相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

桜の花に報恩の想い

御会式では御宝前の両側に仏法の法界を顕現するお飾りが設えられ、海や山の上には寂光浄土を寿ぐ桜の花が飾られます。その桜の花やつぼみ、葉は9月から信徒の皆さんによってつくられました。例年、御経日や御講などの後に本堂や客殿で和やかに作ってきましたが、昨春からのコロナ禍によって、今年も昨年同様、各自、自宅に持ち帰ってつくって頂きました。

その花やつぼみ、葉を持ち寄って、今月1日の御経日、13日の御講、14日の目師会と3日にわたって、割竹を支柱に桜の花をつくりました。例年、小田原市の竹籠店に割竹を注文していたのですが、ご主人の高齢化と需要の減少で惜しまれながら今春廃業となりました。ネットで新たに提供先を探すことになりましたが、四国は高知の竹屋さんが見つかり発注。幸いに割竹の仕事はとても丁寧で気持ちよく作業ができました。

一枚の葉、一つのつぼみや桜の花には、ご信徒の日蓮大聖人への御報恩の想いがこめられています。何ごとも心の想いは言葉に出し、振る舞いに現れて伝わって行きます。御会式の荘厳は日蓮大聖人とその教えを尊敬するご信徒の志の表明といえるでしょう。これからも「お花つくり」には一人でも多くの方にご参加頂きたいと願っています。

相武山 山主

2021年11月30日

萩が涼風にそよぎ金木犀が香る秋彼岸

 妙法院では中秋の名月(9月21日)を楽しむことができました。横浜市北西部の里山にある当山では周囲に街灯があまりないため、大都市としてはめずらしくかなり闇が深くなります。前日も煌々と輝く月を見上げましたが当日もすばらしい観月を楽しみました。天空にかかる月を観るだけですが、なぜか想いが深くなり小さな自分も広大な宇宙の一部であることに気づきます。
富士日興門流の寺院でも秋に観月会を執り行うお寺がありますから、当山でも準備ができたら観月会を執り行いたいと思っています。夜の妙法院もとても趣がありますので楽しみにしていてください。

秋のお彼岸は20日(月)が入りで、23日(木)がお中日、26日(日)が明けでした。妙法院ではそれぞれ午後1時から法要を執り行いました。9月初旬からコロナ禍が少しずつ落ち着いてきたこともあり、青空に涼風がわたる中、7月・8月のお盆よりも多くの方々がお参りにみえました。

入りの20日には午前中に永代供養墓の久遠廟と樹木葬墓地に参詣。三日間の各法要では参詣の皆さまと一緒に法華経要品を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、門流先師への御報恩、ご先祖有縁精霊への追善供養を申し上げました。法要後の法話は「法華初心成仏抄」を拝読。末法の成仏道は南無妙法蓮華経の唱題行にあることをお伝えいたしました。
 萩が涼風にそよぎ金木犀の香りが境内にながれる秋らしい風情のなか、弟子の坂上純興師(四日市市慧光院住職)にもお手伝いを頂き、コロナ禍の沈静化を祈りながらの穏やかなお彼岸でした。

相武山 山主

 

2021年09月30日

龍口法難会を奉修

9月12日(日)午後1時から龍口法難会を執り行い、参詣の皆さまと倶に勤行・唱題、御報恩謝徳を申し上げました。文永8年9月12日の龍口法難は法難重畳のご生涯であった日蓮大聖人にとっても、時の為政者によって斬首されようとした最大の法難です。この法難は末法の法華経の行者を自任される宗祖にとって、崇高な宗教的体験であり、末法下種の地涌の菩薩、上首上行菩薩との自覚に至る貴重な法難でした。

 宗祖はこの法難について後に遺された御書においてさまざまに述懐されています。門弟である私たちはその御書を拝読して宗祖の胸中を推し量りますが、この法難は宗祖が末法の法華経の行者であることを明示し、法華経と宗祖が一体となったことを証明していることを知るのです。
法難の後、宗祖は佐渡に流罪されますが、佐渡では開目抄、観心本尊抄等の重要法門を著述され、さらに末法の衆生のために妙法曼荼羅本尊を図顕されます。龍口法難から佐渡流罪の時代は宗祖にとって大きな宗教的転換点でありました。

法要後には三沢抄を拝読しての法話。
「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。ー 略 ー 而るに此の法門出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとをぼすべし」を拝読。

