相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

法話会と龍口会

秋の訪れを感じる9日(日)は9月度の法話会でした。法話会「世相」のテーマは「地球のいとなみと共に生きる」と題してのお話。7月の西日本豪雨災害、9月初旬の台風21号の関西地方上陸と北海道胆振東部地震とうち続く自然災害についての私の意見でした。
はじめに災害の状況を以下のように説明。
西日本豪雨水害は7月初旬、岡山県・広島県・愛媛県を中心に西日本を襲った平成最大の豪雨災害で、死者行方不明者230名、負傷者訳420名、住家全壊6296棟、半壊1万0508棟、一部破損4379棟、という大水害。9月4日、猛烈な台風21号が関西に上陸。関西地方では強風による被害が発生、関西国際空港が高潮で冠水、フェリーが専用道路に衝突。交通機関がマヒして大きなの影響が出た。
9月6日、北海道胆振地方で夜明け前にM7の強い地震が発生。強い地震により丘陵が崩壊して土砂崩れ。死者35名、心肺停止2名、行方不明3名、負傷者約650名という犠牲者と被害が出た。札幌市街では地盤の沈下が発生、ライフライン(電気、水道、ガス、通信など)が停止。ことに電力供給ができず「ブラックアウト(すべての電源を喪失)」となった。交通機関のマヒし物流システムが混乱した。
説明の後に学ぶべき事として『私たちは地球(宇宙)と共に生きている。地球(宇宙)も一つの生命体であることを知る。自然と共に生きるということは地球と共に生きるということ。すべての存在には正と負があることを知る(自然からの恩恵と脅威)。自然災害は「いつ・どこで」起きても不思議ではないという見識を持つ。自然災害から人的災害にならぬように努める。適切な情報提供が求める。各自の責任において自然災害への準備をする(自衛)。互いに助け合う精神を実践(寄付やボランティアなど)。平凡な日々の生活にこそ感謝の思いを持たねばならない。』という私の所見をお伝えしました。

続いて限られた時間でしたが法話会のテーマ「続・日本の仏教 ー平安中期仏教についてー」。日本の仏教は鎮護国家・貴族氏寺・学問仏教であり、平安仏教では天台宗・真言宗による顕密二教が隆盛をほこり、やがて浄土往生信仰へ移行した経緯を説明。インド・中国・日本の浄土思想について簡略に解説して9月度の法話会を結びました。

【なぜか スイカ?】
法話会の後にはランチタイムをはさんで午後1時から「龍ノ口法難会」を奉修しました。ランチタイムの時に参加者から『墓苑にスイカができてますよ』というお報せを頂きました。よく見てみるとカロートの土にはうツルの間から可愛い小さなスイカが見えました。言われるまで全く気がつかなかったので驚きました。私たちが植えたわけでもないのに、どうしてこんなところにスイカができたのでしょうか。7月のわらべ会でスイカ割りをして食べた時の種でも転がっていったのか、それとも鳥が運んできたのか、いずれにしても自然は面白いな~と思いました。

【龍ノ口法難会】
午後1時からは龍ノ口法難会を奉修。参詣の檀信徒の皆さんと共に法難の意義をかみしめながら読経・唱題を勤め、法華経を身読された宗祖への御報恩を申し上げました。その後、「四条金吾殿消息」を拝読。龍ノ口法難へ至る宗祖のお振舞いを簡略に説明。御書『この度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや』より、宗祖にとって龍ノ口法難はすぐれた宗教体験であり、その後の佐渡から身延における宗祖の御内証表白と御化導の礎となっていることをお伝えしました。
私たちも自らの宗教体験を意識して信仰を深めて行きたいものです。

相武山 山主

2018年09月29日

猛烈な台風21号と北海道の地震

猛烈な台風21号の日本上陸が報じられる9月4日、(宗)正信会教学部と秋季学林研修会のために大阪に向かいました。数日前から交通機関のマヒが予想されていたので取りやめも考慮して検討していましたが、結局、早朝便で伊丹空港に向かった次第。幸いこの一便だけは飛んでくれたので午前11時から会議を行うことができました。それでも会場にほど近い新大阪駅を歩いているとすべての交通機関が止まっており、コンビニやお店もほとんどが休業状態でした。もちろん人通りもまばらです。6月に起きた大阪府北部地震では交通機関が広範囲でマヒし、大きな混乱が起きましたからその学習効果で猛烈台風には慎重に備えていたようです。

