相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

和やかに営まれました

旭区白根町の熊切家の法事が先月末に当山で営(いとな)まれました。

熊切さんは今年87歳になりますが、ご自分で運転して当山にお出でになるほどかくしゃくとして居られる方です。一昨年の秋、当山に墓所をお求めになりました。昨年11月には病気療養中の奥様千恵子さんが85歳でご逝去。当山に葬儀式の執行を願い出られましたので、当山の法式にて葬儀を執り行いました。昨年末には七七日忌の法要と納骨式を行い、長年連れ添われた奥様のために真心の追善供養を捧げられました。

葬儀や法事では藤沢に住む息子さんの和敏さんご夫妻が中心となって、いつも子どもさん達皆んなで協力しながら営んでいます。その姿はとても和(なご)やかなもので、きっとお母さんの千恵子さんも仏さまの側で喜んでおられることと思います。

今年になって熊切さんは新たに仏の道への誓いを立てられ、ご本尊様をお受けになりました。その後、新盆を前に立派な仏壇を新調されました。6月末には新調された仏壇の入仏式を執り行い、月遅れのお盆には家族の皆さんが参集されてにぎやかに新盆の法要を勤められました。

一周忌の法要は少し早めに繰り上げて10月末に執り行われましたが、6人の子どもさんに恵まれた熊切さん、孫やひ孫まで集まると結構にぎやかな法要となりました。当日は皆さん数珠をかけられ、お渡した法華経要品に目を通して法要にご参加頂きました。法事では時に幼い子供たちが参列する場合があります。法要の意味はもちろん行儀作法の有り様もわからないと思いますが、何も分からないように見える子供たちも、心の奥に何かをしっかりと受け止めています。すなおな子どもたちは、勧めるままに数珠をかけ手を合わせてくれます。ときにはお経本を目で追ってもくれます。御宝前に燈明(とうみょう)がともされ、香がたなびき、供物(くもつ)がそなえられ、塔婆(とうば)が建立されている精霊壇(しょうりょうだん)に進んでお焼香もします。

幼い時に経験したことはすべて人生の肥やしとなりますから、法事という仏縁を体験したことは、日本の文化や伝統や習俗にふれることともなり、きっと思考の幅を広げ思索の深さを導くこととなるでしょう。さらに仏さまとその教え、供養を捧げた先祖精霊とのご縁を人生に活かすことになると思います。
法要後には墓参が執り行われ、その後、客殿にて熊切さんを中心にお斎(おとき・会食)となり、みんなで和やかに歓談しながら千恵子さんを偲び互いの近況を語り合っていました。

相武山 山主

2014年11月15日

法事は心が交わる時

今月初旬、故合摩安次さんの第23回忌と故合摩トヨさんの第7回忌法要が当山で執り行われました。台風を迎える前、雨模様の中での法要でしたが、合摩家の親族の皆さんが参集され、ご夫妻のお塔婆を建立し、御宝前と精霊壇に供物をそなえて、法華経要品を読誦、お題目をお唱えして懇ろに追善供養を申し上げました。

ご夫妻は当山の開創の頃からのご信徒でした。今から約28年ほど前、昭和62年春に仮の道場を新横浜に建設した時には、工務店をされていたご主人を中心に子どもさん達皆んなが、非力な当山のために全力を傾注して造り上げて下さいました。建設地の抜根伐採から整地、基礎作りでは合摩さん、息子の清さん安男さんが頑張ってくださり、乏しい建設費でしたから、大工の光夫さんを中心にあれこれ工夫をしながら建設したことがつい昨日のことのように思い起こされます。
誰もが同様だと思いますが、辛い時、苦しい時、厳しい時に協力・支援を受けたことはけっして忘れることができないものです。私も30代半ば、当山も非力なばかりか運営にも活動にも不安定だった当時のことですから、本当に有り難いことでした。ご夫妻の葬儀をお勤めし霊山にお送りしてからも、毎月の命日忌には忘れることなく感謝の気持ちで勤行の砌りに供養を申し上げております。

法要ではご長男の武男さんや田村さんご夫妻など久しぶりに懐かしいお顔を拝見することができたのもうれしいことでした。家族親族であってもそれぞれが家庭を持つようになると、仕事や学校、子育てや地域のことなどで時間に余裕が無くなりますから、冠婚葬祭などがないと顔を合わせる機会も少なくなります。法事は大切な家族やご先祖の追善供養の仏事ですが、日頃疎遠になりがちな親族の皆さんを引き合わせる機縁の一つともなります。家族親族といっても関係は一様ではありませんが、さまざまな感情はともかく、親子、夫婦、兄弟姉妹、親族というのはまさにご縁というほかありませんから、人生のおもしろさと不思議さを受け止めて愉しむことも大切なことではないでしょうか。