 始めに三沢抄について「御書システムの解題」からの解説。御書の解題とは当該御書についての説明で、宗祖の直筆が残っているか否か、真書か偽書か真偽未決の書か、いつどこでだれに宛てた御書かなどが解説されています。
その後、龍口法難から佐渡流罪について略述し、拝読本文についての解説。「法門の事は、さど(佐渡)の国へながされ候ひし已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」という宗祖のお言葉の重要性をお伝えしました。
また、富士日興門流では龍口法難を宗祖の発迹顕本と拝していることを併せてお伝えしました。

相武山 山主

2021年09月30日

法華経は現当二世の安らぎ

法話会は世相に思うからメインテーマ「秋のお彼岸 ー法華経は現当二世の安らぎ-」へ。
【お彼岸について】
お彼岸はすでに年中の行事となって久しいために、改めて聞かれると説明に戸惑うこともある日本の仏教的習俗です。秋のお彼岸の前なので今回の法話会のテーマとしました。お彼岸の法要は春秋の二度、春分の日、秋分の日を中日とした前後3日間、計7日間ずつを期間として執り行われます。

お彼岸の中日にあたる春分の日、秋分の日は国民の祝日。昭和23年に公布された「国民の祝日に関する法律」の第2条にある祝日の主旨によれば、春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日、秋分の日(秋分日)は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」祝日とされています。
お彼岸には菩提寺や墓所に参詣してご先祖や有縁精霊に供養をささげることが常とされますが、古来、日本人にとって自然や動植物は、ともに生き倶に生かされている存在。お彼岸では先祖のみならず、自然や動植物に対しても感謝と敬意、慈しみのこころを確認したいものです。

【仏教における彼岸の意味】
彼岸というのはサンスクリット 語pāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳です。彼岸(此岸に対する言葉)は「かなたのきし」ということで川の対岸をさす言葉。
仏教ではこの彼岸を仏さまの悟りの世界に喩え、私たち凡夫が住む「こちらのきし」すなわち此岸を迷いの世界に喩えます。仏道では迷いと苦しみからの解放を求め、偽りのない安らぎの世界に生きることを説くところから、彼岸とは自らが川を渡って理想の世界に到る行為をあらわしたものです。

仏道では自分が此の岸に居るという自覚が大切だと教えています。自我の真実存在を見つめる者にしてはじめて彼岸を求めるからです。自我はおよそ五欲を追求するもので、5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形体のある物質 (色)、音声 (声)、香り (香)、味、触れてわかるもの (触) をいい、これらは,欲望を引起す原因となるものです。また、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲を五欲という場合もあります。
仏道は彼の岸(仏の世界)をめざすものであり、道心を発すとは、欲望と感情の世界(此岸)を離れて真実の幸福(彼岸)を求める心であり、人生の遇不遇(幸不幸)の意味を探り、普遍の真理を尋ねるものです。仏道では人生は有限であるからこそ意義深く歩むべきだと教えています。

仏道では此岸から彼岸に行くため河を渡らなければなりません。この渡河することこそ仏道修行の実践です。その実践は「・布施波羅蜜(布施を実践すること)・持戒波羅蜜(戒律を守ること)・忍辱波羅蜜(修行を堪え忍ぶこと)・精進波羅蜜(努力を惜しまないこと)・禅定波羅蜜(精神の統一をはかること)・般若波羅蜜(真実の智慧を得ること)」の六種の修行「六波羅蜜」です。
お彼岸は「先祖や有縁精霊への報恩感謝と追善供養、静かに自己の人生を考えて省みるとき、来世に思いを馳せ仏道に心を寄せる・・・」そのすべてが仏道の功徳を積む行為といえます。
以上を述べて仏教的な彼岸の解説としました。

【法華経は現当二世の安らぎ】
最後に大乗仏教の精華である法華経では、此岸対彼岸という二元的な思考を越えて、娑婆即寂光という一元的な思想を説き、現当二世(現在と未来)の安らぎを得ることをお伝えしました。
すなわち、輪廻思想を主張するヒンドゥー教の影響もあって、出家者や特定の修行者を中心とする初期仏教では、カルマからの解脱によって輪廻を断ち切り、迷いと苦悩に覆われたこの世に再生しないことが望まれました。しかし、大乗仏教では現実の娑婆世界で生活しながら仏道を求める人々を肯定し、一切衆生の救済こそ仏教思想の根幹であり目的であると説いて、輪廻思想を捉え直し、願って現世・悪世に生じ、現世を菩薩道を実践する世界と観たのです。

