相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

深まる秋の鎌倉を散策

年間の行事予定でお知らせのとおり、12月5日(土)、古都鎌倉を訪ねてその歴史と風情を楽しみました。例年のように鎌倉の歴史や文化に造詣の深い酒井俊克さんのご案内です。12月ですから初冬というべき時季ですが今年は暖かさが続いています。この日は澄み渡る青空の下、暑くもなく寒くもない心地よい散策日和。庭先や里山の木々の紅葉を愛でながらの散策となりました。

今年のテーマは鎌倉時代から室町時代にかけての武家社会関連の歴史です。9時30分に鎌倉駅西口に集合。酒井さんから解説の文書を頂いて出発です。工事中の段葛を横切って鎌倉の旧跡に入りました。宇都宮辻子幕府跡(うつのみやずしばくふあと)~妙隆寺(鍋かむり日親ゆかりの寺)~大佛茶亭(おさらぎさてい)~若宮大路幕府跡(わかみやおおじばくふあと)~政所跡(まんどころあと、幕府の政務を司る機構)~三浦氏屋敷跡(みうらしやしきあと)~西御門(にしみかど、大蔵幕府の西門に面する地)~大蔵幕府旧跡(おおくらばくふきゅうせき、源頼朝の御所)~白旗神社(しらはたじんじゃ、頼朝の持仏堂・法華堂跡)~源頼朝墓(みなもとよりともはか)~北条義時・大江広元墓所~東御門(ひがしみかど、法華堂東の地域)~荏柄天神(えがらてんじん)~鎌倉宮(かまくらぐう、祭神は護良親王)約2時間ほど。見学地では酒井さん作成の参考文献を手がかりに、丁寧な解説で鎌倉の歴史を学びました。

鎌倉宮で少し休んでから再び散策を開始。鎌倉宮からは護良親王の墓所を通って永福寺跡(ようふくじあと)を訪ねました。この永福寺は源頼朝が奥州平定における戦没者の慰霊のために建立された寺院で、奥州平泉の中尊寺や毛越寺を模したといわれています。二階大堂を中心に伽藍が整備され頼朝の権勢を示すものでしたが、中世に消失してしまいました。現在は鎌倉市を中心に発掘作業を行い、復元整備が進められています。

永福寺跡から浄妙寺の裏手を回って足利公方邸旧跡(あしかがくぼうていきゅうせき)へ。鎌倉時代から室町時代にかけての足利一族の系譜と活躍、その盛衰について学びました。鎌足稲荷社(かまたりいなりしゃ)の説明を聞きながら鎌倉五山の一つ浄妙寺を見学。ここで歩き始めてから約4時間となったので散策を終了することにしました。

浄妙寺からは鎌倉方面と金沢方面に分かれて帰路につきました。金沢方面に帰られる方はバスに乗車。鎌倉方面の方は徒歩で鎌倉駅をめざします。鎌倉グループは浄妙寺から詫間谷(たくまがやつ)へ、ここで詫間上杉の話から関東管領であった上杉一門についての解説を受け、ゆったりと鎌倉駅へ。途中八幡宮を過ぎた辺りのそば屋で遅い昼食を頂き、散策経路をふり返り鎌倉の魅力について歓談の一時を持ちました。

今年も学びに満ちた古都の散策を楽しむことができました。ご案内頂いた酒井さんには厚く御礼を申し上げます。来年もまた初冬の鎌倉を楽しみたいと思っています。

相武山 山主

 

2015年12月17日

猛暑のなかで

連日の猛暑が続く26日の日曜日、当山では朝から世話人の皆さんと草取りをしました。午前10時からの予定でしたが午前9時過ぎから三々五々お集まりになり、それぞれのペースで11時過ぎまで作務に汗を流して頂きました。ご参加の皆さんは暑さ対策をされていましたが、それでも汗が吹き出すという表現がピッタリのような猛暑、本当にご苦労さまでした。草取りは5月頃から10月頃まで檀信徒の皆さんにご協力を頂いています。寺内でも普段から注意していますが、1日は24時間、1ヶ月は30日あまりしかありません。その他の作務や法務もあってなかなか思うようにならないというのが実状です。寺内の人力では追いつかないため、月に1度くらいの間隔で皆さんに随意でご協力頂いています。また、自由にお参りになって草を引かれたり、境内を清掃して行かれる方も居られます。それぞれの志はたいへん有り難く感謝をしています。


すべての寺院は仏教や信仰を大切に思う方々によって護られており、当山も諸寺院同様いろいろな方々にさまざまな形で外護(げご)を頂いています。僧侶も当然のこと懸命に仏道と道場を護るように努力をしていますが、檀信徒という護り手の存在がなければ、各寺院の存立は不可能となります。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や戦後の荒廃、さらに山村の過疎化などによって、厳しい環境にある寺院は現在少なくありません。当山も余裕はまったくありませんが、ご信心を大切にされる方々がご縁を結ばれ、倶に仏道を学びながら真心からの護持を頂戴し支えられています。護り方は一人ひとり違うかもしれませんが、その心底には「仏さまを敬い その教えを尊ぶ信仰の志」が等しく見受けられます。真夏に汗を流しながら、菩提寺の境内や駐車場の草をとられる志は、仏さまがご覧になられてきっと笑みを浮かべておられることでしょう。これからも無理をせず体調を考慮してご協力頂きたいと思います。