仏教や信仰を否定される方はともかく、核家族化や信仰心の希薄化などもあって、葬儀や法事など仏事の大切さも見失われがちな現代です。しかし、ご先祖を敬い両親や祖父母、家族の慰霊に心を寄せる方は、時間をつくり労をいとわず、多少の経費を用意して仏事を大切にされており、有り難いことと思います。「心はかたちを求め、かたちは心を調える」といわれますが、想うことは言葉や振る舞いに現わしてはじめて伝わるものですから、仏事への向き合い方も各人の心の有り様を示すものといえましょう。仏事は人を集めたり華美さを追うようなものではありません。深い縁のある方、ご恩を感じる方への追善供養の志があれば、それを仏祖三宝尊への祈りのかたちに現わすだけのことです。

法事を営まれた故精霊からは、御礼の声を聞くことができないと思われる方が多いかも知れませんが、けっしてそうではないと思います。生死を異にし世界が隔たっているように思えても、祈りの心は必ず通じあっているものです。与えられた人生をおさめて来世に赴かれた故精霊は、縁者の優しい心にふれてどれほどか喜ばれていることでしょう。

現世に残されて人生を歩む私たちが故人を偲ぶ心と、仏さまのお側に居られて厳しい現世を生きる私たちを見守られる故精霊の心が交わる時が法事というものであろうかと思います。

秋雨が静かに境内を潤す合摩家の法事では、在りし日のご夫妻の姿を思い感謝の念いを新たにいたしました。

相武山 山主

2014年10月27日

優しく温かい祈り

5月に金沢区の久保さんから種を頂いて、玄関の北側に植えていた「スズメうり」が実をつけました。種をまく時期が遅かったのでまだ緑色ですが、これから赤くなって一層可愛くなります。去年も久保さんの心遣いで育て、赤くなってから受付やロビーのテーブルに置き、お参りの皆さんに楽しんで頂きました。今年もお会式の頃には皆さんに楽しんで頂けることと思います。

さて、2年前にご夫婦で久遠廟(永代供養墓)の使用を生前申し込みされた緑区の板倉さんのご主人が9月27日に逝去されました。板倉さんは当山周辺を自然散策で歩かれたこともあるといい、当山に永代供養墓があることを知ってご縁を結ばれたご夫婦です。その後も度々気軽にお寺に足を運んで頂き、すっかり親しくさせて頂きました。昨年の暮れには私からの勧めで信仰への誓いを立てられ、ご本尊様を自宅に迎えられました。信仰への道に入られてからは、ご夫婦で法華経を読誦されお題目をお唱えになり、ご主人も車を運転されて2回ほど仏華のシキミを求めにお見えになるなど、まじめに信仰に向き合われていました。

最後にお会いしたのは去る7月、緑区の落合さんをご紹介するためにうかがった時でした。板倉さんは体調が思わしくないのに、わざわざ病床から起き上がってこられました。そして、「娘の夫婦と一緒に東北に旅に行き楽しかった~」とうれしそうに話してくださいました。それから僅か2ヶ月、静かに霊山に旅立って行かれたのです。しかし、3年前に余命1年半と診断されてから倍の寿命を頂戴したことになります。板倉さんは竹を割ったようなさっぱりした人柄で、とても明るくまじめな方でした。長年少年野球のコーチもされるなどスポーツを愛し、子供たちを優しく見守る方でした。

ご本人と奥様の希望通り、当山の客殿において10名ほどのご家族が参列して葬儀を執り行いました。27日夕刻にご遺体を迎えて枕経。28日は供養の読経、29日には納棺の読経、30日には仮通夜、1日は御通夜、2日は葬儀式と告別式、横浜市北部斎場で荼毘にふした後、当山本堂でお骨上げのお経と初七日忌の法要を営みました。火葬場の都合とお寺の都合でゆったりした葬儀式となりましたが、奥様は「ゆっくりと送ることができて本当に良かった」と仰っていました。ご家族皆さんそれぞれに多忙のなか、すべての儀式に臨まれ、数珠をかけ法華経を黙読されてお父さんのご冥福を祈っておられました。その優しさと温かい心はきっと仏さまにはもちろん、板倉さんにもしっかりと伝わったことでしょう。

