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相武山 妙法寺 ブログ

坂本君また会おう

多くの人がご承知のように人生は出会いと別れの連続、出会いもさまざまなら別れもさまざまです。生き別れなら再会も思い描きやすいものですが、幽明境を異にする別れなら寂しさもひとしおで悲しいものです。まして、もっと語り合いたかった人との突然の別れを聞くことは辛いものです。お寺の住職という立場はおいても、齢を重ねてからは旅立ちの報にふれることも多くなってきました。先月はかつてご縁を頂いた3名の僧侶の訃報を頂きました。

54年前の春、倶に11歳で僧道を歩みはじめた得度同期の坂本啓道師、その時に親しくお世話頂き可愛がって頂いた御仲居さんの前川師、そして42年前に一緒に大石寺大坊に在勤した本山同期の田中壽教師です。それぞれに思いはあるのですが、ことに親しい友人であった坂本師の訃報にはしばし力が抜けてしまいました。かねて病気治療については漏れ聞いており心配していたのですが、その後、良くなっているよと聞いていたので安心しており、いつか北海道伊達市の師を訪ねてゆっくりと話をしてみたいと思っていました。

御本尊様に追善供養の読経と唱題をしていますと、頭を丸めたものの右も左もわからぬまま一緒に大坊を走り回っていた小六の頃や、上野小学校や中学校への登下校の通学路で遊んでいた様子。中学校の部活でバスケットに汗を流していたり、村のコゾウ(静岡県東部では親しい目下の相手に此の小僧「コン コゾウ」と呼ぶ風潮がありました)に悪戯していた頃の様子、反抗期まっただ中の富士宮北校通学時代、と彼とのさまざまな光景が思い出されます。

彼は長崎県諫早市の出身でした。彼は私と違って学業の成績も良く、性格も温和で落ち着いた性格でしたが、九州男児らしく一途で情熱的な一面も持っていました。彼とは中学から高校の途中で私が大坊を放出されるまで親しい間柄でした。お互い青少年の多感な時代でしたからバカをしたり、夜遅くまでいろいろな話題で話し込むこともありました。高校2年の秋、私が大坊から出されて札幌市の仏見寺に派遣されるときも彼は心配してくれました。ですから、高校を卒業した私が大学に通うために鶴見の妙寿寺に在勤することを知った彼は、在勤していた埼玉県浦和市の常生寺から直に連絡をしてくれ、神田の古本屋街で久しぶりにゆっくりと話したことを思い出します。

その後、お互いの人生いろいろありました。

というのも、彼と倶に僧道を志した富士日興門流大石寺は、信徒団体として受容した創価学会の邪義と妄信をめぐって昭和52年頃から宗門が二分化し、その混乱が阿部日顕師による血脈相承偽装や邪義謗法路線の推進によってさらに深められたからです。私たちはそのような時に「末寺住職赴任の辞令」を受ける順番を迎えたのです。日蓮正宗管長の地位に就く阿部師から住職の任命を受けることについて、昭和55年、私たち年分得度4期生は大阪に集まって今後の対応協議しました。その結果、宗開両祖の法義と信仰の再興を願う正信覚醒運動に邁進する者と、権力を握った阿部宗門に与同する者とに二分したのです。この会合に坂本師は参加していません。すでに衛坊の住職として大石寺に上っていたのです。

彼は教師になって札幌市の仏見寺と水戸市の恵妙寺に在勤していましたが、在勤者として正信覚醒運動に参画していました。彼の性格を知る私は彼が正信覚醒運動から離反するなどということは夢想だにできませんでしたが、大学時代の在勤寺院住職である尾林師の影響は大きく、さらに衛坊から派遣された寺院の開基である札幌市日正寺の秋山師の影響もあって彼は不本意ながら覚醒運動から離れて行ったようです。
彼に詳しい経緯は聞きませんでした。この時、宗門に身を置く僧侶は皆自の立ち位置を決断しなければならなかったのです。私は覚醒運動にまったく疑問がありませんでしたが、それぞれの信仰観と人生観は知るよしもありません。その後、阿部師は正信会僧侶とのふれあいを禁じましたから、分裂した両サイドが連絡をとるのも憚られるようになったのです。

