相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

戦没者追善法要を奉修

8月15日(火)は78回目の終戦記念日。日本の敗戦受諾によって太平洋戦争が終結した日です。当山では8月15日を戦争と平和、人権と自由、民主主義と覇権主義を熟考する機会として開創の年から大切に営んできました。
台風接近報道があり天候も不順でしたので、14日と15日両日のお盆供養の参詣者はわずかでしたが、御宝前と精霊壇それぞれにお供物をお供えし、参詣者の皆さまと倶どもに法華経要品読誦、南無妙法蓮華経の唱題を修し、戦没者諸精霊と各家先祖精霊への追善供養を申し上げました。

その後の法話では13日(日)の御報恩講同様「法華経題目抄」を拝読。
法話の前段では法華経題目抄のいわれとその概要を解説。
後半は戦没者への追善の念いを込めて太平洋戦争についてのお話。戦後78年が経過して戦争を知る人々はかなり少なくなりました。また、平和な時代が長く続いたこともあり、戦争と平和に対する人々の見解も浅くなりがちな風潮がみられることは留意しなければなりません。

太平洋戦争では310万人の日本人が戦死し、関連死もかなりの数に上るといわれています。また、侵略された中国から東南アジアの各国でも甚大な戦死者が出ました。ある統計(東京新聞2005年8月7日)によれば、中国約1000万人、インドネシア約400万人、ベトナム約200万人、インド約150万人、フィリピン約110万人、その他戦死者はアジア全域に及ぶということです。これらの戦死者の数だけでも悲惨な戦争であったことがわかりますが、物質的被害や精神的被害も甚大で、東京など日本の大都市の多くが荒廃の憂き目に遭ったのです。

我が国は明治時代の日清日露の戦争以来、昭和20年の敗戦に至るまで戦争に明け暮れていたといっても過言ではありません。この間、主権は天皇にあり、国民は臣民としての立場でした。明治政府は欧米の民主主義を取りいれる気概はあったようですが、大日本帝国と称していたように帝国主義が優先されていました。富国強兵が一貫した日本の目的でしたから、教育から思想まで軍国主義に流されていたことは事実。太平洋戦争の責任は戦端を開いた軍部にあるのは当然ながら、上は天皇から下は臣民たる庶民まで、戦争反対の声を上げて弾圧された人々以外はすべて責任があるように思うのです。
ただし、幼い頃からの軍国主義的教育、神国日本として天皇を生き神と崇拝する思想教育、さらに家族から地域、社会全般におよぶ軍国礼賛なのですから、平和で安全な時代に身を置いて、人権と民主主義に護られながら、当時の国民を一方的に批判することははばかりを覚えるのです。

とはいえ、軍国日本が無謀で野蛮な太平洋戦争に突き進み、国民ばかりでなくアジア各国に甚大な苦悩と悲嘆を与えた事実は深刻に反省するべきであり、戦争と平和、人権と自由、民主主義と覇権主義などを常に熟考しなければならないと思います。
私は若い頃、戦争責任について広く学ぶ機会があり、そこで他の社会についてはともかく、宗教者の戦争責任が大きかったことも知りました。宗教者、仏教者、僧侶の大半が軍国日本、天皇軍部を礼賛し、戦争の勝利を仏神に祈願していたのです。さらに戦争に反対したり、国体に批判的な人々を諫めるような役割も担っていたのではないかということです。

その時代に自分が生きていて当事者であったらどのように考え、どのように行動したのかは想像すらできませんが、それ以来、戦争や平和、主権と自由、民主主義と覇権主義を、我がこととして考えなければならないと思っています。その認識と自覚をもって私は8月15日に戦没者慰霊追善法要を執り行っています。
補足すれば戦争責任を学んだときに、戦争に反対して弾圧された僧侶がいたことも知り感動を覚えました。

法話では、今後のためにも宗教界は前の大戦についての自身の責任を率直に語り、平和と人権と民主主義社会構築の一翼を担わなければならないと所信をお伝えしました。すべての戦争犠牲者の方々の慰霊と追善を祈る戦没者追善法要でした。

相武山 山主

2023年08月29日

八月の御講と盂蘭盆会

8月13日は月例の日蓮大聖人御報恩講ですが、月遅れのお盆の入りに当たるため、8月盆の追善供養も併せて執り行いました。午前11時からは三師塔に香華をお供えして読経・唱題、宗開三祖に盂蘭盆会の御報恩を申し上げました。引き続いて樹木葬墓地と久遠廟にて埋葬者追善のお塔婆を建立し、香華をささげて読経・唱題、盂蘭盆会の追善供養を申し上げました。
午後1時からは本堂にて御講と盂蘭盆会。台風の接近が報じられており不安定な天候でしたが、14日と15日の参詣予定を前倒ししての参詣者も居られ、いつもより多くの参詣者の皆さまと法要を営みました。

