,なお迷いを免れないから,十界にそれぞれ十界の権実があるとして,十界互具を説くことがあり,天台の一念三千説の根拠となる。十界修行【柳田 聖山】」と解説されていることを紹介。

仏教では地獄を悪業(あくごう)の因縁によって堕ちる苦しみの世界といいますが、燃え盛る煩悩によって苦悩にあえぐ精神世界とも観るのです。地獄とは良識や理性、教養や人徳のかけらもなく、三毒(貪とん・瞋じん・癡ち)に支配された迷妄の世界ということができます。このような地獄の心がすべての人々に内在していると大乗仏教では説かれています。

私たちに内在する性質は縁によって導き出されますから、仏教では善き縁を大切にて悪しき縁からは離別することを教えています。大阪の凶悪事件も一人の人間の地獄の心が引き起こしたものです。容疑者はさまざま因縁によって地獄のような極悪の心を増長して凶行に及んだのでしょう。実に悲しいことです。犠牲となられた方々のご冥福を祈り凶行が繰り返されないことを祈るばかりです。

世相から学ぶべきこととして「すべての人間に十界の心が備わっている。人間は誰もが善心も悪心も備えている。人間は善行も悪行も行える。人間は善人にも悪人にもなる。善悪の行為はいずれも外縁によって導き出される。煩悩の源は三毒(貪り、瞋恚、愚痴)であることを知識する。人生の安らぎと幸いを得るためには善縁を求めること。」をお伝えしました。

相武山 山主

2022年01月29日

令和4年の初御講

毎月13日は日蓮大聖人の命日忌御講(御報恩講)。日蓮門下では1月の御講は年の初めであることから「初御講」として大切に営んでいます。現在はコロナ禍のために寺院の行事や法要も感染防止が第一。自粛というかたちを余儀なくされていますが、コロナ禍が収束したならば毎月の信行の要としての御講を啓蒙したいと考えています。

初御講では唱題の裡に仏祖三宝尊への献膳、法華経要品読誦、献香、唱題と如法にお勤めいたしました。化義や行儀は心の想いをかたちに顕したもの。献膳、読経、献香、唱題、そのすべてが末法の法華経の行者日蓮大聖人への御報恩となります。
ときに『いつも同じことを・・・』と思う方も居られるかもしれませんが、変える必要がなければ、常に変わらずに行うことによってうったえているものがあるのです。仏の教えを護り伝えることが仏教寺院の最も大切な責務ですから、儀式や行事にこめられた教えと意義をくみとって頂ければ有り難いことです。

法会に続いては法話。御講での法話は日蓮大聖人の遺された御書を拝読。御書から日蓮大聖人の教えをお伝えしています。1月の初御講では初勤行会で拝読した重須殿女房御返事をさらにふみこんで解説して信行の糧として頂いています。

はじめに御書の拝読について『同じ御書を拝読しても自らの仏教理解、信仰の浅深、自身の置かれている環境などによって、教えの受け止め方や理解は異なる。丁寧に拝読して宗祖の御心にふれ、教えと振る舞いを己の人生に活かすことが大切。慢心を排して一抄、一抄丁寧に拝読したい』とお伝えしました。

拝読御書の内容については
『仏教では因果の教えが基本的に説かれている。私たち凡夫は因果についてタイムラグを覚えるが、法華経では蓮が花と実を同時につけることから因果倶時を教えている。凡夫はまつげの近きと虚空の遠くを見ることができないとは、己自身の存在と有り様、宇宙の存在と有り様を理解することの難しさが説かれている。私たちは事物事象の認識として、地獄と仏、善と悪、迷いと悟り、浄と穢、黒と白、貴と卑、高と低、浅と深等々、対比し二元的に捉えやすいが、法華経では汚泥の中から清らかな蓮が花開くように不思議を認識することの大切さが説かれている。大乗仏教の根本思想がこめられた法華経を受持して確かな人生を歩もう』と述べました。

日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経のお題目に仏法のすべてが納められている。事の一念三千たる南無妙法蓮華経のお題目を唱えることによって自らの生きる力が導き出される。人生に生起するさまざまな苦悩や迷惑、悲哀や不安、不条理や理不尽などを唱題によって克服し、己の人生の意義を覚知しなければならない。南無妙法蓮華経のお題目の力用(りきゆう)を深く信じて功徳を積むこと』をご教示とお伝えしました。

結びに日興門流の再興を願う正信会では今年一年「学ぼう法門、語ろう信心」を活動方針としていることから『仏教や法華経にはより良い人生を歩むための貴重な智慧が説かれている。仏教の叡智は広く深く難解なために近寄りがたく感じるかもしれないが、大乗仏教の教えは人生を切り拓く智慧であり力である。法華経を尊崇するばかりでなく一つでも二つでもその教えを自らの人生に活かして行こう』と述べました。