雨は降りしきっていましたがまだ風はそれほどでもなく、静かな環境で集中して会議ができました。その後、昼過ぎから風がうなりを上げて横なぐりに吹きはじめ、会議を終えて梅田のホテルに行こうと新大阪駅に行くとすべての交通機関が止まっておりタクシーには長蛇の列でした。新大阪駅でJRと地下鉄の開通を待つこと4時間半、19時頃にようやく地下鉄が動き始めてホテルに向かうことができました。せっかちな私にはしばしの精神修養となったひとときでした。
翌朝には台風も通過していましたが交通機関の混乱は続き、関西空港をはじめ近畿各地では高潮と強風による被害が報じられていました。学林研修会も近畿圏の対象者が寺院布教所などの被害によって参加できず、遠方の参加者は前日から工夫して新大阪を目指したようでしたが定刻には間に合わない人が出ました。中には前日の昼過ぎに東京駅から新幹線で大阪に向かったものの品川駅で長時間停車の上、結局運休となり朝は朝で新幹線が大混雑でお昼前にようやくの到着でした。また、東北からの参加者は前日福島を午前中に出たものの、新幹線が動いたり止まったりで結局午前4時過ぎに新大阪に到着したということでした。

【秋季学林研修会】
1日目の学林研修会は交通機関の問題もあって参加者はかぎられてしまいましたが、「現在の日興門流の信仰と布教について」をテーマに、参加者が自分の所見を披露、積極的に意見交換を行いました。午後からは興風談所の坂井法曄・菅原関道両師の講義を受講、門流上代の歴史などを学び、宗祖の法義の基本にかかわる名字即成仏について研鑽しました。猛烈な台風は去ったものの、学林2日目早朝には北海道胆振地方でマグニチュード7の強い地震が報じられました。夜明け前の強い地震によって大規模な土砂崩れが発生、多くの被害者が想定される旨の報道に不安を覚えながらの研修会となりました。北海道の同志や寺院布教所の安否を気遣いながら、午前中には菅原関道師による「日蓮教学の基礎について」の講義を受講して秋季学林研修会は終了。
この日は引き続いて宗教法人正信会の責任役員会と運営会議が開催され、それぞれに出席し夕刻の便で帰路につきました。今回の大阪行きでは台風と地震に直面し、自然の猛威の前には私たちのできることは限られていることを改めて学ぶことになりました。

相武山 山主

2018年09月28日

夏季一日研修会

8月最後の日曜日、檀信徒の方々より希望のあった「夏季一日修養会」を開催しました。法華経と日蓮大聖人への信仰を正しく受持し深めて行くためには、当然のことその教えを学ぶことは欠かせません。教えを学ばなければ何を信仰しているのか、何のために信仰しているかが明らかとなりませんから、より良い信仰のためにもその教えを学ぶことが大切であることは言を俟ちません。
当山では年中の諸行事を中心に僧俗ともに信行を磨く機会を設けており、その折りには法話を通して「仏教、法華経、日蓮大聖人の教え」を共に学んでいます。また、仏教に親しんで頂くことを目的とした日曜法話会を毎月開催、一般に解放して仏教と信仰について少しでも正しく理解願いたいと努めています。
心ある方には法話会も悦んで頂いていますが、より深く法華経や宗祖の教えを集中して学びたいという声も予て寄せられていました。そこで今年から一日研修会開催を試みることにした次第。夏季としたのは今後そのほかの季節にも開催できれば、大乗仏教の精華である法華経と末法の愚迷の衆生を「信の一字」で成仏へと導く日蓮大聖人の教えをお伝えできるのではないかと願ってのことです。時間的制約や私の能力についても定かではありませんから先のことはわかりませんが、仏法の護持と弘通のためにはできるだけ前向きに努力して行きたいと考えています。

【仏教の基本について】
当日の予定では10時からの境内の草取りを行い、11時過ぎから昼食をはさんで16時まで仏教を学ぶという企画でした。記録的な猛暑の今年を印象づけるような陽射しの中、9時半頃から一人また一人と草取りに汗を流して頂きました。11時頃には作業を終え身繕いをして、皆さん学習用の長机の用意された本堂に入られました。
1時限目は「仏教の基本について・釈尊の生涯」。レジュメにしたがっての講義です。
始めに「仏教は日本の歴史や文化、政治や社会、人々の思考や精神に大きな影響を与えている存在」であることを説明。その上で「仏教は宗教。信仰や修行を通して実践し体得すべき世界。知識は盲信・迷信を排して信を深め行を推進することに寄与する。仏教はその普遍性と寛容性によって多様性が在ることを認識する。仏教といっても時代により国や地域により大きく異なる(インドの仏教、東南アジア諸国の仏教、中央アジアの仏教、中国の 仏教、韓国の仏教、日本の仏教)。」ことを解説しました。
続いて「仏教の原点を確認しよう・釈尊について」。仏教を知るためには当然のこと釈尊についての正しい理解がなければなりません。「仏教は仏となるための教え。釈尊は覚りを得た釈迦族の聖者。仏教を正しく知るためには釈尊の人生を学ばねばならない。覚者としての仏陀ではなく人間釈尊を知る(史実と伝説の違い)。釈尊を敬うことはその求めた道を敬うこと」等々から、釈尊のご一生をについてお話をして1時限目の講義は終了。

