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相武山 妙法寺 ブログ

たましいの交流の時

日本の仏教は葬式仏教などと揶揄されることもありますが、その教えと信仰の上から死者を弔う葬儀と追善のための法事を大切にしていることは事実です。釈尊仏教の原型に死者や祖先への追善供養という概念があったかどうかは不明ですが、日本仏教では古へからの祖先崇拝を受容し、中国の孝養の道の影響もあり、知恩(恩を知る)・報恩(恩に報いる)は仏道における重要な教えとされてきました。葬儀や法事ばかりでなく春秋の彼岸や盂蘭盆会が執り行われているゆえんです。

 

葬儀や法事を営むということは、仏道の功徳を積みその功徳を縁(ゆかり)の故人やご先祖に回向(回り向かう)するということを意味しています。当山の檀信徒はそう多くはありませんが、仏道への信仰心が篤い方が多く、皆さん葬儀や法事を大切に考えておられます。葬儀や法事などは強制できるものではありませんが、葬儀はほとんどの方が当山の法式に則って丁寧に執り行われますし、法事も年忌ともなれば8割ほどの方が何らかのかたちで営まれています。したがって当山では人数の多少にかかわらず毎月2件~3件の法事を執り行っています。
世相を見れば葬儀や法事も虚礼廃止とばかりに粗末にされる方も多く、生きている者の生活ファースト(優先)として死者への追善供養に思いが至らない方も多いようですから、当山の檀信徒の方々は家族を思い信仰を大切にされていることがよくわかります。ことに法事は1周忌から33回忌、ときに50回忌まで営まれますが、年忌にあたらなくても年に一度の祥月命日忌に塔婆を建立して御回向をされる方も少なくありません。
法事は仏道の功徳を積みながら、現実世界に生きる生者がゆかりの深い死者を心から追慕し、死者が冥界から生者を見守っていることを感じる「たましいの交流の時」ということがいえます。そこには仏道を信仰する者の豊かな生死観と優しい人間性を見ることができると思います。法事の導師を務めさせて頂く私には、それぞれのご家族の実相を知るちからは到底ありませんが、故人とご家族の御縁と絆に思いをいたし、心を込めて御本尊に読経・唱題、御祈念をいたし懇ろにご回向を申し上げています。

生者と死者のたましいの交流を信じながら。
【清志さん13回忌法要】

先月の下旬、東久留米市の阿南家においてご子息阿南清志様の第13回忌法要が営まれました。阿南清志さんは当山開創時からの信徒である樺山敦子さんのご主人。平成17年11月12日、心臓疾患のため川崎市幸区の自宅で急逝されました。まだ数え年40歳の若さでした。

二人は共通の趣味である鉄道同好会をきっかけに大学時代から交際されていたようです。結婚がきまって敦子さんから清志さんをご紹介頂きましたが、年齢以上に落ち着きのある方で、折り目正しく清潔で知的な好青年という第一印象でした。さすがに敦子さんが人生をかけるにふさわしい方だと感心したことを思い出します。お二人が結婚されたのは平成5年のことでしたからもう24年も前のことになります。まだ当山が新横浜の岸根町の時代でした。

清志さんは逝去される9日前の当山(神奈川区羽沢町)のお会式に敦子さんと一緒に参詣されていましたから、12日深夜の訃報には私も本当に驚きました。日付の変わる頃、病院にうかがって安らかなお顔を拝見して事の次第を無理矢理飲み込むばかりでした。その後、敦子さんはもちろんのこと、ご両親様や二人の妹さん、さらに親族の方々の深い悲しみのなか、清志さんの葬儀を川崎市南部斎場で執り行ったのがつい昨日のように思い起こされます。

清志さんのお父様は仕事でも優秀であったようですが、世相についても見識が高く、またユーモアのセンスもある方です。お母様は物静かで優しさがにじみ出て来るようなお人柄。清志さんはお二人の人柄を受け継がれていました。何ごとにもまじめで優しい心遣いのできる方でしたから、ご家族はもとより彼を知る人々はその前途を楽しみにしていたことでしょう。私もそのうちの一人です。

悲しいかな諸行は無常、会者定離(えしゃじょうり)は世の習いといわれるように清志さんは人生を駆け抜けて行かれました。突然に最愛の人を失った敦子さんとご家族の悲しみは実に深く、皆さんに元気な笑顔が戻るのには数年の時間が必要でした。それでも6年前の7回忌の頃からは少しずつ立ち直られたように思えましたが、この度の13回忌の法要では『悲しみが癒えることはありませんが、故人への思いを常に忘れることなく、ゆかり深い一人ひとりが元気に意義ある人生を歩むことこそ清志さんへのまことの供養』と理解されたのではないでしょうか。法事の後の御斎(おとき・会食)では皆さん清志さんを偲んで親しくお話をすることができとても良い法事となりました。清志さんもきっと安心されていることと拝察します。

 

【金子さん第1周忌法要】

今月の3日、緑区北八朔にお住まいだった金子孝一さんの第一周忌法要が当山で営まれました。金子さんが当山の信徒となられてもう二十年以上の歳月が流れました。七五三のお祝いにお参りされた二人の孫娘さんも結婚され、お一人はお母さんになられましたから、時の流れは本当に早いなと思います。

金子さんは昨年9月13日、数え年86歳で逝去されました。金子さんは匠と呼びたくなるようなとても腕の良い建具職人さんでしたが、腕が良いのは建具ばかりでなく、庭づくりや野菜作りなど、多方面に器用な方でした。お寺への参詣はそう多い方ではありませんでしたが、毎年夏のお経参りにはご家族の皆さんがそろって読経・唱題されていました。その後、金子さんご夫妻と子息の孝司さん夫妻と親しくお話をさせて頂くのが常でした。

金子さんは物知りな方であると倶に職人さんらしく仕事へのこだわりのある方でした。また、奥さんや家族をとても大切にされる方で、温かい愛情が伝わってくるような人柄でした。いつも奥様とご一緒でご近所でも仲睦まじい夫婦と呼ばれていたようですが、孝司さん夫妻と二人のお孫さんの三世代での生活も仲の良い生活でした。
昨年の葬儀のときにも挨拶に立たれた孝司さんが、我が家の力は「家族愛」と述べておられととおりです。ですから長寿を頂いた孝一さんが亡くなられた時には、年齢には納得していたものの愛情故に別れの悲しみは深いものがありました。

昨年は葬儀を横浜市北部斎場で執り行い、四十九日忌の法要と納骨は霊園で営みました。今年は8月に新盆の供養を行って間もなくの一周忌でしたが、思いのある家族・親族の皆さんが当山に集い本堂で法要を営み、その後、客殿で御斎を頂き故人を偲びました。

それぞれにゆかり深い故人を偲ぶ法事のかたちはあろうかと思いますが、生者と死者のたましいの交流の時を大切にしたいものです。

相武山 山主

2017年09月18日