相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

秋晴れの彼岸会

秋のお彼岸が近くなると各地から田んぼや畑の畦などに咲く彼岸花の報せが届きます。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)ともいいますが、華麗な姿をしていますからファンの方も多いようです。お彼岸にバスで当山に参詣された方は階段を上り、フェンスから顔をのぞかせていた一輪の彼岸花と対面されたことでしょう。3年ほど前から咲き始めた彼岸花です。墓苑入り口にある吉次さんの墓所の後ろにも3年前に植えた彼岸花が今年も花を咲かせました。今年は川脇さんの奥さんが鉢で育てていたという彼岸花を三師塔の裏手に植え替えましたし、興厳房が取り寄せた球根をあちらこちらに植えましたから明年の秋が楽しみです。

秋のお彼岸は7月と8月のお盆の後ですから一般的に菩提寺への参詣は少ないといわれますが、当山ではそうでもなくお盆同様にお参りされる方が多いようでした。20日と23日の法要には約130名ほどの参詣を頂きましたし、18日頃から今日まで連日、墓所や久遠廟へのお参りが多数ありました。顔や名前を存じ上げない親族や友人の方もお見えになって居られるようで有り難いことと思っています。信仰心が薄くなっているといわれる現代ですが、ご先祖や有縁精霊への供養には自然に足を運ばれるようです。お彼岸が特別意識されることのない習俗の一つとなって根づいているんだな~と感じました。

ズーラシア渋滞彼岸会は丁度シルバーウィークと重なります。今年は5連休となりましたが、すべての日が秋晴れというお彼岸と行楽にはもってこいの天候でした。当山の近くには「よこはま動物園 ズーラシア」があり、横浜市内はもとより東京や近県から多数の来園者があります。連休ともなれば最寄りのインターとなる「下川井インター」は大混雑。保土ヶ谷バイパスの上りは東名の横浜町田インターからつながり、バイパスの下りは本村インターを過ぎたあたりからの混雑です。当然中原街道も渋滞でした。連休や夏休みなどでは渋滞覚悟で行楽に向かう方がいますが、皆さん限られた休日を家族や友だちと楽しみたいということで、気持ちはよ~くわかります。渋滞を覚悟しているのなら渋滞もそんなに問題にはなりません。慣れた人は渋滞を楽しむ工夫をしながら目的地に向かう余裕さえあるようです。他方、渋滞を想定していない人は一向に進まない車のハンドルを握りながら、イライラして愚癡と不満の言葉が出てしまうかもしれません。時にはせっかくの行楽なのに車内の雰囲気が暗~くなることもあるでしょう。やはり何ごとにおいても「遇・不遇」「順境・逆境」など物事の両面を想像することが大事なようです。さらに不遇と逆境への心構えがあれば、それらをも楽しむことができるのではないでしょうか。彼岸会に参詣の方々でも渋滞にぶつかって難儀した方が居られるかもしれません。しかし、あせって苛ついてもどうにもなりませんし、事故などを起こしては困ります。渋滞の中、信心をもってお寺に向かっていることは、仏さまも故精霊もご照覧ですから、多少の遅れなど気にせず安心してお出で頂きたいと思います。

菩提寺への参詣といっても時間がかかり、電車賃やガソリン代もかかります。ご供養の用意などもありますから、信仰心や故人精霊への思いがなければできることではありません。20日・23日両日の彼岸会には、お盆同様遠方からの参詣者も多数居られました。横須賀からは本多さんご一家、平塚からは郡司さんご一家、市川からは松浦さん 和光市からは重吉さん、日本橋からは阪部さん等々、そして間もなく出産を迎える内堀さんも大きなお腹でお参りされていました。息子さんの送迎がなければ参詣できない坂上さんもお見えでした。何かと忙しい中参詣されたすべての皆さまのご信心に敬意を表するばかりです。

法要はいつものように執り行われました。唱題のうちに仏祖三宝尊へ献膳を申し上げ、法華経方便品・寿量品の読経、読経中には皆さん精霊壇に進んでご焼香をされ、唱題の後には懇ろにご回向を申し上げました。法要後の法話では『弥源太殿御返事』を拝読。はじめに彼岸のいわれについて、「仏教では私たちが住む世界を此岸(しがん)と呼び、仏さまの住む世界を彼岸(ひがん)と呼ぶ。此岸から彼岸には川が流れており、私たち凡夫は仏縁をたよりにこの川を渡って彼岸をめざします。この川を渡るということが仏道の修行ということですから、己れの煩悩と向き合い、娑婆世界の苦悩の荒波を乗り越えて行かねばなりません。まだ彼岸に至ったわけではありませんが、仏道修行をおさめ功徳善根を積むのがお彼岸の意義です。積んだ功徳は私たちが頂戴するのではなく、ご先祖や故精霊に回向されることを願うのです」と解説。

