相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

菩提寺境内を浄めて

当山では毎年初夏の頃から秋まで数回にわたって境内清掃作務を行っています。作務は境内樹木の伐採と整備、遠慮なくグングンと伸びてくる雑草を除草して境内の整備をはかるものです。
当然、日頃から本堂や客殿や寺務所などはもちろん、境内や参道、駐車場などの清掃整備は寺内で行っていますが、さほど広い境内ではなくてもやはり手が回らないのが実状です。また、樹木や雑草の伸びるスピードは油断できません。放っておくとすぐに荒れ野状態になってしまいます。そこで定期的に作務の日を設けて檀信徒有縁の方々にご協力を願っています。

8月は8日(土)と30日(日)に境内清掃作務を行いました。8日は主にバス通りからの参道を清掃整備、市民の森から伸びて参道にかかる背の高い雑草を退治。大きなゴミ袋10杯分の成果でした。30日は墓苑周囲のレッドロビンの伐採と整備清掃。さらにゴミの収集に出せる形に整える作務が中心でした。その他、両日ともに猛暑の中、本堂前や三師塔前の草取りにも汗を流しました。

今年の境内清掃作務は8月30日が最終日。毎回8名~15名前後の方々にご参加頂き、約1時間半から2時間ほどの作務でした。菩提寺の境内が浄められて仏祖三宝尊もお悦びになり、お参りの方々も清々しく思われることでしょう。皆さまご多用のなか猛暑にもかかわらずご協力いただきありがとうございました。

相武山 山主

2020年08月31日

お経参りを作務に変更

妙法院では毎年6月から9月頃にかけて檀信徒宅に「お経参り」をしています。私は布教所開創当時からお盆経のかたちに習って各家庭のご本尊様に参詣してきました。年に一度はご信徒宅の仏壇にお参りして、ご家族みなさまの信行増進と日々の平安を祈念し、各家先祖と有縁精霊への追善ご回向を申し上げています。
お盆の時季に関わらず期間を長めにとってのお参りなので「お盆経」といわずに、「お経参り」と称しています。ご家庭によっては「故人の命日にお参りしてほしい」と希望されることもありますので、その希望にそってお参りすることもあります。

かつては僧侶が檀家さんのお宅にうかがうのは夏の風情の一つでしたが、最近は目にすることが少なくなってきたように思います。「仏教離れ・お寺離れ」がこのようなところにも影をおとしているようです。妙法院でも時間をつくって毎年40~50軒ほどお参りさせて頂いていましたが、近年は日程の都合などから20~30軒ほどになっていました。お経参りはご信徒と親しく言葉を交わすことのできる佳い機会ですから、これからも大切にしたいと考えています。

今年の夏は弟子の純興師(四日市市慧光院住職)の応援も得て、少しでも多くのお経参りをしようと企画していましたが、コロナ禍のために例年よりもわずかなお経参りとなってしまいました。純興師には7月と8月にそれぞれ一週間ほどの時間を用意して頂いていたので、かねてからの希望であった境内樹木の剪定、伐採、搬出の作務に急遽変更してもらいました。

裏庭の樹木の伐採、墓苑周囲や永代供養墓久遠廟の西側にある緑地の伐採、雑木林の伐採とそれぞれ搬出の作業です。純興師と興厳房と非力な私の3人の作務でしたが、7月と8月の二回、軽トラック山盛り8台の作業を行い、かなり境内がすっきりとしました。7月の下旬は明けぬ梅雨空での作務、8月下旬は猛暑のなかでの作務でした。
みどり豊かなことは有り難くすばらしいことですが、それなりに管理の労力が必要になるのですからよくできたものです。ここにも「プラスがあればマイナスがある」という摂理がよく理解されます。

連日猛暑の中、コロナ禍を心配することなくお経参りができるようになることを仏天に祈っています。

相武山 山主

2020年08月29日

清掃作務とブルーベリー狩り

26日(日)は境内清掃作務に汗を流し、その後、ブルーベリー狩りを皆さんと楽しみました。
梅雨が明けそうもない横浜。前日までも雨が降り続き、朝方も時折雨がぱらついていましたが、天気予報では間もなく雨も上がり、曇り空から青空ものぞくということでしたので、問い合わせをいただいた方々には「予定どおり境内清掃作務とブルーベリー狩りを行います」とお伝えしました。