午前11時から草取りに平行して「わらべ会 夏のつどい」が始まりました。今年は子どもさんや親御さんの都合がつかないこともあって、4名の子どもたちを中心にしたわらべ会となりました。少し淋しい感じもありましたが、興厳房が企画した予定にそって皆んなで楽しみました。参加者がそろったところで興厳房からスケジュールの説明があり、初めは私と一緒に法華経方便品(ほけきょうほうべんぽん)と自我偈(じがげ)の「れんぎょう(お経の練習)」です。興厳房お手製のお経本を持って、みんなで大きな声でゆったりとお経を誦しました。続いて私からのお話。「大きな声で元気に挨拶をして、メリハリをつけよう。人は誰もが姿も違えば考えも違うので、互いに違いがあることを認めよう」という事を中心にお話をしました。その後は興厳房と太鼓の練習です。紙で作ったバチで練習した後、太鼓の前に進んで興厳房のお題目の声に合わせて実際に太鼓を叩きました。

そうこうするうちに時間はお昼を回り、お母さん方やお父さん方が準備していた「流しそうめん&バーベキュー」のランチタイムとなりました。草取りを終えた世話人の方も参加して皆んなでワイワイと愉しく頂きました。食事を頂いたら子どもたちによる「スイカ割り」です。子どもたちは目隠しをしながら一歩一歩足を進め、スイカの前で棒を大きく振りかざし、一気に振り下ろせばみごとにスイカが割れました。割られたスイカはとても甘く皆んなで美味しく頂きました。スイカ割りの後は、本堂にもどって小原さんの案内で「パターゴルフ」と「射的」を楽しみました。小原さんは高齢者の面倒を見られる仕事もして居られるので、そこからのアイデアのようです。この間、大人たちはテントや流しそうめん、バーベキューなどの片付けと清掃をしました。

子どもたちは本堂でのレクレーションを終えて客殿に移動、興厳房の指導で「ウチワ作り」と「ペン立て作り」に集中しました。それぞれ立派に作り上げ夏休みの作品になったようです。最後は本堂にもどって私と興厳房からの挨拶、お題目を三唱して「わらべ会夏のつどい」は午後2時30分に終了。来年はもっと早くから案内を出して、より多くの子どもたちに夏の相武山を楽しんでもらいたいと思っています。

皆さん猛暑の中ご苦労さまでした。

相武山 山主

 

2015年07月30日

学びの機会

梅雨の最中の6月20日(土)と21日(日)、静岡・神奈川両県の同志が熱海市の松風苑に集い、東海正信連合会の夏期研修会が開かれました。毎年此の時季に開催される研修会も今年で19回目を迎えますが、仏教を学んで信行を深めたいと願う方にとっては貴重な学びの場となっています。

定刻の13時より開会式。はじめに教師代表の応身寺荻原師による挨拶。師は「皆んなで真摯に行学を磨き合おう」とのべ挨拶としました。続いて坂口興妙師が研修会についての諸注意を発表。第1時限目の講義は奥興正師による「白米一俵御書」の御書講義。『爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず、月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり』などのご文から宗祖の観心の法門をわかりやすく説明されました。第2時限目は三浦優道師による「三草二木の喩え」について。法華経に説かれる7つの比喩の一つ三草二木の喩は、一切衆生の有り様は異なっていても、仏さまの慈悲は降る雨のように等しく注がれていることを説明されました。第3時限目は大山興厳師による「天台大師について(2)」。昨年に引き続き、御書に頻出する中国の天台大師の御生涯を丁寧に説明されました。第4時限目は坂口興妙師による「インド旅行記」の講義。見聞したインドの状況について説明、視野を広げることの大切さを語りました。

宗祖の御書からインド紀行まで幅の広い講義でしたが、各講師はそれぞれレジュメを作成して丁寧に解説していました。聴講者も大いに参考になったことと思います。講義の後には皆んなで勤行をつとめ、その後は天然温泉の恵みにあずかり、夕刻は愉しい友好懇親の一時をもちました。

2日目の第1時限目は永山郁道師による「病気(健康)について」と題しての講義。はじめに御書に見られる病気の言葉を整理され、宗祖が病気に対してどのような見解であったかを説明されました。宗祖は「病によりて道心は起こり候」とのべ、病によって仏道への発心があることなど、病気についてはマイナスばかりでなくプラスの側面があることを解説しました。第2時限目は私が「日蓮正宗の教義について」と題して講義。戒壇本尊に対しての法義と信仰を中心に、近代日蓮正宗の教学の混乱と誤りについて述べました。その後、質疑応答がなされ講義は終了。続いて参加者は5箇所に分かれてのグループ懇談会。それぞれ意見交換や質疑応答が行われました。閉講式の前には各グループの代表者が懇談会の模様を報告。信仰に関しての素朴な質問や意見が報告されました。研修会は松田教尊師の挨拶をもって無事に終了。学びの機会を得た約70名の参加者は明年の再会を約束して帰路につきました。