拝読した御書からは「法華経は三世諸仏発心の杖であり、法華経の行者である宗祖を杖・柱と頼み、仏道の志を積むならば、現世は安穏であり、後生は必ず善処たる霊山(りょうぜん)に至ると私たちは信をとること。他宗他門では仏菩薩の像を信仰の対象とするが、日蓮大聖人の教えを正直に受持する日興門流では、三世十方の仏は法華経から誕生した存在であり、法華経は諸仏の母である。宗祖はその魂魄を十界互具の曼荼羅として御図顕遊ばされ、信仰対象の本尊として一切衆生に授与された。私たち門弟は曼荼羅ご本尊に込められた尊い教えを信行の力で自らのものとして行きたい」と述べて法話としました。法話の趣旨を心に頂いた参詣者は、精霊壇に建立されていた塔婆をお持ちになり、それぞれの墓所に向かわれました。

すっきりとした秋晴れのお彼岸。参詣された方々は相武山周辺の緑豊かな自然にふれ、秋の草花をめで、トンボやアゲハチョウの乱舞を見て、菩提寺のご本尊様に心をこめて読経・唱題、法話を聴聞して仏道の教えにうなずかれていたようです。その一つひとつが仏道の功徳であり愉しみといえるものです。仏道とその信仰は偏った難行苦行を求めるものではなく、仏の教えにふれることによって心が開かれ、その営みが悦びとも楽しみとも感じられる世界ではないかと思うのです。

相武山 山主

 

2015年09月28日

三宝供養の功徳を回向 

駐車場からの参道に「宮城ノ萩」を植樹して4年、「武蔵野萩」を植樹して3年目となりました。土との相性が良かったのか毎年それぞれ気持ちよく花を咲かせています。可憐な花が風にそよぐ姿はとても風情があり、こころに一服の清涼剤になります。万葉の昔から多くの人に愛されてきたのも宜なるかなと思います。先日、興厳房が参道の草取りをしていたらハギの子どもをいくつか見つけました。実生のハギです。植え替えをして他所に移そうとしましたが、砂利混じりの堅い土にも負けることなくしっかりと根付いていて、なかなか引き抜けません。あらためてその強い生命力に感心してしまいました。多少の環境の厳しさなど「生きる」と決めたものには障害とならないのかもしれません。参道の堅い土から可愛い実生を引き抜きながら、私も最後まで少しぐらいの逆境に負けることなく人生を全うしなければと思いました。

小西さん第7回忌

去る9月6日の日曜日、神奈川区の小西さんが息子さんと一緒にご主人の第七回忌追善供養のために参詣された。故小西肇さんは平成6年頃に当山の檀徒となられた方です。日蓮大聖人の教えに帰依され、信仰にはとてもまじめで一途な方でした。逝去される2年ほど前までは、雨が強く降ろうが風が吹こうが必ず月例の行事にお見えでした。本堂ではいつもご自身の所定の場所に身を置かれ、録音テープをおいて法話を録音しておられたのが印象的です。お話を聞かれる姿も真摯なもので、得心される時には大きくうなずいておられたことを覚えています。平成21年10月、82才で霊山に旅立たれました。奥さんはお勤めや家族のお世話などで、小西さんとご一緒ということはあまりありませんでしたが、お経参りなどではいつも一緒に法華経を読誦しお題目をお唱えされます。また、親しくお話もさせて頂いていますので、これからも心を豊かにするため、気分転換のため気軽にお寺に足を運んで頂くようお伝えしました。故小西さんも奥さんの参詣される姿を霊山からご覧になればきっと悦ばれることでしょう。

山野さん第7回忌

12日(土)の土曜日には、鶴見区の山野さんがご主人とご親族と共に、お母様の第7回忌追善供養のためにお参りされました。山野さんのお母様玉枝さんは当山の開創の年からのご信徒でした。家庭環境の都合などもあってお参りにみえることはそう多くはありませんでしたが、逝去されるまでまじめな信心を貫かれた方です。山野様には4人のお子様がいました。私は年に一度自宅にお経参りにうかがっており、その時には山野さんは娘さん達に信仰を伝えようと、呼び寄せておられました。同居しておられたのは、玉枝さんの葬儀を取り仕切り、今回の法事の施主を務めた末娘の加枝さんでした。当時は高校生だったでしょうか。今では成人された二人の子どもの成長を温かく見守るしっかり者のお母さんです。多忙の加枝さんは春秋のお彼岸やお盆などにお塔婆の供養をされていますが、新寺院が建立されてからは初めての参詣でした。

懇ろに読経・唱題をいたし山野さんのご回向を申し上げた後の法話では、「信心を大切にしておられたお母様が皆さんの志を喜んでおられること。何ごとも突然に成るものはなく、少しずつ着実に積み重ねられることによって成り立っており、学業や仕事、家族や交友関係、趣味や習い事、そして信仰も継続することによって磨き上げられ、より良いものになること。故山野さんをはじめ多くの檀信徒の方々の志が実って相武山も現在に至っていること。仏教は己れの心を見つめることが基本であり、仏さまの教えを学び修めることによって人生の充実をはかることが大切」とお伝えしました。