ランチタイムをはさんでの2時限目は「仏教とは」から「仏教の基本的思想」についての
講義。現代仏教の諸相を示して「仏教からイメージ(寺院・僧侶・冠婚葬祭等)されるもの。仏教諸宗派の違い(拝む仏さまとその教え)について。現代仏教諸相の意味するもの」等々について詳しく解説しました。
続いて仏教諸宗派に違いはあっても仏教と名乗る以上、基本的思想が存在していなければ仏教とはいえないことを説明。「三法印と四法印。四諦。八正道。六波羅蜜。三宝」などについて解説しました。基本思想に続き「仏教は現実主義」であり、現実をあるがままに受容し人生を歩むという仏教の姿勢について説明。諸法の実相を正しく知見することの大切さを述べました。次に仏教経典の成り立ちと展開について詳しく解説して2時限目の講義を終了。

【法華経のこころ】
小憩の後の3時限目の講義は「法華経のこころ」。大乗仏教の精華であり妙法による衆生救済が説かれた法華経について学びました。はじめに大乗仏教の興起時代インドで「サツダルマ・プンダリーカ・スートラ」として編纂された法華経の成立について説明。その後、北部インドや中央アジアの仏教国に伝播しシルクロードを通って中国に伝えられた経路をたどりました。中国では「六訳三存」といわれるようにさまざまな訳経僧によって翻訳され、ことに鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」が名訳とされ今日まで1600年の命をたもって広く衆生を利益していることを述べました。
仏教諸宗とその依経について簡略に述べ、続いて法華経こそが仏教の根本聖典とされ、中国仏教界を統一された隋代の天台大師智顗と天台法華宗について解説。さらに日本の歴史や文化に親しまれた法華経について述べ、日本仏教と法華経のいわれについて解説しました。ここでは飛鳥の聖徳太子の時代から奈良平安、鎌倉室町、昭和の日蓮法華宗・日蓮正宗や法華系新興宗教までを概観。

次に法華経とその構成について鳩摩羅什訳の妙法蓮華経にそって解説。妙法蓮華経は二十八品から構成され、前後に開経として無量義経、結経として観普賢菩薩行法経を置き法華三部経とすること。また、大きく本門と迹門に分けて解釈するいわれを述べました。
法華経の中心テーマは「一切衆生の成仏、仏の永遠性とその救済、菩薩道の実践」にあること伝え、私たち日蓮門下が日々に読経申し上げる方便品からは「仏の甚深の智慧、仏の出世の意義、一仏乗の差別なき救い」。寿量品からは「久遠の仏の存在、一切衆生の成仏を願い導く仏の慈悲」を会得しなければならないことを述べ、共々に菩薩道の実践に励もうとお伝えしました。
レジュメはこの後「法華経と日蓮大聖人」を用意していましたが、予定の午後4時を迎えたためにここで平成30年の夏季一日研修会は終了。残暑の中、行学研鑽のために参加して頂いた檀信徒は約20名でした。その篤い信仰心に敬意を表した次第です。

相武山 山主

2018年09月28日

衆生本有の妙理を観る

月遅れの8月のお盆には今年もご縁のある方々が三々五々お見えになられました。本堂に上がってお参りされることはなくても、本堂の前や三師塔の前でお参りされ各墓所や久遠廟に向かわれ有り難いことと思った次第です。お参りされた諸精霊もきっと悦ばれておられることでしょう。

故人を偲ぶ心がなければお参りしようという思いは生じないのですから、お参りされるその姿には故人や先祖を思う確かな心があるのがわかります。仏教では身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を調えることが大切と説かれますが、仏教では「心に思い、言葉によって伝え、行動で顕す」ということが求められます。心で思っているとか言葉で伝えたという方がいますが、やはり行動に現れてこそ、その思いは通じることになるのです。