すばらしい予報の的中でした。9時頃には雨もすっかり上がり、曇り空からやがて青空が広がって陽が射してきました。作務は三師塔前と境内路と駐車場の草取り、境内のアジサイや雑草の刈り取り撤去、墓苑両サイドの雑草撤去。9時半頃から11時過ぎまでみんなで汗を流しました。伐採した樹木と刈った草は70リットルの袋で22袋、寂静庵の前はゴミ袋でいっぱいになってしまいました。

11時半からはお待ちかねのブルーベリー狩りです。当山からブルーベリー畑までは徒歩2分。ブルーベリーを栽培され企画にご協力いただく櫻井さんも、朝から「今日はどうされますか・・・」と気にかけておられましたが楽しいひと時を持つことができました。

畑の入り口で手を消毒し、櫻井さんにワンコインをお渡ししてブルーベリー収穫のパックをいただくと、たわわに実ったブルーベリーは目の前です。櫻井さんからは「二種類のブルーベリーを楽しむことができます。たくさん食べて美味しいブルーベリーをパックいっぱい詰めてください」というアドバイス。

参加者はパック片手にまずは味見。皆さん笑顔でしっかりいただきながら味の選定です。ひととおり味見した後はこぼれんばかりにパックに詰めていました。今年は日照時間が少なかったにもかかわらず、とても美味しいブルーベリーが収穫できました。

その後、当山にもどり本堂前で落合さん手作りのスイカをみんなでいただき談笑。しかし、スイカを頬張っているうちに空模様が怪しくなってきました。曇り空がさらに暗くなるとポツリポツリと小雨が降ってきたのです。皆さん「今日は何という絶妙な天気でしょう」と驚いていましたが、天候のあやに感謝して散会となりました。

例年7月最後の日曜日は「わらべ会 夏のつどい」を開催していましたが、今年はコロナ禍のために残念ながら中止となりました。来年はコロナ禍が収束して子どもたちの笑い声がこだまするわらべ会が開かれることを祈っています。

相武山 山主

2020年07月29日

蝉の初鳴き

6月11日に梅雨入りした横浜では40日以上も長雨が続いています。九州地方ほどのひどい豪雨災害となっていないのは幸いですが、梅雨入り以来ほとんどお日さまを見ないこともあり、梅雨空を見上げてついつい「早く梅雨が明けないかな~」と愚痴も出てきます。

そんな22日、夏の風物詩である蝉の初鳴きを聞きました。「まだ梅雨も明けていないのに・・・」と思いながら、「蝉には蝉の都合があるんだろうな・・・」などと勝手にうなずいていました。もちろんあの猛暑をあおるような喧しい鳴き声ではなく、数も少ないのかか細い鳴き声です。

自然界の営みは元来人智を越えているものですが、それでも人類の叡智の積み重ねによって知り得た理(ことわり)もたくさんあります。したがって、想像とはちがう営みにふれると「なぜ・・・」と思うことが少なくありません。それは四季折々の草花や木花の開花、虫や鳥などの動きについて、「例年ならこうだよな~」という勝手な先入観があるからでしょう。よく考えてみれば自然の営みは毎年まったく同じということは無く、その年その年で微妙に異なりがあるものです。

梅雨の長雨のなかで蝉の初鳴きを耳にして、ふと「なぜ今・・・」と思ったのも、梅雨が明けた夏らしい暑さのなかで蝉は鳴いているというイメージが先行していたためかもしれません。何ごとも思い込みと一方的な断定には注意が必要のようです。

蝉の初鳴きに少し遅れて24日の夜にはささやかに虫が鳴き始めました。これまた「もう虫の音が・・・」という感じですが、私たちのコロナ禍の不安と混乱の世相にはお構いなく、虫たちには虫たちの理(ことわり)にしたがった自然の営みがあるようです。大乗仏教では森羅三千のすべての営みを妙法の理(ことわり)として尊重し、自らの人生に活かすことを教えています。