法事は今生の営みを終えた縁(ゆかり)有る人々のために、葬儀を終えてから33回忌頃まで執り行われる仏事のことです。仏事は故人を偲ぶための「偲ぶ会」という側面もありますが、仏事というように単なる偲ぶ会ではなく、故人の追善供養のために「仏法僧の三宝を供養する」ということが肝要となります。仏さまを敬い、その教えを尊び、僧侶を供養して功徳を積み、その功徳を大切な故人に回向(回り向かわす)するために法事は行われるのです。現代では時折故人を偲んで家族や親族が集い、食事をして法事をしたとする考えもあるようです。もとよりそれぞれの思いは自由であり、なにをもって供養とするかも自由ですが、仏教において法事というのは、「仏法僧の三宝を供養し、その功徳を回向すること」というのが常道であることも知って頂きたいものです。小西さん、山野さん共に家族によるささやかな法事でしたが、心のこもった法事が営まれ、故人も霊山にてきっと喜ばれていることでしょう。

相武山 山主

2015年09月25日

続 久しぶりのお経参りで

先月の19日、港南区の竹村さんのお宅にお経参りに伺いました。毎年出来るだけ多くのお宅をお参りしたいと思っているのですが、お寺とご信徒との都合が合わなかったり、お経参りを遠慮したいという方も居られて、ここ数年40軒前後しかお伺いできず申し訳ないと思っています。竹村さん宅へ伺うのも久しぶりでした。

竹村さんはお母様の操さんが平成8年に逝去されてから兄妹でのご生活です。信仰心の篤かった故操様は当山開創間もない頃からのご信徒で、よく御書に親しまれていた方です。お元気な頃には月例の行事などに仲の良かった坂上さんとよくご一緒にお参りされていました。また文筆力のある方で流れるように思いを認めたお手紙を何回か頂きました。その人柄は穏やかで文学的素養があり品性を感じさせる方でした。霊山に旅立たれてもう19年ほどになりますが、青森県八戸市に住む娘の那須由美子さんは、月遅れのお盆と12月の御命日忌には必ずお塔婆を建立し追善供養を願われています。故操様も子どもさん達が健やかな生活であるように霊山より見守っておられることでしょう。

お経参りに伺う前の15日夕方、竹村さんからお電話を頂きました。「明日、テレビ朝日で『妻と飛んだ特攻兵』というドラマが放映されますが、モデルとなった特攻兵は母の弟です。時間がありましたらご覧ください」というご案内でした。我が国では終戦の日が近づくと戦争に関わるドキュメンタリーや解説番組、ドラマなどが放送され、戦争に対する意識が喚起されます。私は意味のあることだと思うので、興味深い内容だと思う時にはテレビをつけています。

竹村さんからご案内頂いたドラマは、その前宣伝を見聞したこともあって見させてもらいました。 放映サイドからは「昭和20年8月15日の玉音放送から4日後、8月19日の満州で、特攻隊員である夫と共に、戦闘機に乗って飛び立った女性がいたことを。なぜ、終戦の4日後に特攻作戦が敢行されたのでしょうか。そして、なぜ夫婦で特攻機に乗り込んだのでしょうか…。ノンフィクション作家・豊田正義氏が取材を重ねて明らかにした、知られざる太平洋戦争の史実を描く「妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻」をもとに豪華キャストで映像化。終戦から70年を迎える節目の今夏、スペシャルドラマとして放送します」と解説がありました。

ドラマで山内節夫のモデルとなったのは谷藤徹夫さん、妻・房子のモデルとなったのは朝子さんという。この谷藤徹夫さんが故竹村操さんの弟さんです。筆者は竹村さんのお宅にも取材に訪れたということでした。ドラマで紹介された谷藤夫妻の写真が竹村さん宅の経机に置かれており、読経・唱題を申し上げ、竹村家先祖精霊への追善とともに、谷藤夫妻へもご回向を申し上げた次第です。

お参りを終えてから特攻されたご夫妻をはじめ、谷藤宅にちなむお話をいろいろとうかがい、故操さんのこともより理解が深まりました。「世間は狭い」という言葉がありますが、身近かなところに不思議なご縁が有るものです。

相武山 山主

2015年09月17日

久しぶりのお経参りで

妙法院では毎年、夏を中心に「お経参り」をしています。お経参りは檀信徒宅の御本尊様に一年に一度はお参りしたいという思いと、親しく言葉を交わしたり、信仰の心をお伝えする機会としているものです。他宗他門でもお盆経といったり棚経といったり、表現は異にするかもしれませんが昔から行われています。お寺によっては春秋のお彼岸や夏のお盆、そして年末と、一年に4回ほど檀信徒宅を訪問することも珍しくはなく、それだけお寺と檀信徒の関係が親しみやすいものでした。

私が約38年ほど前に在勤しご奉公していた讃岐本山本門寺(香川県)でも、お寺と檀信徒の関係はまるで親戚づきあいのような面がありました。多くの檀家さんは年に数回三好副住職(当時の本門寺住職は日達上人が兼務)に挨拶に見えていましたが、それは肩肘の張ったものではなく、気軽な時候の挨拶と近況報告のようなものでした。本門寺は700年以上の歴史を有する大寺でしたから、歴史の荒波を越えながら、自然に寺檀関係が調っていったようでした。 大坊だけでも約350軒ほどの檀家さんが居られましたから、私は夏しかお参りに伺うことができませんでしたが、副住職さんに伺うと少し前までは年に4回必ず檀家参りをしていたということでした。お盆経はすべての檀家さんをまわるわけではなく、都合の悪い方などは除きますから、約250軒ほどでしょうか。朝の7時頃からまわり始め夕方6時頃までまわります。1日に40~50軒のお参りが続いたでしょうか。結構な修行になりました。