今年の6月中旬には戸塚区の田中篤子さんのご主人が逝去されました。田中さんは15年ほど前からのご縁で、信心を大切にされ当山の月例御講などにもよく参詣しておられます。ご主人は信仰を受持しておられませんでしたが、篤子さんのご信心とお二人の娘さんの理解によって、やはり当山客殿にて家族10名ほどで親しく葬儀式を執り行いました。飾られた遺影も普段の親しげな表情でしたが、葬儀式全般に家族としての絆が感じられる実に心のこもったものでした。ご主人もご本尊様に導かれ安心して法華経の世界へ旅立って行かれました。

また、同じ6月下旬には西宮市の正蓮院さんのご信徒である津嘉山さんが逝去され、葬儀式を依頼されました。津嘉山さんのお住まいは旭区の今宿西町ですので、ご近所という距離です。ご家族の皆さんで話し合われて当山の客殿での葬儀式となりました。三人の娘さんとそのご家族、親族約25名ほどが参列されての葬儀で、仏事にもあまりご縁のない方が多かったのですが、皆さん故人のためによくご協力頂き、つつがなく厳かに葬儀を執り行うことができました。ふだんお寺や僧侶、お経や仏事作法に縁がなければ戸惑うことも多いのですが、皆さん礼儀正しく数珠をかけ法華経を黙読、唱題にもご配慮頂き有り難く存じた次第です。津嘉山さんのご両親は西宮市の正蓮寺において熱心なご信徒であったとうかがっています。今頃は霊山にてご両親様と親しく過ごしておられることでしょう。

8月には緑区の阿部和子さんが逝去されました。ここ数年はお寺へのお参りはできませんでしたが、旧寺院の時はお母さんとご一緒に天女のような笑顔でよくお参りされていました。日頃もご両親とお兄さんの深い愛情に育まれていた和子さんですが、葬儀にあたってもご自宅でじっくりと家族に見守られながら過ごされました。葬儀までは毎日私と興厳房とお参りにうかがい、横浜市北部斎場での葬儀には、ご本人とご両親のお人柄によって大勢の施設の方が会葬されました。和子さんもご家族の愛情に感謝しながら仏さまの世界に向かわれたことでしょう。

当山では葬儀の折、通夜の席において「葬儀式の意味、法華経読誦とお題目をお唱えする意味、日蓮大聖人の教え、そしてお授けした法名(戒名)のいわれ」などについて10分から15分ほどの法話を必ず申し上げています。それは参列の方々に葬儀の執行や仏道の信仰を理解して頂きたいとの思いからであり、つたない法話ながら故人への追善として御霊前にお供えさせて頂くためです。板倉様、田中様、津嘉山様、阿部様、それぞれの葬儀式でも、ご家族の優しく温かな祈りと共に法話を申し上げご冥福を祈念した次第です。

相武山 山主

 

 

 

2014年10月12日

ご入仏式

この夏、川崎市の芦川さんご一家が川崎区から多摩区に転居され、9月8日、入仏式(にゅうぶつしき)を執り行いました。引っ越しは先月の初旬、暑い時期でもありお世話をされているお母様とその姉妹の方々もご一緒でしたからさぞ大変だったことでしょう。

芦川さんは転居を機にご本尊様を「表具直し」され、お仏壇も新調されました。法華経と日蓮大聖人へのご信心を大切にされるご一家の志がかたちに現れたものです。日蓮門下のご本尊は宗祖所顕の十界曼荼羅本尊ですから、ご本尊といえども紙幅であれば当然劣化してまいります。そこで汚れを落とし表具を新たにしつらえるのが「染み抜き・表具直し」です。また本宗では、お仏壇を新調された場合や、転居などの折にはご本尊様の御安置が新たになりますから、志のある方は僧侶を迎えて「入仏式」を執り行い信仰の節目としています。

そもそも仏壇を安置するということは、御仏(みほとけ)の教えを信じてご本尊様(仏さま)を我が家に迎えるということで、「仏法を信仰してその教えを人生に活かして行こう。御仏に朝夕祈りをささげ、家族の無事と安泰を願い、ご先祖有縁精霊への追善供養を大切にしよう。」という思いが実を結んだものです。もう少し踏み込めば「自分自身の心をみつめる浄らかな世界を持った」ということにもなります。

