相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

段取り八分

すっかり春となりました。

自然豊かな下川井・矢指の地域では、スミレやタンポポなどの野花が可愛いすがたをあちらこちらに見せています。妙法院をこちらに移転して早5年、私は今まで野花のことはあまり知らなかったのですが、四季折々に野花にふれているのに名前も知らないのは残念と思い、インターネットなどで少しずつ調べるようになりました。花屋さんで提供される花とちがい、自生している春の野花はレンゲソウ、カラスノエンドウ、シロツメグサ、ホトケノザ(春の七草とは別種)、オオイヌノフグリ・・・・・とたくさんあります。これからもリョウマとタローの散歩の折には、意識して名前を声に出してみようと思っています。何ごとも意(こころ)で思い、声に出し、身体で覚えるのが良いと考えているからです。人並みに齢を重ねて来て、覚えることは難しくなり、忘れることは驚くほど早くなったためでもあります。

今週の日曜日(4月3日)は当山開創35周年記念法要。昨年から記念文集や法要などの企画をはじめ、あれこれと思いをめぐらして講中世話人の皆さんと準備をしてきました。年が明けてからは具体的な準備に入りましたがいよいよ本番を迎えます。寺院はご承知のとおり一年中、行事や法要、各種会合や研修会などを執り行っています。それぞれに意義があり法要や行事などを執り行いながら、僧俗が信行を磨くとともに仏法を護り伝えています。しかし、そのための準備にはある程度の時間と工夫を要します。また、寺院の法要や行事には檀信徒の皆さんとの連携が欠かせませんから、適切な説明も不可欠となります。日蓮門下にとって最も大切な法要である「御会式(おえしき)」の奉修をみればわかるとおりですが、普段のお彼岸やお盆、法華講の総会や法話会、各家の葬儀や法事も同様なのです。

振り返ってみれば当山も開創已来これまで多くの法要や行事を執り行ってきましたが、いつもぎりぎりまでバタバタしていたように思います。それは私が非才非力を省みる事なく、公私ともに企画を立てすぎたり仕事を引き受け過ぎた結果かもしれません。智慧が足りず不器用で段取りが悪かったことも大きく影響したことでしょう。60歳も半ばとなり少しは自分がみえてきたようで、しみじみと思うのは「段取り八分」というです。一般的にも仕事を成し遂げるためには事前の準備が大事と教えるために語られる言葉ですが、段取りがしっかりできていればその仕事は8割方完了したも同然ということです。小僧の頃から「段取り・準備が大切だ」ということは教えられ理解もしていたのですが、開創已来いつも時間に余裕がなく恥じるばかりで、あーすれば良かった、こうすれば良かったと今になって反省しきりです。

記念法要も企画からご案内、法要式次第、自我偈の訓読、記念品、祝賀懇親会の準備、駐車場から諸役の点検、清掃と受付等々と準備していますが、最後は檀信徒の皆さんのご協力が不可欠です。自分に残された時間はどれほどあるかわかりませんが、妙法院が未来に仏法の護持と弘通に貢献するためには、時間に余裕を持って「段取り八分」ができるように努め、檀信徒の皆さんと手を携えながら一緒に信行に励まなければならないと思っています。

本堂前のサクラはまだ3分咲き、記念法要にはきっと満開となって参詣の皆さんを迎えてくれることでしょう。佳節にあたって真心からのご報恩と未来への誓願を御宝前にお供え申し上げたいと念願しています。

相武山 山主

2016年03月30日

非日常的な体験・・・

当山に隣接する追分市民の森の「花ばたけ」では、四季折々の花が訪れる人々を楽しませていますが、春は菜の花です。今年もお彼岸の前から咲き始め春の散策を楽しむ人々を喜ばせています。先日、散歩がてらに花ばたけに行ってみると、むせかえるような香りが辺り一面に漂っていました。盛りは過ぎたようですが、昨日(27日)は森を管理する地元の方々によって「菜の花まつり」が開催され、皆さんにぎやかに春の一時を楽しんでいました。