当山では12日、13日、15日の三日間、盂蘭盆会の供養を執り行いましたが、13日は宗祖日蓮大聖人の月例のご報恩講であり、15日は終戦記念日で戦没者追善法要が主体でした。それぞれに勤行をつとめ法要の趣旨にそったご祈念を申し上げした。
その後、一生成仏抄
『夫れ無始の生死(しょうじ)を留めて、此の度決定して無上菩提を証せんと思はば、すべからく衆生本有(ほんぬ)の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは妙法蓮華経是れなり。故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。文理真正の経王なれば文字即実相なり、実相即妙法なり。唯所詮一心法界の旨を説き顕はすを妙法と名づく。故に此の経を諸仏の智恵とは云ふなり。
一心法界(いっしんほうかい)の旨とは十界三千の依正(えしょう)・色心(しきしん)・非情草木(ひじょうそうもく)・虚空刹土(こくうせつど)いづれも除かず、ちりも残らず、一念の心に収めて、此の一念の心法界に遍満するを指して万法とは云ふなり。此の理を覚知するを一心法界とも云ふなるべし。
但し妙法蓮華経と唱へ持つと云ふとも、若し己心(こしん)の外に法ありと思はば全く妙法にあらず、麁法(そほう)なり。麁法は今経にあらず、今経にあらざれば方便なり、権門(ごんもん)なり、方便権門の教ならば、成仏の直道にあらず。成仏の直道にあらざれば、多生曠劫(たしょうこうごう)の修行を経て成仏すべきか。故に一生成仏叶ひがたし。故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は、我が一念を指して、妙法蓮華経と名づくるぞと、深く信心を発(おこ)すべきなり』 を拝読。
『衆生が迷妄をはらい苦悩を乗り越えて真の安らぎを得る成仏の境地は、自身に備わっている本有の妙理を観ることであり、その本有の妙理とは妙法蓮華経であるから、一心法界の旨を心得て、我が心の中に妙法が存在することを深く信じて唱題に努めることが大切』
と日蓮大聖人の御心をお伝えしました。

参詣者の皆さんは猛暑の中、菩提寺まで足を運び、御宝前に供養をささげて信行の功徳を積まれました。盂蘭盆の時にあたってご先祖有縁精霊にご回向されたことは、あらゆる存在はすべて妙法のはたらきによるものであることを信じ敬う志を顕したものであり尊いことと存じます。

相武山 山主

2018年08月31日

新盆とお経参り

仏教では逝去された方がはじめて迎えるお盆を新盆または新盆とよび、例年と異なり丁寧に仏事を営むのを常といたします。当山でも今年は平塚市の足立さん、中区の𠮷田さん、同じく𠮷田さん、多摩区の石井さん、緑区の阿部さん、港南区の加藤さんの新盆供養にお参りしました。

お盆については前のブログでそのいわれや歴史を少々解説しましたが、お盆はどこでも同じだろうと考える方も多いようです。しかし、お盆も時代や地域、宗派や各家庭などによって異なりがあり一様ではありません。まして、現代の社会環境では昔のように玄関前に迎え火を焚き、墓所に御霊を迎えに行ってひと時を過ごし、送り火を焚いて見送るということも難しくなっています。私は今の時代、その家や家族に見合ったお盆で良いと思っています。

ところで、新盆はご先祖を迎えて共に一時を過ごすというよりも、幽明境を異にした家族を親しく迎える一時のような気がします。つい先日まで一緒に生活していた家族が今年はその姿を見ることができないという、まさに人生の無常を感じての営みであり、思いやりの情愛がにじんで来るようなたった一回の仏事です。今年の夏も対象となるすべてのご家庭で新盆のお参りをさせて頂きましたが、各ご家庭ごとに皆さまの優しさが伝わってきました。

また、当山では開創当時から夏を中心に檀信徒宅の御本尊様にお参りする「お経参り」をしています。お盆経や棚経などと同じ気持ちで始めたのですが、各ご家庭にうかがってともに読経・唱題をお勤めして、「ご家族の信行増進とご健勝、ご先祖有縁精霊への追善供養」を申し上げています。お経参りは親しく言葉を交わす好機でもありますから大事にしているのですが、日時や双方の都合がつかず毎年10軒~20軒ほどしかうかがうことができません。

今年お参りにうかがって自分でも驚いたのは港南区の中澤宅が7年ぶり、都筑区の森家が6年ぶり、多摩区の芦川宅が4年ぶりということで、その他も数年ぶりということでした。忙しさにかまけてずいぶん失礼していたと反省しています。お寺では交わせぬ話もご家庭でうかがえることができますし、ゆっくりと言葉を交わすことで信頼も深まることになりますからこれからは興厳房と共に精進したいと思っています。

相武山 山主

2018年08月30日

8月の日曜法話会

【お盆のいわれ】

8月の日曜法話会は12日でした。猛暑が続く日々でしたがこの日は少し雲も出て若干過ごしやすい感じのなかでの法話会。
参加者はいつもおなじみの方々でした。はじめの世相のテーマは「お盆のいわれ」について。我が国の伝統習俗としてすっかりなじみのあるお盆ですが、俗信がそれぞれに語られることが多く、そのいわれを知る機会が少ないものです。そのいわれと歴史を学んで「お盆」の意義を人生に活かせればと思い以下のようにお伝えしました。