芦川さんご夫妻には今回人生の転機にあたり、ご信心を中心にさまざまな工夫を凝らし、諸事万端に配慮されました。それはご家族の生活が快適で利便性があることを望みながら、法華経への信仰も大切にされたものでした。幸いなことにお母様の姉妹の世界にもご本尊様がご安置されましたから、これからはお題目の尊い声が上下二世帯に厳かに流れることでしょう。

川崎区の芦川さんのお宅では長らく宅御講を開かせて頂いていました。宅御講は「信徒宅においての宗祖御報恩講」という意味です。読経唱題の後に御書のお話を申し上げ、その後は質疑応答から懇談へと移り、交流と親睦をはかる機会となっています。川崎区では30数年前から下条さんのお宅で宅御講を開かせて頂いていましたが、15年ほど前から芦川さんのお宅に移っていました。芦川さんを当山に紹介されたのは、現在札幌にお住まいの松本悦子さんです。松本さんは昭和57年頃ご縁があって当山の信徒となられ、その折りに元同級生であった芦川さんを導かれました。芦川さんご夫妻とは以来30数年ご一緒に信行に努めています。

心根が優しく何ごとにもまじめなご夫妻は、ご信心も本当に大切にされ、お寺の法要や諸行事へもご家族で参詣に努め、講中世話人としても種々ご協力頂いています。お虫払法要の砌りにチターの演奏会を内藤先生に開いて頂いていますが、先生への導きを頂いたのも芦川さんでした。新調されたお仏壇に立派に表具されたご本尊様を御安置申し上げ、ご一家皆さまのご健勝とご活躍をお祈り申し上げた次第です。

相武山 山主

2014年09月12日

一本の電話から

月遅れのお盆も明けた頃、南希望が丘にお住まいの方から突然一本の電話を頂きました。お話を聞けば、理由があって別れることになった奥さんが昨年9月に51才で亡くなり、間もなく一周忌を迎えることになって、奥さんの実家では葬儀や供養をしていないようなので、「お寺で供養をしてもらいたい。法名(戒名)も頂いていないから頂けないか」というものでした。

電話ではよくわかりませんので、お出で頂いてお話と希望をうかがいました。いろいろな事情があったようですが、ご本人が故人に寄せる思いはひしひしと伝わってきました。本人も体調が優れず生活も大変ということでしたが、当山の信行と化儀作法に則(のっと)ることを前提に希望をお受けして、8月28日に一周忌の法要を当山で執り行うこととし、追善供養の意味と法要の流れ、ご供養や供物について説明をしました。

当日は御供養を携えてお母さんとお二人でお見えになりました。ご本尊様へのお供えと故人のためのお供えを用意されていましたので、それぞれお供えし、本堂の精霊壇に法名を認めた白木の位牌を安置、お塔婆を建立して一周忌を営みました。読経をはじめる前にはお数珠とお経本をお渡しし、これから行う供養について簡略に説明。お二人とも数珠をかけ、法華経の要品に目を通し、お題目を唱えて真剣に冥福を祈っておられました。

法要後には「人生のさまざまな絆を大切に思い、縁(えにし)深い方のためには生きている時も、来世に旅立つ時にも、その安らぎを祈ることは人の道に適う尊いこと。仏教では祈りの大切さを教えています。祈りそのものは目には見えないものですが、私たちの想像を超えた大きな心のはたらきであり力をもっています。祈る人と祈られる人とに大きな影響を与えるものですから、祈りを大切にして頂きたい。思いというものは言葉やかたち、振る舞いに現わしてはじめて通じるもの。故人を大事に思う愛情を法要という仏事に示されたのですから、仏さまもご覧になられ、故人にもきっと通じていることでしょう。思いもかけないお二人の供養に感謝されているのではないでしょうか。読み上げた法華経にはさまざまな尊い教えがたくさん含まれており、南無妙法蓮華経のお題目にもすばらしい人生の宝がこめられていますから、今回の追善供養をご縁として仏教にも親しんで頂きたい。そして人生には限りがありますから故人のためにも一日一日の人生を大切にしてください」と追善の一言法話を申し上げました。

40代の施主の方は、法要から法話にかけて目頭に涙を浮かべながら故人を偲んでいましたが、法要終了後は追善供養ができたことを大変喜ばれ、「これから自宅でどうやってお参りしたら良いんですか。お彼岸やお盆などにお寺にお参りに来ても良いんですか。・・・・・等々」尋ねていかれました。お数珠とお経本、そして小さなお厨子を差し上げましたから、いつの日か発心されて仏道を歩まれることを祈っております。