初めての時は驚くことばかりでした。ご家族が在宅で一緒にお参りされる家庭もありましたが、半数ほどは留守宅でした。お参りする予定の2~3日前には、世話人さんが各檀家さんに「謙道さんがお参りにくるよ~」と声をかけているそうです。地域一体が大坊の檀家ですから、隣家の方に「次は○○さんのお宅」と案内されますが、留守宅にもどうぞといわれます。まず、留守宅に鍵がかけられていなことにビックリです。恐る恐る玄関を入っていきますと、案内の方が「あちらに仏間があるから、散らかっているけど気にしないで拝んでください・・・」と去って行きます。 「エッだれも居ないの・・・」と驚きながら、お灯明とお線香をつけて法華経の方便品と自我偈を読誦、お題目をお唱えしてご家族の信行増進と泰平、ご先祖の追善ご回向を申し上げます。ご本尊様の前にはご供養・御布施が供えられ、書き付けが置かれています。書き付けはおよそ「今日は有り難うございます。ご供養をよろしくお願いします」というものでした。

宅の様子はまるで家族が来るかのよう。洋服があちらこちらに置いてあったり、洗濯物もそのまま干してあったり、居間と客間をチョットかたづけたという程度で、普段の生活のままでした。極めておおらかなものです。 それまでも「人や自然を信じて生活する」というような、地方での生活の話を見聞したことはありましたが、あらためて「何ごとも信じられない」と思いがちな都会での生活と比べてしまい考えさせられました。ただし、それから約38年ほど経ってしまいましたから、今どうであるかは私もわかりません。不思議なもので過去をふり返っていると、自然に三好副住職ご夫妻をはじめミキ婆さんやマスミさん、婦人部の方や世話人さんたちの顔が懐かしく思い出されてきます。讃岐の皆さんには本当にお世話になり優しくして頂きました。今の私があるのもその当時の方々のお陰と感謝を忘れることはありません。(つづく)

相武山 山主

 

2015年09月16日

どうぞ安らかに

今月の初旬、檀徒の老川さんの紹介で安丸千壽(やすまる ちとし)さんの葬儀を当山客殿で執り行いました。安丸さんは当山の檀信徒ではありませんでしたが、三月ほど前、老川さんとご縁のある次女の美津恵さんから、「帰依しているお寺がないので、父のお葬式をお願いできますか?」と尋ねられました。私は「当山の法式で良ければできますよ」とお応えしました。美津恵さんは老川さんのお父さんの葬儀やその後の法事で、何回か当山にもお出でになっていて私も顔見知りでした。妙法院での葬儀や法事の有り様をご覧になってお願いしたいと思っていたそうです。お話を聞けば「お父さんの様態がすぐれず、お医者さんからも最後の用意をしておいてください」といわれたということでした。お父さんは九州大分のご出身で、横浜にはご縁のあるお寺も無く、かといって、「最近話題の直葬(ちょくそう)のように、祈りを捧げる葬儀もしないでそのまま火葬にするようなことはしたくない」と家族で話し合っていたそうです。

それでも人生で直接葬儀に関わることは度々あることではありませんから、「どうしたら良いかまったくわかず不安だった」ということでした。核家族化によって家族や親族の関係が希薄になり、昔に比べれば地域の連帯も強くはありませんから、現代、ことに都市部では葬儀の在り方も大きく変わってきています。もちろん葬儀は故人や関係者の人生観や信仰観が大きく影響しますから、価値観の変化とともに多様性をみせてきたということかもしれません。さらに我が国では宗教心や信仰心が、健全に教育される機会はあまりありませんから、「仏神を敬うこころ、その教えを尊ぶこころ、魂の永遠性を信じて来世への旅立ちを大切にしよう」という、精神的な営みも見失いがちなきらいがあります。
あらゆることは心の所産ですから、仏神とその教えを鏡として、己れの心を見つめることがなければ、まことの幸いを得ることは難しいものです。ここに古今東西、宗教的な概念が存在するゆえんがあります。「現在と物質がすべて」と考える唯物論者や宗教否定論者の方には望むべくもありませんが、仏神を敬い魂の永遠性を信じる方にとって、葬儀や法事などの仏事を営むことは単なる儀礼では無く、私たちにとって精神性がいかに重要であるかを示しているのですから大切にしたいものです。