学ぶことは人生を豊かに過ごすための力となり、また、学ぶことを疎かにされない人は若々しい心を持(たも)つことになります。私たちは生涯、求道心(ぐどうしん)を大切にしてゆきたいものです。

相武山 山主

2015年07月19日

名越(なごえ)の切通し

当山から宗祖ゆかりの古都鎌倉までは車で約40分ほどの距離です。いつでも気軽に訪ねることができ、信仰的にはとても恵まれた環境といえます。そこで当山では春秋二回、鎌倉を歩く散策会を開いています。5月連休明けの頃、初心者向けに日蓮大聖人縁の地をゆったりと歩く「宗祖ゆかりの地を訪ねて」。11月下旬には鎌倉の歴史と文化に造詣深い酒井さんの案内で訪ねる「鎌倉歴史散策の会」です。

今年の宗祖ゆかりの地を訪ねる企画は、久しぶりに「名越(なごえ)の切通し」を歩くことにしました。鎌倉には古来から切通し(きりどおし)とよばれる道があります。鎌倉は眼前に相模湾を臨み三方を山に囲まれた地勢です。軍事的要素を損なうことなく、人々の往来や物資の運搬のために切り拓かれた道が切通しです。その主要な七つの道を「七口(ななくち)」とか「七切通し(ななきりどおし)」といいます。鎌倉時代の史書や江戸時代の史書などにその名称が出てきますが、一般的には「名越(なごえ)切通、朝比奈(あさひな)切通、巨福呂坂(こぶくろざか)切通、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)切通、化粧坂(けわいざか)切通、大仏坂(だいぶつざか)切通、極楽寺坂(ごくらくじざか)切通」の七つといわれています。
鎌倉時代の公文書といわれる『吾妻鏡』には、「ケワイ坂(気和飛坂)」「六浦道」「名越坂」、そして「山内道路」の名称が出てきますが、そのうちの一つに、宗祖の松葉ケ谷法難伝説にかかわる「名越切通」があります。

 

鎌倉から三浦半島への道となるこの切通しは、古の風情を伝える趣きある道で、以前にも何度かご信徒の皆さんと散策しましたが、もう十年以上もご無沙汰でした。興厳房に伝える意味もあって訪ねることにしたのですが、1週間前に下見に行きましたら、非常に良い天気で軽快に気持ちよく散策ができ、良い写真もたくさん撮ることができました。(このブログで紹介する画像は5/2の撮影分も含まれています)
行事予定で案内していた5月9日(土)には、久保さんと芦川さん、卓才くんが参加してくれました。鎌倉散策はいつも10名~20名ほどの参加者で楽しんでいますが、今回は寺院での行事が続いていたり、ゴールデンウイーク明けであったため、私と興厳房を入れて5名での散策となりました。

JR逗子駅の西口に集合し、駅から久木の法性寺に向かいます。約20分ほど歩くと猿畠山法性寺の山門に至ります。ここは宗祖が松葉ケ谷の法難のおりに、白猿に導かれて難を逃れたという伝説をつたえる日朗門流のお寺です。山門から少し坂を上ると奥の院と日朗師の廟所、そして宗祖が法難を逃れたといわれる岩窟があります。あまり広くない空間ですが、宗祖が法難を逃れて隠れた縁有る処といわれると、なにかしら心に響くものがあります。その上には山王権現が祀られる高台が有り、逗子の町並みと相模湾が一望できます。高台からは名越え切通しの一つの名所である「大切り岸」も見ることができました。高台を下りて切通しに向かいますが、道は狭くあまり歩きやすいものではありません。立派な洋館の裏を進めば間もなく切通しに出ます。緑におおわれた切通しは古への風情が漂い、「国指定史跡名越切通」の標柱を見ると、ここが宗祖も通られた切通しだという感慨におそわれます。

そこから逗子方面に向かうと「まんだら堂やぐら群」があります。かなり前から発掘調査されていることは知っていましたが、通常は入場禁止区域となっています。調査が一段落したのでしょうか、期間限定でこの時期だけ公開されているということでした。平場には中世の火葬場跡があり、鎌倉特有のやぐら(鎌倉とその周辺部に見られる中世の墳墓。柔らかい岩盤を横穴で内部を切り抜き、その中に納骨施設や供養塔・石仏などを安置したもの)が整然と広がっていました。
まんだら堂を逗子方面に進むと、やがて馬が一頭しか通れないという名越切通しの特徴的な風景と出会います。事実はもう少し広い道であったようですが、「両岸が迫った狭い道」に出ます。その道を下れば切通しの終点です。この時季は新緑に薫風がわたり、とてもさわやかな風情で、多くの方々が歴史ハイキングを愉しんでいました。

