相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

薫風の中でさわやかな法要

昨日、ゴールデンウィークも初日の4月29日(土)、午前11時より立教開宗会(りっきょうかいしゅうえ)と御虫払法要(おむしばらいほうよう)を執り行いました。境内の木々が新緑の柔らかい若芽を青空に伸ばし、当山周囲の市民の森も鮮やかな緑の装いとなり、さわやかな初夏の薫風が流れる中での法要には篤信の檀信徒が参集。共々に宗祖日蓮大聖人の立教開宗へ報恩謝徳申し上げ、妙法院所蔵曼荼羅本尊のお風入れとお虫払をいたし、先師先達の護法の志に思いを馳せました。

三日前から本堂内陣に曼荼羅本尊を御奉掲申し上げた法要では、始めに私から『立教開宗会と虫払い法要の意義』について簡略にお話し、式次第に準じて献膳(仏祖三宝尊へお膳をお供えする)、読経(法華経方便品・寿量品長行)、お焼香(ご本尊様への供養)、読経(自我偈の訓読)、唱題、ご本尊内拝(シキミを一葉加えて内陣に進み内拝)、などについての解説をいたしました。

法要のいわれと内容については檀信徒の皆様にはすでにご承知のことかもしれませんが、よく理解されていない方や新しい方のために、また、再度認識を新たにして頂くために申し上げた次第です。前述の次第にしたがって法会は厳かに執り行われましたが、自我偈の訓読は日頃あまり馴染みのないことですので、戸惑われるかと案じていました。しかし、皆さん落ち着いて私の先導についてきてくださり無事に読み上げることができました。仏道の荘厳のため有り難い限りです。

内拝は太鼓に合わせた唱題の裡(うち)に参詣の皆さんが内陣に進んで御奉掲の御本尊を参拝しました。ほとんどの御本尊が100年以上前の書写であり、その実相をご覧になっての思いは各人各様であったことでしょう。

住職挨拶では、再度、立教開宗会の意義について「宗祖の覚悟と衆生済度の慈悲」の思いを述べ、御虫払会の意義については「曼荼羅本尊こそ日蓮大聖人の法魂」「曼荼羅本尊を厳護伝承することは日蓮大聖人の教えを護持伝承すること」であるとお伝えしました。

法要後はランチタイムで一旦少憩。12時55分からはチターの演奏会でした。チターはヨーロッパのスイスからドイツ地方にかけての地域で愛されてきた弦楽器です。我が国では馴染みの薄い楽器ですが、川崎の芦川さんが東京の内藤先生に師事して居られたことから当山にもご縁を結んで頂きました。当山での演奏会も今回で4度目となりました。

 

内藤先生の穏やかな語りを交えての演奏会は聴衆のこころに響くものでした。先生作曲の作品を始め馴染み深い曲目を次々にご披露頂き、また、途中では紹介者の芦川さんも参加され、結びの時間には聴衆のために先生が「おぼろ月よ」と「ふるさと」を選曲され、みんなで心を込めて歌い印象深い演奏会となりました。

内藤先生は我が国に馴染みの薄い「チター」という楽器にヨーロッパで魅せられ、そのすばらしさを是非多くの人に伝えたいと一人で立ち上がられた方です。何ごとも挑戦する人には試練があるのですから、先生の今までの歩みにもきっと厳しく険しいことがあったことでしょう。しかし、そんなことを微塵も感じさせない静かで力強い演奏と語りでした。当山の法会に花を添えて頂きました。またの機会を楽しみにしたいと思っています。

演奏会の後には御本尊の御奉納。自我偈を読誦した後、唱題裡(しょうだいり)に信徒総代が内陣に進んで曼荼羅本尊をお巻き上げ、私と興厳房がお受けして桐箱に納め御宝前に安置。お題目を三唱して法要の一切は無事に終了。
今年も仏法護持の志篤い方々の参詣を得て厳かに法要を奉修できました。心より感謝を申し上げます。

相武山 山主

2017年04月30日

4月度の日曜法話会

「正見」を求め、あるがままの事実を認めることは仏教の基本的姿勢です。法話会ではその視点から「世相」について私の意見をお伝えしています。というよりも、世相に対する意見を述べることが本来の「法話」なのかも知れません。

