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相武山 妙法寺 ブログ

七草と初御講

正月の雰囲気が続く七日には御経日を勤めました。日興門流の先師先達への御報恩と当山檀信徒有縁精霊追善供養の法要ですが、例年、初勤行会など年頭に参詣できなかった方々もお参りになります。勤行を申し上げた後には正月拝読の「重須殿女房御返事」を詳しく解説して法話としました。

この日は七草がゆを作る家庭も多いと思いますが、当山でも折々に参詣者に振る舞ってきました。今年は私にスイッチが入って、お米から土鍋で炊き上げた七草がゆをつくって参詣者の方々に召し上がって頂きました。初めてのことで前日から緊張して臨みましたが、皆さまからお世辞も入って「美味しい」といって頂いたので、明年はもっと美味しいと言われるように腕を上げたいと思っています。

13日の宗祖月例御講と21日の日曜御講は今年の初御講でした。両日ともにご信心の篤い檀信徒が参詣され、ご一緒に読経・唱題、日蓮大聖人への御報恩を申し上げました。法話は妙風新聞の「御心を拝して」より『秋元殿御返事』を拝読。「五節句は妙法五字のまつりである」ことを倶に学びました。御講への参詣は日蓮門下にとって大切な信行です。今年も一人でも多くの方が参詣され仏道の功徳を積んで頂きたいと願っています。

相武山 山主

2018年01月31日

敬愛する法友(とも)を霊山へ

歳末に三名の法友(仏法の友)を霊山にお送りしました。

【吉田金満さん】

11月の末、中国天台山研修から帰国してすぐに中区の吉田金満さん(86歳)を霊山にお送りいたしました。吉田さんは6月に逝去された吉田みほ子さんのご主人です。吉田さんはみほ子さん同様当山開創時からのご信徒で、みほ子さんと一緒にご信心を大切に善く当山の外護にも尽力頂きました。寡黙な方でしたのでお経参りの折りにお話をさせて頂くばかりでしたが、温厚で誠実な人柄がにじみ出ているような方でした。

奥様が逝去されてきっと力を落とされたのでしょう。残念ではありますがとても仲の良かったご夫婦でしたので、視点を変えれば手を携えて仲睦まじく霊山に旅立たれたのだと思います。温かい気持ちのご家族・親族が寄り合い、日蓮大聖人の教えを大切に、真心のこもった葬儀を新横浜の斎場で営みました。

【阿部勝子さん】

年の瀬も迫った12月末、緑区の阿部勝子さん(86歳)が逝去されました。阿部さんは23年前からのご信徒でとても信仰の篤い方でした。勝子さんは心優しいご主人と一緒に障害をお持ちの長女和子さんを温かく育まれていました。10年ほど前まではご自分で車を運転され、和子さんの手を引いて一緒に当山に参詣し信行に励んで居られたことを思い出します。その後、墓所を当山に求められたことを契機にご主人も倶に参詣されるようになりましたが、残念ながら3年半ほど前に愛娘の和子さんは48歳で霊山に旅立たれました。

私はこれまで障害をもつ子供さんのご両親を幾人か存じ上げていますが、皆さん例外なく愛情が深く、人生や社会について確かな見識を持ち、心豊かな方々ばかりでした。かつて『障害を持つ子は親を撰んで生まれてくる』という言葉を教えて頂きましたが、本当にそのとおりだと思っています。阿部さんご夫妻もこの言葉がよく似合うお人柄でした。葬儀は当山の客殿で家族葬のかたちで営まれ、勝子さんが生前深く信行しておられた法華経と宗祖のお題目によって霊山に旅立たれました。