参詣者唱題の裡に御宝前にて三宝尊への献膳。また、盂蘭盆供養のために精霊壇にても霊具膳をお供えしました。法要は如法に法華経要品読誦。寿量品に入り、参詣者は塔婆の建立された精霊壇に進み丁重に抹香を頭に頂いてお焼香。御報恩と追善供養の念いをこめての唱題を申し上げました。宗祖への御報恩の御観念の後、願い出の各先祖各精霊への御回向を申し上げた次第です。

法要後には「法華経題目抄」を拝読。
「今の代に世間の学者の云く、只信心計りにて解心なく、南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて、争でか悪趣をまぬかるべき等云云。此の人々は経文の如くならば、阿鼻大城をまぬかれがたし。
さればさせる解はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、悪道をまぬかるべし。譬へば、蓮華は日に随ひて回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是の草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し。
犀の生角を身に帯して水に入りぬれば、水五尺身に近づかず。栴檀の一葉開きぬれば、四十由旬の伊蘭変ず。我等が悪業は伊蘭と水との如く、法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し。
金剛は堅固にして一切の物に破られざれども、羊の角と亀の甲に破らる。尼倶類樹は大鳥にも枝をれざれども、か(蚊)のまつげにす(巣)くう小れう(鷦鷯)鳥にやぶらる。我等が悪業は金剛のごとし、尼倶類樹のごとし。法華経の題目は羊角のごとく、せうれう鳥の如し。
琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう。我等が悪業は塵と鉄との如く、法華経の題目は琥珀と磁石との如し。かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふべし。」

始めに、「日蓮の門下は宗祖の遺された御書を教えの根本としているが、遺された御書には真筆として確かな御書もあれば、後人の手にかかる偽りの偽書もあり、また真偽未決という難しい問題もはらんでいる」ことを解説。そのために妙法院の法話では「御書システム」の「解題」を常に参考として紹介していることを述べました。

拝読の法華経題目抄についても御書システムの解題を紹介。当該御書のゆかりとその内容を参詣者の皆さんと概観しました。続いて本文を丁寧に解説。日頃なかなか参詣できず、法話を聴聞する機会も少ない方が多いので、いつもよりも時間を掛けての法話となりました。
この御書は佐前(佐渡御流罪前)の御書ですが、宗祖にとって南無妙法蓮華経の唱題は成仏の直道(じきどう)ですので、佐後(佐渡御流罪後)にも通じる位置づけとなります。また、ここでは南無妙法蓮華経の唱題の功徳を端的に述べるのが主眼となっていますが、日蓮の門弟は成仏の直道という視点から唱題の意義を人生をかけて求めて行く(仏道の信行)ことが大切であることをお伝えしました。

拝読御書には原文とともに現代語訳もお渡ししています。原文の拝読はかなり難しくその理解には仏教の修学が求められますが、反面、御法門の奥行きや広がりをうかがうことができるというすばらしさがあります。他方、現代語訳は概要がわかりやすいという利点がありますが、御法門がせまく限定されてしまうきらいがある難点があります。信仰的には両方を拝読して信行を深めて頂きたいと願っています。

ちなみに当該御書の現代語訳(御書システムによる)は以下のようになります。
『今の世間の学者は、「ただ信心だけで、教えを理解する力がない者が、ひらすら南無妙法蓮華経と唱えるだけで、どうして悪道に堕ちることをまぬがれようか」というが、今の経文に照らせば、この人びとも無間地獄に堕ちることは間違いない。
以上のことから、たとえさほどの理解力がなくとも、信ずる心から南無妙法蓮華経と唱えるならば、悪道には決して堕ちないことを知ることができる。
たとえば蓮の花は心を持たないが、太陽の位置に応じてその花の向きを変える。また芭蕉には耳がないが、雷鳴に反応して生育する。智恵を持たない我等もまた蓮の花や芭蕉と同じように、太陽や雷のような法華経の題目の力用によって利益を得ることができるのである。
生きている犀から取った角を身に付けて水に入ると、五尺も水が遠ざかるといい、栴檀の木の一葉が開いただけで、四十由旬の広さに蔓延する伊蘭の悪臭を香気に変えてしまうという。我ら凡夫が日々に犯す悪業はあたかも伊蘭と水のごとくであるが、これらは犀の生角と栴檀の一葉のような法華経の題目によって滅尽されてしまう。金剛石は非常に堅くて、どんな物も破ることはできないが、ただ羊の角と亀の甲だけには破られるという。
また尼倶類樹という大木は、どんなに大きな鳥が止まっても枝を折られないが、ただ蚊のまつげに巣をつくるという小さな鷦鷯鳥(しょうりょうちょう)には枝を折られるという。
我ら凡夫の造る悪業は金剛石のように堅く、尼倶類樹のように強いものであるが、ただ羊の角や鷦鷯鳥のような法華経の題目だけが、それを破り折ることができる。
琥珀は塵を取り除き、磁石は鉄を吸い取る。我ら凡夫の悪業は塵や鉄と同じく、法華経の題目は琥珀や磁石と同じである。このように思い定めて、常に南無妙法蓮華経とお唱えなさるがよい』と。