安丸さんご逝去の報を頂いて、直にご自宅に枕経(まくらぎょう)にうかがい、初めて故人と面会することになりました。千壽さんは穏やかなお顔で安らかに眠って居られるようでした。ご本尊をご奉掲して法華経を読誦し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、心よりご冥福をお祈りしました。翌日、葬儀のためにご遺体は当山の客殿に移され、仮通夜、御通夜、葬儀・告別式、と3日間にわたって成仏への祈念を懇ろに申し上げました。ご家族の皆さんも私からお渡しした本宗の数珠をかけ、法華経のお経本を開いて故人への祈りをささげられました。ご遺体は当山から出棺となり、横浜市北部斎場で荼毘にふされた後、本堂においてご遺骨を安置し初七日忌法要を執り行いました。ここで葬儀の一切は終了。その後、会葬者の皆さんは客殿でお斎(おとき、精進落しともいう)の場をもち、故人を偲び冥福を祈っておられました。

御通夜ではいつものように、読経・唱題・ご回向の後に私より追善のための法話を申し上げました。「葬儀を執り行うのは、与えられた貴重な人生を閉じて来世に旅立つ故人の魂が、どうか安らかであって欲しいと祈り願う心をかたちに顕した儀式であること。曼荼羅本尊をご安置して法華経とお題目をお唱えするのは、仏さまの教えを敬う心を表している姿であること。故人は与えられた人生を一生懸命に歩まれ、仏縁に導かれてこれから仏さまの世界に旅立って行くこと。生死の境を見ることとなる葬儀の場では、故人の冥福を祈ると倶に自身の生と死について思いを馳せることが大切であること。家族・親族となることは不思議なご縁、何ごともプラスばかりということはなく、プラスとマイナスがあって存在しているので、思議を超えたご縁を上手に活かしてほしい。人生は損か得か、好きか嫌いか等ばかりに振り回されやすい、得がたい人生をより良いものとするためにも、己れの心を映す鏡である仏教や信仰を大切にして頂きたい」等々を申し上げ、最後に故人にお贈りした法名(一般的には戒名)について説明させて頂きました。

帰路につかれるご家族からは、「本当に心のこもった良いお葬式でした。これで私たちも安心できます。お父さんも喜んでくれていると思います。・・・・・」との言葉を頂き私も安堵いたしました。

相武山 山主

2015年07月29日

磯崎師を偲んで

新緑に初夏の風がわたる4月26日、徳島県吉野川市の仙流院において、開山・初代住職磯崎文城師の一周忌法要が執り行われました。磯崎師より後事を託され、仙流院の住職に就任された神屋正明師(西宮市正蓮院住職)を導師として営まれた法要には、教区より川井泰円師をはじめ有縁の諸大徳が参列。私も遠路ではありましたがお参りをさせて頂きました。

仙流院は日蓮大聖人の教えを正しく信仰することを目的とした正信覚醒運動の永続性と隆昌を願い、磯崎師と仙流院講中が懸命な努力を重ねて平成16年10月に落成をみた法華の道場です。四国三郎として名高い吉野川を眼下に望み、四国の山並みが眺望できる風光明媚な勝地にあります。

磯崎師は香川県の本山本門寺、通称高瀬大坊の出身で、幼くして貞広日文上人を師範と仰ぎ出家得度。昭和45年10月、若くして徳島県脇町の広徳寺に初代住職として赴任。昨年5月1日に逝去されるまで約44年間ご奉公のまことを尽くされました。師はこの間の大半を正信覚醒運動の推進にささげられ、富士日興門流の法義と信仰を護り伝えるために四国の山野を縦横無尽に走られました。追憶談でもお話ししましたが、師はたった一人でも教えを求める人がいるならば、躊躇なく駆けつけて正信をうったえ、宗開三祖の教えに導かれていました。険しい山道も暗い夜道も師の志を妨げることはできず、温厚篤実なご性格ながら信仰には情熱的な方であった人柄が偲ばれます。

師は平成24年頃「間質性肺炎」と診断され、その後、治療に専念していました。翌年寿命を覚悟された師は、子息で弟子の一城君を身近かによび、意思を継いで僧道を歩むように指導され、さらに昨年春には教区内諸師を招いて、後事を西宮市正蓮院住職の神屋正明師に託されました。師は自身に与えられた一切の法務をみごとに差配し、その人生を締めくくられ霊山に旅立たれたのです。

私が師に交誼を頂くようになったのは、昭和53年春、私が本山本門寺大坊に執事として在勤したことによります。磯崎師のご実家は本門寺の檀徒であり、本門寺をふるさととする磯崎師はよく高瀬にお見えになりました。また、折しも正信覚醒運動のうねりが全国に広がる時でもあり、倶に運動に参画していた磯崎師と私は他の同志と一緒に四国を舞台に走り回ることになりました。

そんな中、昭和54年7月、日達上人が御遷化、阿部日顕師が法主を詐称してその地位を簒奪するにおよび、私たち正信会は阿部師を裁判にうったえることになりました。しかし阿部師は本門寺の住職を兼務していましたから、私はそこにいる術もなく、時局の趣くままに「布教所」の開設を決意しました。ときに昭和55年11月のことでした。