【加藤和子さん】

港南区の加藤和子さん(89歳)は30年前からのご信徒。歳末にご長男の雅一さんから訃報を頂きました。ここ10年ほどは体調が優れず参詣することはできませんでしたが、長く地道に当山を支えてくださったお一人です。いつも笑顔を絶やすことのない明るく朗らかなご性格で、ご家族はもちろんのことご縁のある方々すべてに快活な笑いを提供される方でした。
当山との出会いは約35年ほど前、京浜急行上大岡駅に掲示した「生きる」という看板が機縁。信心にはとてもまじめに向き合われる方で、ご自宅での宅御講もおよそ8年ほど継続して開催され、ご一緒に大聖人さまの御書を学んだことが昨日のように思い起こされます。

残念なことに久しぶりの対面が枕経となってしまいましたが、かつてのふくよかなお顔とは異なり身体とともにずいぶんスマートになって居られました。さきに霊山に向かわれたご主人や次男の二朗さんもさぞ驚かれることでしょう。葬儀はご家族・親族の方々の参列を得て大船の斎場で営まれ、御本尊さまに法華経を読誦、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして成仏への祈りを申し上げました。

皆さまのご冥福をお祈り申し上げます。

相武山 山主

2018年01月30日

初春を迎えて

平成30年の新たな年明け、例年通り元旦の元朝勤行会、三ケ日の初勤行会では同心檀信徒の皆さまと倶に法華経と日蓮大聖人の御宝前に初春の祝いを申し上げ、さわやかな初春のスタートを切ることができ有り難く思っています。

元朝勤行会では午前0時から五座の勤行をおつとめしましたので、重須殿女房御返事を拝読して元朝の挨拶を申し上げ、お屠蘇を差し上げて新年の挨拶を交わしますと午前1時を過ぎてしまいます。元朝のすがすがしさを覚える勤行会ですが、家族連れで参詣の子どもたちには少々しんどかったと思います。でも御本尊さまのご加護を頂戴し善い信仰の思い出となることでしょう。

今年の三ケ日の初勤行会は晴天に恵まれ、参詣檀信徒約250名ほどの方々と法華経とお題目の信行をもって仏祖三宝尊に新年の誓願を申し上げました。勤行会の後には例年通り「重須殿女房御返事」を拝読申し上げて年頭の辞(趣旨は以下のとおり)を申し上げました。お正月の初参りはいつもなかなかお会いできない方々にもお会でき、親しく言葉を交わすことができて、とてもうれしく楽しい法要です。私は今年も同志の皆さまと倶に信行を磨いて確かな人生を歩むことを誓願いたしました。

ー 初春のあいさつ(初勤行会から) ー

新年あけましておめでとうございます。
只今年頭にあたりまして初勤行会を執り行い、仏祖三宝尊の御宝前に、参詣の皆様方の信行増進、もって無始以来の謗法罪障消滅、心願満足、家内安全、一切無障礙のご祈念を懇ろに申し上げました。

【生かされている】
年の初めには我が国のほとんどの方々が、それぞれ自らの信ずる仏神や神聖と思う地に足を運び、新たな一年の祈りを捧げることを常といたします。日頃信仰とか宗教という存在になかなか思いが至らない方でも、新たな年の初めには自分が一人で生きているのではなく、何か偉大な力によって生かされているということに気づくのではないでしょうか。

人智を越えた神聖な存在や世界を宗教といい、その宗教は信仰する人々によって支えられていますが、信仰は仏神や妙法ばかりでなく自然や宇宙そのものにも及ぶものです。わかりやすく言えば、自分を誕生させ育み支えている存在があるということを理解した人が、その存在(信仰の対象)を信じて敬うという営みが信仰ということになります。