 ことに法華経では娑婆世界での菩薩道実践が説かれ、末法に南無妙法蓮華経のお題目を下種された日蓮大聖人は、「此岸に在りながら彼岸を感得する仏国土建設を求められ、その菩薩道の実践こそが、そのまま来世の安心を得る道であると教えている」ことをお伝えしました。

秋のお彼岸を迎えるにあたり「法華信仰者・日蓮が門弟としての心得」をお伝えした次第です。来月の日曜法話会は10月10日(日)午前11時からの開催です。

相武山 山主

2021年09月29日

現代語の法華経要品を拝読(上)

 8月最後の日曜日29日、未だコロナ禍は収まりませんが、草取り作務と夏季法門研修会を開催しました。午前10時半からの草取り作務には、奥田さん、熊木さん、阿部さん、安西さん、辻本さん、落合さん夫妻の7名の方にご協力頂きました。今回は本堂前から三師塔までの境内、駐車場と参道の草取りです。草取りには有り難い曇り空でしたがやはり仏道荘厳の汗がながれました。皆さんありがとうございました。

小憩の後、午後1時から夏季法門研修会。コロナ禍の自粛体制下ですから参加者は6名でした。はじめに仏道増進を祈念して皆さんと一緒に勤行・唱題。その後、4月に開催された春季法門研修会に続いて「法華経要品・現代語訳」(日蓮大聖人御生誕800年記念発刊)を拝読。
要品の拝読の前には法華経と仏典についての解説。私たち富士日興門流の信仰は「法華経と日蓮大聖人の教えを受持する」こと。日蓮大聖人・日興上人のご教示では、末法の衆生は下根下機の愚人であり、上根上機の賢人・聖人のように観念観法を修して仏道を成ずるのではなく、法華経の要法である南無妙法蓮華経のお題目を受持し、唱題行に励むことによって仏道を成ずることになります。

したがって信行の中心はあくまで「南無妙法蓮華経への揺るぎない信」の確立にありますが、その仏道は日蓮大聖人の遺された御書(御遺文)を学んで理解して行くことが常道です。御書は文書伝道や法要行事の折々に親しむことが多く、信仰の長い方であればたくさんのお言葉を覚えていらっしゃることでしょう。

しかし、日興門流では題目受持の一行に成道を見いだすことから、意外に法華経については学ぶ機会が少なく、その結構や概要を理解している信徒も少ないように思います。現代は宗開両祖の時代とは異なり法華経そのものを学ぶことが容易になっていますから、私は折にふれて法華経の概要を一緒に学んで行きたいと考えています。
法華経を語る時には大乗仏教についても言及しなければなりませんし、経典の成立やその展開についても説明が必要です。日頃から日曜法話会などでは仏教学の基礎としてそれらについて略述していますが、今回の研修会でも前回に続いて復習のかたちでお伝えしました。

インドで創作された経典はその伝播にしたがって各地の言語に翻訳され、我が国には漢訳(中国語訳)の経典となって伝わりました。当然、各宗派の依経もインドの経典から直接日本語に訳したものではなくすべて漢訳によるものです。漢訳経典はすでに長い歴史の上に宗教・思想・哲学を有する中国の人々に沿った経典ですから、格義仏教などといわれる場合もあり、必ずしもインド経典の原典直訳といえるものでもありません。

日本仏教の各宗派はこのような漢訳経典と中国仏教の展開の上に構築されているもので、これらのことは少し歴史を学べば誰もが知りうることです。また、明治時代になると我が国にも各宗派の教学とは異なるインド仏教を直接学ぶ「インド仏教学」が各大学などで研究されることになりました。この仏教学はアジアの植民地化をはかったヨーロッパ各国が、考古学、文献学、書誌学、宗教学、民俗学などの広範なフィールドから先行していましたが、現在、我が国でも各宗派独自の教学とは異なるかたちで仏教学が発展しています。

以上を略述し、現在、中国新疆ウイグル自治区に在る亀茲国の仏僧「鳩摩羅什(344~413)」は法華経を「妙法蓮華経」と27章立て(後に28章となる)で翻訳したこと。中国隋代の天台大師智顗(538~597)はこの妙法蓮華経を円教の中心にすえて釈尊仏教を判釈したこと。日蓮大聖人の仏法も妙法蓮華経と天台教学の上に展開されていることをお伝えしました。(つづく)