そんな関係になってしまった彼と最後に会ったのは20年ほど前のことです。札幌の行足寺で仙征君(現在、札幌市清涼院住職)の得度式に招かれたときでした。せっかくの北海道でしたので伊達市にいる彼に是非会いたいと思って連絡しました。閉鎖的な阿部宗門に身を置く彼ですから少し心配しましたが、快く応じてくれたので伊達市にある彼の自坊を訪ねたのです。久しぶりに会う彼は少し照れくさそうでしたが、信頼と友情は時空の隙間を速やかにうめてくれました。

昔話をふくめて互いの近況などについて3時間ほど話をしたでしょうか。阿部宗門の実状についても話は及びましたが、彼の口調や表情から私は追求する気にはなれませんでした。およそ38年前、住職赴任時を迎えた彼と私の環境と判断がその後の人生を決めたように思います。でも彼らしく自身の判断とその後の推移について自省するばかりで、他者への厳しい批判を聞くことはまったくありませんでした。

あっという間に過ぎてしまった3時間。またゆっくりと話をしようと約束して別れましたが再会を果たせず、彼を霊山に見送ることになってしまいました。でも、もう浮き世のしがらみや排他独善の宗風に迷う必要はないのですから、坂本師も本音でじっくりと宗開両祖とお話ください。そこには阿部師や早瀬師の入る隙間はないのですから。

坂本君お世話になりました、ありがとう。私もそう遅れることなく貴師のやすらぐ世界に行くことになるでしょう。君の分までもしっかりと仏道精進してまいりますからしばしお待ちください。

相武山 山主

 

2017年02月28日

2月の法話会

12日(日)は2月度の法話会でした。テーマは「仏教 その実践」(仏の道を歩むということ)です。1月に予定していた「仏教 その教えと実践」の後半部分のお話です。

今月も初めて参加されたご夫婦がおられたので、始めに日曜法話会は『仏教に親しみ、その教えと信仰について正しく理解頂きたい。法華経の教えや日蓮聖人の教えにふれて頂きたい』という願いを基に開催していることを説明。併せて『仏教は地道に継続して学ぶことが大切。仏道は求める姿勢が基本、生涯探究心を大切すること。お寺のさまざまな役割』について解説しました。

次に『あらゆる事物・事象は私たちと無縁なるものではないとの認識。眼前生起の事物事象をどのように観るかが肝心。起こる事象はすべて学びの対象』として私の所感を述べる「世相」のコーナーでは、2月8日に起こった交通事故から「悲惨な交通事故と母の慈愛」と題してのお話でした。はじめに事故の概要(埼玉県草加市市道交差点で3台の車が絡む衝突事故が発生。歩道を歩いていた母子が死傷)を説明。続いて警察では運転手が携帯電話に気を取られて赤信号を無視して交差点に進入しての事故と見て調査中であること、また、突然の事故であったが母親がとっさの判断で我が子の命を救った模様であることをお伝えしました。

この悲惨な事故から学ぶべき事として『人間は不完全な存在、完璧な人物など存在しない。自他共に不完全な存在であるという認識と自覚が大切。何ごとも用心が肝要、まして狂気となる可能性のある車の運転。人生ではいつ何が起きても不思議ではない(天災、人災、事故など)。他者に起きたことはいつ我が身の上に起きても不思議ではない。日々の平安を慈しみ、無事であることの幸せを実感すること』をお伝えしました。

メインテーマ「仏教 その実践」(仏の道を歩むということ)では、仏道(仏教という宗教)は教えを学ぶことと修行の実践がその両輪であり、本来の目的を認識して日々の生活に教えを活かすことが仏道であることを述べました。