しかと見ることはできませんが、自分自身が一人だけで、自分の力だけで生きているのではなく、何か大きな力によって支えられ護られていると感じたときに信仰の思いが生じます。「生かされている」と感じたときに私たちは信仰を意識することができるのです。
有史以来世界にはさまざまな宗教・信仰が存在し、いまでも聖者や覚者を名乗る人によって新興宗教が誕生しています。
宗教と信仰の存在は広く大きいものがありますから一概に述べることはできませんが、キリスト教やイスラム教やユダヤ教であれば、その信徒は天地を創造した唯一の神によって生かされ支えられていると信じて神を敬いその教えにしたがって人生を歩みたいと願うわけです。
また、宇宙や太陽、山や海など自然の事物事象を尊ぶ信仰もありますし、先祖崇拝や特別な呪術者を崇拝する信仰もあります。また釈尊によって創始された仏教は、天地創造・絶対神の存在を認めることはなく、「すべての存在、事物事象は妙なる法理のもとで因縁縁起によって成り立っている」として、真理としての妙法を尊崇する宗教です。仏陀、覚者、仏という概念は妙法を人格化したものであり、その実体は妙法そのものなのです。仏教信仰者は肉眼をもって見ることはできませんが、あらゆる存在は不思議な妙法によって誕生し、支えられ育まれ護られていると信じているのです。

今申し上げたように、それぞれの宗教や信仰によって概念や有り様は異なりますが、私たちは偉大な力によって生かされているという理解は等しいように思います。この意識は無宗教という方が多い我が国の人々も共有しているようです。そのために日頃は宗教や信仰を意識しない方でも、年の初めには寺社仏閣や神聖と思う地に足を運んで祈りや願いをささげるのではないでしょうか。大多数の方が『自分は何かの力によって生かされているのではないだろうか』と本能的に理解しているのでしょう。

人類の宗教の淵源を辿ってみれば、まず太陽や自然に向かい、次に太陽を突き抜けて宇宙に向かって行き、神聖な存在と自身の関係性に気がついたと言えます。眼前の人生の諸課題、日々の生活の有り様を大切にする仏教では、宇宙の実体や本源などについて探求することはありませんが、本源の力用(りきゆう)真理を妙法と捉えて、それを支えとし燈びとして「感謝の心で自分に与えられた人生を有意義に歩もう」というのが基本の姿勢となります。

【大聖人さまの教え】
本日参詣の皆様方には、仏教への信仰、日蓮大聖人さまへの信仰を大切に思われて、この相武山妙法院の御宝前にお参りをいただきました。私は只今参詣なさった皆様方それぞれが心を込めて法華経を読誦し、そして仏法のすべてを納め日蓮大聖人が遺された南無妙法蓮華経のお題目を唱えられたのですから、年頭に当たって皆様方が立てられた誓いと願いが、本年一年立派に実を結ぶように心からのご祈念を申し上げた次第でございます。

私たちは年頭に当たって心機一転、心を定めて自分らしい新年の誓願を立てることが大事だと思います。大晦日からこの元朝の一日、たった一日の違いですけれども、旧年を振り返って反省することは反省しながら、その上で、過ぎ去ったことをあれこれと悔いて思い煩い愚痴をながしても詮ないことと諦めて(明らかに観て)、自省に立った新たな精進の志を抱くことが肝要だと思うからであります。
過去の業に振り回されることなく、現在と未来の善業を心がけて新たな道を切り開いて行こうとの気概こそが法華経の精神に適うのではないかと思うのです。

日蓮大聖人は御書に「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』とは此れなり」と仰せです。治生産業(ちしょうさんごう)とは生計を立てて暮らしていくための仕事や生業をいい、日常生活の一切の営みのことです。
その意味は人生のすべての生業や仕事が実相であるということで、仏道の修行も事改めて非日常を追い求めるのではなく、日々の生活に仏道の世界を観じて行くことが大切だと教えておられます。

法華経は現実世界を正面から受容して「与えられた人生を如何に生きるべきかを問う教え」ということがいえます。浄土思想のように専ら西方極楽世界に安らぎを求めるものでもなく、また、瞑想を専らにして現実を離れて我心の世界に浸ることでもありません。まして、祈祷や利根や通力をもって現世の欲得を満たそうとする教えや、非現実的な心霊世界に遊ぶことを喜ぶ信仰でもないのです。