布教所というのはまさに布教のための道場という意味で、各宗派によって設置されることがありますが、近代富士日興門流(日蓮正宗)では馴染みのない存在でした。近代宗門では創価学会や法華講に依存しきっており、僧侶主導で布教所を開設するなど夢想だにできないことだったのです。当然手探りでの準備となりましたが、そのようなときに磯崎師には相談に乗って頂き、物心両面にわたってご支援を頂きました。35年前のことですが昨日のことのように思い起こされ、本当に有り難く今に感謝を忘れることはありません。
初めてのことや、未知の世界については多くの人が尻込みし、否定的な感情に流れがちなのが、我が国の風土であり国民性です。それは慎重さという良い面でもありますから、一概に否定できませんが、チャレンジする人間の志を信じて支援してくださった磯崎師の心意気には感謝の言葉もありません。師のような方々のお陰様で現在の相武山妙法院は存在しているのです。

一周忌では私が本門寺大坊に在勤していた当時からの友人である貞広さんにお会いすることができました。当時の貞広さんご夫妻は40歳前後でしたでしょうか。信仰にまじめなご夫妻とはよく語り合いました。懐かしいかぎりです。また、3年前まで当山で一緒に信行に励んでいた福井さんご夫妻ともお会いすることができ、親しくお話が出来た事は望外の悦びでした。ちなみに仙流院というのは磯崎師の御師範が仙流院と号して居られたことによります。また、仙流とは讃岐本山本門寺を開いた日仙上人の門流ということです。 ここに磯崎師のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

相武山 山主

2015年05月03日

うれしい春のたより

自然の豊かな相武山の周囲では、梅もほころび墓苑西側の雑木林の河津桜もきれいなピンクの花を咲かせ始めました。足下では蕗のとうが顔をのぞかせ春の訪れを伝えています。また、受験を乗り越えた若者とそのご家族からもうれしい春のたよりを頂きました。

例年1月から2月、3月にかけては受験のシーズンを迎えます。当山でも縁り(ゆかり)深い檀信徒の皆さまより受験の御祈念をお受けいたします。中学の受験から高校・大学・専門学校と受験もさまざまですが、それぞれ人生の大きな岐路であり、いろいろな意味で一人ひとりの人生に大きな影響を与えるものです。本人ばかりではなく家族や親族、友人にも影響を与えることでしょう。関係者の皆さんには緊張するシーズンといっても過言ではありません。御祈念を依頼された住職の私も関係者の一人に仲間入りさせて頂きますから、私もしばらくの間緊張感に覆われます。

受験の御祈念ですからご本尊に合格を祈念するのは当然のことですが、ただひたすら合格することばかりを祈っているのではありません。まず、「健康な体調で受験に臨めるように」「事故や事件に巻き込まれることなく受験に臨めるように」「本人の持てる力が遺憾なく発揮されるように」「そして希望が叶えられるように」と祈念させて頂きます。さらに、望み通りの結果が得られない時にも、努力したことはけっして無駄になることはありませんから、「受験という貴重な体験を通して、現実の厳しさを受け容れる勇気と強さを見いだすことができるように」と祈念をさせて頂いています。

私は「幸不幸を問わず人生に起こるすべての事象には意味がある」と考えています。それは仏教が眼前の問題を直視し、あるがままを受容した上で、その超克をはかることによって、まことの幸いを得る道だと考えるからです。あまり深く考えずとも、人を鍛えて成長させることが「艱難辛苦」であることは古今東西のことわりであり、小説を読んでもドラマを見ても私たちが感動するのは、厳しい環境や険しい事態を必死に乗り越えてチャレンジする姿ではないでしょうか。

いささかでも思いを発(おこ)し実践するならば、そこには何らかの結果が現出します。それらは求めた良い結果か、求めたくない悪しき結果に分れますが、いずれにせよ結果が示され、それによって果報がもたらされるのです。結果は変えようがありませんが、果報は本人の心の持ち方で如何様にも変化が可能です。同じ結果であっても悲観し意気消沈して前進をあきらめるのか、悔しさをバネに発奮してさらにチャレンジするのか、当事者の心持ち如何(いかん)ということです。いずれにせよ、結果の如何を問わず、思索し行動したことは、何もしないで人情や世相の流れに身をまかせ、評論家然として御託を並べるより尊いことです。

我が国の春は若者には一つの試練のときですが、結果の如何ばかりにとらわれず、持てる力のすべてを発揮して自身の課題と向き合ってほしいと思います。心を発(おこ)し行動をなすならば、タイミングの差はあっても必ずや良き果報を得ることになるでしょう。

幸いなことに今年は御祈念申し上げたすべての方々に花開くたよりがもたらされ、私も心から喜んで仏祖三宝尊にご報告を申し上げました。しかし、ここも人生の一里塚、良き結果を得られた皆さんが、ご家族や周囲の方々への感謝を忘れることなく、いよいよ精進され活躍されることを祈っています。

相武山 山主

 