相武山 山主

2023年08月28日

お盆のお墓参りに想う

月遅れのお盆。
8月10日頃から20日頃まで、猛暑にもかかわらず妙法院墓苑の墓所や久遠廟、樹木葬墓地には朝から夕方まで、家族ずれの方々が三々五々お参りされていました。
都市化や家族制度の変遷、仏教信仰の衰退などによって、「お寺離れ」は戦後一貫して続いていますが、近年は老後もふるさとに帰るという方が少なくなり、「墓じまい」の話題も肯定的なものとなっています。

「お墓のかたち」も昭和の時代とは大きく変化しました。多くの方が「○○家之墓」というようなお墓のかたちが昔からの形と考えているようですが、「家墓(いえばか)」が一般的となったのは明治期からのことです。それ以前の土葬の三昧(さんまい)や供養墓の場合には多くが個人のためのお墓だったのです。○○家のお墓となったのは、明治政府の神国日本、天皇主権、国体護持などの国家観の下、家父長制を準用した家制度の重用からのようです。

以来、平成に至るまでお墓の概念は「家之墓」が常識のようになっていました。その家之墓も基本的には長男が継ぐものであり、次男や三男は特別な事情がない限り、別にお墓を設けるのが一般的でした。女性が生家のお墓を継承するということは稀なことでめったにありませんでした。そのような概念が変化するのは平成に入ってからですが、その萌芽は昭和の後期には見られていました。
それはほぼ和型であったお墓が洋型となり、南無妙法蓮華経のお題目や南無阿弥陀仏の念仏が彫刻されなくなり、「○○家之墓」が「ありがとう」とか、「感謝」、「まこと」、「平和」、「愛」・・・・・などと彫刻されはじめたことからわかります。都市では核家族化や無信仰化が進み檀家制度も緩やかに崩れ、家制度も大きく変化して個人の立場と意見が重んじられるようになってきたのです。

それがやがて葬儀にもおよび、都会では人生の終焉という大切な時を迎えても、宗教的祈りが捧げられることなく荼毘(遺体を焼却すること)にふされる「直葬(じきそう)」も増えてきました。仏教徒としては人生の最後に旅立ちの祈りもなされないのは残念の一言です。
そのような風潮ですから、現今はお墓のかたちもさらに変化しています。従来の屋外の墓地ではなく、街の中の寺院などにコンピュータ管理の屋内納骨堂が誕生したり、お墓を家族に継承させると負担になるからといって、後継者に管理料などの負担がかからない「永代供養墓」なども新設。さらに「家之墓」ではなく、自然豊かな埋葬地を選んで不特定多数の方と一緒に埋葬を希望する「樹木葬墓地」も広く展開されています。
埋葬する墓所は求めないとして山や海に遺骨をまく「散骨」を選択する方もいますし、ほとんど経費のかからない「合祀墓」を求める方も少なくありません。昭和の時代には想像もできないほどに「お墓のかたち」は変わりました。
さまざまなお墓のかたちが提供されることになり、いずれを選択するかは個人の自由となって、信仰の有無や、家族の有無、自分の想い、関係者とのかかわりなどを考えた上で求める時代となったのです。

お墓は個人墓であれ、家墓であれ、人生を走り終えた埋葬者にとって、静かに永久(とわ)の眠りについている神聖な場所です。そこは死者を祀り死後の平安を祈る世界ですから、死者の尊厳が重んじられ、お参りする関係者も尊重される空間でなければなりません。
墓所は生者と死者が交流する理屈を超えた世界。お参りする方は、お墓を浄め、香華を手向け、合掌して祈りを捧げて、故人や精霊を偲び、その安寧を願います。時には、静かに自分の現況を報告したり、愚痴を聞いて頂いたり、自らの決意を伝えることがあるかもしれません。祈りや願いは時空を軽々と超えるものですが、お墓での祈りの距離は近いような気がします。

妙法院ではこのような墓所の存在を大切にしています。
当山では自然豊かな環境の中、朝夕、常に法華経と南無妙法蓮華経のお題目がながれ、折々に法華経と日蓮大聖人の教えの法話が説かれています。やすまれている各精霊もきっと仏縁に浴し、お参りされる皆さまも仏道の功徳を積まれていることでしょう。
猛暑の中、汗を拭いながらお参りされるすがたは尊いものでした。

相武山 山主

2023年08月27日

地球沸騰化の時代に

妙法院有縁の皆さまに暑中のお見舞いを申し上げます。
どうぞ油断なく御身ご自愛ください。

年々夏の暑さが増しているように思いますが、今年はその思いがさらにつのります。私の子どもの頃には真夏でも30度を超すことはめったになく、30度手前でも「今日は暑いね・・・」ということばが交わされていたように思います。
30度の猛暑が珍しくないようになったのはいつの頃からでしょうか。やがては体温超えから40度近辺の気温も報じられるようになりました。その気温に初めは驚いたものの今では「そうか・・・」となすすべなく嘆息するばかりです。

ちなみに今はやりのチャットGPTに「今年7月の東京の30度超えの日数は?」と尋ねてみると、「東京都心の最高気温が30度を超えた日は19日でした。これは、過去10年間の平均値である16日を上回っています。また、7月としては1975年以来、48年ぶりの最多日数です」との回答でした。