相武山 山主

2020年07月26日

汗ばむ陽気のもとで

初夏の連休最後の5月5日、午前10時から境内樹木の剪定と草取り作業を行いました。初夏にしては陽射しが強く汗ばむ陽気でしたが、思い思いにご参加頂き、境内と駐車場のレッドロビンの選定と整理、三師塔の前や参道などの草取りなど、午後3時過ぎまで各自の時間の都合にあわせて作務に汗を流して頂きました。

小原さんは駐車場からの参道に西洋アジサイのアナベルを植樹していました。コンクリートの擁壁に砂利道という潤いに乏しい空間もやがて参詣者や散策の人々を喜ばせてくれることになるでしょう。玄関前に梅雨から夏にかけて大きな大輪の花を咲かせて参詣者を迎えるアナベルも小原さんの作品ですが、境内が少しずつ趣きのある空間になってゆくことはうれしいかぎりです。

お昼には午前中から参加された方々皆んなで回廊でランチ。風が心地よく吹き抜けるなかで、おにぎりと手製の豚汁を楽しんで頂きました。暑かったのでアイスバーのデザートつきです。午後から参加された方も居られましたが午後3時頃には作務を無事に終了。汗ばむ陽気のもと、参加された方々のお陰で境内が浄められました。

ありがとうございます。

境内を浄めることは仏法を尊崇してご本尊様を荘厳申し上げることで、自宅に喩えれば信仰心を持って仏壇を浄めることと同じです。境内整備にはこれからも工夫を凝らしてゆきますが、檀信徒の皆さまはもちろんのこと、ご縁の有る方々には仏道の功徳を積む機会としてご参加頂きたいと思います。

相武山 山主

2016年05月28日

一日違えば・・・・・

関東の今年の冬は暖冬で年末年始も暖かい日が続き、このまま冬を味わうことなく春を迎えるのかと一抹の不安を覚えていましたが、初御講の13日頃からは寒気が入ってきて朝方は氷が張るまでになり、18日早朝からは横浜も雪化粧となりました。いろいろな考え方があるでしょうが、やはり冬は寒く、夏は暑いのが有り難いように思います。

17日の日曜日は東海正信連合会の大会が当山で開催されました。大会を迎えることもあって、以前から気になっていた寂静庵東側の資材と物置を移動し、その跡をささやかな緑地にすることにしました。あまり広い空間ではないのでそんなに時間はかからないだろうと高をくくっていましたが、頭で考えるのと現実にやってみるのでははやはりギャップがあります。興厳房と一緒に資財などを移動しながら、跡地のガラを取り除き、竹垣を手作り、土を入れて植栽、集中して時間がとれなかったこともあって、4日ほどかかってしまいました。植栽は境内にあった「黒竹」、川脇さんから頂いた「龍のひげ」、川崎の鈴木さんから頂いた「万両」を入れました。まだ、へたっとなっていますが、やがてそれなりのかたちになることでしょう。待つのも愉しみの一つだと思っています。

大会は朝まで準備に追われましたが、世話人の方々のご協力も頂き無事に開催されました。寒い中、車の誘導に当たられた方々、寒風のテントで受付を担当して頂いた方々、帰路参加者に「しいたけ・しょうが湯」をふるまって下さった方々、皆さん本当にありがとうございました。

大会には静岡・神奈川の同志僧俗約120名が集い、当山からも24名が参加して覚醒運動の意義を確認し合いました。はじめに全員で勤行唱題。当山の中澤俊彦さんの司会進行で開会となり、連合会副幹事長の熊木真治さんによる開会の辞、続いて太田年太郎幹事長の挨拶、所感発表は御殿場妙報院の佐藤之則さんと当山の新倉講頭でした。

大会の講演は磐田市本妙院の奥興正師、「利他のこころ」と題し、「死を見つめることによってはじめて生の意義が明らかになること、見返りを求めぬ心、他者を思いやる心こそ仏道の功徳」等々について述べられました。住職挨拶では私から「連合会の意義を確認しながら大会や研修会を充実させて行こう」、年末に藤枝市の応身寺講中が長年の念願であった新菩提寺建設の用地が定まったことを知ったことから、「富士日興門流の法義と信仰を護持伝承するための浄業であることに思いをいたし、ご住職の指導を中心に皆んなでご精進頂きたい」と激励を申し上げた。最後に大石壽太郎副幹事長が閉会の辞をのべて大会は終了。詳細は2月1日号の妙風新聞をご覧ください。

