相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

おさめの御講を奉修

12月13日と17日の両日、今年の「おさめ御講」を執り行いました。御講は日蓮大聖人御報恩講の略称です。毎月13日は日蓮大聖人のご命日忌、日蓮門下ことに宗祖を末法の御本仏と拝する日興門流にとっては大切な法要です。日興上人の古より門流の法華の道場では怠ることなく勤められてきました。一年の最後となる12月の御講はおさめ御講と称して信行のおさめとなるものです。
月例の13日には15名の方々、17日(日)には約40名ほどの檀信徒が参詣。ともどもに献膳・読経・唱題と修して日蓮大聖人の御宝前に今年一年の報恩感謝を申し上げました。

法要後の法話では
法華経題目抄『 問うて云く、題目計りを唱ふる証文これありや。答へて云く、妙法華経の第八に云く「法華の名を受持せん者、福量るべからず」。正法華経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持せば、徳量るべからず」。添品法華経に云く「法華の名を受持せん者、福量るべからず」等云云。此等の文は題目計りを唱ふる福計るべからずとみへぬ。一部八巻二十八品を受持読誦し、随喜護持等するは広なり。方便品・寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。但一四句偈乃至題目計りを唱へとなうる者を護持するは要なり。広・略・要の中には題目は要の内なり』を拝読。
また、法華経分別功徳品『如来の滅後に、もしこの経を聞いて、毀呰せずして随喜の心を起こさば、まさに知るべし。すでに深信解の相と為すなり。いかにいわんや、これを読誦し、受持せん者をや。この人は、すなわちこれ如来を頂戴したてまつるなり』と。
藥王菩薩本事品『一切の諸の経法の中において、最もこれ第一なり。仏はこれ諸法の王なるがごとく、この経もまたまたかくのごとし。諸経の中の王なり』との経文を併せて拝読。

宗祖が説かれる南無妙法蓮華経の唱題の功徳と、末法における法華経修行の在り方が要法受持にあることをお伝えしました。結びに本年一年の当山外護に対する御礼を申し上げ、明年も倶に仏道に精進して行くことを願うと希望をのべました。

おさめ御講の後は客殿に移動して歳末の懇親会、参加費は500円のワンコインです。懇親会では昨年に続いて「餅つき機」でお餅を出しました。餅つき機が餅を蒸し、つき・こねて、懇親会の準備をしている間に、元和菓子職人の小原さんがつきたての餅をさばいてくれました。昨年同様餅米は金沢区の久保さん、小豆は旭区白根の阿部さん、大根は緑区十日市場の落合さんの提供でした。
豚汁、おにぎり、きなこ餅、おろし餅、小豆餅、つけもの、唐揚げ、お酒やビール、ソフトドリンクやノンアル、和菓子に洋菓子などを頂きながら、皆んなで一年の無事と信仰の悦びを語りあって楽しいひとときを過ごしました。
来年もより多くの方々にご参加頂きたいと思っています。

相武山 山主

2017年12月30日

樹莉ちゃん三歳のお祝い

今月10日、和光市から重吉樹莉ちゃんが三歳のお祝いにお参りになりました。ご両親とお姉ちゃんの樹菜ちゃん、そしておじいちゃんとご一緒でした。日蓮大聖人の御宝前に法華経を読誦し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えし、御本尊様にこれまでの無事に感謝を申し上げ、これからの健やかな成長にご加護を賜りますよう御祈念を申し上げました。

歳月のながれはまことに早く、お母さんの真美ちゃんが身籠もり、樹莉ちゃんが無事に誕生して、初参りに見えたのがつい昨日のようです。重吉家に限らず折にふれて参詣される子供さんたちの姿を見ていると着実に時が積み上げられているのがわかります。大人の姿からもわからないわけではありませんが、子供たちの姿かたちからは一目瞭然です。

限りある人生です。意識するとしないとに関わらず、時は瞬く間に流れて行きますから一日一日を大切にして行かなければなりません。私たち大人には幼子のようなすばらしい成長の姿を示すことは難しいかも知れませんが、子供たちの成長に負けないように、己の信心を磨いて心の成長をはかって行くことはそう難しいことではありません。心の成長をはかることは人生の豊かさと幸せに通じているのですから、御仏大聖人を信じて信行に精進したいものです。

幼子が頼りなげに両手を合唱する姿に心を揺り動かされ、仏祖三宝尊に健やかな成長を祈念しながら、自らの精進にも思いをいたした七五三祝い参りでした。

相武山 山主

2017年12月29日

かまくら歴史散策の会

12月2日(土)、有志の方々と鎌倉を訪ねました。集合場所はいつもの鎌倉駅西口時計台の前。

参加者は酒井さん、新倉さん、熊木さん、奥田さん、久保さん、勝俣さん、落合さん夫妻、芦川さん、高橋さん、興厳房と私でした。例年のように鎌倉の歴史や文化に造詣の深い酒井俊克さんにご案内頂きました。天候にも恵まれ古都鎌倉の紅葉を楽しみながらの散策はとても気持ちの良いものでした。