この夏は他にも仏事のご相談をお受けしました。現代は核家族化が進んだことやライフスタイルの変化、信仰の希薄化や価値観の多様性によって、仏事の作法や心得を学ぶ機会がないことによるのでしょう。昔であれば両親や祖父母、親戚や地域の人に教えてもらえたことが今はできなくなってきたようです。また。お寺や僧侶にご縁がない方も多く、近くにお寺はあってもその敷居が高くて気軽に相談できないという事情もあるのではないでしょうか。当山ではホームページやタウンニュースなどで、気軽に相談にあずかることを伝えていますので、電話などでの問い合わせが寄せられています。これからも敷居の低い親しみやすいお寺をめざして行きたいと願っています。

相武山 山主

 

2014年09月03日

笑顔の初参り

梅雨の晴れ間に和光市に転居された重吉さんご一家がお参りにみえました。重吉さんご夫妻の長女真美さんに次女が誕生。その初参り(誕生した子どもが初めてご本尊さまにお参りすること)にご家族そろってのお参りです。二人の孫娘のお祖母ちゃんになったAさんも2年ぶりのお参りでした。Aさんはここ数年体調を崩しておられましたから、信心深いにもかかわらずお参りができずに残念がっておられました。お孫さんを授かったことと久しぶりにご本尊さまにお参りができたことで、自然に笑みがこぼれていました。

重吉さんご夫妻に初孫の樹奈ちゃんが授かって2年半、元気いっぱいの樹奈(じゅな)ちゃんは、お母さんの真美さんに手を引かれて、遠路にもかかわらず折々に当山に参詣していますが、この春、愛情深い大樹さんと真美さんご夫妻に新しい命が授けられました。お名前は「樹莉(じゅり)」ちゃんと名付けられました。二人の娘さんともにお父さんの一字を頂いたということです。法華本門のご本尊様に法華経を読誦しお題目をお唱え申し上げて、樹莉ちゃんが心身共に健やかに成長することができますようご祈念を申し上げました。また、いついかなる時に何が起きても不思議ではない人生ですから、ご一家が法華経への信仰を大切に、日々安らかな心で生活が送れますよう併せてご祈念を申し上げました。

子育ては「旬そのもの」だと思います。子どもはあっという間に成長して行ってしまいますから、「教えたり、見守ったり、ほめたり、しかったり、・・・・・そして、子どもから学んだり」と一日一日の関わりを大切にして、子育てを通して自らの人生の奥行きを広げて頂きたいと思います。子どもを授かることによって親という世界がはじめて与えられるのですから、疲れてしんどいときもあると思いますが、子育てには楽しみがてんこ盛りですから、ご夫妻には大いに子育てを愉しんでくださるよう願っています。

相武山 山主

2014年07月19日

賢い選択

最近は人生の終焉(しゅうえん)を穏やかに迎えるため、また、人生の最後を自らの望むように閉じたいと願って「終活(しゅうかつ)」を意識する人が多くなっています。終活というのは「人生の最後をより良いものとするため、事前に準備を行う」という意味になります。
「諸行は無常」として生老病死を正面から受け止める仏教では、自らの死を見つめることによって生の貴重さに思いをいたし、限られた人生であるからこそ、あだや疎(おろそ)かにすることなく意義深い生活を送りたいという願いを持つことになります。
したがって終活を考えることは、仏教的には至極当然なことといえますが、少し前までは「自分や家族の最後を語るなんて縁起でもない」などという言葉を聞くことも少なくありませんでした。
最近は多くの方が冷静に考えるようになってきたばかりか、終活を意識することがより賢明なことと認められてきたようです。当山でも檀信徒や友の会の皆さんばかりでなく、その友人・知人の方からも相談を受けることがあり、それぞれの環境や希望にそってお話をさせて頂いています。

終活といっても、終末医療への対応や所有財産の処分や帰属、葬儀式や納骨のかたち、死後の供養までかなり広範な意味をもちますが、与えられた人生の幕を閉じるにあたって自分の意思を明らかにしておくことは大事な心得といえるでしょう。さらに大事であるからこそ後回しにしないで、健康な心身であるときに熟慮しておくことが大切です。年齢にもこだわる必要はありません。心身が衰え不安定になってから考えるのではより良い終活とならない場合もあります。人の考えや望みは変わるものですから固執することなく、今の気持ちを整理し、書面にしておくことから始めるのがベターといえるでしょう。終活への姿勢が変われば改めて示し直せば良いだけのことです。
誰もが差別なく訪れる旅立ちの時に、人生や家族はもとより、友人や社会のすべてに「ありがとう」と感謝の言葉をもってお別れができるように、健やかなときにこそ終活を考えることは賢い選択といえるでしょう。