参加者が帰路につく頃は空模様が少し怪しくなってきましたが、皆さん「しいたけ・しょうが湯」を頂きながらしばしの歓談。互いにこの一年の精進を誓いながら散会しました。

横浜はその深夜から雨が雪に変わり翌朝には積雪でしたから、一日違えば大会の開催は不可能だったと思います。あらためて仏天のご加護に感謝をしています。

相武山 山主

2016年01月30日

おさめ御講と懇親会

おさめ御講前のアクシデントに少々翻弄されながらも、13日(日)は午前11時よりおさめ御講を奉修。平成27年最後の宗祖ご報恩講には、信仰心篤い約50名ほどの檀信徒が参詣。はじめに仏祖三宝尊への献膳、法華経方便品・寿量品の読経、お題目をお唱えして御報恩のまことをお供え申し上げました。読経・唱題を申し上げながら私も今年一年の妙法院の有り様をふり返りましたが、参詣者もこの一年の自身の信行をふり返られたことでしょう。

法要後には「聖人知三世事」を拝読しての法話。この御書は建治元年(1275年)に日蓮大聖人が檀越の富木常忍に与えられたもので、真蹟五紙が中山法華経寺に蔵されています。蒙古の来襲を「立正安国論」に示した他国侵逼難の適中として、自身を三世を知る一閻浮提第一の聖人と位置づけられた御書です。当時の北条一門の施政から、仏教界が念仏・禅・真言の教義と信仰に翻弄されていることを解説、宗祖が仏教の根本の教えである法華経をもって人々の心と生活の救済あたるべきと説かれた意義をお伝えしました。

また、末文の『我が弟子等之れを存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽(ふきょう)の跡(あと)を紹継(しょうけい)するの故に。軽毀(きょうき)する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。 ー略ー 設ひ万祈(ばんき)を作(な)すとも日蓮を用ゐざれば、必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん。我が弟子仰ぎて之れを見よ。此れ偏(ひとえ)に日蓮が尊貴なるに非ず、法華経の御力の殊勝(しゅしょう)なるに依るなり。身を挙ぐれば慢ずと想ひ、身を下せば経を蔑(あなず)る。松高ければ藤長く、源深ければ流れ遠し。幸ひなるかな楽しきかな、穢土(えど)に於て喜楽(きらく)を受くるは但日蓮一人なるのみ』から、日蓮大聖人が不軽菩薩の跡を紹継され、法華経の行者としての自覚に立たれ、法難はもとより艱難辛苦のすべてを深い喜楽に転じて居られたことをのべました。さらに「仏道を歩むということは、仏さまの説かれた教えを実践し、その実践を悦びと感じてゆくこと」であるから、私たちも義務として身構えて信行に勤めるのではなく、一つ一つの信行を心から悦びと感じられるように、信心を深めて行くことの大切さを述べて今年最後の法話としました。

その後は場所を客殿に移し、歳末の懇親会を皆んなで愉しみました。改めてお伝えするまでもなく「お寺は仏さまとその教えを護り伝える存在」です。そのお寺は「菩提寺として認識する檀信徒によって護り維持」されます。仏教的にも世法的にもお寺は仏さまと檀信徒の所有といっても過言ではないでしょう。住職や僧侶はお寺を護り管理・運営する責任はありますが、檀信徒の存在は寺院の存在意義となるものです。もちろん仏法護持という使命がありますから、檀信徒がいなくても存在価値は認められますが。