はじめに鎌倉市の中心に座る鶴岡八幡宮へ。境内は観光客に混じって七五三参りや結婚式も行われており、にぎやかな光景が広がっていました。八幡宮のいわれと鎌倉幕府の関係などを酒井さんに伺いながら、八幡宮の東側に広がっていたとされる大倉幕府跡についても解説頂きました。その後、大倉法華堂跡といわれる白旗神社へ、神社の前の石段を上ると鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓があります。ここでは頼朝やその近臣の話を伺いました。

その後、荏柄天神を見学して鎌倉宮へ、鎌倉宮は建武の中興で有名な後醍醐天皇の皇子であった護良親王を祭神とする官幣社。足利尊氏との対立によって殺められた悲劇の皇子の御霊をまつるため明治天皇が造った神社です。そこから二階堂にある史跡「永福寺跡」へ。永福寺は源頼朝が奥州中尊寺の二階大塔大長寿院を模して建立した寺院。鶴岡八幡宮と勝長寿院と並んで当時の鎌倉三大寺社の一つでした。建久3年(1189)に建立された永福寺は応永12年(1405)火災によって廃寺となりました。昭和58年から開始された調査で往時の伽藍が明らかとなり、現在史跡公園として整備されています。

永福寺からは鎌倉最古の寺といわれる杉本寺に向かい、続いて鎌倉五山五位、足利家ゆかりの浄妙寺を見学。その後、同じく足利家や上杉家と関わりの深い報国寺へと向かいました。報国寺は近年境内を整備し「竹の寺」と称して観光客を集めている禅寺です。ここでは竹林や紅葉を愛でながら、足利家と上杉家のいわれなどについて酒井さんから解説を受けました。午前九時半からの鎌倉散策も3時間半を過ぎてきたので、今年はここで切り上げることになり各自散会となりました。

鎌倉駅にもどる道すがら八幡宮を過ぎた辺りのそば屋で昼食を頂き、散策をふり返って鎌倉の魅力について歓談しました。何回足を運んでもおもしろく楽しい古都かまくらの散策です。ご案内頂いた酒井さんには厚く御礼を申し上げ、来年もまた初冬の鎌倉を楽しみたいと願っています。

相武山 山主

2017年12月29日

天台大師の御事跡を訪ねて

去る11月20日から6日間の日程で天台大師智顗の御事跡を研修するために中国を訪ねました。今回の研修ツアーは西宮市正蓮院の神屋師と一昨年から企画を練っていたものです。研修ツアーには僧侶9名・信徒5名の14名が参加。添乗員はインドの仏跡巡拝でお世話になったBS観光の範さんでした。成田からは松田教尊師、永山法省師、川田仙征師、興厳房と私、奥田久子さんと小田さん夫妻の8名。関空からは神屋正明師、坂上純興師、坂口興妙師夫妻、神屋明静師、丸川瑛児さんの6名。それぞれ成田空港と関西空港から中国の上海浦東国際空港に飛びました。

関空組が早めに到着し、私たち成田組と合流して空港を専用バスで出発したのは中国時間15時20分。ハイウエイをひた走り一路天台市をめざしました。天台山国清寺に隣接する天台賓館には20時10分に到着、中国はさすがに国土が広く休憩を含めて約5時間の旅程でした。早速チェックインをすませてホテルのダイニングで夕食。新鮮で美味しい夕食を頂きながら参加者がそれぞれ自己紹介。和気藹々と楽しい時間を過ごし明日への英気を養いました。

私は10年ぶり4回目の中国訪問でしたが、一日目でこの国が大きく変化していることを実感しました。空港やハイウエイなどのインフラは驚くばかりに発展し、食事も想像を絶するほど豊かなものになっていましたし、ホテルの接客も向上していました。始めて中国を訪ねた22年前とはまさに様変わりです。訪問地も異なりますから一概には語れませんが18年前や10年前とも比較になりません。今回の研修ツアーでは観光地のトイレを含むインフラや交通機関、食事などの生活向上は目を見張るばかりでした。経済力の伸張に生活の質も同調しているように感じました。

さて、今回の研修ツアーは中国の小釈迦と尊崇され、中国はもちろん韓国・日本の仏教に大きな影響を与えた天台大師の御事跡を巡拝するものです。天台大師(538―597)は中国、隋(ずい)代の高僧で、法華経を以て中国仏教をまとめられ天台法華宗の開祖となった方です。智顗(ちぎ)は諱(いみな)、字(あざな)は徳安(とくあん)といい、智者大師、天台大師と称されます。