私たちは末法の荒凡夫ですから時には迷うことも悩むこともあるのが当然です。しかし、普段の生活こそが大事と心得て、一日一日を大切に生きること、自分と家族を大事にすること、仕事や仲間を大事にすること、日々の苦労や厳しさにも意義を見出して生きる喜びを発見することが何より大切ではないかと思うのです。私たちが大聖人さまの教えに導かれて、善きにつけ悪しきにつけ勤行唱題に励むのも、ここにまことの意味があることを理解して行きたいと思います。

【日々にお題目の祈りを】
信仰を大切に朝夕御本尊さまに手を合わせ、もちろん御本尊さまを安置されていない方も。法華経要品を読みお題目を唱えて、時間が無い時はお題目三唱かもしれませんが、自分の心の中で唱えるだけでも結構なことです。御本尊さまに意識が向かいお題目を唱えるということは、自分自身を見失うことがないように、仏さまの智慧と力用を頂いて今日一日を精一杯生きようという姿なのです。
皆さんそれぞれ忙しい生活を送っておられると思いますが、朝と晩には御本尊さまに祈るような静かな時間をとって頂いて、そして只今の御書にございますけれども、日々の生活の中で何が幹として大切にしなければならないのか、何が枝葉で後にしても良いのか、物事の高下・浅深に迷い誤ることができるだけないように、ご自身の智慧を磨いて頂きたいと思います。

また、七十歳、八十歳、九十歳と誰にも老境がまいりますが年齢で物事を諦めることはありません。人は志しがあれば何歳でも成長できるというのが仏教の考え方です。もちろん年齢と共に様々な事ができなくなりますが、経験を大切にして心を磨くような志しさえあれば豊かに生きていくこともできるのです。
病気一つとっても、病気になっただけですべてが崩れてしまう人もいれば、病気になっても心の充実と幸せを見出す人がいます。何ごとも心の持ち方如何ということです。只今の御書の中にも宗祖は「仏と地獄はどこにあるのか」と問い、それは「自身の心の中にある」と教えておられます。
どのように生きるかは自分が決めることです。人生の出会いと選択にできるだけ誤りのないように、より良い出会いと選択のために、仏法のたしかな光明を頂くために私たちは南無妙法蓮華経のお題目を唱えています。皆様方には年頭にあたってこの思いを深く胸におさめられ、どうか苦しい時も楽しい時も、妙法への感謝の心を忘れないでほしいと思います。
南無妙法蓮華経というのは当たり前なことは一つも無い、すべてが尊い存在だと信ずることです。仏法とその感謝の思いを大聖人さまは南無妙法蓮華経のお題目に込められたわけですから、愚痴や不平や不満もありましょうが、どうか年頭にあたっては自分の志しを立てて、そして苦も楽もあるのが人生であり、苦が無ければ実は楽も無いということに気づいて頂きたいと思います。そして自分の生きる心が弱くなってきたら、法華経と大聖人さまの大きな力を頂いて、勇気を頂いて、自分らしい人生をしっかり歩んで頂きたいと心から念願する次第でございます。

【重須殿女房御返事】
私は毎年初春にこの『重須殿女房御返事』を拝読しております。この御書は大聖人さまが晩年その生涯を閉じられる前に、ご自分の御内証と仏法の有り様を平たくご婦人に説かれたお手紙です。日頃、菩提寺に参詣できない方や御書を開くことができない方でも、何回も何回も繰り返しお読み頂ければ、大聖人さまの教え、そして法華経の教え、そして仏教の精神に気づかれることと思います。
どうか本日お渡ししました『重須殿女房御返事』を折々に開いて頂き、自分の心をしっかりと耕して豊かな一年を送って頂きたいと念願致しまして、新年の挨拶とさせて頂きます。本日は誠におめでとうございます。

相武山 山主

2018年01月28日