鎮護国家の飛鳥の昔から聖徳太子の例を引くまでもなく寺院には外護者が不可欠でした。寺院が存在すればそこには護持する信仰者が存在していたのです。その外護者は国家であったり時の権力者や地域の権力者であったりさまざまです。そのような姿は我が国ばかりでなく、遡れば仏教を創唱された釈尊の時代でも多くの信仰者が外護者となって仏法僧を護持されたことが仏典に記され、アジア全域の仏教伝播の歴史を見ても明瞭な事実です。我が国では後に、徳川幕府の治世の方途として、「すべての国民が菩提寺を持つ」ように指示されました。ここに現代に続く「菩提寺と檀家意識」の源があります。本来の菩提寺とは「菩提を求めて修行修学する道場」のことであり、また、檀家は「仏教を信仰し布施をもって仏法僧の三宝を外護する檀徒の家」となります。しかし、徳川幕府の治世下では仏教と寺院が国民を支配する手段に用いられ、信仰が有ろうが無かろうが国民すべてに仏教が強制され、必ずどこかの寺院を菩提寺と定めなければ生活が出来ないようにされてしまったのです。当然菩提寺を変えたり宗旨を変えることなど至難のことでした。個人の信仰心の前に家の宗旨が問答無用で存在していたのです。菩提寺となって安定した立場を得た仏教寺院でしたが、やがてこのシステムが仏教の退廃と混乱の大きな原因となり現代に及んでいます。詳細については法話会などで解説しましたが、機会を得て再度お伝えしようと思います。

さて、懇親会のために2~3日前から興厳房が客殿での配置(座卓では会食しにくい方への用意)や食器等の準備をし、私も前日から飲み物や漬け物を用意したり、特性の豚汁を大鍋に二つ作らせてもらいました。おにぎりや唐揚げやシュウマイは当日朝の調達でしたから少々バタバタしましたが、老川さんが海苔巻きを三皿提供され、落合さんにも漬け物を頂き、おさめ御講が終る頃には会食の準備もすっかり調いました。懇親会は参加者から「1コイン(500円)」を頂きました。何をするにも経費は必ずかかりますので、皆んなで負担できればそれにこしたことはありません。皆さんが思い思いの席に着いたところで、新倉講頭が皆さんの信心で菩提寺妙法院をこの一年護れたことへの御礼の挨拶。続いて私が一年の感謝と講中の発展、檀信徒皆さんのご健勝を祈念して乾杯の発声。1時間半ほど皆んなで楽しい歓談の時を得て講中の今年のおさめとなりました。皆さん一年間ご苦労様でした。

相武山 山主

 

2015年12月29日

おさめ御講前のアクシデント

13日(日)今年最後の宗祖報恩講を執り行いました。12月の御講はその年の最後の報恩講ですから「おさめ御講」と呼ばれています。例年12月の第二日曜日に行うことが多いのですが、今年はご命日忌の13日でした。例月宗祖御講は13時からですがおさめ御講は11時からの奉修です。おさめ御講の後には引き続いて歳末懇親会を開きます。その用意は2~3日前から始まり、通常当日の朝は簡単な掃除も含めて私も興厳房も準備に追われています。今年も同様でしたが思わぬアクシデントで大わらわとなりました。

それは突然の「タロー」の逃走劇でした。私は(時には興厳房が)毎朝7時半頃から9時頃にかけて「リョーマ」と「タロー」の散歩を日課としています。この日は興厳房と二人で同時に散歩に出かけるつもりで、つないでいる紐からリードに代えるときの一舜、タローが逃げ出したのです。まだ預かって半月ほどでしたから、タローも飼い主のもとに行きたかったのかもしれません、大らかに育てられていたタローには環境が変わってストレスがたまり、思いっきり走りたかったのかも知れません。人間と同じように犬にも感情があるでしょうから聞いてみたいものです。
それはともかく、逃げ出したタローを二人が追いかけるのですが、私は走り出して間もなく、ハーハー、ゼイゼイで、からっきしダラシがありません。体力の衰えと日頃の運動不足を思い知らされました。興厳房が下川井インター方面まで追いかけて、行き止まりに追い込んでようやく捕まえました。タローもばつの悪い表情をしていました。リードを着けてお寺まで戻る途中、今度はタローが立ち止まって後ずさりすると首輪が突然はずれてしまいました。

また逃走です。「タロー」と大声で呼んでも知らん顔、境内の南西側に広がる田んぼに走り込んで森をめざしましたが、用水路に阻まれてやむなく南に向きを変えて走って行きます。清掃車両の駐車場に迷い込んだので、興厳房と二人で回り込んでつかまえようとしましたが、フットワークの良いタロー、きびすをかえし田んぼを西に向かって逃走。興厳房がギアを上げて全速力で追いかけますが、そう簡単には追いつけません。それでもようやく用水路の端に追い込むことができ、捕まえられるかと思ったところ、タローも最後のあがき、なんとか森へと思ったのでしょう、用水路に飛び込みました。しかし、向かい側に這い上がることができず、用水路の中で興厳房に逮捕されました。タローも興厳房もびっしょりになっていました。私は田んぼの中で見ているばかりです。

