相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

緑したたる好季

この時季、相武山の境内に居りますと隣接する市民の森や周囲の木立から、「ホーホケキョ、ホーホケキョ」と朝から夕方までウグイスの鳴き声が聞こえてきます。また冬の間、姿が見えないなと心配していたキジの特徴ある鳴き声も聞こえてきました。さらに最近はカエルのユーモラスな鳴き声まで聞こえます。初夏の季語だと思っていた芽吹きや新緑も少し時季が早まって近年は4月中旬のようです。

相武山の周囲はすっかり新緑一色のすばらしい時を迎えました。そういえば初夏の季語の一つとして「緑したたる」という言葉がありますが、タイミング良く自然豊かな場所に行かなければ感じることはありません。しかし、恵まれたことに相武山に身を置いて周囲を見渡すと、ささやかなスケールではありますが、まさに「緑したたる」光景をそこに見ることができます。自然の乏しい都会ではとても贅沢なことだと感謝しています。それにしても「緑がしたたる」とはおもしろい表現ではないでしょうか。みどりの新鮮な様を瑞々しさに喩えたのでしょう。若葉が萌える新緑の模様を伝えるのにふさわしいと思います。

ある識者は『1日に30分でも人工物以外の自然にふれることが人間性を豊かにする』と語っていましたが、本当にその通りだと私も思います。私たち人間も自然の一部ですから、自然とふれあうこと、交わることによって、人間本来の感性が蘇ってくるのではないでしょうか。人工物に囲まれた環境ばかりでは人間性が劣化してしまうのかも知れません。より良い人生をおくりたいと願う方々には意識して是非実践してほしいものです。檀信徒の皆さんはもちろんのことご縁の有る方々には、自然豊かで静謐な当山を大いにご利用頂きたいと思っています。

去る17日(日)の夕方、当山墓苑下段の自然林のクヌギの樹が倒れてしまいました。この日は恒例の日曜法話会でしたが、その後、富田家の七回忌と中澤家の三十七回忌を執り行い、用事のため16時過ぎに興厳房と外出していました。すると、17時20分頃、旭警察から『境内の樹木が強風で倒れて市道を塞いでいる』との電話が入りました。17時45分頃、急いで現地に行くと高さ18メートルほどのクヌギの樹が倒れて市道を塞いでいました。市道沿いの高い擁壁の上に植わっていた樹木で、倒れた姿を見て改めてかなりの高さがあったことに気づきました。直に事故の有無を警察官に尋ねましたが、人にも車にも事故はなかったという返事にほっとしました。土木の方も来て下さったので、緊急処置の対応を取ろうとしましたが、あいにくの休日、また夕方という時刻も災いして、容易に適切な対応が決まりません。19時半頃になって、今夜の対応は無理なので、道路を通行止めにして翌日の朝から対応する事になりました。

翌日は朝から警察や土木課の方と対応を調整、近在の業者の方に依頼して倒木を撤去しました。昼過ぎからの作業は4人がかりで3時間ほどで終了。見ていて手際の良さに感心してしまいました。実は昨年、地域の方から『擁壁の上の樹木が倒れそうで危ないのでは?』というアドバイスを受けていたのですが、高い樹木の伐採と整理にはかなりの経費がかかることがわかり対応に躊躇していました。新倉さん、南雲さん、川脇さん、世話人の方々と皆んなで工夫して何とかしようという矢先だったのです。

今回は幸いにも事故がなくてよかったのですが、次はわかりません。早めに対応して事故のないようにしたいと思っています。元々、自然林を残したのは墓苑開発の折りに市役所の指導によったものでしたが、管理責任を問われるのは当山ですので適切に対応して行きたいと考えています。緑したたる好季、自然のすばらしさと調整管理の難しさの両面を実感しています。

明日は午前11時から「立宗会」と「御虫払会」を奉修いたします。

相武山 山主

 

2016年04月28日

風雨の中の日曜法話会

朝から強い風が一日吹き荒れた17日(日)、11時からは今年4回目の日曜法話会。風も強いしお昼前後は降雨の予報でしたから、聴講される方も少ないのではと思っていましたが、案に相違して35名の方にご参加頂きました。檀信徒の方は篤いご信心からのご参加、一般の方は法話を聞いてみたいという関心からのご参加。ともに風雨に負けることのない向学心です。横なぐりの雨を見ながらその姿勢に敬服するばかりでした。

