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相武山 妙法寺 ブログ

安産をお祈りしています

先日、町田市の白濱さんから『娘に子どもが授かったので、安産の御祈念にお参りしたい』という電話を頂きました。その後、18日に白濱さんと娘の友恵さんご夫妻がお参りになりました。御宝前に安産祈念を認めた腹帯をお供えして、ご一緒に法華経を読誦、お題目をお唱えして、母子ともに無事に出産を迎えられるよう懇ろに御祈念を申し上げました。

友恵さんはお祖母ちゃんの白濱静枝さんの導きで、幼い頃からご本尊様への信仰を大切にしてこられました。かつてはお祖母ちゃんやご両親と一緒によく参詣していましたが、教職に就かれさらに結婚されてからは、なかなか時間がとれないようで、参詣のタイミングも得られなかったようです。しかし、人生の節目となる大事な懐妊を迎えて、忘れることなく法華経と日蓮大聖人の御宝前に参詣され祈りを捧げられました。きっと厚い仏天のご加護を賜ることでしょう。

相武山 山主

2016年07月31日

お盆のご供養

一般的には8月にお盆の供養が執り行われますが、横浜や東京、静岡などでは7月にもお盆の供養が執り行われます。相武山では檀信徒の皆さんの希望に合わせて7月と8月、13日から16日までそれぞれに執り行っています。当山ではかつて7月のお参りが多かったのですが最近は8月に参詣される方が多いように思います。また、高齢や体調不良のために参詣したくても参詣できず、郵送でお塔婆供養を願われる方も多くなってきました。時代も移り変わっているんだな~と思わずにはいられません。お盆のお参りは仏道の功徳を積むことであり、ご先祖と有縁精霊の追善となるのですから7月でも8月でも参詣されることは有り難いことです。

今年の7月のお盆は13日の宗祖御講、15日の盂蘭盆会、16日の日達上人報恩会にそれぞれ執り行いました。功徳を回向されたご先祖や精霊はきっと喜ばれていることでしょう。法要後は興厳房が四条金吾殿御書を拝読して、盂蘭盆会の意義と法華経の成道について法話をして供養にお供えました。

この夏新盆(にいぼん)を迎えた保土ケ谷区の戸﨑さん、神奈川区の安丸さん、南区の奥野さんのご家庭に新盆のお参りにうかがいました。それぞれ新盆精霊のために仏壇の前にお盆の供物をおそなえになり、ご家族の皆さんが故人を偲んで思いを寄せる心が伝わってきました。お参りは倶に法華経を読誦、唱題をお勤めして懇ろにご供養を申し上げました。

故人が逝去して初めて迎えるお盆を「新盆もしくは初盆」といいます。多くの方々がいつにも増して大切に供養されるのは、故人を見送ってまだ間がないこともあり、精霊への思いがつよいためではないでしょうか。人情も礼儀も失われつつある現代、とても有り難く思いました。

相武山 山主

 

2016年07月31日

教えを人生に活かす

私たちは冠婚葬祭などの仏事、寺院や社会の諸行事、家族や親族や友人などからの勧めなど、さまざまな機縁によって仏教にふれるのですが、機縁があったからといって誰もが仏さまの道に「発心」するわけではありません。機縁を得たときに心が触発された人だけがその芽生えた信仰心によって仏道を歩みはじめるのです。利害損得や遊楽や感情に流されやすい人生で、浄かな心を起こすことは貴重なことですから、仏道ではこの発心に敬意がはらわれます。

仏道の信仰は真理を覚られた仏さまを敬い、その教えを実践してまことの安心を得ることがその目的ですが、その道を成し遂げるためには、その教えを言葉だけに終らせることなく、自らの人生に活かして行くことが求められます。というのも、仏さまの教えを学び信仰に励んでいるようにみえても、それが言葉だけの遊びであったり、虚飾の道具となってしまうことがあるからです。それはとても残念なことで、やはり仏さまの教えを少しでも自身の人生に活かし、人生の悦びと愉しみにすることが大切なのです。ここにも「仏の道」といわれるゆえんがあります。道は前に向かって歩みを進める人のために存在しているのですから。

しかし、仏さまの覚り説かれた教えは広大深遠であり、その説相は私たちの人智を越えたものであったり、抽象的であるために、教えの一つひとつが「自分の人生とどのように関わり合っているのか。どのように活かせばよいのか」を知ることは容易ではありません。ここからも「生涯かけて仏道を学ぶ姿勢が大切」という言葉の意味がわかり、導き手としての僧侶の存在意義も明らかとなります。

仏教の言葉は難しい漢字が羅列されていたり、通常聞き慣れない言葉が飛び交ったり、普段の言葉の読みとちがっていたり、さらには世間の価値観とちがう価値観が展開されますから、とかく「難しい、わからない」といわれますが、じっくりと時間をかけて学ぶことができれば必ず理解できるものです。また、人生上のたしかな指針ともなります。
仏教は覚者である仏さまが、私たち衆生が幸せな人生をおくれるようにと願って説かれた教えですから、より良い人生を送りたいと願う者にとって有益であることはことわるまでもありません。しかし、難しいのも事実ですから、導き手としての立場に置かれた私たち僧侶は、良く学問し、歴史と文化、社会と人々をよくみつめて、「どうしたら理解して頂けるか、どうしたら人生に活かして頂けるか」を真摯に考えてお話することを心がけています。