近現代の猛暑については識者から「地球温暖化の影響によるもの・・・」との警鐘が鳴らされて久しいものがあります。産業革命以来の人類の生産活動やその生活が地球に及ぼした影響ではないかと指摘されているのです。地球は約46億年というその歴史において、地球の軌道の変化や太陽活動の変化、火山活動の変化など、さまざまな要因が複雑に絡み合って寒暖を繰り返してきたと考えられていますが、現代の温暖化には人類の活動が影響しているのではないかという指摘です。

そのような指摘を受けて先進各国では温暖化対策が意識され、化石燃料の使用抑制や再生可能エネルギーの活用、生活環境の負荷軽減など、まだまだ非力かもしれませんが、できるところから温暖化対策に取り組もうとしていることがわかります。
それでも温暖化の勢いはほとんど止まらないようです。

世界気象機関などでは、「7月1日から23日までの世界の平均気温が16.95℃で、7月として最も暑かった4年前を大幅に上回るのはほぼ確実」と発表。“観測史上最高”となる見通しとしています。
猛暑が続くアメリカではバイデン大統領が「自然災害で最も命を奪っているのは熱波です。毎年600人が死亡しています」と発言。熱波では初となる「危険警報」を出し、“異常気象の予報精度の向上や、干ばつ対策に200億円以上を投じる”としています。
また、ヨーロッパでもギリシャ中部で山火事の炎が、空軍基地の弾薬庫の近くまで燃え広がり、大きな爆発が起きて、近隣の住民が避難を余儀なくされました。さらにスペインやイタリアなどでも、熱波による山火事が多発していて、市民生活に大きな影響が出ています。

このような世界の様相から、国連のグテーレス事務総長は「地球温暖化の時代は終わりました。地球沸騰化の時代が到来したのです」と述べて警告しています。国連の事務総長が「温暖化ではなく沸騰化」というのですから穏やかではありません。
国や地域、会社や学校、社会や各組織などはもちろんのこと、問題意識の高い方は自分にできる温暖化対策に身近なところから取り組んでいることでしょう。私は一人ひとりの地球温暖化阻止という意識の向上とその実行が最も優れた環境対策ではないかと思っています。小さな力でもまとまれば大きな力となり、ささやかな積み重ねがやがては大事をなすからです。しかし、日々の生活に追われている私たちですから、問題意識をもってもらうこと自体が難しいようにも思います。そこで、気がついた一人ひとりが互いに啓蒙し合って行かねばなりません。自分のため、家族のため、孫子のため、社会のため、みんなのため、地球のため、未来のために。
仏教では「人生のすべてが学びである」と説かれています。猛暑の8月、この猛暑からも何らかの学びを得て、限りある人生の糧としたいものです。

相武山 山主

2023年07月30日

夏のひと時を楽しむ

《わらべ会&境内清掃&BBQ懇親会&ブルーベリー狩り》

猛暑の7月30日(日)、コロナ禍のために数年開いていなかった「わらべ会」を開催しました。対象の子どもたちも少なくなったことから、境内の清掃整備を併せて行い、久しぶりに世話人有志のBBQ懇親会も行いました。
午前10時半頃から有志の方々が参集。各自本堂前から三師塔前まで境内に散って汗を流しながらの草取りです。駐車場は日頃から草刈り機で草を刈っているのですが、雑草の伸びるスピードには追いつきません。草刈り機で取り損なった雑草も取り払ってもらいました。さほど広くない境内ですが油断するとたちまち雑草が生い茂ります。初夏から秋まで行事予定表や相武山だよりで清掃整備のご案内、有志の方々にご協力頂いていますが、いつもながらに境内が浄められるのは有り難いかぎりです。

草取りの傍ら、BBQ懇親会のためにテントを張りました。テントは立ち上げに6人が必要です。事前に興厳房がテントを出して用意をし、人数が揃ったところで立ち上げました。テントを張ったのも久しぶりのことで、コロナ禍の時間が長かったことがわかります。

わらべ会には、新倉なゆたちゃんと中里あやのちゃんの二人が参加。お母さんとおじいちゃんたちが付き添いです。はじめに、住職と寿量品自我偈の練行。ふだんお経はあまり読んでいないようですが、住職の声に合わせてゆっくりと読み上げていました。その後、住職より「恥ずかしいなどと言って引っ込んでいないで、やりたいと思ったことには思い切って取り組もう、自分の考えははっきり伝えよう、何ごとにも興味や関心をもって学んで行こう、困った時には南無妙法蓮華経のお題目・・・」とのことばを贈られました。
続いて小原さんお手製のレクレーション(三国志を模した射的)でしばし楽しみました。

12時前には世話人の皆さんが手分けしてBBQの準備を開始。焼き野菜の調理、飲み物やお肉の用意、3台のグリルにも炭をおこしました。境内清掃に汗を流した方々もテントに落ち着き、風通しのよい桜の樹の下でBBQ。前日に興厳房が「何人参加されるかわからないので多めに・・・」と食材を用意していたので、焼き手の方にどんどん焼いてもらいました。焼き上がった野菜やお肉などをテントにはこび、参加者の皆さんは談笑しながら美味しく召し上がっていました。途中からはチター協会の内藤先生ご一行も合流。先生方の目的はBBQ後のブルーベリー狩りですが、BBQも楽しんで頂きました。