相武山 山主

2021年09月27日

降り続く雨のお盆

14日はご案内のとおり午後1時より盂蘭盆会を執り行いました。前日13日の宗祖御講と翌日の15日の戦没者追善法要もありますので3日間にわたるお盆となります。昨年から「コロナ禍で参詣できませんので・・・」として、郵便による御供養や塔婆供養も多くなりました。檀信徒の方々にお参り頂けないのは実に残念なことで、早くコロナ禍が収束することを願うばかりです。

それでも15日の戦没者追善法要と盂蘭盆会を中心とした一週間ほどは、三々五々墓地や永代供養墓の樹木葬や久遠廟にお参りされる方も多く、さほど広くない境内も朝方から夕刻まで参詣者が居られて、ささげられた御香が雨の中でも境内の外にまで薫じていました。
御宝前と精霊檀に供物をおそなえした盂蘭盆会では参詣の方々と心をこめて読経・唱題。読経中には塔婆を建立した精霊壇に進み、各家有縁精霊への追善のため御焼香しました。

 法要後には7月の盂蘭盆会同様『盂蘭盆御書』の冒頭を拝読。
「盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。 ー 略 ー
仏説いて云く、汝が母はつみふかし。汝一人が力及ぶべからず。又多人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず。七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味をんじきをととのへて、母のくはすくうべしと云云。目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし」について解説。目連尊者の優しさとその母青提女の餓鬼の姿から、人としての生き方を考えることが仏道であることをお伝えし盂蘭盆会の法話としました。

法話の中ではコロナ禍の感染拡大と対応についての所見を述べ、また、翌日が終戦記念日であることから戦争犠牲者への追善供養の大切さ、戦争と平和、基本的人権と自由、民主主義について皆で考える一日としようとお伝えしました。

 

相武山 山主

 

2021年08月31日

池上兄弟のご信心

8月のお盆の入りは13日、明けはいつものように16日でした。今年の横浜はお盆の前から天気がぐずついていましたが、12日から17日までは雨が降り続き、夏らしい青空を見ることがありませんでした。この時季、雨が降ることは珍しいことではありませんし、稀に台風も来ますが、6日間も降り続くことは近年記憶にありません。今年は雨のお盆という印象でした。

 行事予定では13日(金)午前10時から久遠廟、11時からは樹木葬墓地での盂蘭盆供養を執り行う旨、ご案内しました。朝からの強い雨でしたから、参詣者がいなければ小雨になってから、午後の法要の後にでもお参りしようと考えていましたが、佐藤さんと柴さんが豪雨の中態々お参りになられたので、塔婆を建立した久遠廟にてご一緒にお参りしました。香華を捧げわずか15分ほどのお参りでしたが記憶に残るお参りとなりました。

13日はお盆の入りですが、日蓮門下僧俗にとっては月例の宗祖への御報恩講の日。御宝前にて仏祖三宝尊への献膳を申し上げ、如法に読経・唱題。参詣者と倶に日蓮大聖人への御報恩を申し上げました。お盆の入りでもありますので、塔婆を建立した精霊壇にもお膳と供物をお供えし、各家有縁精霊への追善御回向を申し上げた次第。

法要後には池上兄弟に与えられた『兄弟抄』の末文を拝読。
「其の上、摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。
第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる。乃至、随ふべからず畏るべからず。之れに随へば将に人をして悪道に向はしむ。之れを畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
ー 略 ー
始めは信じてありしかども、世間のをそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に返りて本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。在世にも善星比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返りて仏をぼうじ奉りしゆへに、仏も叶ひ給はず、無間地獄にをちにき。此の御文は別してひやうへの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給ふべし。きかせさせ給ふべし」

兄弟抄の概要を『御書システム』の解題から
「本書は池上兄弟の兄大夫志が父親から勘当された折、弟兵衛志が兄に従って法華信仰を貫いたことに対する称賛と激励の書である。長文であり且つ「夫れ」で始まるところ重要書たることを示しているが、その形式はあくまで書状である」と紹介。

拝読の御文については
「儒家の小事においてすら是の如くであるから、『法華経』の信仰を成就するのが困難であることは当然のことであるとして『止観』の「三障四魔紛然競起」の文が示され、各々二人も穏士・烈士の如く頑張るよう激励されている。また、それぞれの女房に対しても、夫婦一体となり、たとえ夫が信仰を捨てようとしたとしてもそれを命に代えて諫め、信仰を成就して竜女の跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本を示すよう激励されている」
と紹介。