先月の復習も込めてはじめに四法印、四諦、縁起の理法を簡略に説明。その後、修めるべきものとして「戒・定・恵の三学(さんがく)」、歩むべき道として「正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八正道(はっしょうどう)」、尊崇すべきものとして「仏宝・法宝・僧宝の三宝(さんぽう)」についてやさしく解説しました。三学、八正道、三宝は仏道の基本ですから、繰り返し学んで仏道を正しく理解頂くことを願っています。

結びには日蓮門下で大切にされている御文『一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて、あひかまへて、信心つよく候ひて三仏の守護をかうむらせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経』を拝読して2月度の法話会を終了。
3月の法話会は19日のお彼岸の日曜日に開催の予定です。より多くの方々に仏教に親しんで頂きたいと願っての法話会ですので皆さまの参加御聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

 

2017年02月27日

興師会(せり御講)を奉修して

2月、富士日興門流の寺院では月例行事に年中行事が重なりいつもの月よりも少々忙しくなります。1日は月例のお経日、3日は節分会、7日には門祖日興上人の御報恩会、13日は宗祖の月例御講、そして16日は宗祖の誕生会(たんじょうえ)です。日頃から信行を大切にして寺院参詣を心がけて居られる方でもすべてに参詣することはできないでしょうから、どの法会に参詣しようかと迷ってしまわれたことでしょう。
日蓮大聖人の門弟は折々に法華の道場である菩提寺に参詣して勤行・唱題を勤め、仏法を聴聞して御法門を学ぶことを信行の基本としています。しかし、仕事や家事、育児や学業、地域や人間関係、趣味や娯楽等々、現代は皆が忙しい時代でもあります。したがって信仰心はあってもその実践はなし難いことといえます。ましてすぐ近くに菩提寺が在るわけではありませんから、参詣するためには「参詣しよう」という意識を持たなければなりません。このように考えると年間の主要行事に参詣するだけでも信仰者としての意識がなければできないことですから、月例のお経日や御講に参詣を心がける檀信徒の皆さまの信仰心には敬意を表するばかりです。
今月1日のお経日と3日の節分会は私が不在のため、執事の興厳房に導師を勤めてもらいました。開創以来ほとんどすべての行事法会では私が導師を勤めていましたから、違和感を覚えた方がおられるからもしれませんが、これからは各家の追善法要や行事の導師を興厳房が勤めることも多くなると思われますのでよろしくお願いを申し上げます。
2月7日は日興上人祥月のご命日忌、私たち日興門流にとって興師会(こうしえ)は「せり御講」とよんで親しく法会を営み、報恩謝徳の御宝前には日興上人が好まれたと伝えられる瑞々しいセリをお供えいたします。かつて富士のお山では寒中に芝川のめんどり橋付近で若僧がセリを摘んでお供えしていましたが今でも続いているのでしょうか。良い伝燈は続いてほしいと思うばかりです。
法要後には『富士一跡門徒存知事(ふじいっせきもんとぞんちのこと)』を拝読。この書は富士門流の祖日興上人の著述として伝えられているものですが、あるいは日興上人の意をくまれたお弟子の著述かもしれません。いずれにせよ日興上人が他の五老僧との法門的違いを明示された著であり、今日に伝えられる「五一相対(ごいつそうたい)」の礎となるものです。著述の前半を詳しく解説して日興上人が宗祖から承継された法義について述べ法話としました。
また興師会は当山の開創記念の日でもあります。当山は「宗風の刷新と祖道の恢復」を願う正信覚醒運動のうねりの中から昭和56年2月に誕生した法華の道場です。すでに36年の歳月、求道の志を柱に仏道の歩みを刻んできました。この間、同志僧俗の心温まるご支援を頂き、さらに仏縁深く檀信徒として所属された方々には物心両面にわたって篤い外護を頂戴しました。法華の道場は僧侶だけで護持伝承できるものではありませんから、法会の砌り御本尊様に今日までのご尽力に感謝の思いを申し上げました。

相武山 山主

2017年02月26日