今月の世相のテーマは「新たな環境に身を置く人々応援」でした。テーマとして取り上げたのは、学校や職場をはじめ社会のあらゆる場面で新しい環境に取り組む人々をみかける季節を迎えたからです。

新しい環境は夢と不安の世界ということがいえるのではないでしょうか。環境は一人ひとりの身心に大きな影響を与えるものですから、環境が変われば戸惑うことがあるのは当然です。熟練者もはじめは皆初心者でした。自分が出来るようになったからといってうぬぼれて傲慢になることは慎まなければなりません。

新たな環境に立つ人には、その迷いや戸惑いを許して温かく見守りたいものですし、そのような出会いの時にこそ、自らの優しさと思いやりの心を養う機会としたいものです。一人ひとりの優しさと思いやりが社会の安寧をもたらします。人生は学びに満ちているのですから、人徳を重ねて豊かな人生として行くことが大切であることを述べて私の意見としました。

法話会のテーマは「日本の仏教」でした。釈尊によって創始された仏教にはその基本思想として三法印、縁起論、四聖諦などが存在しますが、他方、仏教は非常に多様性に富んだ宗教という側面があり、世界宗教として受容された仏教史の概観を述べました。その上で、現在の日本の仏教の姿はまさに「日本の仏教」とよぶにふさわしい「日本的仏教」であることをお伝えしましたが、時間の都合上、詳細は来月の課題として残りました。

来月は14日(日)午前11時から法話会を開催いたします。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2017年04月30日

境内整備のご褒美・・・・・

横浜では今の春、サクラの開花が例年より遅く、当山本堂前のサクラも4月1日の御経日にはほとんど花開いていませんでした。この日は月例の御経日の後にペット墓で慰霊祭を行いましたが、樹上のサクラは数えるほどで少し残念でした。その後、2~3日して開花となりましたがすっきりしない天候もあって、「晴れ渡る青空に春のサクラ」を満喫するイメージを描けず、わがままにも『何か物足りないな~』という思いでした。

『自然はままならないな~』と思いながらも、晴天の日に三ツ境から当山までのバス通りのサクラのトンネルをカメラで切り抜きにゆきました。路の両側から張り出すようなサクラの並木はやはり春らしい光景です。サクラ並木は各地にありますが身近な生活の側に在るのはやはりうれしいもので、花をみていると心がウキウキしてくるのは私一人ではないでしょう。

当山では昨年境内西側の雑木林の樹木を伐採しましたので、昨年までとは境内の雰囲気がかなり変わってより明るくなったように思います。月参りに見えない方でも春のお彼岸などに見えた方は、本堂を背にして墓苑の方を見ると景色が広がったことがわかったのではないでしょうか。墓苑下段の雑木林を整備したので二本の大きなサクラも存在感を増し、谷戸(やと)の向こうの追分市民の森がすっきりと見えるようになったからです。雑木林のサクラも立派なものですし、谷戸の斜面のサクラの並木も見応えがあります。墓苑から谷戸の方面を見ていると緑の世界が広がって、やがて自分の心にもみずみずしさがもたらされる気がします。これも境内整備のご褒美かもしれません。

市民の森の斜面にサクラの苗木が植樹されたのは10年ほど前のことでした。植えたときにはひょろひょろと頼りなげな苗木でしたが、時を重ねて次第に幹を太くし枝をしっかりと伸ばしてきました。今では立派なサクラとなって訪れる人を喜ばせています。その姿に時の重みを思わずにはいられません。

人間も自然も社会も否あらゆる存在がはじめは頼りないような存在です。しかし、時の経過の中で育まれ磨かれやがて豊かに成長してゆくものです。振り返れば当山もさまざまな機縁によって法華経の道場として誕生し、現在、この下川井町にて仏道の護持に努め、仏様の教えを少しでも伝える存在になっていることは有り難いことだと感謝しています。これも仏道を倶に歩んで来られた檀信徒の皆さんの信仰心の賜です。当山にはわずか37年の歴史しかありませんが、一日一日の精進が重ねられて今日に至っていることを朝夕に銘肝しています。