池上宗仲・宗長兄弟は宗祖御在世の強盛な壇越。兄の宗仲は法華経信仰のために父より勘当を受けますが、兄弟・夫婦が合力して法華経信仰を貫徹。やがて父からの勘当も許され、その後、両親や一族を法華経への信仰に導かれました。
宗祖は弘安5年(1282)9月、湯治のために身延山から常陸の湯に向われましたが、その途次、10月13日池上邸においてご入滅されました。現在の大田区池上の池上本門寺は宗仲が開基檀越。池上家の子孫は兄弟の信仰を承継して750年後の現在も池上本門寺をお護りしていることをお伝えしました。
仏教の信仰を貫くことはさまざまな仏典や宗祖の御書に明示されているようにけっして容易なことではありません。仏教に発心する人は多くても生涯かけてその道を歩み、現当二世に仏法の功徳を積むことは難しいことです。宗祖は「受くる(発心)はやすく、持つは難し、さる間成仏は持つにあり」とご教示です。私たちも池上兄弟とその子孫の信仰を手本に仏法の受持と法燈相続に努めて行きたいものです。

 

相武山 山主

 

2021年08月30日

新暦のお盆を営む

新暦7月15日(木)午後1時より盂蘭盆の法要を執り行いました。妙法院では檀信徒の希望によりかねて新暦の7月と月遅れの8月の二回、盂蘭盆法要を執り行っています。お盆の入りとなる13日(火)には三師塔に参詣。15日は午前中に永代供養墓「久遠廟」と「樹木葬墓地」にて塔婆を建立し、香華をささげて読経・唱題。施設に納骨埋葬されている諸精霊への追善回向を申し上げました。

 東京オリンピックは予定どおり23日からの開催のようですが、コロナ禍が続く中での盂蘭盆法要ですから、檀信徒の多くは郵便による御供養や塔婆供養願いでした。法要は昨年同様、四日市市の慧光院住職・坂上純興師にも臨席いただき、数名の参詣者の方々とご一緒に執り行いました。

参詣者が南無妙法蓮華経のお題目を唱えられる中、御宝前の須弥壇にて仏祖三宝尊への献膳。献膳は盂蘭盆会ですので塔婆が建立されている精霊壇でも行われました。法要は如法に法華経要品の読誦、南無妙法蓮華経の唱題と進み、寿量品では参詣者が精霊壇前にてお焼香。法華宗日興門流正師への御報恩、檀信徒有縁諸精霊並びに塔婆供養者への追善御回向を申し上げました。

 法要後は宗祖が盂蘭盆のいわれを述べられた盂蘭盆御書(治部房うばごぜんへの返状)冒頭箇所
「盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智恵第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならび、大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉懺師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。 ー 略 ー  目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし。」を拝読。

 法話では目連尊者が餓鬼の世界に堕した母青提女を救う盂蘭盆のいわれを解説。盂蘭盆経は中国由来の経典ですが、そこからは「三悪道に堕す因果を理解して人倫の徳目を大切にすること、仏道の功徳を回向して縁者の苦悩を救うこと、知恩報恩の志を大切にすること、自身の法華経受持信行によって親族縁者も救済されること」などについて述べました。さらに我が国での盂蘭盆の歴史を略述し、盂蘭盆会を自身の信行増進と縁者の追福作善の佳い機会とするようお伝えしました 法話の後、参詣者は塔婆を墓所に立て香華をささげて帰路につきました。

相武山 山主

2021年07月30日

伊豆御流罪法難会

16日(日)午後1時より伊豆御流罪法難会を執り行いました。法会には午前の日曜法話会から引き続いて参詣された方が多く、ランチを摂って小憩してからのご参詣。まじめな同信の皆さまと倶に如法に読経・唱題をつとめて伊豆御流罪への御報恩を申し上げました。

この法難は日蓮大聖人が弘長元年(1261)5月12日から同3年(1263)2月22日まで伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪された法難のことです。宗祖は前年の文応元年(1260)7月に『立正安国論』を前執権・北条時頼に奏上。結果的に為政者への批判とされ、世情を騒がせる者として弾圧の対象となりました。

 

もちろん、建長5年(1253)の立教開宗以来、宗祖の法然浄土教批判は一貫したものでしたから、念仏信仰者からは常に怨嫉攻撃される対象でした。文応元年(1260)8月には松葉谷の庵室を襲撃(松葉谷法難)されています。
その時には安房から下総などに避難したと考えられますが、法華弘通のために鎌倉にもどったところ、権力者一族の讒訴によって捕縛され、伊東八郎左衛門の預かりとして伊東に配流されたのです。