今月の法話会の「世相」は14日の夜から16日未明に熊本県地方を襲った内陸型大地震「熊本地震」について意見を述べました。はじめに地震の概要について、現在進行形であり、14日から15日も余震が続き、16日未明にはM7.3。(阪神淡路大震災なみ)が発生。気象庁は14日の地震が前震で、16日の地震が本震との見解を発表。また、熊本県熊本地方、阿蘇地方、大分県で続く大地震について、『三つの地域で別々の地震が同時多発的に発生している』との見解をお伝えしました。その上で、阿蘇山は活火山、噴火との関連も考慮が必要であり、土砂崩れやインフラ(ライフラインイン・道路、電気、水道、ガスなど)の決壊が深刻である状況を説明。被災地に迫る風雨、二次災害の懸念について述べ、その後、地震の発生メカニズムについて解説し、学ぶべきこと&できることとして、「地球が一つの生命体として日々活動していることを認識する。(雨や風、火山や海流、四季の移ろいを含めて自然現象はその証)。地震国、火山国日本で生活して行く現実を直視し、自らのこととして 日頃から防災を考える。犠牲者の冥福を祈り、被災者の復旧・復興を祈ろう」と意見を述べました。

4月法話会のテーマは「業(ごう)について」で、サブタイトルは「はたらきに注意を」でした。ポイントは「①事実の分析(因果応報という事実)。②業に身・口・意の三業。③業を理解してより良い人生を歩む」ということです。はじめに「業のイメージ」日本霊異記の『我が重き病を得しは、殺生の業によるがゆえに』とか一遍語録の『生死の妄念つきずして、輪廻の業とぞなりにける』のように、暗いイメージで、宿命論的に捉えられ、あきらめと断念、分析不明の状況を受容するイメージですがその間違いを指摘。

次に「業とそのいわれ」について、サンスクリット語『カルマン』の訳、「行為」「はたらき」との意味であること。「古代インドでは良い行為には良い果報、悪しき行為には悪しき果報があると信じられていた。現世の幸不幸、遇不遇は前世における善業・悪業の果報。この業(行為)には潜在的な余力があるとされ、業の持つ力を『業力』という。業力は過去・現在・未来にわたって存続してはたらくとして、業による輪廻思想が生じた。業の思想には未来のために善業を勧める肯定性と、現在は過去の果報 なのだから決定しているという否定性の2面がある。仏教では実相論、縁起論ともに業の思想を認めている。」ことなどについて解説しました。

続いて「さまざまな業」として「①身体のはたらき、言葉のはたらき、心のはたらき、身心の活動や行為である身・口・意の三業。②意思の内的活動である思業とその結果としての口業・身業となる思已業。③身業と口業は他に示すことの出来る業であるが、その善悪の強弱によって表業と無表業とに二分される。④善心による善業、悪心による悪業、善悪どちらでもない無記業の三業にも分類」されることを説明しました。
結びに業の思想から仏典には『人間は生まれによって尊いのでも賤しいのでもない。その人の行為によって尊くも賤しくもなる』と説かれていることを紹介。日々の心の持ち方に注意し、言葉や態度振る舞いにも注意して、善きはたらきを心がけ、悪しきはたらきを誡めることを述べて法話としました。

法話会終了後、限られた時間でしたが世話人会を本堂で行い、過日の35周年記念法要の反省と今月29日の立宗会&御虫払法要についての協議をし、全国大会などの説明と境内整備についての検討もしました。世話人の方々もそれぞれに多忙ですが、仏道と菩提寺を大切に思われて、信行に勤められることは有り難いことと日頃より尊敬しています。

来月の日曜法話会は15日(日)午前11時から、皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2016年04月28日

まじめさが薫る人柄

開創35周年を無事に執り行いほっとしている間もなく、5日(火)から3日ほど(宗)正信会の学林研修会の開催のため担当者として関西に行ってきました。京都の他門寺院の研修もふくめ無事に全日程を修めましたが、帰路は強風と雨で搭乗予定の前2便は強風で欠航。予定の飛行機が飛ぶかどうか直前までわからない状況でした。予定の便は1時間以上遅れましたが幸いにもフライト。心配した揺れもさほどではなく、仏天のご加護に感謝して興厳房と一緒に帰山しました。

桜も花吹雪となり樹の下はうすピンクのジュウタン。境内周囲の木々のやわらかな新芽も伸び始めた9日(土)、髙木陽爾さんの第一周忌法要が当山で執り行われました。髙木さんは昨年の4月、静かに霊山に旅立たれました。行年は61歳でしたから現在の平均寿命に比すると少し早い旅立ちです。