住田さんの旅立ち先月調布市にお住まいの住田さんが逝去され当山の客殿で葬儀式を執り行いました。住田さんはプロのカメラマンで、長く新宿で写真館を営んでおられた方です。93才の人生でした。当山とのご縁は友人方の延長線上からのものです。
住田さんご夫婦はお子様がなく、また兄弟もいらっしゃらないご夫婦でしたから、とても仲の良いご夫婦であったようです。その愛する奥様T子さんが平成19年10月10日に逝去され、葬儀式は近くの寺院で行いましたが、その後の追善供養と納骨を安心して行いたいと願われ、友人の勧めによって当山にお出でになりました。後継者がいないこともあって、奥様のご遺骨を当山の永久納骨施設である久遠廟に納められ、住まいも遠く高齢であることから永代供養も希望されました。永代供養は当山の大過去帳に記入して毎月の命日忌にご回向申し上げる供養のことです。施主がお参りにならずとも記帳された精霊の命日には朝夕の勤行においてご回向申し上げています。
住田さんは彼岸やお盆など折々に供養を届けられたり、体調の良いときには手紙も頂きましたが、昨年は奥様の7回忌法要を当山で執り行われました。30年来の親しい友人であり、常日頃から家族同様のおつきあいをされていた保土ケ谷区の荻野さんのご家族とご一緒でした。足が不自由でしたから車いすでのお参りでしたが、「7回忌の供養をしてあげることができて本当に良かった。これで思い残すことはありません」ととても喜んでおられました。
身寄りがおられないため葬儀式は親友の荻野さんが施主となってくださいました。また、ご本人の後見役となる福祉施設の方がお出でになり、「住田さんのご意思を生前にうかがっていましたので、その希望にそって葬儀式と久遠廟への納骨と永代供養をお願いします」といわれました。私にも同様のことをおっしゃっていましたから、住田さんがご自分の終活をしっかりと考えておられたことがわかります。そのお陰でまったく混乱なく葬儀式を執り行うことができました。
住田さんの自宅からご遺体を客殿にお迎えし、簡単な祭壇を設けて式場を調え、当山の化儀作法にのっとり、納棺・枕経・仮通夜・通夜・葬儀式・出棺・荼毘・初七日忌法要と4日間にわたって懇ろに勤めさせていただいた次第です。
仏縁をしっかりと結ばれた住田さんは、法華経と日蓮大聖人のお題目に送られて霊山に旅立って行かれました。奇しくも旅立ちの日は月は違いますが奥様のご命日と同じ10日でした。これから毎月10日には当山の御宝前にてご夫妻の追善ご回向を申し上げることになります。

 

相武山 山主

2014年04月04日

感謝と愛情をこめて

法事を営みました

3月2日、 野中家の第23回忌法要が当山で執り行われました。しばし音信が途絶えていた野中さんから久しぶりのお電話を頂いたのは1月の下旬でした。いろいろと事情があって新寺院移転の前後から連絡が不通になっていました。移転から3年が過ぎていましたから旧寺院に連絡がつかず、野中さんは電話で「妙法院を探しました」というお話でした。今年がお父様の23回忌にあたっており、しばらくお父様の供養をしていないので、法事を執り行い追善の供養をしたいというお申し出でした。

野中さんとは22年ほど前、保土ケ谷区の故関根さんの引き合わせで、野中さんのお母様とお会いしてからのご縁。平成4年にお父様の葬儀を勤めさせて頂き、その3年後にはお母様の葬儀もお勤めいたしました。その後、3回忌や墓地の御開眼、7回忌までは折にふれて追善供養をしておられましたが、野中さんも2度ほど転居されるなど、このところご縁がうすくなっていました。
この度はお父様の法事を行いたいとの心優しい発願です。「お母様も3年後に23回忌ですから、ご一緒にされては如何ですか」とお伝えしたところ、賛同頂きましたので当日はご両親様の23回忌を執り行いました。その昔若々しかった息子さんと娘さんも家庭をお持ちになり、それぞれに娘さんも授かってすっかり落ち着かれているご様子、家族皆んなで参列頂きました。精霊壇には参詣者一人ひとりによるお塔婆を建立され、倶に読経・唱題・焼香と心を込めてご供養を申し上げました。いつものように読経の後には10分ほどの法話を申し上げましたが、皆さん法事を勤められたことを大変喜んで居られ有り難いことと思いました。