初御講では時間の制限もあることから、自宅で学ぶことができるように、重須殿女房御返事の「解題、重須殿と女房のいわれ、現代語訳」をプリントして参詣者に配布しました。
毎月13日は日蓮大聖人の御講。菩提寺への参詣を心がけ参詣できなくても自宅の御本尊さまに御報恩を申し上げましょう。

相武山 山主

2022年01月28日

雪と春の七草

最近の天気予報はときに外れる場合もありますが昔に比べれば格段に向上しています。1月6日(金)はかなり前から関東地方も積雪との予報。気象庁の予報は見事に的中。横浜でも朝から雪が舞い始め夕刻にはうっすらと雪化粧となりました。
雪化粧などといえるのも雪国のような深刻な対応と被害がないために語れる言葉。雪国で生活する人々にとって積雪は愛情と憎悪の入り交じった複雑な感情の対象でありましょう。

私は北国で生を受け雪国での生活も経験しているので、日頃降雪も少ない関東や東海などで雪が舞い始めるとどうか事故がないようにと祈らずには居られません。雪が降ると些いなことでも交通事故や転倒事故が起こるからです。時には命にも及びますから雪に油断は禁物。細心の注意を払っていても事故になることがあります。まして能天気にいつもと変わらぬ行動しか取れなければ危険極まりなく、他者にも大きな迷惑をかけることになってしまいます。

当山では例年1月7日に御経日を執り行っています。年頭に参詣できない方やゆっくり初参りしたいとお考えの方も居られるからです。この日も名残の雪の中を十名ほどの方がご参詣。皆さまと一緒に門流先師先達への御報恩、当山檀信徒有縁精霊への追善御回向を懇ろに申し上げました。

法会後の法話は重須殿女房御返事を拝読。『この御書は晩年の宗祖が初春を寿ぎ法華経に志を供えられたご婦人に、法華経と宗祖の教えをわかりやすく示された御書。平易に法華経の根本的教えが語られている。拝読する私たちの心の持ち方や理解の仕方で、いくらでも広く深く仏教のおしえを展開することは可能。法華経のおしえは人生に必ず役立つものであるから一つ一つの教えを疎かにしないで学んで行こう』とお伝えしました。

この日は春の七草の日。我が国では春の七草を入れた「七草粥」を頂く風習があります。年末年始のおせちなどで疲れた胃や身体をいたわり、七草粥を食べて邪気を払い一年の無病息災を願うものです。


昨年はコロナ禍で御経日の後に七草粥をお出しすることはできませんでしたが、ここ数年は私が七草粥をつくって参詣者の皆さんに振る舞っていました。今年は興厳房が初のチャレンジ。
興厳房も気合いが入っていたのか、とても良い仕上がりで参詣の皆さまに喜んで召し上がって頂きました。

相武山 山主

2022年01月28日

続・コロナ禍のお正月

令和4年の年明けは一年前のような新型コロナ感染拡大とは異なり、オミクロン株の感染は伝えられるものの静かな環境で迎えることができました。無事であることは本当にありがたいことだと実感した次第。例年当山のお正月初勤行会(はつごんぎょうえ)には檀信徒の方々が家族ずれで約250人ほどが参詣。御本尊様に初春のご挨拶を申し上げ、自身の誓願を祈念して新年のスタートを切られます。

初勤行会や初詣では一年に一度しかお会いできない方も居られますから、久しぶりのお顔を拝見するのも私の大きな愉しみ。子どもさんなどは1年お会いしないとすっかり大きくなられて見違えるほどです。また、短い時間ですが近況をうかがうのも愉しみにしています。
しかし、昨年はコロナ禍の最中でのお正月。三ヶ日の初勤行会も例年の半数ほどのご参詣でした。今年は昨年秋からの小康状態が続いていましたから昨年よりは多くの方が参詣されました。

【元朝勤行会】
一日は午前零時から元朝勤行会を奉修。冬らしい冷気が境内を包む中、令和3年から令和4年への年明けを参詣の檀信徒の皆さんとご一緒に法華経への祈りで迎えました。コロナ禍も考慮して丁寧な五座の勤行はお勤めできませんでしたが、皆さまと倶に厳粛な心で御本尊様に勤行・唱題を申し上げました。