昨年の春、髙木さんからお電話を頂いたのはお彼岸の前で、いつものように娘さんの塔婆の建立ご回向を願うものでしたが、その折りに「住職にいろいろと相談したいことがあるんですが、そのうち時間を頂けますか」と仰るので、「私で良ければいつでもどうぞ」とお応えし、「お彼岸のお参りの時ではいかがですか」とお応えしました。すると、「心臓の疾患で入院中なのでお彼岸は無理だと思います」ということでしたから、「病院にお伺いしましょうか」と申し上げたら、「病院ではお目にかかりたくないので、退院後にさせて頂きますが、それまでメールでいろいろとお尋ねして良いですか」ということでした。それからメールをやりとりし、携帯電話でも種々お話をしました。

そもそも、私と髙木さんの出会いは髙木さんの長女晴子さんが、19年前、平成9年10月3日、幼い頃からの心臓疾患によって15歳という若さで生涯を閉じられ、その葬儀を私が執り行ったことによります。髙木さんは小田原のご出身で、ご家庭は代々法華講として日蓮大聖人の教えをまじめに信仰されるご家庭でした。髙木さんも祖父母やご両親からの導きで、忙しくても朝夕の勤行をほとんど欠かすことはないという信心の篤い方でした。愛する晴子さんを失いご夫妻と小学生の妹さんの悲しみは実に深かいものでしたから、春秋のお彼岸やお盆には必ず娘さんのお塔婆を建立し追善供養をしておられました。

髙木さんはお仕事が多忙であったこともあり、月例の行事や法要にはあまりお見えになりませんでしたが、お正月や御会式にはお参りになっていました。毎年夏の「お経参り」には喜んでお迎え頂き、ご家族の皆さまとご一緒に読経・唱題をお勤めしました。髙木さんは寡黙な方でしたが、御経参りの時には親しく言葉を交わすことができ、静かに信仰を深められていることがわかりました。

お話をしているとご家族への愛情と信仰への真摯な姿勢がよく伝わってきました。私の印象は「まじめな方だな~、ご家族への愛情の深い方だな~」というものでした。お彼岸の後、高木さんから「心臓の手術をしなければならないようです。医師からはそれほど難しい手術ではないのであまり心配しないでくださいといわれました」という電話を頂きました。手術に対しては少し心配しておられるようでしたが、「昨年、娘も私の勤めていた関連の会社に再就職ができ安心できましたし、家内も最近は体調が良いようなのであまり心配はありません。手術が済みましたら諸々ゆっくりとご相談させて頂きます」ということでした。

月が明けて手術が行われました。その前後に「仕事も一段落するので、これからは仏教や信心の勉強もしたいと思っています。お寺に通って教えてもらおうと思っていますので、その時はよろしくお願いします。そのためにも頑張って無事に退院したいと思っています。」との電話を頂き、「早く元気になって一緒に勉強して人生を愉しみましょう」と言葉を交わすことができたのですが、それが最後となりました。手術は正常に行われたということですが、術後の経過が思わしくなかったのか昏睡状態となってしまったのです。この間、ご本尊様に当病平癒に御祈念を申し上げ、2度ほどお見舞いにうかがいお声をかけさせて頂きましたが、奥様や娘さんの真剣な祈りと願いも叶わず、4月17日、髙木さんは61歳の生涯を静かに閉じられ霊山に旅立たれました。

その後、奥様と娘さんが真心をこめて御葬儀、七七日忌、納骨式、新盆と供養を丁寧にお勤めになり、早くもこの春第一周忌を迎えたのです。葬儀や法事の度に小田原のお兄さんや参列者の方々から髙木さんの人柄をうかがいました。私は「まじめさが薫る人柄」という印象でしたが、皆さんも思慮深くまじめなご性格を慕って居られるようでした。お斎(おとき、法要後の会食)では法要での追善の法話が話題になり、参列者の皆さんに「相武山だより」をご持参頂くこととなりました。これも陽爾さんのお導きかと思います。

私は直前まで心臓の病をお持ちであることを知りませんでしたから、突然のご逝去に本当に驚きましたが、ご信心の篤い高木さんですから間違いなく霊山(りょうぜん)に居られることでしょう。そして霊山から晴子さんと一緒に奥様と娘さんを見守っておられると信じています。やがて私も霊山でお目にかかります。その時まで境を異にしますがお互いに精進してまいりましょう。

髙木さんどうぞ安らかに。

相武山 山主

2016年04月27日

開創35周年記念法要を奉修(下)