お盆はサンスクリット語の「ウランバナ」「ウド、ランブ」(ud-lamb)の音写語と言われ、倒懸(さかさにかかる)という意味で逆さづりのような苦しみのこととされるが、インド仏教で先祖を敬い供養する儀式が存在していたことは伝えられていない。しかし、釈尊の弟子の目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親青提女(しょうだいにょ)を神通力で救うことができず、釈尊の教えにしたがい、雨安居(4月15日から3ヶ月)の修行を経て功徳を積んだ修行僧の功徳を回向することによって、母親を餓鬼の世界から救うことができたとする盂蘭盆経がその由来となっている。

中国では『仏祖統紀 』(南宋時代)に梁の武帝の大同4年(538年)に同泰寺で盂蘭盆斎を設けたとあり、梁の武帝と同時代の宗懍が撰した『荊楚歳時記』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『盂蘭盆経』の経文を引用している。このようなことから仏教寺院では盂蘭盆会が行なわれていたことがわかる。
一般に広がったのは仏教者以外の人々が7月15日 (旧暦)を中元節(中元)といって、先祖に供物し灯籠に点火して祖先を祭る風習による。両者が一つとなって、盂蘭盆の行事が盛んになっていった。

日本では日本書紀から、推古天皇14年(606年)4月、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山(しゅみせん)の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。
聖武天皇の天平5年7月(733年)には大膳職に盂蘭盆供養をさせ、それ以後は宮中の恒例の仏事として毎年7月14日 (旧暦)に孟蘭盆供養、盂蘭盆供が執り行われた。奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせて行なった。
お盆は太陰太陽暦である和暦(旧暦)の7月15日を中心に祖先の霊を祀る行事であり、一般に仏教の行事と認識されているが、江戸時代の檀家制度のもと神道における祖先崇拝の思いをおさめ、各宗の信仰や地域融和の習俗として工夫され庶民生活に浸透して今日に至っている。

お盆の行事から学ぶこととして、お盆には『己れの持つ貪りの愚かさを自覚すること、私たちは先祖の命を受け継いでいること、 仏教で説かれる慈悲の心に気づくこと、限りある人生が三世に通じていることの大切さ』が説かれていることをお伝えしました。お盆は静寂の時間を得ながら、家族とともにリラックスして『自身の生命の継承を考え、生と死を見つめて、人生如何に生きるべきか』を考えるひとときでもあります。

【続・日本の仏教】

法話会のメインテーマは『続・日本の仏教』。平安時代初期の仏教の担い手であった慈覚大師円仁と智証大師円珍について学びました。
奈良時代の後半には仏教が政治に深く介入して、過度な仏教中心政策がとられる弊害もあったことから、桓武天皇は、遷都に伴って南都の大寺院(興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)を長岡京・平安京に移転することを認めず、最澄や空海らによってもたらされた、従来の国家仏教とは異なる新仏教の動きを支持しました。

平安京に遷都してから9世紀末ころまでの文化は、嵯峨天皇・清和天皇の時代の元号をとって弘仁・貞観文化と呼ばれます。この時代は、政治的には新しい都で律令制を改革して文章経国がはかられ、貴族たちは平安京において都市貴族化する一方、文化的には唐文化を摂取して自らのものに消化するという段階を迎え宮廷では漢文学が発展しました。また、仏教界では新たに最澄や空海らによって伝えられた天台宗・真言宗が広まり密教(みっきょう)が盛んになりました。
天台宗では最澄の後、弟子の円仁・円珍らによって本格的に密教が取り入れられ、東寺などを中心とした真言宗の密教(東密とうみつ)に対して台密(たいみつ)と呼ばれる天台密教を構築しました。天台・真言の両宗ともに現世利益を説いて天皇や貴族たちの帰依を広く集め、一門の繁栄と国家・社会の安泰を祈ったのです。円仁・円珍両師は共に唐にわたり平安初期の日本仏教に大きな影響を与えました。歴史をよく学び現在に至るながれを理解することは仏教においても大切なことですから、これからも地道に見識を磨いて行きたいものです。

来月の日曜法話会は9月9日です。仏教はより良い人生の手引きとなるものですから、ご縁のある方々と共に親しみ学んで行きたいと願っています。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2018年08月29日

面影を偲んで

記録的猛暑が続く今月の4日(土)、今井家の法事が当山で営まれました。お父様宏さんの17回忌とお母様の静子さんの23回忌を併せて執り行った法要で、ご夫妻と二人の娘さんのご家族が参詣されました。
今井さんのご両親、ことにお母様は当山にとってとてもご恩のある方です。開創当時、保土ケ谷の道場にお訪ね頂いてからのご縁で、霊山に旅立たれた平成8年まで約15年間にわたりご交誼頂きました。
静子さんは幼い頃から人生のさまざまな苦労と向き合い、それらを乗り越えてこられた方でしたから、何ごとにも冷静で落ち着きのある方でした。また、幼い頃から仏縁を大切にして来られたようですが、日蓮大聖人の教えに巡り会ってからさらに信心を深めたいと思うようになったと仰っていました。法華経と日蓮大聖人の教えに誠実で信心深い方でした。