BBQでおなかを満たしたら、午後1時半からは当山北側徒歩2分、櫻井さんの畑でのブルーベリー狩り。わらべ会や境内清掃参加者、内藤先生ご一行、小原さんお誘いの宮本さんご一家も加わり、農園前で櫻井さんから丁寧な説明を受けた後、果実を入れるプラパックを頂いて畑の中へ。
櫻井農園のブルーベリーは例年どおり甘みの強い樹種と酸味のある樹種の2種類でした。天候に恵まれた今年の出来具合はどちらも良好で、皆さん丹精された美味しい果実を頬張りながらのブルーベリー狩りに大満足でした。果実を入れるパックがパンパンになるまで収穫して午後2時過ぎには妙法院にもどりました。櫻井さんのご好意で近年恒例となっているブルーベリー狩りですが、快く農園を開放してくださる櫻井さんにはほんとうに感謝しています。

境内に戻ると子どもたちによる「スイカ割り」です。なゆたちゃん、あやのちゃん、颯太くん、そして宮本家の子どもたちも参加してにぎやかにスイカを割り、割ったスイカは参加者皆で頂きました。
ここで子どもたちは「布ぶくろにお絵かき」の作品作りのため客殿に向かい、興厳房や小原さんの手引きで、想い思いに布ぶくろに楽しい絵を描きました。同じ頃、境内清掃グループはBBQやイス、テントなどの片付けを開始。午後2時半過ぎには予定スケジュールをすべて終了。参加者は本堂に参集してお題目を三唱して散会。
わらべ会夏のつどいを中心とした「夏らしいのひととき」でした。来年はもう少し早めに啓蒙と準備を行い、より多くの方々に「夏のお寺」を楽しんで頂こうと思っています。

相武山 山主

2023年07月29日

人権の尊重に思う(下)

LGBT理解のなかでもTにあたるトランスジェンダーへの理解は難解といえるかもしれません。しかし、そのテーマに関する最高裁の判決が7月11日に出されたばかりなので紹介し、法話会参加者とご一緒に考えてみました。

トランスジェンダーとは?
トランスジェンダーとは、生まれた時に割り当てられた性別と、自身で認識する性(ジェンダーアイデンティティ)が一致していない人のこと。例えば、生まれた時の身体的な性別は男性だが、自分のことを女性と認識している人や、生まれた時から現在までずっと「女性として」扱われてきたが、男性として生きることを選んでいる人など。性別適合手術を受けているかどうかにかかわらず、「(単に)女性または男性」、そして「トランスジェンダー女性」「トランスジェンダー男性」と呼ばれることがある。
(オンラインマガジン「IDEAS FOR GOOD」)

《トランスジェンダー 最高裁判決》
「女性用トイレの使用制限は違法」(最高裁)
(2023年7月11日 NHK報道から)

経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、最高裁判所は、トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡した。性的マイノリティーの人たちの職場環境に関する訴訟で最高裁が判断を示したのは初めて。

裁判のきっかけと争点
性同一性障害と診断され、女性として社会生活を送っている経済産業省の50代の職員は、執務室があるフロアから2階以上離れた女性用トイレしか使用が認められず、人事院に処遇の改善を求めたが退けられたため、国の対応は不当だと訴えていた。
最高裁の審理では、トイレの使用制限は問題ないと判断した人事院の判定が違法かどうかが争われた。

最高裁判決
11日の判決で最高裁判所第3小法廷の今崎幸彦裁判長は「職員は、自認する性別と異なる男性用トイレを使うか、職場から離れた女性用トイレを使わざるを得ず、日常的に相応の不利益を受けている」と指摘した。

そのうえで、職員が離れた階の女性用トイレを使っていてもトラブルが生じていないことなど今回のケースの個別の事情を踏まえ、「人事院の判断はほかの職員への配慮を過度に重視し、職員の不利益を軽視したもので著しく妥当性を欠いている」としてトイレの使用制限を認めた人事院の対応は違法と判断し、判定を取り消した。5人の裁判官全員一致の結論。

判決を受けて、経済産業省もトイレの使用制限の見直しを迫られることになる。性的マイノリティーの人たちの職場環境に関する訴訟で最高裁が判断を示したのは初めてで、ほかの公的機関や企業の対応などにも影響を与えるとみられる。
を紹介しました。
※参考資料(NHKニュースウエブ)

結びに「学ぶべきこと」として
・人は心身倶に一人ひとりちがう、ちがいを認め合うことが大切。
・より良い社会のためには互いの人権を尊重しあうことが大切。
・自分の思想信条を持ちながら相手の人権や意見を認める。
・他者に干渉しない、他者を支配しようとしない。同調圧力を押しつけない。
・時代は多様性を認め合う社会に向かっていることを認識する。
・価値観の変遷を理解しその向上に努める。
・人生はそのすべてが学びであることを知る。
との所見を述べました。

