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相武山 妙法寺 ブログ

「みほちゃん」しばしのお別れ

先月の21日早朝、吉田満さんから「みほちゃん」逝去の報せをうけました。最近の様子をうかがっていなかったので突然という思いでしたが、満さんからの丁寧なお話をうかがって得心しました。すぐに枕経にお参りしたいと思ったのですが、現代の世相のままに、すでに病院から葬儀社の安置所に行かれるという流れになっていましたから、枕経や十分な段取りについてお話はできませんでした。それでも本人の意思とご遺族の理解があって、当山の法式に則って23日と24日の両日、新横浜の斎場にて厳かに葬儀式を執り行いました。
数え年で81歳だった吉田みほ子さんを私が「みほちゃん」と呼ぶのには少々わけがあります。私が横浜での布教を志して当山の前身となる「布教所 正信寮」を開いたのは昭和56年の2月でした。得度を許され仏道に身を置いた小学校の6年生から29歳近くになるまで、私は寺院での生活が当たり前でしたが、創価学会と結託した阿部日顕師が大石寺と日蓮正宗を乗っ取ったことが判明したときから、寺院での生活を離れ民家で求道と布教にあたることを決意しました。保土ヶ谷駅にほど近い西区東久保町のアパートの一室を仏間としてスタートしたそのときに私の生活環境はがらりと変わりました。今振り返ればよくやったものだと懐かしく思い出しますが、初めてのアパート暮らしはいろいろなことがあり鮮明に覚えています。

2月7日は御開山日興上人の祥月のご命日忌。日興門流の法義と信仰を求める正信覚醒運動の布教所を開所するにさわしい日と考えて、昭和56年2月7日入仏開所式を執り行いました。入仏式には千葉に布教所を開こうと考えていた楢原慈道師が臨席してくださり、また心をお寄せ頂いた数人のご信徒が参列されました。その中に「みほちゃん」もいたのです。お会いしたその時に、義姉の与志子さんが「みほちゃん」とよんでいたので、その親しみやすい雰囲気に私もつい「みほちゃん」と呼び始めて、最後にお別れをするまでみほちゃんだったということです。

ご厚誼を頂いてもう37年になります。信仰心の篤い「みほちゃん」は年中行事はもちろんのこと月例のお経日や御講には義姉の与志子さんと一緒に、保土ケ谷の丘の上の正信寮によく参詣され、合摩さん宅での宅御講にも必ず足を運ばれていました。『信心だけは真面目にしっかりとしたい』と熱く語る人で、言葉をかざることはまったくありませんでしたが、ざっくばらんな物言いに正直さと心のぬくもりが伝わってくる方でした。家族や友人のこともよく心配されていましたし、お寺のこともご心配頂きました。岸根町や羽沢町ではバザーなどにも積極的に参加され、元気に皆さんに声かけをしていたことが思い起こされます。

10年ほど前からは高齢になられた上に体調をくずされ、お寺には思うように参詣できなくなり、旭区下川井町の現寺院には数回参詣されただけでしたが、恵まれた環境に立派な本堂が建立されたことをとても喜んでいました。また、息子の満さんと勝利さんがそれぞれに当山の墓苑に墓石を建立したときには『本当によかった、これで私も安心・安心』と満足しておられました。

昨年は二年ぶりのお経参りにうかがい、久しぶりにゆっくりと語り合うことができ、今となっては懐かしい思い出となりました。葬儀では懇ろに読経・唱題を申し上げ、仏祖三宝尊に成仏の御祈念をいたし御回向申し上げました。今生ではもう二度とみほちゃんの元気な声を聞くことはできませんが、信心深かったみほちゃんですから、きっと日蓮大聖人様のもとに行かれたことでしょう。時が来れば私も霊山に向かいます。みほちゃんしばしのお別れです、またお会いしましょう。

相武山 山主

2017年07月31日