私たちは来た道をもどって鎌倉の大町方面(松葉ケ谷旧跡伝説)に向かいました。今回は宗祖も歩まれたであろう「名越の切通し」をゆっくり歩くことが目的でしたから、ゆたかな自然と歴史の息遣いにふれることができ、十数年ぶりの探訪に感動を頂きました。帰路は旧東海道と伝える小径にある「日蓮乞水(井戸の伝説)」を見学し、大町の安国論寺から「ぼたもち寺妙栄寺」、「比企ケ谷妙本寺」、「東身延本覚寺」の門前を通って鎌倉駅へと向かいました。所要時間は約2時間半ほどでした。時間がお昼過ぎとなっていましたので、小町通りのお蕎麦屋さんで昼食を頂き満足のうちに散会しました。とても良い散策でしたので、明年のゴールデンウイーク明けにも同じコースを散策したいと思っています。関心のある方は今からご準備ください。

相武山 山主

2015年05月15日

インドの仏跡巡拝

11月30日からインドの仏跡を巡拝してきました。日曜法話会などで釈尊のご生涯にふれているうちに、インドの仏跡を訪ねてみたいという声が寄せられ、幾人かの僧侶からも関心があったためです。さまざまな事情から最終的には僧侶3名、信徒6名、添乗員1名ふくめて10名での訪印となりました。
私にとっては15年ぶりの訪印です。企画の段階では15年前のかなり厳しい仏跡巡拝のイメージがつきまとっていました。厳しいというのはインド仏跡への旅では、道路などのインフラがかなり劣悪で、長時間のバス移動は体調に影響するほどでしたし、ホテルや食事、トイレや衛生面にもかなりの注意が必要であったからです。今回は年配者の参加が想定されていましたから、できるだけ負担がかからないように旅行会社と幾度も協議しました。インドにはさまざまな仏跡が遺されていますが、八大仏跡といわれる聖地を中心にゆったりとした旅程で、そのすべてを巡拝する企画となりました。経費も4社に見積もりをお願いして納得の行く旅行者にお願いしました。

八大仏跡というのは、ネパールにある釈尊降誕の地「ルンビニー」。釈尊が正覚を得られた成道の地「ブッダガヤー」。初めて説法をなされた地「サールナート」。弘教の地王舎城と法華経が説かれた霊鷲山の地「ラジギール」。祇園精舎と舎衛城の地「サヘート・マヘート」。母親マーヤ夫人のために天界で説法されて降下されたと伝えられる地「サンカーシャ」。最後の旅路にも登場する弘教の地「ヴァイシャーリー」。入滅の地「クシーナガル」です。それぞれ釈尊ゆかりの聖地として知られ、アジアをはじめ世界中の仏教徒が参拝に訪れています。

今回インドを訪問して15年前と大きく違ったなと思ったのは、道路などのインフラがかなり良くなっていること。食事や衛生面など生活環境が向上していることが実感できました。15年前の意識が強く残っていましたから、今回もその認識のもとで企画を立てましたが、旅程はもちろん服装や所持品も心配ご無用ということが数多くありました。帰国してからの感想は、八大仏跡を一度に巡拝することは厳しくても、ポイントをしぼれば「多少の経済力と体力があれば、1週間ほどで誰もが気軽に釈尊の仏跡を巡拝することができるのではないか」ということでした。

日蓮大聖人の仏法をより良く信仰するためにも釈尊への理解は大切なことだと私は思います。今回はすべての仏跡で読経・唱題をいたし、仏祖三宝尊と釈尊への御報恩を申し上げることができ、深い感動を覚えると共に彌々の信行をお誓いしてまいりました。海外に出ると日本のことが良くわかるとは言い古されたことですが、それにしても視野が広がることは事実です。視野が広がることさえ嫌がり、小さな狭い殻に閉じこもることをよしとする人もいますが、それは大変残念なことといえましょう。
御書に「日蓮は広略を捨てて肝要を好む」とか「日蓮が法門は狭きようなれども甚だ深し」とのお言葉はありますが、日蓮大聖人は偏狭さと頑迷さを訴えたわけではありません。他宗他門の人々と仏道について法論を求められた宗祖は、法華経の行者として生涯にわたって「仏法は道理なり」と主張され、普遍的な真理を求められました。したがって、広い視野に立たれていたのではないかと私は思うのです。

今回も若い僧侶が仏跡巡拝に参加されましたが、若い僧侶が仏教の原点であるインドの大地に立ち、釈尊の御生涯とその教えを学ぶことは、法華経と日蓮大聖人の教え、日興門流本来の教えを理解するためにも有益ではないかと考えます。宗開三祖の時代はもちろん、一昔前には考えられないほどの時間と経費で仏跡を訪ねることができます。現代に生を受けた者の果報とさえいえるのではないでしょうか。視野を広げてより深く妙法を会得し、宗祖の教えを弘通するためにも、多くの同信僧俗に釈尊の世界にふれて頂きたいと思います。

インド仏跡巡拝の感想はインターネットで各人各様いろいろと報じられていますが、私も率直な感想をまとめてお伝えしたいと思っています。まとまりましたら当山のホームページに豊富な写真と共にアップさせて頂きます。ちなみにこのブログトップの画像はベナレス、ガンガーの夜明けです。