7月の日曜法話会は「人権の尊重に思う(多様性を認め合う社会に向かって)」。
ジェンダーギャップの問題、LGBT理解増進法の成立、トランスジェンダー最高裁判決、など現代のテーマを直視し、多様性を認め合う社会に向かって、人権の尊重が大切であることをお伝えしました。
さまざまな個性のちがいを認め合いながら共存する社会を築くためには、互いに尊重し合うことが基本となります。その基本こそが一人ひとりの尊厳が認められるという「人権の尊重」なのです。誰もが平等に扱われ、他者から支配されたり、意志に反した強制をうけることがない社会は穏やかで安らぎに満ちています。そのような社会は法華経の思想が求めているものでもあることを参加者の皆さんと倶に学ぶひと時でした。
法話会二部の「仏教に親しむ」では「お盆のいわれについて」を用意していましたがお伝えする時間がなくなり失礼しました。

《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》
相武山 山主

2023年07月28日

人権の尊重に思う(中)

ジェンダーギャップの次は、関心の薄い人にとっては少し難しい「LGBT」について。
「LGBT」とは「“L”=レズビアン(女性同性愛者)、“G”=ゲイ(男性同性愛者)、“B”=バイセクシュアル(両性愛者)、“T”=トランスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方を持つ人)など、性的少数者の総称。

ネットにはLGBTに関する解説が多数発信されていますが、法話会では以下の代表的な意見を紹介しました。
①社会的には、「人は出生時に割り当てられた性別らしく生きて、男性は女性を、女性は男性を愛するのが普通であり、それ以外は異常でおかしい」といった固定観念や先入観を持ち、LGBT当事者に対し、偏見や差別を持つ人が少なくない。
②LGBT当事者は、常に、そうした周囲からの偏見や差別的言動にさらされ、傷つき悩んでいる。また、自らがLGBTであることを明かし理解してもらいたいと切に思っている場合でも、周囲からの偏見や差別的言動におびえ、だれにも悩みを打ち明けることができず苦しんでいるケースが多々ある。
③また、恋愛・性愛の対象が異性以外の人に向かう人やいずれにも向かわない人への理解は一層不足している。性的指向は本人の意思で簡単に変えたり選んだりできないにもかかわらず、特別視し、差別的な取扱いをする事例などが後を絶たない。本人が解決をあきらめてしまうといったケースや、精神的に不安定になるというケースもある。

《「LGBT理解増進法」が成立》
(朝日新聞デジタルより)
『性的マイノリティーに対する理解を広めるための「LGBT理解増進法」が2023年6月16日に国会で成立し、23日に施行された。保守派への配慮から、「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」との内容が盛り込まれたことに対し、当事者や支援団体からは批判の声も上がっている。(副編集長・竹山栄太郎)

《解説より》
LGBT理解増進法の正式名称は「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」。性的指向・ジェンダーアイデンティティ(性自認)の多様性に関する施策の推進に向けて、基本理念や、国・地方公共団体の役割を定めた。理念法であり罰則はない。

LGBT理解増進法の主な内容として、法律の目的は、性的指向およびジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資すること(1条)。全ての国民は、性的指向またはジェンダーアイデンティティにかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重される。性的指向およびジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならない(3条、基本理念)。

そのために「国と地方自治体は理解増進施策の策定・実施に努める(4、5条)。事業主は労働者への普及啓発、就業環境の整備、相談の機会の確保などをおこない、理解増進に努める。学校設置者は家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ、児童・生徒らの教育または啓発、教育環境の整備、相談の機会の確保などをおこない、理解増進に努める(6条)。政府は毎年1回、理解増進施策の実施状況を公表する。基本計画を定め、おおむね3年ごとに検討を加える(7、8条)。全ての国民が安心して生活できるよう留意する。政府は必要な指針を策定する(12条)。
を紹介しました。

また、解説では
LGBT理解増進法は議員立法で、成立までに紆余曲折を経た。機運が高まったのは東京五輪・パラリンピックが開かれ2021年。五輪憲章に「性的指向を含むいかなる差別も受けない権利と自由」がうたわれていることを踏まえ、超党派の議員連盟が法案をまとめて五輪前の成立をめざした。しかし、自民党が保守系議員の反対で意見を集約できず、国会への提出は見送られた。
さらに、2023年に動きが加速した背景にあるのも、同様の「外圧」だ。広島でのG7サミット(主要7カ国首脳会議)開催を控え、G7で日本だけが同性カップルを家族と認める国レベルの法的保障がないなどの遅れがいっそう目立ってきた。2月には元首相秘書官による性的マイノリティーへの差別発言(※)があり、これをきっかけに岸田文雄首相が法案提出を準備するよう党に指示。統一地方選後の5月に国会に法案が提出された。
と述べていることを紹介。