真心をこめて報恩謝徳と今後の精進をお誓いした記念法要。その後は本堂と客殿(子どもさんグループ)を会場に、約100名の方々にご参加頂いて祝賀の懇親会を催しました。予定より少し時間は押しましたが、午後〇時30分に開式。司会は小原巧さん。はじめに私から参集への御礼を申し上げました。続いて酒井俊克さんが開創当時を振り返って一言コメントを述べ、乾杯の音頭をとりました。

お弁当は十分吟味したつもり、豚汁も前日の夜3時間ほどをかけて私が作ったものです。漬け物も、飲み物も用意しましたが、皆さんのお口にあえば幸いと思っています。和気藹々に会話が弾んだ懇親会も半ばにさしかかった頃、寄せられたお祝いの言葉を司会の小原さんが披露されました。はじめに伊東市在住の樺山公一さんからの言葉。樺山さんは当山開創当時の檀徒のお一人で、法華講が結成された時には初代の講頭を務めて頂きました。15年ほど前に伊東市に転居されましたが、現在も当山に所属されまじめに信行に励んで居られます。奥様の体調不良にて今回の法要には参詣できませんでしたが、娘さんの敦子さんがご家族を代表して参詣されました。記念法要にあたり心温まるお祝いの言葉を頂きましたので小原さんに代読して頂きました。次に同じく開創当時からの檀徒で川崎市の下条優里子さんからお祝いの手紙を頂きました。信仰への思いと妙法院への思いを小原さんが代読されました。

続いて参列者からお祝いの言葉を頂きました。始めに今年数え年90歳を迎えた吉次昭治さん。自らの体験などを披露され、現在は一日のお経日・十三日の御講を中心に、妙法院への参詣と仏法の聴聞を楽しみにしており、妙法院の益々の発展を祈っていますと述べられました。次に妙法院の開基由来となっている今井静子さんのご長男、今井均さんが「人生はやはり出会いだと思います。両親との出会い、そして妙法院住職との出会い、貴重なものだと思っています。これからも妙法院の発展を祈り、皆さまのご健勝をお祈りします」と述べて祝いの言葉とされました。続いて臨席の坂上純興師がお祝いの言葉。30年前の活動状況や自らの得度の経緯などを回顧し、今後の発展を祈り祝いの言葉としました。

祝いのことばの後は、司会進行の小原さんが即興のパフォーマンス。ユーモラスな語りからマジックまがいの芸に皆んな驚き、どっと笑いが巻き起こりました。いつも皆んなを楽しませてくれる小原さん、妙法院の佳節に華を添えてくださりありがとうございました。楽しい時間も瞬く間に過ぎ去り、結びに執事の興厳房が挨拶とご案内。記念法要では自身の信行精進を誓ったことを披露し、「35周年記念文集は5月15日が最終〆切なので寄稿頂きたい。5月22日の全国大会は住職の講演もあるので、参加できる方は4月17日までにお申し込み願いたい」と案内しました。

和やかな歓談を楽しんだ懇親会も午後2時、司会による閉会の言葉でお開きとなりました。会場の設営片付けは参加者皆んなで行ったのでとてもスピーディでした。これからは何ごとも皆んなで声をかけあい、力を合わせて執り行って行きたいと考えていますので、ご協力よろしくお願いいたします。

僅か35年の当山の歩みですがそれなりに山あり谷ありで、離合集散や混乱・混迷もありました。法華の道場とはいえ人の集まりですからそれもやむを得ないことなのでしょう。しかし、当山もようやく礎を築くことができたのですから、この度の記念法要をもって一つの区切りにしたいと思っています。これからは雑音に惑わされることなく、真っ直ぐに未来を見据えて、志を同じくする僧俗と手を携えて仏法を護り伝えて行く所存です。  皆んなで仏道と信仰を愉しんでまいりましょう。

相武山 山主

2016年04月16日

開創35周年記念法要を奉修(上)

去る4月3日(日)当山開創35周年記念法要を執り行いました。境内を荘厳する本堂前の桜も此の時を待っていたかのように満開で迎えてくれました。前日は午後2時から世話人有志の皆さんと一緒に本堂と回廊、三師塔はじめ境内の清掃を行い、その後、諸役の打合せを行いました。記念法要に懇親会などが重なると準備することが多いので、皆さんのご協力は大いに助かります。もちろんいつものことですが、手際が悪いのか寺内の準備は深夜にまで及びました。
当日は朝から小雨が降っていましたが、諸役集合の前にはあがり、境内は静かに浄められていました。諸役は10時前に集合。それぞれ担当を確認し10時20分には参詣者を迎える状況が調いました。