相武山 山主

2014年12月26日

鎌倉を散策

秋空の広がる11月22日(土)、第8回目となる「鎌倉歴史散策の会」を開催しました。鎌倉の歴史や文化に造詣の深い中区の酒井俊克さんの案内で、毎年この時期に鎌倉と宗祖ゆかりの地を散策しています。今年は昨年の続きです。散策のテーマは「十一通御書ゆかりの地を歩く」の後半。極楽寺、御霊神社、長楽寺跡等々。

参加者は午前9時30分に鎌倉駅西口の時計台の前に集合。皆さん時間よりも早く集合されていました。参加者(酒井俊克、新倉昇三、新倉勇、久保律子、勝又俊子、芦川裕子、芦川卓才、高取キヌ恵、鈴木真紀、大山謙道)を確認して鎌倉駅から江ノ電に乗車。最初は宗祖の敵対者として著名な良観房忍性を開山とする極楽寺見学のため、江ノ電極楽寺駅にて下車。鎌倉からは4駅目となります。極楽寺は真言律宗の寺院で北条重時の創建と伝えています。重時は北条義時(鎌倉幕府2代執権)の三男で、北条泰時(3代執権)の弟。宝治元年(1247年)から鎌倉幕府の連署として5代執権北条時頼を補佐した人物です。弘長元年に没し、その後、文永4年に良観房忍性が入山したといわれています。当時の為政者の庇護を受けて極楽寺良観は「生き仏」とまで称されていました。宗祖と厳しく対峙したことは広く知られ、十一通御書の宛先となっています。往時は周囲一体が極楽寺の境内で多くの伽藍があったようですが、時代の流れのなかで今はひっそりと佇んでいました。

極楽寺からは近くの史跡上杉憲方の墓を見学し、切通しから成就院に上り由比ヶ浜を見ながら、酒井さんから切通しの説明と北条幕府と新田義貞の戦の模様を解説して頂きました。その後、切通しを左折して御霊神社へと向かいました。極楽寺へのトンネルを左手に見て江ノ電の踏切をわたり着いた御霊神社では、関東平氏五家の始祖(鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)五霊を祀ったこと。後に鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神が集約されたことの説明をうけました。また、龍口法難の折り、宗祖が四条金吾殿のもとへ童を遣わしたお話もありました。


次ぎに御霊神社からほど近い四条金吾のゆかりを伝える収玄寺を見学。その後、宿屋光則の屋敷跡と伝える光則寺に向かいました。長谷寺の周囲や鎌倉大仏の高徳院への道は秋の鎌倉を楽しもうと多くの人が道を行き来していましたが、光則寺への道は人影がまばらでした。この寺院は宗祖の北条時頼への立正安国論奏上。日朗師などの入牢など、十一通御書にも縁のあるお寺です。本堂裏手のやぐらのような土牢跡も訪ねました。

光則寺からは長楽寺跡に建つ鎌倉文学館へ。長楽寺は嘉禄元年(1225)3月北条政子によって頼朝追福の為に建立された寺院。七堂伽藍を構えていたが、元弘3年(1333)5月北条幕府滅亡の際焼失したという。十一御書の宛先の一つでした。明治期に前田家の別荘として洋館が建てられたが、現在は鎌倉文学館として市民に開放されている。

時間の都合上中には入らず、小径を歩いて和田塚に向かいます。その途中、旧東海道について酒井さんから説明がありました。皆さん鎌倉時代の東海道と現代の東海道のイメージがかなり違うことに驚いていました。江ノ電の線路をわたって着いた和田塚では、鎌倉幕府の初代侍所別当として活躍しながら、北条氏との権力争いで滅ぼされた和田義盛とその一族についてのお話を聞きました。
このあたりですでに歩き始めてから3時間が経過。疲れている様子の方もおり、予定の散策コースを一部割愛して鎌倉駅へ向かうことになりました。由比ヶ浜から滑川をわたって材木座へ、現在の鎌倉八幡宮の前身である元八幡神社を見学し、横須賀線をわたって辻の薬師堂に至ります。宗祖の辻説法は有名で諸説伝えられていますが、薬師堂から本興寺付近にもその言い伝えが残っているそうです。

小町と大町を分ける往時からの道を散策しながら一路鎌倉駅へ。お腹もすいてすっかり足も重くなって来ましたが、ゴールが見えると頑張れるもの。途中ぼたもち伝説の常栄寺前を通り、比企一族の悲哀と日蓮門下の古刹として名高い比企谷妙本寺の門山に至り、ここで妙本寺と東身延と称されている本覚寺のお話を酒井さんからうかがって散策の解説は終了となりました。酒井さんは本当に鎌倉の歴史や文化に詳しく、よく学ばれているばかりか、必ず現地を歩かれて事蹟を確認しておられることに感心しました。

久保さんの万歩計によればこの日の散策は13000歩ということでした。ちなみに歩いた距離は約9.5㎞でした。昨年同様小町通りの峰本で美味しいおそばを頂いて散会となりました。参加の皆さんご苦労様でした。きっと鎌倉と宗祖への理解が深まったことでしょう。来年も春は「ぶらり鎌倉散歩(宗祖の御遺跡を訪ねて)」、秋は9回目の「鎌倉歴史散策の会」を開催したいと企画しています。

相武山 山主

 