※同性婚をめぐる不適切な発言で総理大臣秘書官が更迭
荒井勝喜(あらいまさよし)総理大臣秘書官は、2023年2月3日夜、オフレコを前提にした記者団の取材に同性婚をめぐって「見るのも嫌だ」などと発言。その後、不適切だったとして撤回し、謝罪した。
岸田総理大臣は、多様性を認め合う包摂的な社会を目指す政権の方針とは相いれず、言語道断の発言だとして4日、荒井氏を更迭。さらに「『性的指向』や『性自認』を理由とする、不当な差別や偏見はあってはならない」と述べた。

《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》
相武山 山主

2023年07月27日

人権の尊重に思う(上)

7月としては異例の暑さが続く中、関東地方の梅雨明けが報じられた翌日(7月23日)、7月度の日曜法話会を開催しました。今月はいつもより多くの方に参加聴聞頂き、仏道の繁盛のためにうれしく思いました。
当山の法話会の趣旨は「仏教に親しみ、仏教を正しく理解願いたい」にあります。そのため毎月法話会のプロローグとして、仏教を創始された釈尊の姿勢が現実直視による真理探究にあり、その基本的な思想は極めて明確に示されていることをお伝えしています。
ことに基本思想を学ぶことは仏教を正しく理解する第一歩であり、基本思想を学ぶことなく各宗派の仏教を論じてもそれは妄信・迷信の域にあるもので有益ではないこと。また、限りの有る人生であるからこそ、仏教の教えを現実生活に活かすことの大切さを解説しています。

今月の第一部「世相」のテーマは「人権の尊重に思う」(多様性を認め合う社会に向かって)でした。人権などというと少し難しく思う方が居られるかもしれませんが、人権の尊重は民主主義の根本的価値観であり、仏教の基本思想にも合致するものです。さらに大乗仏教の精華である法華経の平等観にも通じています。テーマの説明には横文字も出てきますから、より難しく感じる方もいると思われましたが、現代社会における一つの大きな課題であり、これからの社会の在り方にも影響のあるテーマと考えての法話でした。
ちなみに近年、ジェンダーギャップ(男女の違いにより生じる格差のこと)がしきりに論じられ、6月26日には「LGBT理解増進法」も国会で成立するなど、人権の尊重や多様性(ダイバーシティということ。「ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在する」こと)が社会現象として顕れています。

《日本のジェンダーギャップについて》
我が国のジェンダーギャップを理解してもらうために、参考資料として日本経済新聞「ニュースぷらす(2023.7.21 夕刊)」を提示。
そこには
「日本で男女格差の是正が進まない。世界経済フォーラムが6月に発表した2023年の日本の「ジェンダーギャップ指数」は過去最低の125位(相性は146カ国)だった。このままでは日本は女性が活躍しにくい国との国際的なイメージが定着する。」
と解説。警鐘が鳴らされていました。
ジェンダーギャップとは男女の違いにより生じる格差のこと。ジェンダーギャップ指数とは、WEF が毎年公表しているもので、経済活動や政治への参画度、教育水準、出生率や健康寿命などから算出される男女格差を示す指標のことです。

ジェンダーギャップといわれてもピンとこない方のために、ジェンダーギャップの「ジェンダー」とは、「女性」「男性」の性別に対して、社会的・文化的に作られた性別のこと。例えば、「お茶くみは女性の仕事」「外回りは男性が向いている」など、慣習的に作られた「女性だから〇〇」「男性だから××」といった考え方が、ジェンダーに該当します。また、男女共同参画局の調査によると、「男女格差が生まれた原因として『男女の役割分担についての社会通念・慣習・しきたりなどが根強いから』、『仕事優先、企業中心の考え方が根強いから』と考えている人が多いという結果が出ている」を紹介。
さらに「男女の役割分担に対する固定観念を持つ原因の一つは、出産が可能なのが女性のみであるという点が大きい」との見解も紹介しました。

憲法で「基本的人権が尊重される」とうたわれている現代日本社会において、昔のような家父長制や男尊女卑とおぼしき意識はかなり薄れてきていますが、それでもその残滓と思われる言動を見ることも珍しくはありません。あらゆる分野で男女の性差別による弊害が除かれ、各自の意志のもとにその能力が活かされることが望ましい社会といえると思うのです。

男女に性の区別があることを認めた上で、男女が平等なかたちで社会に共同参画できるようにすることをめざすのが「ジェンダーギャップの超克」。そのためには、「ジェンダーギャップが存在するという現実を認識すること。ジェンダーギャップは家庭や学校、組織や社会、教育や環境などによって醸成された価値観であることを知ること。偏見と思い込み、固定概念などからの脱却が必要」であり、人権尊重の認識と理解が進めば性差は超えられることをお伝えしました。

《詳細は相武山だよりのウエブ動画をご覧ください》

相武山 山主

2023年07月26日

新暦の盂蘭盆法要

お盆といえば月遅れの8月が一般的ですが関東では新暦の7月にも盂蘭盆会が執り行われます。明治の新政によって新暦が使われるようになっても、盂蘭盆経ゆかりの7月15日にこだわったためといわれています。妙法院では月遅れの8月に行う方のほうが多いのですが、7月の方も居られるので、必然的に7月8月の二度お盆の法要を行うことになります。