法事は御仏の教えを尊ぶ者が、家族・親族への冥福を祈って行う仏事です。そこでは故人との親しい交わりが想い出され、故人への感謝と愛情が捧げられます。また、仏教では故人が常に縁者の人々を御仏のそばから見守っているともいわれますから、きっと故人からの静かなメッセージも受け取られることでしょう。法事には多少の時間と供養の経費もかかりますが、家族・親族という不思議なご縁に思いをいたし、一人ひとりの心の在り方に深みをもたせるはたらきがありますから、有り難い「かたち」といえるのではないでしょうか。

法事といえば檀信徒のそう多くない当山では月に一件もないこともありますが、今年の1月の末から3月のはじめにかけては、ご信心と家族への思いの厚い方々が丁重に法事を執り行われました。1月末には一昨年仏縁を結ばれた遠藤家の3回忌法要が執り行われ、2月には昨年急逝された疋田さん(南区)の1周忌、開創当時から変わらぬご信心の小出家(旭区)の13回忌、立教開宗750年を迎える頃講頭を務めて頂いた中村達郎さんの13回忌、市沢町の吉田さんの岳父となる大矢家の23回忌法要、そして、緑区にお住まいだった宮崎さんの3回忌法要が娘さんの由喜美さんのご家族によって丁重に営まれました。

前にふれたように、法事には仏教的にも習俗的にも精神的にもたくさんの意味が込められていますから、その意味を知る方々にとっては大切にされますが、人情や信仰心がうすくなって軽んじられやすい現代。また、法事の意味や作法がわからないために、営みたくてもどうして良いかわからないという方が居られるのも事実。しかし、基本となるのは人を集めることでも、盛大に行うことでもなく、大切に思っているご先祖や家族・親族・友人への感謝と愛情の心を、仏事を通してかたちに表現するということです。
心がすべての源であり、その心の有り様が最も大切なことは、改めて語るまでもありませんが、その心も思っているだけでは相手に伝わってはゆきません。こころの思いは言葉や振る舞いを通して相手に伝わってゆくものですから、御仏の教えにしたがって法事を営むことは、故人への思いを仏事を通して表現するという尊い営みなのです。

相武山 山主

2014年03月13日

健やかな成長を

初参りおめでとうございます。

去る2月20日、金沢区のKさんご一家が次男太翔(たいが)君の「初参り」のために参詣されました。太翔君は昨年11月13日の誕生です。ご信心を大切にされている横須賀市の祖父母のKさんもご一緒でした。それぞれにお忙しいようで、お会いするのも久しぶりでしたが皆さんお元気で何よりです。長男元稀君は相変わらずその名の通り元気いっぱいで本堂内を走っていました。
誕生して初めてご本尊さまにお参りされた太翔君のために、ご家族の皆さんと法華経を読誦しお題目をお唱えして、心身共に健やかに成長するよう御宝前に御祈念を申し上げました。新たな家族を迎えられたK家では、彌々(いよいよ)にぎやかになることでしょう。

うれしいことに初参りが続き、28日には海老名市のYさんご夫妻が娘さんと一緒に孫の初参りに参詣されました。Yさんの初孫は陽斗(はると)君。愛知県に住む娘さんはYさん宅に里帰りしての出産でした。陽斗君は1月21日のお誕生です。出産後はしばらく病院のお世話になったということでしたが、すっかり元気になっての初参りでした。信心深い祖父母に導かれてのお参り。皆さんと一緒に心を込めて陽斗君の健やかな成長をご本尊様に御祈念申し上げました。陽斗君は3月中旬にはお父さんの待つ愛知県に帰られます。
孫の誕生は理由なく可愛いものですが、その深い愛情の分だけ心配もつのるものです。でもお祖父ちゃん・お祖母ちゃんには、ご本尊様に祈るという大きな信仰の力があります。ご一家が御仏(みほとけ)への祈りを大切に健やかでありますように。

初参りでは幼子の無事なる成長を祈ると倶に、楽しいことばかりではなく、山あり谷ありの平坦ではない人生、辛いことや厳しいこともあることでしょうから、一つひとつの出来事を乗り越えながら、たくましく日々の生活に向き合って行けるよう併せて祈念申し上げました。