定刻の11時前には約110名の参詣者が本堂に着席、司会の中澤俊彦さんによる開式の案内があり、続いて私から「仏祖三宝尊へのお焼香、妙法院有縁精霊へのお焼香、自我偈の訓読」についての説明。司会の開式の言葉によってお題目が唱和される中、仏祖三宝尊への献膳を行いました。精霊壇には35年に及ぶ歩みの中で霊山に旅立たれた同志の方々の塔婆を建立し、供物をそなえさせて頂きました。

法華経の方便品、寿量品がゆっくりと読誦されるなか、はじめに私が御宝前と有縁精霊へのお焼香、引き続いて参詣者全員に角香炉が回され、それぞれ仏祖三宝尊へのご報恩と妙法院有縁物故者諸霊への追善の思いをこめてお焼香をささげました。寿量品の長行が読誦され、自我偈は訓読で読誦いたしました。当山では信行増進の意味も込めて折々に自我偈の訓読をしていますから、皆さん導師の声に合わせてリズム良く唱和されていました。音読では解りずらい御経も訓読しますと少し身近かに感じることができ、厳かさも深まるように思えます。

南無妙法蓮華経のお題目を太鼓の音に合わせて唱えていますと、35年間のいろいろな出来事やご信徒の顔が走馬燈のように思い起こされてきました。住職挨拶で胸が詰まってしまったゆえんです。御観念では今日までの当山の歩みに仏祖三宝尊より賜ったご加護に報恩謝徳申し上げ、ご縁を頂いたすべての方々に感謝を申し上げました。その上で、今日までの歩みを礎として、未来に向かって妙法の護持と弘通に精進することをお誓いした次第です。また、一緒に信行に励まれ、すでに霊山に旅立たれた方々に謹んで追善を申し上げました。最後に参詣僧俗一同でお題目を三唱して法要の部は終了。

引き続いて、式の部にうつり、始めに熊木真治さんによる経過報告。昭和56年2月の当山開創の縁由から今日までの困難な歩みが丁寧に報告されました。続いて臨席された神栖市願生寺住職高橋恩道師より、「『艱難汝を玉と成す』との古諺どおり、35年間、ひたすら精進してきた妙法院僧俗が信行を磨き上げて今日を迎えた。宗祖は『地涌の菩薩にあらざれば唱えがたき題目』と仰せであるから、その信仰を意識して彌々の信行増進と寺運の興隆を祈る」と祝辞を頂戴しました。次に法華講を代表して新倉講頭が「開創以来の道程は厳しく険しかったが、住職のご指導と檀信徒皆んなの信心で今日を迎えることができた。現在の菩提寺妙法院は宗祖が身延から池上に向かわれる折りに通られた街道に在り、自然環境といい、交通環境といい、護法と弘通を願うとき、こんな素晴らしい環境はありません。誰もがこのような菩提寺を得られるとは想像できなかったと思います。ご本尊様に深く感謝を申し上げ、これからも皆んなで菩提寺妙法院をお護りすることをお誓いしたい」と述べて祝辞とされました。

住職挨拶では「僅か35年の歩みでしたがいろいろなことがあり、法要にて読経・唱題を勤めておりましたら、さまざまな光景が思い浮かび本当に胸が熱くなってしまいました。辛いこと、苦しいこと、厳しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、今、そのすべてに対して感謝をしています。私は人生では出会いが最も大事だと思っています。選べる出会い・選べない出会いがありますが、どのような出会いを大切にするかで人生が決まるといっても過言ではないでしょう。本日ご参集の皆さまはもちろんのこと、、妙法院にご縁を結ばれている方は、仏教・法華経・日蓮大聖人の教え、との出会いを大切に思われている方々です。出会いを大切に思われた方々と懸命な努力でここまで妙法院を築き上げてきたのは、ひとえに仏道を護り伝えたいという熱い思いからです。未来の人々の礎となりたいと願ってのことです。西洋の古諺に『よき農夫は自分がその果実を見ることのない樹を植える』という言葉があります。繰り返し読んで頂ければその意味はよくわかることでしょう。日蓮大聖人・日興上人の門流では『下種の仏法』が説かれるように、南無妙法蓮華経は末法の衆生に下種された仏法、末法の衆生に下種すべき仏法であります。門弟である私たちも種を植えることを大切にしなければなりません。この妙法院も現当二世にご縁を結ばれた方々に喜んで頂くために建立されたものです。今日まで法燈を35年間灯してこられたことに心からの感謝を申し上げ、これからは共々に仏道を護り伝えて信仰を愉しみにしてまいりたい」と述べて挨拶としました。

(つづく)

相武山 山主

2016年04月15日