お盆の入りは13日。午前11時前に三師塔(日蓮大聖人、日興上人、日目上人の供養塔)に香華をささげて読経・唱題。新暦盂蘭盆会の御報恩を申し上げました。引き続いて樹木葬墓地と永代供養墓久遠廟に参詣。それぞれ有縁精霊のお塔婆を建立し、香華をささげてして読経・唱題。埋葬者への追善の供養を申し上げました。
また、梅雨明けも宣言されぬままに猛暑が続くなか、15日(土)と16日(日)の両日、妙法院本堂にて盂蘭盆法要を執り行いました。例年のように献膳、読経、焼香、唱題と如法におつとめし、参詣の信徒は先祖有縁精霊の塔婆が建立された精霊壇に進み、懇ろにご焼香、追善供養のまことをささげました。

法要後には住職が盂蘭盆御書の末文
「善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生、三悪道をはなるるのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。
故に法華経第三に云く『願はくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』云云。
されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威義一つも持たず。智恵は牛馬にるいし、威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。
例せば蛇の珠をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。藤は松にかかりて千尋をよぢ、鶴は羽を持ちて万里をかける。此れは自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし。我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん。一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。此の羽をもて父母・祖父・祖母、乃至七代の末までもとぶらうべき僧なり。
あわれいみじき御たから(宝)はもたせ給ひてをはします女人かな。彼の竜女は珠をささげて仏となり給ふ。此の女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給ふべし。事々そうそうにて候へばくはしくは申さず、又々申すべく候。」
を拝読。

法話は御書システムの解題にそって拝読御書の概要を解説。
続いて餓鬼の世界に堕した目連尊者の母親と盂蘭盆のいわれにふれて、拝読の箇所を丁寧に説明。法華経を受持信行する功徳は家族や親族、さらには一切衆生におよぶことを伝え、仏縁を深めながら人生を大切に歩むよう勧めて法話としました。
参詣者は法話聴聞の後、ご回向なされた各自の塔婆を持ち帰り、寺内墓苑の墓所にも塔婆が建てられ香華が手向けられました。
生者と精霊の想いが通う新暦の盂蘭盆法要でした。

相武山 山主

2023年07月25日

「きょういく」と「きょうよう」

いつものように時の流れは早く、7月を迎え今年ももう後半に入りました。現役として学業や就業に在る方はもちろん、現役を退かれた方でも日々忙しい方もおらることでしょう。他方、ゆったりとした時間を楽しまれている方、次の目的のために準備をしておられる方、何をして良いか迷って時を送られて居る方、時間を持て余している方など、さまざまな時を過ごして居られることと思います。

人生は各自に与えられた貴重な時間と世界。人それぞれに価値観を磨いて自分らしい人生を歩んでいるのですから、他者のことをあれこれと云々することは非礼であり無粋というもの。メディアなどでは仕事柄でしょうが、人様のことをあれこれと詮索して報じていますが、私たち仏教徒は十分注意をしたいものです。

さて、近年「『きょういく』と『きょうよう』が大事」ということばを聞くことがあります。きょういくは「教育ではなく、今日行く」。きょうようは「教養ではなく、今日用事がある」ということで、人生受け身ではなく、自ら能動的(進んで物事をしようとするさま)に生きようという勧めのようです。
現役であれば振り払いたくなるほど、あれもこれもと所用・諸用に追われることも多いでしょうが、現役を退くと一般的には時間にゆとりが持てるようになります。そこで、問題となるのは、面倒くさいと出不精となる傾向性かもしれません。必要がなければ外出はしないものですが、それが当たり前となって、やがて外出そのものから遠ざかってしまう方もいるようです。

男女差でいえば、他愛のないことでもおしゃべりをして互いにコミュニケーションをとることは、どちらかといえば女性の方が上手ではないでしょうか。また、女性は人生でさまざまな環境の変化を求められることが多く、そのため、環境の変化への多応力も一般的には男性を凌駕しているように思えます。
したがって、高齢者となってからの生活でも変化を受容して、置かれているその環境を前向きに愉しんでいるのも、どちらかといえば女性の方が多いように見うけます。もちろん男性でもそのような方は少なくありませんが、どちらかというと無駄なことはしゃべらず、寡黙を佳しとして、積極的に他者とコミュニケーションを取ろうとしない男性も多いように見うけるのは少し残念です。
やはり人間は社会的存在ですから、他者との交わりの中から人生の喜怒哀楽、おもしろさを実感することも多いのではないでしょうか。そのためには受け身で何かが起きるのを待つのではなく、自らの意志で能動的に人生を歩みたいものです。

大乗仏教の精華、法華経では「命は最上の宝、人生は貴重なもの」と教え、自分にふさわしい修学・修行を心がけて仏道を歩み楽しむことを勧めています。
誰もが己れの寿命はわかりませんが、お迎えが来るまでは人生を歩まねばならないのですから、仏縁に想いをいたし、盂蘭盆会や夏の諸行事法要に積極的に参詣して命の洗濯をしてほしいと思います。ことさらに強調されなくても法華経の信仰には「『きょういく』と『きょうよう』は必然のことだと思うのです。

相武山 山主

2023年07月01日