サクラは冬枯れの中につぼみを膨らませ、やがて花が開いて春の訪れを告げ、風に舞って優美に散りゆき、葉桜となって新緑を楽しませてくれます。夏には木陰を提供し秋には紅葉し四季の移ろいを教えてくれます。サクラには『今年のサクラは・・・・・』などという私の不遜な思いを一蹴するような存在感があるような気がします。

相武山 山主

 

2017年04月29日

雑木林で遊べる日を願って

昨年、強風対策の一環として境内西側の樹木を伐採しましたが、その枝葉がかなり大量に残り一冬を越しました。作業して頂いた造園屋さんにかねて撤去を依頼していましたが、ようやく先月の末から3日ほどかけて搬出してもらいました。

かなりの量でした。お陰様で墓苑下の雑木林がすっきりとしました。樹木の生長は本当に早く、放っておくとあっという間に生い茂ってしまいます。知ってはいたのですが現在地に雑木林を管理するようになって改めて認識することになりました。

自然の豊かさの象徴として緑に恵まれることは、何にも増して有り難いことですが、何ごとにもプラスとマイナス、正と負があるように、豊かな自然の恵みにあずかり、心に潤いを頂くということは、その喜びのために物心共に負担がかかることを承知しなければなりません。何ごとも「プラスだけ・・・」などという都合の良いことはないようです。

雑木林はほとんどの枯れ葉も撤去してもらったので、すっきりとした空間になりました。上からのぞいてみると結構な広さがあるので、参詣の皆さんに楽しんで頂ける工夫をしたいと思っていますが、擁壁の上にフェンスを設置したりいろいろと安全対策などをしなければなりません。楽しみの空間にするためにはまだ2~3年は時間がかかりそうです。

それでも、妙法院は「仏教に親しみ、仏の道と信仰を愉しむお寺」をめざしているのですから、やがて雑木林で遊べる日が来ることを願って、これからも境内の整備を少しずつ進めて行きたいと思っています。有縁の方々にはご協力のほどよろしくお願いいたします。

相武山 山主

 

2017年04月27日

慈愛のこころにふれて

お彼岸も過ぎた4月2日の日曜日、一人の男性がふらりと墓所に向かって境内を進んで行かれました。見覚えのある中年の男性です。阿部さんの墓所の前に佇み静かに手を合わせ、墓所の周りをきれいにされてからお線香をお供えされていました。いつもお彼岸やお盆はもちろんお正月にも阿部さんのお墓にお参りされる方です。

当山の墓所へのお参りは自由となっていますから、私が存じ上げない親族や友人の方々もよくお参りになっておられます。縁の有る故人を思い、供養のために香華を捧げてお参りされている姿をみることは清々しく、日本人の情景の一つとしてその思いが伝わってまいります。

さきの男性は阿部さんの墓所にやすまれている優香さんの先生です。優香さんがあまりにも早い人生を駆け抜けて行かれてからもう4年が過ぎました。優香さんとはわずかな接点しか頂くことのできなかった私ですが、信仰心の篤いご両親から優香さんのことをいろいろとうかがいました。難病に遭遇してからのご家族の複雑で奥深い思いと、信仰を支えとした濃密な時間の過ごされ方には素直に感動しています。

優香さんの先生とは葬儀のときにお会いして会釈を交わしただけで、特別に言葉を交わすこともありませんでした。今も優香さんの墓前にお参りされる先生とお話をするわけではないのですが、1月3日のご命日忌はもちろん、春秋のお彼岸やお盆には必ずお参りされるお姿からは、優香さんを思う慈愛のこころを感じています。

人生はすべてが出会いです。私たちの人生にはさまざまな出会いがありますが、優香さんとその先生は、先生と生徒として出会ったのです。私たちは凡夫ですからその因縁を知るよしもありませんが、先生は優香さんとの出会いを大切に感じ、また、13歳の若さで旅立ってしまった教え子のことを常に心にかけて居られるのでしょう。香華を手向け一人静かに合掌される先生のその姿に、私は人間としての「慈愛のこころ」を感じ、人としての出会いと交わりの意味の深さを覚えました。

相武山 山主

2017年04月26日