2014年12月15日

元気な声が響きました (下)

ランチタイムが終ると子供たちに待っていたのはスイカ割り。スイカは緑区の落合さんが丹精されたもので、御宝前にお供え頂いたものです。みごとなできばえのスイカなので割るのはちょっともったいないとも思いましたが、子供たちが楽しみ、その記憶の一端が夏の思い出として残ればそれも好いかなと思った次第です。昨年までと異なり、今年は目隠しをしませんでしたのであっさりとしたスイカ割りでしたが、それでも皆んなで歓声を上げていました。割った後は手づかみでしっかりと頂きました。

スイカ割りが終ると一息いれて小原さんの指導で「紙飛行機遊び」です。本堂で小原さんの手ほどきで紙飛行機を作り、ホワイトボードにかけられた標的めがけて紙飛行機を飛ばして遊びました。

子どもたちの遊びはさらに続きます。今度は受付前のスペースを利用してのボーリング。並べられたプラスチック製のボトルを軽いボールで倒します。ワイワイがやがやと皆んなの笑い声が響きました。ボーリングが終る頃には、興厳房が子供たちに冷たいアイスを配っていました。

最後は夏の作品作りです。今年の興厳房からのサポートは「風鈴つくり」でした。冷房の効いた客殿に場所を移して風鈴に絵を描いたり、シールを貼ったり、下げられた短冊に思いを書いたり、それぞれお母さんの助けを借りながら、思い思いの風鈴を作りました。わらべ会はこの風鈴作りで終了。
子供たちが風鈴を作っている間に、大人たちはテントの撤収、バーベキュー器具の片付け、洗い物、流しそうめんの機材などを片付けてくれました。何をするにも準備には手間と時間がかかり、片付けも面倒なものですが、準備と片付けがないイベントは一つもありませんから、準備や片付け自体をイベントの一部として愉しみ、皆んなで協力することのおもしろさを知ることが大切ではないかと思います。

午後2時45分、大人も子どもも全員本堂に集合。私から草取り作業とわらべ会への協力に対してお礼をのべ、これからも皆んなで声を掛け合い、わらべ会をより充実させて行こうとお伝えし、ご本尊様にお題目を三唱して解散となりました。

子供たちの声が境内に響くのは有り難いことです。宗祖日蓮大聖人も御開山日興上人もご覧になって、慈眼を細めて居られるのではないでしょうか。こらからもわらべ会を少しづつ広げて行きたいものです。また、皆んなで会話を交わしながらゆったりと頂く食事も愉しいものです。来月も8/31(日)に午前10時から境内清掃、11時から仏事作法の説明会、そして12時から暑気払い懇親会を開きますので、より多くの方々にお集まり頂きたいと思っています。

相武山 山主

 

2014年08月02日

元気な声が響きました (上)

去る7月22日、気象庁による関東地方の梅雨明けが宣言されてから一週間、30度を超す夏日や猛暑日が全国各地から報じられ、一部では死者や重症者まで出て危険な事態となっているようです。横浜でも連日の猛暑に、健康な人でも「暑くて暑くて辛い」という声が聞こえてきます。地球温暖化の影響でしょうか、今までの経験に油断することなく、暑さ対策に注意したいと思います。自ずから境内の草取りも陽の高いときにするのは避けて朝や夕方となり、作務の時間配分も異なってきます。

そのような中、27日の日曜日は雲一つ無い夏の青空が広がり格別の暑さとなりました。午前10時からは境内と駐車場の草取り作業が予定されており、9時半頃から川脇さん、阿部さんご一家、竹越さん、宇梶さん、新倉さんご兄弟、中澤さん、山村さん等が参集、11時のわらべ会開催の前まで、皆さん草取りに汗を流されました。この時季は遠慮なく雑草が伸びてきます。寺内の手だけでは整備が追いつきませんから、7月に続いて8月も草取りの予定を組ませて頂いた次第です。皆さんお休みの日に暑い中、本当にありがとうございました。

11時を過ぎた頃、6人の子どもたちが親御さんに手を引かれて集まってきました。案内が行き届いていないこともあり、お正月やお彼岸やお盆にお参りされるご縁ある子供たちの数からすると物足りない思いもしますが、仏縁を結ぶ大切な子供たちが集まってくれたのですから本当に有り難いことです。この日は半日子供たちの元気な声が境内に響いていて私もうれしく思いました。
興厳房が「わらべ会夏のつどい」の開催をつげるとはじめは私からの一言法話。「人は一人ひとり顔が違うように、好きな物が違うように、みんな違いがあるから、まず違いがあることを理解しよう。皆んなと同じように考えたり、行動しなければならないこともあるが、何でも同じでなければならないと考えるのはまちがい。それぞれの考えの違いを理解して自分の考えをのべることが大切。違いがあることを認め、自分の意見をのべる勇気をもとう。次に、はじめから上手にできることは少ないので、やってみたいことは失敗をおそれることなく、何でもチャレンジしてみよう。大人でも上手くいけばうぬぼれ、失敗したら落ち込むもの、皆んな失敗したり上手くいったりを繰り返しながら自分に自信をつけていっている。小さな失敗なんか気にしないで元気にガンバロー」とお話をしました。