今井さんには当山にご縁を頂いてから3年後の頃より、坂上シゲ子さんと一緒に法華講会計係を長くお務め頂きました。保土ケ谷の正信寮から新横浜岸根の道場では多くの方々が講費の件で静子さんにお世話になられたことと思います。講員の方々とのふれあいの折りには、常に菩提寺を護ることの大切さや信仰を人生の柱とされるよう皆さんに伝えていました。ほんとうに当山の縁の下の力持ちさんでした。

ちなみに現在の妙法院に至るきっかけの一つが今井さんの『小さくても良いから自分たちのお寺を建てたいね』という言葉でした。日蓮正宗という教団を離れて日蓮大聖人の真の教えを求めるためには環境は二の次と考えていた私に、『信徒にとって安心してお参りできるお寺、子どもや孫たちが笑顔で集えるお寺はやがて必要でしょう』と仰っていました。そのような声があちらこちらから寄せられて現在の相武山妙法院が存在しているのです。

平成6年、新横浜にほど近い神奈川区の羽沢町に自前の道場が落成した翌年、今井さんは病にたおれました。ぜんそくや肺の病で病院にかかることも多かった今井さんでしたから、病いの発見が遅れたことはとても残念でなりませんでした。しかし、芯の強い今井さんは深刻な病状を告げられてもジタバタされる風情は微塵もみせず、特別な治療を求めることもありませんでした。すべては御本尊様におまかせし、最後の数カ月は息子の均さんのお宅で過ごされ、諸事万端手配を怠らず、平成8年1月3日、65歳を一期に静かに霊山に旅立たれました。

仲の良いご夫婦でしたから静子さんはご主人のことをとても気にかけて居られましたが、愕然とされたご主人も均さん夫妻やお孫さんの情愛に恵まれて穏やかな生活を送ることができ、7年後の平成15年に逝去されました。

日頃からお盆や春秋のお彼岸にはご両親や有縁精霊への供養を心がけておられる均さんご夫妻ですが、子どもや孫たちにも仏教の追善供養や法事の在り方を見せておきたいとお考えになり、猛暑の中、ご両親の23回忌と17回忌を営なまれた次第です。ご両親も御仏大聖人様のお側できっと今井家の皆さまの思いをよろこんで居られることと存じます。私も読経・唱題をつとめながら在りし日の静子さんとご主人の面影を偲ばせて頂きました。

相武山 山主

2018年08月28日

わらべ会 夏のつどい

逆走台風12号の関東地方上陸も予想されていた29日(日)は恒例となった「わらべ会 夏のつどい」を開催。気象庁の詳細な予報から当日の関東直撃は避けられると判断していましたが、台風は関東地方から離れて行ったものの、時折強い雨が降る空模様でしたので、空を見上げて気をもみながら子供たちが集うのを待ちました。

世話人の方は準備のために早めに集まっていましたので、境内清掃の用意や流しそうめんなどの準備をして頂きました。定刻の10時半頃には子供たちも集まりはじめ、 興厳房の司会進行でわらべ会は開始。はじめにみんなでお題目を三唱。続いて方便品と自我偈の「練経」、私が一節づつ丁寧に読み上げて、子どもたちに続いて読み上げてもらいましたが、慣れないことでもあり、声も小さくてどうも気合いが入らないようでした。子供の時には意味がわからなくても、いつか仏教や信仰と向き合うときがきたら、思い出してくれるのではないかと希望しています。

練経の後には『大きな声でアイサツをしよう』と子供たち伝えました。普段の生活の中で『おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。行ってきます。ただいま。お帰りなさい。いただきます。ごちそうさまでした。・・・』と、お父さんやお母さんに声に出してアイサツすることが大切だということです。そしてもう一つ『ありがとう』と何ごとにもすなおに言える子になってほしいと伝えました。

続いて興厳房による「お香について」。黒板にアジアの地図を書いて香木の産地とさまざまなお香について説明。さらに実物の各種の香木を手に取り、香木片を焚くとその違いに子どもたちも興味津々でした。続いて乾いたシキミと薬研を取り出して、シキミのお香作りを実習。御本尊様にお供えされているシキミが抹香に変化して強い香りを放つことを知りました。その後はいつものように「太鼓の練習」。初めに紙のバチで練習してから本番です。音には敏感に反応する子どもたち、太鼓の練習を楽しみました。