現在の湖南省、当時の荊州(けいしゅう)地方で生まれ、後梁(ごりょう)の555年(紹泰1)18歳のとき、果願寺(かがんじ)の法緒(ほうしょ)の門に入って出家、560年(天嘉1)南岳(なんがく)慧思に師事。
仏道を修められた後、陳(ちん)の都金陵に赴き、行(観)と学解(教)を等しく重視する「教観二門」を総合した仏教思想を構想、自らの求道と衆生救済に勤めましたが、8年後の575年(太建7)決然として天台山に入山。
大師は天台山で11年間修行修学され法華経を中心とした教相判釈を構築されたのです。その後、天台山を下山し玉泉寺を開創して没するまでの12年間、主著となる『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(げんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)』の三大部などを講じ法華経の訪問をもって衆生救済に努められました。

インドを源流とする仏教が中国に伝えられて約500年。天台大師は釈尊の教えの中心を法華経に見出し、仏教の高低浅深を判釈され、諸法の実相である円融(えんにゅう)三諦(さんたい)を会得して成仏への道を歩むよう説かれたのです。この天台大師の教えは日本の伝教大師最澄に継承され日本仏教の母体となりました。

私たちが信仰する末法の法華経の行者日蓮大聖人は天台沙門と名乗られるほど大師を尊崇されました。宗祖はその教えに随順して末法適時の法華本門の教えを開顕されたのです。宗祖大聖人は終生天台大師を尊敬され、お弟子方にはそのご命日である11月24日に「天台大師講」を営み報恩謝徳するようにと伝えられました。研修ツアーはその天台大師の御事跡を巡拝し、より一層信行を深めたいと願ってのことに他なりません。私たちは奇しくも大師の祥月ご命日忌直前の参拝となりました。

11月21日は朝から霧がかかり小雨模様の天気でしたが、その風情がまた天台山研修の趣を深めてくれました。この日は一日広い天台山の研修です。8時にホテルを出発、徒歩5分ほどで天台山国清寺の門前に到着。1時間10分ほどかけて大師の開いた国清寺の諸堂宇や境内を研修しました。途中大雄宝殿(本堂・釈尊殿)の前では天台大師への御報恩のため、 神屋師を導師に参加者一同自我偈を読誦しお題目をお唱えしました。とても有り難く感じた次第です。

その後、ミニバンで天台山を上り大師ゆかりの「浄名経伝説」を伝える高明講寺を見学。続いて山道を登って大師の廟所となる真覚講寺を参拝。此処では大師の御事跡を偲ぶとともに御報恩のため皆でお題目を三唱申し上げました。昼食後は仏学院となっている萬年講寺を見学して石梁瀑布へ。この滝は宗祖の龍門伝説ゆかりの滝ですが石の梁を渡している姿から石梁瀑布と呼ばれています。この滝の周囲では歴史の古い中方広寺と上方広寺を見学しました。

石梁瀑布からは華頂講寺へ、この寺院は華頂峰にあり大師の「華頂降魔」伝説をつたえています。この寺院の見学を以てこの日の天台山研修は終了しました。広い山に点在する御遺跡ですからゆっくりと拝見することはできず駆け足であったことは残念でしたが、それでも大師の足跡にふれることができたことは深い喜びで、部屋に戻ってから静かに日蓮大聖人にご報告を申し上げました。

翌日の22日は移動日でした。中国に限らず仏跡などの遺跡を研修するときは移動に時間がかかります。天台山を8時に出発しハイウエイを3時間30分走って杭州の空港に向かい、杭州からは国内線で武漢に行きました。杭州の空港も武漢の空港もともに立派な空港で少々驚きました。夕食を摂ってホテルに到着したのは午後8時前でした。

23日はいよいよ大師が開創した玉泉寺の研修です。武漢のホテルを7時45分に出発。ハイウエイを4時間ほど走って当陽市の宿泊予定ホテルでランチを摂り玉泉寺へ。ホテルから玉泉寺までは20分ほどでした。玉泉寺は天台大師が法華玄義と摩訶止観を講義された意義深い寺院です。
中国では昔から廃仏が行われたり近代では文化大革命などで寺院が破壊されるということもありました。また共産主義の国ですから宗教に関する意識も他国とは異なります。それでも近年は仏教や寺院への認識も歴史や文化の一環として高められてきたようです。そのためか玉泉寺でもあちらこちら修復工事中でした。往時の模様は知る由もありませんが、現代の玉泉寺を2時間半ほどで研修させて頂きました。最後には大勢の高校生が写生の授業でお寺に来ていましたが、その中で日本語を学んでいるという高校生と交流することもできました。とても楽しい一時でした。

24日は当陽市から武漢までバスで移動、武漢では有名な楼閣である「黃鶴楼」を訪ね、その後、武漢空港から上海虹橋空港へ向かいました。上海のホテルには23時15分に到着。翌25日は上海の豫園を見学して上海浦東空港へ。空港で解団式を行い関空組と成田組に分かれてそれぞれ帰国しました。
天台大師の息吹にふれさせて頂いた有意義な研修会でした。これからも天台大師の御事跡や天台教学をしっかりと学ばなければならないと肝に銘じた次第です。

相武山 山主

 

2017年12月28日