タローもつい昨日まで一緒に居た家族が恋しかったのでしょう。その家に帰りたかったのかもしれません。また、リードでつながれての散歩よりも思いっきり野原を走りたかったのかもしれません。捕まえてほっとしたものの複雑な思いがよぎりました。でも、森に入ってしまったらそう簡単には捕まえることはできませんから、信頼して預けて頂いた戸田にも申し訳ないことになります。御講前の時間のない時にと思うと、少しはいらっとしましたが本当にほっとしました。私も興厳房も走りっぱなしだったのですっかり足にきていましたが、気持ちを切り替えておさめ御講の準備となりました。

相武山 山主

2015年12月28日

御会式を迎えるために

昨日は気象庁から『西高東低の気圧配置となり、寒波の影響もあって関東地方と近畿地方では木枯らし1号が吹いた』という発表がありました。朝早くから北風が強いな~と思っていましたから、なるほどと得心した次第です。北海道からは降雪のたよりが届きましたから、冬の足音がひたひたと忍び寄っているようです。

当山では来る11月2日(月)と3日(火)の両日に「日蓮大聖人御会式(にちれんだいしょうにんおえしき)」を奉修申し上げます。2日の御逮夜(おたいや)法要は午後6時から、3日の御正当(ごしょうとう)法要は午後2時からです。当門流の年中行事では宗祖の御会式が最も重要な法会(ほうえ)ですから、夏の終わりからゆっくりとお花作りをはじめ準備を進めてまいります。1週間前となる昨日は堂内と境内の清掃を行いました。例年のように窓やサッシの清掃と回廊や境内の清掃です。風が強ければ御会式までにまた汚れるかも知れませんが、御会式を迎えるために浄めるという志が大切です。汚れたらまた浄めればよいだけのことです。

10時からの掃除でしたが、川崎の芦川さん夫妻が用事があるので前にトイレの掃除をさせてくださいと9時にお見えになり、客殿横のトイレとロビー横のトイレを掃除して帰られました。10時前には阿部さん、竹越さん、奥田さん、安西さん、新倉さんご兄弟、小原さんたちがお出でになり、本堂の窓や回廊、ロビーや受付、そして客殿のサッシからエアコン・長押まで、2時間ほどかけて皆んなで汗を流しました。貴重な休日、皆さんそれぞれに用事もあることでしょうに、ご協力には感謝するばかりです。お寺は大勢の方々に支えられ護られていますが清掃の時にもそれを実感しています。

御会式は私たち日蓮門下にとっては最も大切な行事ですので、法要の御宝前を荘厳申し上げるために桜の花を作ったり、いろいろと準備をしなければなりませんが、本堂と境内を浄めることも大事なことです。宗祖への報恩感謝と信心の大切さに想いを馳せる方々の志によって今年も無事に御会式を迎えられそうです。

お供えのお餅は今までJR中山駅側の和菓子屋に注文していましたが、この春お店を閉じられたということで、新しい餅屋を探して注文しました。昨年まで中区の坂上さんが御会式の御宝前にお供えされていた「寿りんご」も、今年はりんご園が廃業となりお供えすることができません。ミカンや柿、リンゴなどの供物も今年から注文先を代えることになりました。時代の流れや環境の変化は認めなければならないもので、「誰もが移りゆく時代の中で、今どのように生きるべきかが問われます」が、お寺も同様です。時代や移ろいやすい人の変化にうろたえることなく、愚癡にながされず、いたずらに歎くことなく、出来ることを一生懸命努めて行きたいと考えています。

本日、檀信徒の皆さまにはハガキにて参詣のご案内をいたしました。一人でも多くの方が宗祖の御会式に参詣され、仏縁をたしかめて清らかな功徳を積んでい頂きたいと願っています。

