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相武山 妙法寺 ブログ

8月の日曜法話会

【お盆のいわれ】

8月の日曜法話会は12日でした。猛暑が続く日々でしたがこの日は少し雲も出て若干過ごしやすい感じのなかでの法話会。
参加者はいつもおなじみの方々でした。はじめの世相のテーマは「お盆のいわれ」について。我が国の伝統習俗としてすっかりなじみのあるお盆ですが、俗信がそれぞれに語られることが多く、そのいわれを知る機会が少ないものです。そのいわれと歴史を学んで「お盆」の意義を人生に活かせればと思い以下のようにお伝えしました。

お盆はサンスクリット語の「ウランバナ」「ウド、ランブ」(ud-lamb)の音写語と言われ、倒懸(さかさにかかる)という意味で逆さづりのような苦しみのこととされるが、インド仏教で先祖を敬い供養する儀式が存在していたことは伝えられていない。しかし、釈尊の弟子の目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親青提女(しょうだいにょ)を神通力で救うことができず、釈尊の教えにしたがい、雨安居(4月15日から3ヶ月)の修行を経て功徳を積んだ修行僧の功徳を回向することによって、母親を餓鬼の世界から救うことができたとする盂蘭盆経がその由来となっている。

中国では『仏祖統紀 』(南宋時代)に梁の武帝の大同4年(538年)に同泰寺で盂蘭盆斎を設けたとあり、梁の武帝と同時代の宗懍が撰した『荊楚歳時記』には、7月15日の条に、僧侶および俗人たちが「盆」を営んで法要を行なうことを記し、『盂蘭盆経』の経文を引用している。このようなことから仏教寺院では盂蘭盆会が行なわれていたことがわかる。
一般に広がったのは仏教者以外の人々が7月15日 (旧暦)を中元節(中元)といって、先祖に供物し灯籠に点火して祖先を祭る風習による。両者が一つとなって、盂蘭盆の行事が盛んになっていった。

日本では日本書紀から、推古天皇14年(606年)4月、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山(しゅみせん)の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。
聖武天皇の天平5年7月(733年)には大膳職に盂蘭盆供養をさせ、それ以後は宮中の恒例の仏事として毎年7月14日 (旧暦)に孟蘭盆供養、盂蘭盆供が執り行われた。奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせて行なった。
お盆は太陰太陽暦である和暦(旧暦)の7月15日を中心に祖先の霊を祀る行事であり、一般に仏教の行事と認識されているが、江戸時代の檀家制度のもと神道における祖先崇拝の思いをおさめ、各宗の信仰や地域融和の習俗として工夫され庶民生活に浸透して今日に至っている。

お盆の行事から学ぶこととして、お盆には『己れの持つ貪りの愚かさを自覚すること、私たちは先祖の命を受け継いでいること、 仏教で説かれる慈悲の心に気づくこと、限りある人生が三世に通じていることの大切さ』が説かれていることをお伝えしました。お盆は静寂の時間を得ながら、家族とともにリラックスして『自身の生命の継承を考え、生と死を見つめて、人生如何に生きるべきか』を考えるひとときでもあります。

【続・日本の仏教】

法話会のメインテーマは『続・日本の仏教』。平安時代初期の仏教の担い手であった慈覚大師円仁と智証大師円珍について学びました。
奈良時代の後半には仏教が政治に深く介入して、過度な仏教中心政策がとられる弊害もあったことから、桓武天皇は、遷都に伴って南都の大寺院(興福寺・東大寺・西大寺・薬師寺・元興寺・大安寺・法隆寺)を長岡京・平安京に移転することを認めず、最澄や空海らによってもたらされた、従来の国家仏教とは異なる新仏教の動きを支持しました。

平安京に遷都してから9世紀末ころまでの文化は、嵯峨天皇・清和天皇の時代の元号をとって弘仁・貞観文化と呼ばれます。この時代は、政治的には新しい都で律令制を改革して文章経国がはかられ、貴族たちは平安京において都市貴族化する一方、文化的には唐文化を摂取して自らのものに消化するという段階を迎え宮廷では漢文学が発展しました。また、仏教界では新たに最澄や空海らによって伝えられた天台宗・真言宗が広まり密教(みっきょう)が盛んになりました。
天台宗では最澄の後、弟子の円仁・円珍らによって本格的に密教が取り入れられ、東寺などを中心とした真言宗の密教(東密とうみつ)に対して台密(たいみつ)と呼ばれる天台密教を構築しました。天台・真言の両宗ともに現世利益を説いて天皇や貴族たちの帰依を広く集め、一門の繁栄と国家・社会の安泰を祈ったのです。円仁・円珍両師は共に唐にわたり平安初期の日本仏教に大きな影響を与えました。歴史をよく学び現在に至るながれを理解することは仏教においても大切なことですから、これからも地道に見識を磨いて行きたいものです。

来月の日曜法話会は9月9日です。仏教はより良い人生の手引きとなるものですから、ご縁のある方々と共に親しみ学んで行きたいと願っています。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2018年08月29日