勤行後は恒例の重須殿女房御返事を拝読。『新たな年を迎えたのですから、旧年の出来事は己の心に納め、法華経の御宝前に立てた誓願を一年間意識し、令和4年も悔いのない一年といたしましょう。何かと忙しい人生ですが日蓮大聖人の門弟としての自覚のもと、常に宗祖の遺された御書に親しみ、信仰を深めて自らの貴重な人生を磨き上げてまいりましょう』と年頭のご挨拶を申し上げました。

【初勤行会】
雪国の皆さんには申し訳ないほど今年も関東のお正月は雲一つない澄み渡る青空が広がりました。穏やかな風光でまさに初詣びより。当山ではご案内のように1日~3日まで一日2回、初勤行会を執り行いました。

昨年同様コロナ禍を意識し、法華経要品は方便品と寿量品自我偈を読誦、宗祖御証得の南無妙法蓮華経の唱題も時間を短くしての初勤行会です。参詣者の皆さまと倶どもに疫病の退散と社会の平安を祈念申し上げ、参詣者各位の信行増進、謗法罪障消滅、心願満足、家内安全、一切無障礙を御祈念申し上げました。

勤行の後には重須殿女房御返事を拝読。
参詣者の皆さまにもプリントをお渡しし例年どおりご一緒に黙読頂きました。
拝読後は『重須殿女房御返事のいわれ。年の初めを慶祝され、ものごとの源や基本、根本や大道を大切にされる日蓮大聖人の教え。初春に法華経の御宝前に参詣される功徳。法華経では一切衆生の心に十の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)が具備していると説かれている。自らに内在する性分を導き出すものは外縁であるから、善縁を大切にして悪縁からは離別することが人生の肝要。法華経では地獄と仏も自らの心に在ると教える。幸や不幸、苦や楽、悦や悲、遇や不遇、を定めるのは己自身。小事は積もりて大事となる。悔いのない一年は一日一日を大切にすること・・・』を述べ、結びに倶どもに仏道を学び修めましょうと初春のご挨拶を申し上げました。

今年もコロナ禍を考慮してお屠蘇と祝い昆布は容器にて皆さまにお渡しし、ご家庭で愉しんで頂くこととしました。一日も早い疫病の退散を皆さまと倶に祈念申し上げた初勤行会でした。
檀信徒並びに法縁の皆さまには今年もよろしくお願い申し上げます。

相武山 山主

2022年01月27日

新年を迎えるために

12月26日(日)は午前10時から歳末の大掃除。
すっかり冬枯れの風情となった当山では初冬の寒気を覚える中、三師塔を中心とした境内、バス通りからの参道、玄関からロビー、客殿、そしてトイレ等、檀信徒有志の方々によって歳末の大掃除を行いました。誰もが忙しい歳末ですが菩提寺の迎春にご協力を頂きました。

1時間半ほどの大掃除の後は新春初参詣への案内(ご案内、年中行事表、1月~2月行事予定表)封入作業。さらに新春参詣者へのお供物やカレンダーの準備にもご協力いただきました。これらの作業も私と興厳房の二人で対応すれば半日かかってしまいますが、多くの手があると瞬く間に済んでしまいます。有り難い限りです。

ご協力頂いた落合さん、森さん、久保さん、奥田さん、辻本さん、小原さん、安西さん、熊木さん、阿部さん、ありがとうございました。前日には瀬谷区の柴さんがお見えになり、『明日は参加できないので・・・』とおっしゃて1時間半ほどお一人で境内を清掃されました。皆さまの温かい想いに感謝しています。

30日の御前中、初春の御宝前にお供えする重ね餅を小原さんと興厳房がつくりました。自前のお重ねは一昨年からのことですが、小原さんのご指導よろしく興厳房も腕をあげているようです。また、川崎の阿部さんには参詣者へのお屠蘇や祝い昆布の準備、門松づくりにご協力頂きました。併せて御礼を申し上げます。

いつものように迎春の準備にバタバタと追われて余裕のない妙法院から今年最後のブログアップです。今年も檀信徒皆さま有縁の皆さまには陰に陽にお世話になり、無事に法燈をお護りできましたことに心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2021年12月31日

七五三祝い参り

12月12日(日)S吉樹莉ちゃん(7才)がご家族と七五三祝いに参詣されました。一昨年7才だったお姉さんの樹菜ちゃんは、おばあちゃんの逝去などでお祝いができなかったために樹莉ちゃんと一緒にお参り。


七五三祝い参りは幼子の成長を祝いこれからの無事を願う古来からの儀式です。現代は子どもが無事に成育することが難しかった時代とは異なりますが、幼子の健やかな成長を願う親心は変わることはありません。
おめでとうございます。

相武山 山主

2021年12月30日