2015年03月09日

子は宝

去る11日、金沢区の新倉さんより岳父となる坂本昭二様の葬儀を依頼されて栃木県までうかがいました。坂本さんは奥さんと二人暮らしで、奥さんは信仰しておられましたがご本人は仏教にあまり関心をお持ちではありませんでした。先月初旬、高齢のご本人の体調がおもわしくなく、医師からも準備をしておくようにアドバイスをうけたため、ご家族で話し合いの場を持ったそうです。先月の中頃、新倉さんを通じて「奥さんと子ども達が妙法院さんで葬儀を執行してほしい」旨の申し出を受けました。一時は持ち直しましたが、9日にご逝去。葬儀はご長男の住む宇都宮市の斎場で執り行うことになりました。

ご家族による家族葬でしたが、とても心のこもった葬儀でした。宇都宮ですから横浜からかなり遠いのかなと思っていましたが、当山が横浜町田インターのすぐ側ですから、往きも帰りも所要時間2時間20分ほどで、近いな~という実感でした。最近のインフラの充実に驚いた次第です。葬儀は法華本門のご本尊を奉安し、当山における常の化儀法式にて興厳房と倶に丁重に執り行いました。ご長男のご家族も信心にはあまりご縁がありませんでしたので、御通夜の読経唱題ご回向の後、15分ほど葬儀の意味とその大切さ、家族の縁(えにし)の深さと人生のおもしろさ、法華経とお題目には仏様の教えがこめられていること、そして、お贈りした法名(戒名)の意味についてお話を申し上げ、追善の法話としてご霊前にお供えさせて頂きました。

ご家族皆さんの故人を思う真心に支えられ、11日夕方の御通夜から翌日の葬儀・告別式、そして荼毘に付して初七日忌法要を執り行い、葬儀一切を無事に行うことができました。最後にお斎(おとき・饗応・精進落とし・会食)の席を設けて頂きましたが、皆さんより「良いお葬式ができました、おじいちゃんも喜んでいると思います。本当に安心しました」との言葉を頂き私も安堵いたしました。

葬儀は人生の最後を締めくくる大切な儀式であり、仏教では縁(ゆかり)のある故人を来世、仏様の世界にお送りする意義深い儀式とされています。昔から葬儀は大切にされてきましたが、近年都市部では核家族化が進み、その大切さを伝える家族や親族の助言などが少ないこともあって、一部には「直葬(ちょくそう)」というかたちも見受けられるようになってきました。直葬というのは宗教的な祈りや葬儀をすることなく、ご遺体を病院から葬儀社に運んで保管し、直接火葬場で焼骨にされることです。家族は火葬場の前に集まってご遺骨を収納するだけになります。魂の存在や永遠の命を信ずることもなく、人間を肉体的な存在としか理解できない唯物思想の方々にとっては、抵抗のないかたちかもしれません。もちろん経費も削減でき現代風といえるのでしょう。

しかし、人生はそれぞれが与えられた命の営みそのものです。誰もが辛いこと苦しいこと、愉しいことやうれしいことなど、喜怒哀楽いろいろあったことでしょう。その最後をおさめる時に、仏神への祈りも捧げられずに葬られるということは仏教者として本当に残念なことだと思います。ふだん信仰心がなかったとしても、縁ある人がその人生を閉じて、私たちの知ることのできない世界に旅立って行くのですから、「仏様のご加護を頂いて、どうか安らかであって欲しい」との祈りをなすのは、素直な人情というものです。その人情が時代の波に洗われようとしています。果たしてそれで良いのかなと?と私は考えてしまいます。一人の人間がその人生の終焉を迎えたのですから、葬儀を盛大にするかしないかということではなく、故人の尊厳を認めて家族だけでも集い、宗教的祈りを捧げて来世に送ってあげるのが人の道ではないかと思うのです。

宗祖は「子はたから」という言葉を遺されています。いろいろな意味で子どもは宝となりますが、盂蘭盆(うらぼん)伝説の目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救ったこと、法華経では浄蔵浄眼(じょうぞうじょうげん)の兄弟が両親を正法に導いたこと、宗祖の御在世には池上兄弟が法華不信の父親をいさめて成仏への道に誘いました。このような姿に明らかなように、広大深遠なる親への孝養は仏道へ導くことに極まりますから、ご自身は仏道とのご縁を結ぶことのなかった坂本昭二さんが、奥さんや娘さんの信仰心に導かれ、法華経の祈りに乗って仏様の世界に旅立って行かれた姿に接し、あらためて「子は宝」という言葉を思い起こしました。

相武山 山主

2015年02月24日

おめでたいこと & うれしいこと

立春が過ぎても寒さが続きますが、おめでたいこととうれしいことがありました。
先月の25日、泉区の高橋さんが旧宅を撤去して新居を建築することになり、その地鎮祭を執り行いました。地鎮祭は自宅など建設工事の無事を祈って執り行われる儀式です。儀式や行事が昔よりも大切にされなくなってきた現代でも、地鎮祭や起工式はよく見かける儀式ですが、一般的に仏式で行われるのは珍しがられます。というのも、我が国では自らの信仰を自覚している方が少数派であり、明治以降祝い事を神式(しんしき)で行い、葬祭法事などを仏式で行うことが一般的とみなされたきたからです。ちなみに結婚式は「にわかキリスト教徒」となって、キリスト教式によって行う人々が多いように見受けられます。当然、地鎮祭といえば一般的に神式と思われがちで、仏式で袈裟衣を着た僧侶が司祭することは珍しく思われるようです。