法話を聞かれる方々の教養や見識もそれぞれ異なりますから、すべての方々に等しく理解頂くことは不可能かもしれませんが、教えの本来の意味を解説した上で類例や喩を出し、イメージして頂けるように努めています。それでも月例のお経日や御講、年中行事のお盆やお彼岸などでは時間も限られていますから詳細にお伝えすることはできません。

しかし毎年開催される「東海正信連合会の研修会」などであれば、じっくりと解説することができるのでとても有り難く思います。ちなみに先月の研修会で私は「末法思想について」と題してお話をしました。日蓮大聖人の教えの基本でもある末法思想の概略を解説し、その思想が宗祖の教えの中でどのように位置づけられているのか、現在の私たちの信仰にどのように影響しているのか、さらには私たちの人生にどのように活かすことができるかを述べました。研修会のすばらしいところはじっくりと教えを学べることです。

相武山でも研修会の企画をあたためて行きたいと思っています。仏さまの教えは尊くすばらしいものですが、信仰者一人ひとりの人生に活かすことができてさらに輝きが増すものであることを知ってほしいと思います。

相武山 山主

 

2016年07月31日

中学校の同窓会

先月25日(土)静岡県富士宮市で上野中学校の同窓会がありました。中学校の同窓会はかなり前から担任の先生方を迎えて折にふれて開催されていましたが、還暦を迎えての同窓会からは2年に一度の開催が定例化しました。幹事の方の尽力で懐かしい先生や友だちが集い、童心に還って語り合う同窓会は愉しいもので、私もできるだけ時間をつくって参加しています。

今回も2年半ぶりに皆んなと歓談することができました。60代も半ばになるとそれぞれの人生がにじみ出たような風貌になっています。名前と顔が一致しない人もいれば、幼い頃そのままの人もいて「個人差があるな~」と妙に感心してしまいますが、子どもの頃を思い出しての話は無責任に愉しく、一人ひとりの人生の歩みを聞いていると、それぞれにドラマがあってとてもおもしろいものでした。

私が上野中学校に入学したのは昭和39年の4月、東京オリンピックの年です。学校は富士宮市の北部にあり、どっしりとそびえる霊峰富士を間近に見上げる山麓に位置しています(標高300メートル)。田園風景がひろがる静かでのどかな環境にあり、廊下を走ると大きな音がする昔風の木造校舎と、土煙が舞い上がるグランドが今でも思い浮かびます。
今回幹事の方から頂いた名簿によれば、4クラスで158人の仲間と中学校生活を送ったことがわかります。すでに亡くなられた方や住所のわからない方も少なくありませんから、「時がながれたんだな~」と思わずにはいられませんでした。私たち大石寺の小僧は上野地区の同級生を「村の子」と呼び、村の子は私たちを「大坊の子」と呼んでいました。男臭い集団生活者、ワンパク盛りでいたずらし放題の「大坊の子」は、村の子にとっては迷惑千万だったことでしょう。いろいろなことがありましたが、大坊の子はどちらかというと、難しい年頃で青春に悩むということはほとんどなく、スポーツにいたずらに夢中で馬鹿なことばかりやっていたように思います。

私は年分得度の4期生で28人の仲間と一緒に昭和38年に得度を許されました。もう53年前のことになります。私たちは丁度正信覚醒運動興起に教師に任じられ、その最盛期に住職派遣の時を迎えて、各々信ずる道を選択しました。現在は正信会に籍を置く者、阿部・早瀬宗門に籍を置く者、僧籍を辞して還俗した者、亡くなった者と各人各様となっています。阿部・早瀬宗門の僧侶は正信会の僧侶と面談することをおそれ避けることが多いものですから、彼らと出会うとこちらも気を遣いがちになりますが、彼らにとっても同窓会は別のようです。藤田君とも少しですが話ができましたし、岩切君は昔ながらの明るい笑顔でした。八木君は相変わらずのおとぼけぶり。八木君とは已前にも会っていましたが、藤田君や岩切君とは約36年ぶりでしたから懐かしく思いました。

今回は楽しみにしていた佐野治良先生とお目にかかれなかったことが残念でしたが、幼なじみの同級生と旧交を温める時間は瞬く間に過ぎて行きました。私たちの同窓会では当然ながら利害損得もなければ、やっかみやねたみ、自慢話もまったくありません。昔話や近況などを愉しく語らうだけの気楽なものですから、互いの健康を祈りながら皆んなで2年後の再会を約束して散会となりました。

ちなみに上野中学の地名は宗開両祖を外護された上野殿(南条時光殿)に由来するものです。

相武山 山主

 

2016年07月29日