法要に続いての法話では伊豆御流罪の伝説が説かれる「船守弥三郎許御書」を拝読。御書システムより御流罪の背景と状況。さらに「船守弥三郎許御書」の解題からその真偽と内容を解説。拝読御書から「船守弥三郎夫妻に寄せる宗祖の想いと、地頭である伊東氏の病気平癒祈願など」について所見を述べ、いずこにあっても、どのような環境におかれても、仏法を受持し自らの志を信じられた宗祖は、ふれあう善悪すべての人々を仏縁とされたことをお伝えしました。

相武山 山主

2021年05月31日

仏法の護持と弘通を誓願

ゴールデンウイークがはじまる4月29日(木)午前11時より立教開宗会と御虫払法要を執り行いました。コロナ禍での法要ですから参詣者は25名ほどでした。立宗会は建長5年4月28日の宗祖の立教開宗を御報恩申し上げる法要であり、御虫払法要は当山に所蔵している御宝物のお風入れ虫払いを行う法要です。近年、当山では二つの大切な法要を同日に奉修しています。

【御宝物を解説】
三日ほど前から本堂内陣に所蔵御本尊と宗開両祖の御影画を奉掲。今年は始まる前に私から御奉掲の御宝物について30分ほど解説をいたしました。九幅の曼荼羅本尊は江戸末期から明治にかけてのものが大半です。中央御厨子に安置の御本尊は天保10年の曼荼羅。天保の改革や大塩平八郎の乱の頃の御染筆になります。元治元年の二幅の御本尊は幕末の池田屋事件や禁門の変、長州と四カ国戦争の頃の御染筆。明治7年の御本尊は明治維新の動乱期、佐賀の乱から西南戦争に至る頃の御染筆です。

宗祖、弘安4年4月の御図顕、僧日春授与の御形木本尊。中山法華経寺浄光院所蔵の重要文化財「水鏡の御影画」の複製についても解説して紹介。宗祖の御影については宗祖滅後より弟子が画像に描き木像に造立した事実をお伝えし、日興門流では宗祖滅後の三宝を明らかにするため、宗祖と日興上人の両御影を曼陀羅本尊の左右に安置してきた歴史を紹介しました。

【私集最要文注法華経】
また、昨年求めることができた「私集最要文注法華経」の複製を長机にて披露。
この注法華経については『図録 日蓮聖人の世界』から、
「『注法華経』の存在は日蓮聖人遷化の際、高弟の日興がその葬送の様子や聖人の遺言等を記録した「宗祖御遷化記録」に確認することができる。「御遺言に云く、仏は〈釈迦立像〉墓所の傍らに立て置くべし云々。経は〈私集最要文、注法花経と名づく〉同じく墓所寺に籠め置き、六人香花当番の時之れを披見すべし。自余の聖教は沙汰の限りに非ず云々。御遺言に任せ、記するところ件の如し」
右の記述によれば、「注法華経」は他の聖教とは異なり、公の物として聖人の墓所に保管し輪番の者たちがそれを研鑽せよというのが聖人のご意志であった。それは「私集最要文、注法花経と名づく」とみずから記されているように、これがぼう大な聖人の取材ノートであり、それゆえ聖 人の思想の土台ともいうべき最要文集であったからに他ならない。

 

さてこの『注法華経』は、通称『春日版』と呼ばれる法華三部経十巻(法華経・無量義経・普賢経)の表裏に、聖人がおびただしい経釈の要文を注記されたもので、正本は現在静岡県三島市の妙法華寺に所蔵されている。立正安国会が昭和三十年刊行した『私集最要文 注法華経』十巻は、正本を忠実に再現複製したもので、全容をそのまま伝えている。」
との解説をお伝えしました。

解説の後、法要開始。香華供物をお供えした御宝前に、法華経要品を読誦、自我偈を訓読して懇ろに南無妙法蓮華経の唱題。唱題の裡に参詣者は内陣に進み御宝物を親しく内拝。参詣僧俗は倶に立教開宗への御報恩と御虫払法要にあたって仏法護持弘通の精進を誓願いたしました。
法要後の挨拶では、「現代に私たちが法華経や日蓮大聖人の教えを信行できるということは、その教えと信仰を時代の荒波にもまれながらも護り伝えてきた僧俗が存在したからであり、そのような先師先達の志と求道心に敬意を表するとともに、現代は自分たちが合力して仏法の護持弘通という崇高な使命を遂行して行こう」と申し上げました。

相武山 山主

2021年05月28日