宗教的儀式には本来そこに教えと信仰が内在しています。古今東西の歴史を見てもわかるように、冠婚葬祭の儀式は自らの信ずる宗教によって執り行われてきました。我が国では現在、儀式や行事の多くがかなり形骸化しているようにみえますが、それは信仰心の希薄化や欠如によるものといえます。他方さまざまな儀式や行事が執り行われているのも事実で、形だけは調えておいた方が良いのではないかという潜在意識もあるのでしょう。そもそも神社が現在のような形になり、一村一社として祀られるようになったのは、「天皇中心の神国日本」を標榜した明治期からのことです。したがって地鎮祭や結婚式、初参りや七五三祝参りなどが、もっぱら神道(しんとう)式で執り行われるという認識の是非は問われてしかるべきものといえます。

日蓮大聖人の教えを信仰する当山のご信徒は、冠婚葬祭についても法華経の化儀化法に準じて行うよう努めています。高橋さんと息子の周作さんは、日頃から法華経と日蓮大聖人の教えを大切にしておられますから、居宅の新築にあたって、法華経の祈りをもって地鎮祭を行いたいと願われました。当日は建設地を整地し四隅に青竹をしつらえ祭壇を設け、法華本門のご本尊をご奉掲して、懇ろに地鎮祭と起工式の御祈念を申し上げました。法華経と日蓮大聖人に見守られて建設の所願もきっと成就することと信じております。おめでとうございました。

うれしいこと

今月1日のお経日は日曜日に執り行われました。お経日は毎月1日に行われる当山の月例行事です。月のはじめに菩提寺のご本尊様に参詣し、ひと月の信行を誓願し、先師先達へのご報恩を申し上げ、先祖有縁精霊への追善供養を営むのがお経日です。13日の宗祖御講(御報恩講)と並んで法華講衆の信行の功徳を積む一日となっています。

勤行唱題をつとめて法話を申し上げていると、お二人の方が遅れて本堂に入って来られました。6年ほど前に東京に転居されたTさんご夫妻でした。平成21年4月、当山本堂の起工式に奥さんがお参りにお見えになって以来お会いしておりませんでしたから、本当にお久しぶりでした。ご夫妻とは10年ほど前にお仕事の都合で横浜に来られてからのご縁です。旧寺院では折々に参詣になられてまじめに信行に努めておられました。その後、体調をくずされるなど心配することもありましたが、東京に転居されましたので疎遠になっていました。

時折、元気に過ごしておられるかなと想うことがありましたので、突然の参詣に少々驚きましたが、ご夫妻の元気なお顔を拝見してとてもうれしくなりました。お経日の後には近況についてゆっくりとお話をうかがうことができました。人生ですからいろいろなことがあったようですが、日蓮大聖人の教えを支えに夫婦が力を合わせてがんばってこられたことを知り感慨深いものがありました。また、ご夫妻からは当山の佇まいと環境についておほめの言葉を頂きましたが、これからも気軽に足を運んで信行の功徳を積んで頂きたいと思っています。

会者定離(えしゃじょうり)は世の常ですから、お寺でも当然のこと出会いや別れがあります。出会いはうれしいものですが別れは淋しく悲しいものです。ですから、もうお会いできないかも知れないと思って居た方と再会できることは人生の悦びの一つだと思います。

寒さの中にうれしいぬくもりをもたらしたご夫妻の来訪でした。

相武山 山主

2015年02月15日

健やかな成長を祈り

今年も三人の幼子がご家族に手を引かれて七・五・三のお祝いに参詣されました。10日には弟子の純興師が家族で3才になる「華蓮(かれん)ちゃん」のお祝いに。15日は本村さんのご家族が3才の「千鶴(ちづる)ちゃん」のお祝いに。19日には林さんのご家族が同じく3才の「雫月(しずく)ちゃん」のお祝いにお参りでした。

ご家族皆さんとご一緒に読経・唱題、仏祖三宝の御宝前に今日までのご加護に感謝申し上げ、これからも心身共に健やかに成長できるよう御祈念を申し上げました。それぞれ元気なお子さんでこれからの成長が本当に楽しみです。ご家族のまじめなご信心はきっとご本尊様がご嘉納なされ、子ども達の未来を慈愛をこめて見守られることでしょう。

人生は何が起こるか分かりませんから、子どもが3才まで成長できたこともけっして当たり前の事ではありません。病気や怪我はもちろん事故や事件、災害などに巻き込まれることもあるのが人生ですから、無事であったことには自然に感謝の思いが湧いてくるものです。信仰を受持する者はその思いを仏様に向けることとなります。また、子どもたちはこれから長い人生を歩んでいきます。その道程は穏やかな時もありましょうが、厳しく険しい時もあることでしょう。人生は山あり谷ありですから、その一つひとつを乗り越えて、健やかに力強く歩んで行けるよう、仏様の深いご加護をお祈り申し上げました。

 

相武山 山主

 

2014年11月28日