法話の後は「練経(れんぎょう)」、法華経の方便品と寿量品自我偈の御経の練習です。始めに私が一節づつ読み上げ、その声に続いて子供たちが読み上げて行きます。お経も只自分の気分で読み上げれば良いというものではありません。ご本尊様にお供えされる御経なのですから、より良く読誦(どくじゅ)することが求められています。それぞれの仏教宗派や寺院によって読み方も違いますから、昔からお寺の勤行に参加して読み方やリズムを習得することが大切といわれています。私もその昔50年ほど前ですが、得度したばかりの頃、半年にわたって同期生と一緒に「練経」をして頂いた記憶があります。純興房や興厳房が得度した時にも一緒に練経をしました。子供たちはおぼつかない声でしたが、一生懸命にお経の文字を追いながら、私の読み方とリズムに合わせて約20分の練経を行いました。

その後は、興厳房の指導による「太鼓」の練習です。子供たちは音がなる物が大好きで、いつも太鼓の練習の時は目が輝いています。はじめは机の前で紙のバチを持って「右、左、右、左、右」とお題目の「妙・法・蓮・華・経」の五字に合わせて腕をふる練習です。五字のリズムがとれるようになったところで本物の太鼓に挑戦。お母さんの助けも借りて皆んなで楽しく太鼓からお題目のリズムをたたき出していました。ちなみにお寺でお題目をお唱えするときは、太鼓の音に合わせるのが基本です。太鼓をたたく者は先ず導師のお題目のリズムに合わせ、自らも心の中で(声に出しても良い)しっかりとお題目を唱えながら、一定のリズムで太鼓をたたかなければなりません。参列の僧俗はその太鼓の音に合わせて、日蓮大聖人ご証得のお題目をお唱えするのです。

練経と太鼓の練習が終るともうお昼です。前日までに興厳房が「流しそうめん」と「バーベキューセット」を用意していましたので、草取り作業を終えた方々が子供たちのために昼食の準備をしてくれました。本堂正面のテントの中では流しそうめん、寂静庵横の桜の木の下ではバーベキューコーナーです。夏の青空が広がり照りつける陽射しは痛いほどでしたが、テントや桜の木の下に入ると緑の森からの涼風が吹き抜けていました。夏らしい趣向のランチタイムを、子供たちはもちろん大人も皆んな一緒に楽しんでいました。

(つづく)

相武山 山主

2014年08月01日

ホタルが飛びました

横浜の里山「下川井」では今年も蛍が飛んでいます。1週間ほど前から当山の西側に広がる田んぼの周囲でホタルをみることができるようになりました。とてもうれしく思います。当山周辺は横浜市を北西から南東に流れる「帷子川」の源流域で、良質な地下水が豊富できれいな水も流れています。この地域のホタルは自然のもので、特別に養殖や飼育をしているものではありませんから数も少なくちょっと寂しい感じはしますが、夕闇の空に光の飛行は少なからず幽玄さを覚えます。人間のための利便性が優先され、自然環境の維持が難しい大都市のなかでは極めて貴重なものではないかと思います。
良い環境が在るということは、人知れずその環境を守っている人がいるということです。当山が雑木林を拓いて墓苑と寺院を建設するための地元説明会を開いたとき、地元の方々から「あなた方の開発する近くはホタルが自然生息している大切な場所だから、建設にあたっては第一に環境を優先してほしい」といわれました。「豊かな自然が残され、里山のような風情が感じられるのは、その価値を良く理解し守り手となっている方々が居られる」という事実を改めて認識しました。十分注意をして建設工事に臨んだことはいうまでもありません。これからは当山も自然環境の守り手の一人になりたいと思っています。

そのホタルが飛び始めた6月10日から1泊2日で「学林」という僧侶の勉強会が当山本堂を会場として開かれました。学びと思索にふさわしい、静かに降りしきる雨の中での勉強会には、若手教師を中心に1日目12名、2日目15名の僧侶が参加しました。初日に本妙院内坂口興妙師と妙道院内永山法省師の発表があり、その話の内容についての質疑応答、引き続いてご法門や布教などについてのディスカッションが行われました、夕べには参加者一同にて勤行をつとめ、その後場所を客殿に移して夕食をかねての懇親会となり、日頃の疑問や意見をのべ合いました。
翌日は朝の勤行をつとめた後に、私と法潤寺坂井進道師による講義。富士日興門流の近代の流れと法義信仰の在り方について所見を発表しました。時間いっぱいまで質疑応答が行われ学林を終了。昼食にインドカレーを楽しんで解散となりました。
ご法門を学ぶことと行を修めることは僧侶に欠かすことのできない修行です。自身の僧道を磨き上げるため、有縁無縁の方々を導くため、これからも志の有る僧侶と倶に励んで行きたいと思います。