さて、人生では出会いがすべてといわれることがあります。誰といつどこで出会うか。その出会いの意義を活かすことができるか、それらは人生を左右するほどの意味を持っているということです。
さまざまな出会いから夫婦のちぎりを結び、子どもを授かるということは人生の大きな喜びの一つです。仏教では「あらゆる物事は『縁起』による」という考えに立ち、一つの事物や事象はいろいろな条件が調うことによって、「有限的に存在する(今在る)」という考えですから、子どもを授かった夫婦は、子どもによって親という新たな世界が与えられということになります。世間では親が子どもを生み育てるといいますが、親が子どもを授かりその子を育てながら、人生の意義を学ぶことも実に多いのですから、子どもによって親という人生の役割を与えられたという考え方もできます。
そのように考えることができれば、一方通行的な親子の関係や硬直した思考に陥ることなく、柔軟でしなやかな親子の関係が結べるようにもなるのではないでしょうか。
初参りを頂いて、親子という不思議な縁(えにし)に思いをいたしました。

相武山 山主

2014年03月11日

寿陵の開眼法要

去る1月13日、吉田家の墓石建立開眼法要(かいげんほうよう)が執り行われました。一昨年、当山の墓苑に墓所を定められた中区の吉田満さんご夫妻が、昨年の秋に墓石を建立されたために行われたものです。「開眼法要」というのは眼を開く法要と書きますが、一般には「魂入れ」といった方がイメージしやすいかもしれません。開眼法要・開眼供養は仏教各宗派においてさまざまな仏事で執り行われますが、およそ「信仰の対象としての意義付けがなされる儀式」といえるでしょう。本宗でもお墓ばかりでなく、ご本尊様を表装直ししたときや、自宅にご本尊さま(仏さま)を迎えたり、念珠や仏壇を新調したときなどにも行われます。ときに「入仏式」と称する場合もあります。

新たに墓石が建立されて執り行われる墓石の開眼法要は、建立の趣旨が円成(つつがなく成就)するようにと仏祖三宝尊に祈念する法要です。納められるご遺骨がある場合には、その納骨式も併せて行われますが、吉田家の場合は納めるご遺骨はありませんでしたので「寿陵墓(じゅりょうぼ)」としての開眼法要となりました。寿陵墓というのは自らのお墓を生前にあらかじめ建立することをいいます。生前にお墓を用意することを「縁起でもない」といわれる方もいますが、生前に自分と大切な家族のために永久(とわ)の住まいであるお墓を用意することは不思議なことではありません。
中国では皇帝のための陵墓が生前から造営されるのが常でした。秦の始皇帝陵が特に有名ですが、始皇帝は13歳の即位から50歳で死去するまで37年間にわたって自らの陵墓を修築したといわれています。その他、渭水(いすい)北方の前漢の帝陵,洛陽(らくよう)付近の後漢の帝陵をはじめ、歴史に沿って多くの陵墓が遺されています。日本でも古墳時代の王家等の墓に見られるように生前に準備がなされていたようです。日本書紀や聖徳太子伝歴などには、およそ1400年ほど前に聖徳太子や蘇我入鹿が生前にお墓を建てたことが伝えられています。

歴史からもそのいわれがわかりますが、一般的にも自分の意思で墓所を定められ、思いをこめて墓石を建立できる寿陵墓はめでたく縁起の良いことといわれています。また、その開眼法要はお祝いとされています。吉田さんのお母さんは当山開創当初からのご信徒で、皆さんに「みほちゃん」とよばれて親しまれている方です。いつも明るく元気でご信心の篤い方でしたが、ここ数年は身体の不調で当山への参詣も思うにまかせません。そのみほちゃんが前日に電話をかけてこられて、ご長男のMさんが寿陵墓を建立されたことをとても喜んでおられました。旭区にお住まいの次男Kさんも2年半ほど前に当墓苑に墓所を求められ、墓石を建立して岳父のご遺骨を納められました。それ以来毎月ご夫婦でお参りにお出でです。お彼岸やお盆にはご家族・親族の方もお参りになり、お墓が家族の一つのより処となっているのがわかります。
Mさんご夫妻に長女のAさんが参列された13日の開眼法要は、日が陰って少々寒さはありましたが、風もなく穏やかな中で厳かにお勤めさせて頂きました。

相武山 山主

2014年01月28日