子どもたちが本堂で学んでいるうちに、境内では世話人の方々境内の草取りと清掃に汗を流し、続いてテントを張り、流しそうめんとバーベキューの準備をしてくれました。各行事の準備は私と興厳房だけではできませんので、世話人有志の方々のお手伝いは有り難い限りです。

お昼は流しそうめんとバーベキューを子どもたちと大人が一緒になって愉しく頂きました。ランチが済むとまだまだ元気な子どもたちは本堂に戻って、小原さんと興厳房の手引きで「まちがい探しゲームと魚釣りゲーム」のレクレーション。30分ほど遊ぶと今度はスイカ割りです。幼い子から小4の子まで歓声を上げながら楽しみ、最後は割ったスイカをみんなで美味しく頂きました。

今年のわらべ会の結びは地元桜井さんのご好意による「ブルーベリー狩り」です。当山から徒歩3分の桜井さんのブルーベリー畑にみんなで向かい、深い紫色のふくよかなブルーベリーを摘み、『おいしい、おいしい・・・』と言って味見をしながらパックに積めました。収穫するというのはとても愉しいもの。初めての試みでしたが大変好評で『来年も是非・・・』と桜井さんにお願いしました。

畑から本堂にもどり参加者一同にてお題目を三唱。本堂前で記念撮影をして今年のわらべ会夏の集いは終了です。子どもの参加者は12名、大人は保護者と草取清掃協力も含めて約30名でした。
皆さんご参加ありがとうございました。

相武山 山主

2018年07月31日

興信寺落慶法要

日本列島を東から西に走り抜けた台風12号。日本に来る台風は通常西から東に向かうのでまさに逆走台風でした。その台風12号が接近する7月28日(土)、新潟県長岡市の興信寺(高橋信修住職)本堂落慶入仏式が奉修されました。
法要へのお招きを頂きましたので当日の朝台風の直撃を心配しながら東京駅へ向かうと、夏休み入りの土曜日であるためか、いつもより乗客が多い感じで上越新幹線も臨時列車が編成されていました。夏休みというばかりでなく、越後湯沢でフジロックフェスティバルが開催され、アメリカからボブディランが来演ということのようでした。ちなみに大勢の人々が越後湯沢駅で降車して行きました。上越新幹線の長いトンネルを抜けて長岡が近くなってくると、関東地方の雨空が曇り空に変わり長岡駅に着く頃には青空が広がっていました。

興信寺は長岡法遊寺(高橋信行住職)僧俗が正信覚醒運動の未来への展望を願い、平成12年夏に建立護持会を設立し、中越地震という大きな災害を乗り越えて平成21年春に建立された寺院。今まで庫裡と狭隘な仮本堂というかたちで活動してきましたが、僧俗渾身の精進によって昨年夏に上棟式を執り行い、1年を経過して今回の慶事を迎えました。新築成った本堂の南側には山門も移築され広い境内もよく整備されていました。

寺院(菩提寺)の建立は至難の事業といっても過言ではありません。仏教伝来の昔から寺院は権力者や有力者が自らの先祖と一族のために威信をかけて造営したり、また、僧侶が仏教の道場として庵を結び、そこに人々が集うようになってやがて寺院に発展して行くというのが通例でした。徳川幕藩体制下では檀家制度のために建立維持された寺院も少なくありませんでしたが、庶民が庶民だけの信心の力で新たに仏教寺院を建立するというのは近現代になってからのことといえましょう。

菩提寺建立はそこに集う僧俗の信仰と思いが異なれば発願することはできません。仏法の護持と伝承という信仰上の明確な目的を共有して初めて建立の発願がなされ、建設へのスタートラインに立つことができるのです。しかし、法華経を信仰する同志とはいえ意識と信仰への思いは一人ひとりちがいますから、ここに立つだけでもけっして容易なことではありません。その後も綿密に企画を立てて賛同者の意見を調整して行く必要があります。
その上に工夫に工夫を重ね、精進に精進を重ねてこそ大願成就に至るのですから、その道程はまさに茨の道といえるものです。

菩提寺建立は仏道の尊い功徳を積む浄業ですが、まずは信仰のためとはいえ浄財勧募を有縁檀信徒の方々にご理解願わねばなりません。日頃の仏法護持の御供養も同様ですが、御供養やお布施は元来強制されるものではなく、護法を願い自らの思いと置かれている環境をふまえて信心によってなされることです。生活を営むための基本にかかわる金銭のことであり、それぞれに生活環境や経済感覚もちがいます。さらに信仰への思いもまったく同じではありませんから迷乱することがあるのも事実です。