僧侶の修学に負けることなく、毎年6月には東海正信連合会(静岡・神奈川の同信の集い)の夏期研修会が開催されています。熱海市網代の松風苑で開かれる研修会は、志ある檀信徒が自由参加で修学に励むものですが、今年で18回目となりました。例年この研修会は雨模様の中での開催が常でしたが、今年は6月14日と15日の両日とも久しぶりに青空が広がり、相模湾の青い海原も穏やかなものでした。
研修会は午後1時からの開講式に続いて、一時限目は江頭仙道師(妙興院住職)による「立正安国論」の講義、二時限目は当山執事の興厳房が「天台大師について」と題しての講義、三時限目は高橋木道師(山桃院住職)が「お寺と檀家」と題しての講義でした。それぞれ講義用にレジュメをつくり丁寧に講義を展開。参加者もメモをとるなど熱心に聴講していました。夕べの勤行の後には夕食を兼ねての懇親会がもたれました。。翌日は午前8時半から私が「聖人の御義とは」と題してお話をさせて頂き、その後、全国大会で放映されたビデオの上映がありました。続いてグループ別懇談会が行われ、その内容が報告されました。引き続いての閉講式で研修会は無事終了。研修会には僧俗約75名が参加。当山からも南雲さん、熊木さん、落合さん、畠さん、中澤さん、草ヶ谷さん、吉次さん夫妻、私と興厳房が参加しました。

相武山 山主

2014年06月17日

五月晴れ

5月の末に初夏とは思えない30度越えの気温が日本列島各地を襲いましたが、6月の声を聞くとたちまちの梅雨入り。それもかなりの降雨量で災害の心配さえありました。その後、青空を見ることはしばらくありませんでした。いつになったら青空が見られるのかと待ち遠しく思っていましたら一昨日は朝からの快晴。今日で3日まさに五月晴れでした。元々五月晴れは5月の晴れ間の意味ではなく、梅雨の間の晴れ間のことです。農耕にこの時期の雨が必要不可欠なことは説明を要しませんが、連日の雨と湿気となりますとうんざりというのが本音です。
日本列島で梅雨がないといわれるのが北海道。最近の地球温暖化の進行か北海道でも気温が異常に高くなるときも有り、梅雨に似た気候を感じることがあるようですが、それでも本州以南よりは湿気も少なくこの時期は過ごしやすいようです。

その北海道は札幌市で先月25日(日)、富士日興門流の信仰を護持する同志の集い「法華講全国大会」が開催されました。全国の各地から約600人の僧俗が参集、お隣韓国からも約70名の方々が参加されました。日本の仏教はご承知のように各宗に分かれていますが、法華経を信仰の対象とする日蓮門下もまた、かなりの門流に分かれています。その中で日蓮大聖人の教えを日興上人の御精神で拝するのが、当山の帰依する日興門流の信仰です。法華経と日蓮大聖人の教えをより正しく理解し、人生の燈明として自らの人生を豊かなものにしようと志す人々が、法華経信仰のグループとして各寺院で法華講を結成しています。その同志僧俗代表が年に一度集まって信仰を確認し啓蒙し合うのが全国大会です。
今年は札幌市のJA共済ホールでの開催でした。

大会には当山から7名の檀信徒と私と興厳房が参加しました。今回は遠方のことで参加者も少ないため、茨城県神栖市の願生寺講中(高橋恩道住職)の方々と一緒に旅程を組みました。興厳房は準備のお手伝いのため前日に出発しましたが、その他17名は5/25(日)8:00に羽田APに集まって大会に向かいました。
すっきりとした青空ではありませんでしたが、北国の花ライラックがそこかしこに咲き誇る中での大会となりました。

大会は第1部で「北の大地に布教の礎」を放映。参加者は北海道開拓と富士門流弘通の歴史を学び、先達の熱い求道の思いにふれました。また、北の大地で正信覚醒運動に励む寺院8ヶ寺が映像で紹介されました。厳しい自然環境にも負けることなく護法と弘通に努める姿は参加者に深い感動を呼びました。川田実行委員長の挨拶に続く第2部では、2名の法華講員による所感発表、荻原昭謙運営会議議長の挨拶、永山法省師の講演、川井泰円代表役員の挨拶が行われました。(大会の詳細は妙風7/1号をご参照ください)。

大会終了後は札幌市豊平区の清涼院に参詣しました。タイミング良く坂上純興師が住職を務める四日市市の慧光院の方々もご参詣でした。清涼院参詣を終えるとその日の宿、定山渓へと向かいました。大会参加の後は親睦会を兼ねた旅程を組んでいましたから、翌日は定山渓から小樽に向かい、小樽から余市へ、小雨の中、倶知安町から喜茂別を経由して昭和新山を見学、そして洞爺湖畔に宿泊しました。最終日はさわやかな快晴に恵まれ登別から白老へ、地獄谷を見学しアイヌの文化にふれました。15時には千歳空港を出発、午後16時40分には無事羽田空港に到着して大会参加グループは解散となりました。

2泊3日の大会と親睦の短い旅行でしたが、旅を通して交流がはかられ、楽しいひとときを得ることが出来ました。参加者の皆さんありがとうございました。明年は5月に福島県郡山市で開催の予定です。大会への参加と親睦会の企画を立ててご案内しますので、より多くの方々にご参加頂きたいと存じております。

相武山 山主

2014年06月15日