相武山 妙法院のブログです。
去る24日、中区滝之上の吉田与志子さんが数え年97歳を一期に逝去されました。息子さんの新一さんから連絡を受け葬儀の準備となりましたが、かねて入院されていた病院からの説明もあって、ご家族も最後を覚悟しておられたようでした。
新横浜の斎場を式場に27日の御通夜、28日の葬儀・告別式、初七日忌法要まで、当山の法式に則って厳かに執り行い、与志子さんを深く信じられていた法華経の世界にお送りしました。
先月のブログで義妹のみほ子さんが霊山に旅立ったことをおしらせしましたが、みほ子さんをお送りして2ヶ月。当山開創時からの信仰の同志がまた一人、日蓮大聖人さまのもとに向かわれました。
最後にお会いしたのは昨年9月のお経参りの時でした。耳が遠くなっておられましたが、一緒に勤行唱題をつとめ、2年ぶりでしたのでゆっくりと昔話を交わしました。与志子さんは記憶力の良い方で、保土ケ谷の開創当時から岸根の時代の頃を懐かしく語っておられました。また、来年もお会いしましょうといってお別れしたのが最後となりました。
私の与志子さんのイメージは、かつて人生のご苦労や日蓮大聖人へのまじめな信仰についてお話を伺っていたこともあり、聡明な上に非常に腹の据わった方というものです。頭の回転も速く弁も立つ方でした。教えを求める気持ちも強く、御書をよく拝読されて、私にもよく質問されていたのを覚えています。
岸根や羽沢でのバザーでは、お好み焼きや焼きそばをよく焼いてくださいました。苦労を表に出されず、皆さんに明るく声をかけておられた姿がまぶたに浮かびます。開創当時の仲間をまたお一人霊山にお送りし寂しく思いますが、送る私も必ず旅立つのですからしばしの別れに過ぎません。
与志子さんまたお会いしましょう。
相武山 山主
2017年08月29日