菩提寺建立という浄業は滅多にあることではなく仏道の功徳を積ませて頂く好機ですが、いずこにあっても少なからず混乱が生じていることからも、その厳しさと険しさは理解されることでしょう。浄業に邂逅し正面から取組んで成し遂げた僧俗でなければ真の苦労も悦びもわからないのではないでしょうか。世知辛い世の中、我欲と利害に翻弄される世相にあって、仏法を護り伝えるために汗を流すことをいとわない信仰者の存在は実に尊いものと思うのです。

興信寺は建立護持会を発足して18年目にして令法久住の本堂建立をみるに至りましたが、その間に発生した中越地震(平成16年10月)の災害を忘れることはできません。この地震によって前身であった法遊寺は甚大な被害を蒙り、その修繕にも多額の経費がかかったことと思いますから、僧俗のご苦労は私たちの想像を越えたものであろうと存じます。さらに新菩提寺の土地取得から造成工事、仮本堂を建設して境内を整備、宗教法人の設立認証から墓地の開設など、此の度の慶事を迎えるために陰に陽にさまざまなご苦労を重ねられてきたことでしょう。すべては仏祖三宝尊の御照覧遊ばされることと存じます。

清々しい落慶法要には有縁の僧侶が臨席、檀信徒多数の参詣のもと如法厳粛に奉修されました。参列者の中には故人の遺影をお持ちの方も数人おられ、興信寺僧俗一同のお顔は皆晴れ晴れとして菩提寺落慶の悦びに満ちていました。
心よりお祝い申し上げると共に今後の寺運興隆を祈念申し上げる次第です。

相武山 山主

2018年07月31日

追悼 大黒喜道師

長く学恩を蒙り日興門流の学僧として尊敬していた大黒喜道師(喜道房日新大徳)が7月11日に霊山に旅立たれました。大黒師は昭和30年大阪府に誕生。昭和41年春、大石寺年分得度7期生として日達上人のもとに得度され僧道を歩まれました。師は正信覚醒運動が興起するや同志と共に岡山市の興風談所に所属。爾来、寧日なく日蓮教学の研鑽に精励され、その貴重な成果を多くの論文・著述を通して遺されました。

師は生来才知に恵まれた方でしたが、その鋭敏さを自ら顕示するような性格ではなく、情熱を秘めながらも温厚な態度を好まれました。師はまたスポーツマンでもあり、こよなくスポーツを楽しんで居られました。才覚豊かな師はさらに学僧として生涯真摯な姿勢を貫かれた方で、論述にあたっては資料そのものの検証から進められ、たしかな資料を基に深く思索し所見を構築して行かれました。課題に向かって正攻法で対峙される見識は日蓮教学を研鑽する多くの好学の士が認めるところだと思います。

師は昭和56年春からの岡山市在住約27年間において、上代先師の文書翻刻に努めるとともに、興風談所の「興風」や関連誌に多数の論文を発表。また「日興門流上代辞典」を編纂されるなど、談所から出版された書籍にも大きな貢献をされました。
後に師は自身の信仰と日蓮大聖人の教えの真髄を求めるため、平成20年4月、宗祖流罪の地佐渡島に住居を定めました。一時関東に居したこともありますが、昨年深秋までほぼ佐渡島に住されて日蓮教学の研究に専心されたのです。

この10年間の学問的成果もすばらしいものがあります。ことに宗祖の膨大な法華経注釈である「注法華経」を詳細に読み下した『訓下本注法華経』の編纂は意義深く、また、近年は春秋社から出版されたシリーズ日蓮にも所見を論述されるなど日蓮教学に大きな足跡を遺されました。さらに難病治療中にもかかわらず『佐渡日蓮研究』の9号と10号を相次いで上梓されたことは驚くばかりです。

また、宗教法人正信会の春秋学林研修会や教師講習会の講義要請にも快く応えられ、多忙にもかかわらずここ数年、研究成果をもとに講義を展開してくださいました。昨年9月には佐渡に大黒師を訪ねての秋季学林研修会を開催。親しく佐渡と宗開両祖の世界をご案内いただき、参加者一同行学増進をはかることができたことに深く感謝しています。

12月の教師講習会で再会できることを楽しみにしていましたが、昨年深秋、師は難病に倒れられました。治療に努められて8ヶ月、行年64歳を一期として静かに霊山に旅立たれたことは、まことに残念至極であり日蓮門下有志にとって大きな損失ですが、ここに生前の学恩とご芳情に篤く御礼を申し上げ自受法楽を祈念申し上げる次第です。

大黒師とは若いときから何かとふれあうこともあり、共に覚醒運動に参画してからは個人的にも交誼を頂き、ここ数年は学林や講習会での窓口を務めていましたから、哀惜の情耐えがたいものがあります。しかし諸行は無常。私もそう時を経ずに相まみえることになると思いますからしばしのお別れです。どうぞ安らかに。

相武山 山主

 

2018年07月31日