相武山 山主

2015年10月26日

秋をまねく虫の音

三師塔後ろの百日紅(サルスベリ)の開花が遅いな~と思って心配していましたが、ようやく咲き始めました。また、境内のあちらこちら、参道から駐車場まで「テッポウユリ・タカサゴユリ」とおぼしきユリが白い清楚な姿を見せています。しかし不思議なことにユリを植えた記憶がまったくありません。6月頃からユリかも知れないと思って雑草と間違って抜かないように注意はしていましたが、まさかと思うほどの強い繁殖力です。昨年の夏に咲いたユリが枯れてから種を飛ばしたのでしょう。形からテッポウユリかなと思っていましたが、ネットで調べたらその親戚筋でしょうか「タカサゴユリ」のようです。暑さの中、お盆にお参りに来られる方々への自然からの贈り物のように思えます。お参りにお出でになる方はお楽しみ下さい。

ところで、日中は蝉時雨が猛暑を引き立てていますが、数日前から日が暮れると虫の音が聞こえるようになってきました。昼間の陽射しを見ていると本当に秋の涼しさは来るのかなと思ってしまいますが、自然界ではゆっくりと秋への準備に入っているようです。やがて涼しくなり楽しみの多い秋を迎えることでしょう。
世界では国や地域ごとに春夏秋冬四季の彩りを愉しむことができると思いますが、その中でも我が国は「桜桃の春、夏の白雲、紅葉の秋、雪化粧の冬」と、ことにその恵みにあずかっているといっても過言ではないでしょう。そして一つの季節が盛りの時には、すでに次の季節が静かに来たるべき準備をしています。

自然界では四季の運行が穏やかに展開してゆきますが、私たちの人生もそれぞれに時の彩りがみられます。子どもの頃や青年の時代、壮年から熟年へ、そして老境を迎えます。仏教では「諸行は無常、あらゆるものは変化してやまない」と教えていますし、「生・老・病・死の実相をみつめて自らの人生を考えなければならない」と教えています。必ず訪れる「老いと病と死」これらを自らのこととして見つめることが大切ということです。

お寺ではいろいろな相談をお受けしています。当然のこと、信仰の在り方や仏教について、葬儀や法事のこと、お墓や供養についてなどの質問や相談が多いのですが、また、「老いや病、家族や人間関係、心の持ち方や悩みごと等々」日々の生活についての相談を受けることも少なくありません。仏教や法華経、日蓮大聖人の教えや仏事については、知りうる限り適切にお応えしています。他方、悩みごとや生活のことに関しては一緒に悩み考えて少しでも良い道につながるよう努めています。ほとんどの問題が簡単には解決できないものですが、仏教の基礎的な考え方である「諸行は無常、あらゆるものは変化する。生・老・病・死の真実をみつめなければならない」ということがしっかりと理解されていれば、最大の難問である「病と老いと死」の苦悩さえ克服は可能なのですから、要は仏道で説かれる「正見(あるがままに真実を見ること)」をめざすことが大事ということになります。

誰もが必ず老いや病や死を迎えることは承知していることですが、自らの事として直視し熟考する方は少ないのではないでしょうか。日蓮大聖人が聖愚問答抄に『生を受けしより死を免れざる理(ことわり)は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常の現起するを見ては、疎(うと)きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空(むな)しく衣食の獄につながれ、徒(いたず)らに名利の穴にをち、三途の旧里に帰り、六道のちまたに輪回(りんね)せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。嗚呼(ああ)老少不定は娑婆の習ひ、会者定離(えしゃじょうり)は浮世のことはり』と述べておられるとおりです。

私たちは愚かな凡夫ですから、あらゆるものは突然顕われるように思いがちですが、事物事象には必ず何らかの因縁縁起があるものです。蝉時雨に虫の音が混じるだけでも秋の気配が伝わってきます。物事の道理を心に修め、想像力を少し高めるだけで、壮健な時に病の到来や老いの厳しさを理解することができるのです。それだけでも人生の悩みや苦しみから解放されることに通じます。 私たちも自然界のように時が来る前に心の準備を調えて置くことが大切だと思います。

月遅れのお盆が近づいてここ数日墓所にお参りされる方が多くなって来ました。明日13日は宗祖の御報恩御講、15日と16日には戦没者追善法要とお盆の追善法要を執り行います。檀信徒皆さまのご参詣をお待ちしています。

相武山 山主

2015年08月12日