今年のサクラの開花は例年より早く、福岡では19日、名古屋で20日、21日には東京でも開花が報じられました。当山本堂前のサクラはお彼岸の時にはまだ開花していませんでしたが、ようやく咲き始め、この週末には満開を迎えそうです。4月3日の当山開創35周年の記念法要には文字通り華を添えてくれるのではないかと期待しています。

春のお彼岸には多くの方々にご参詣頂き、穏やかに法会を営むことができました。ご先祖や有縁精霊への追善供養がなされると倶に、さまざまな方々の仏心が開かれ、とても有り難いことと思えました。お彼岸には当山のささやかな墓苑にも彼岸の入りから明けまで、家族連れでお参りされる方が多かったように思います。親御さんやお祖父ちゃんお祖母ちゃんに手を引かれてお参りしている子どもたちは、今は何もわからなくても意識の中には「お彼岸、お寺、お墓、ご先祖、御本尊様・・・」という姿が残り、それぞれの人生の思い出として刻まれて行くことでしょう。

何げないお彼岸の光景ですが子供たちにとっては一つの大きな体験かもしれません。いつの日か、仏教や信仰を大切に思える家庭に縁を結んだことを考えることがあるのではないでしょうか。ご先祖や信仰に思いのない方がお彼岸にお寺や墓所にお参りすることはないのですから。

お彼岸も非日常の一つといえますが、法事などの仏事も非日常のひとこまです。宗教心や信仰心の希薄化、核家族化や価値観やライフスタイルの変化などによって、法事などの仏事にふれることのない子どもも少なくありません。葬式仏教と揶揄されて久しい仏教ですが、葬儀にも法事にもたしかな意義が込められており、情操を養い人生に活かすことができるものです。丁寧な説明があれば子どもたちにもその意味が通じることでしょう。しかし、そのようなことも体験がなければ知ることもできません。

先月末に熊切家の第七・七日忌法要と納骨式の法事が当山で営まれました。数え年89歳で逝去された和一郎さんを供養する法事です。和一郎さんはとてもお元気な方で、高齢ながら聡明で最後まで車の運転もされていましたから急逝の報せには私も驚きました。熊切さんとは平成24年当山に墓所を求められてからのご縁です。

翌年奥様が逝去された折りには当山に葬儀を依頼されました。その後、御本尊様を自宅に迎えられ、新盆を始め奥様の供養を大事につとめておられました。昨年秋には奥様の第3回忌法要を営まれましたが、その時も今回同様大勢の親族がお参りされました。ご家族の仲の良さと倶に印象的なことは、お孫さんやひ孫さんが行儀良く参列されて、一緒にお経本にも目を通し、精霊壇に進んで丁寧に焼香をし、合掌されていたすがたです。法事の後の法話も神妙な面持ちで聞いていました。寺院という空間、お祖父ちゃんのための供養、仏教儀礼など小・中・高生には貴重な非日常的経験といえるでしょう。

今はその意味がよくわからなくても、法事の席に参列したという体験は、子供たちの心の中に必ず何らかのかたちで堆積され、情操を深めることになり、仏縁を結ぶことにもなると信じています。

相武山 山主

 

2016年03月28日

あの日から5年

弥生三月の声を聞くと誰もが思い起こさずにいられない東日本大震災。大地を大きく揺さぶる強震と激しい大津波は、行方不明者をはじめ災害関連死亡者約21,000人という未曽有の犠牲者を出し、東北地方を中心に関東にまで甚大な被害をもたらしました。また福島第一原子力発電所の炉心溶融という深刻な放射能汚染事故が発生。現在もまったく油断ができない深刻な事態が続いています。想像を絶する大災害には表現することばを持ちませんが、驚愕と悲嘆、無念さと悔しさを多くの人々と共有しながら早5年の歳月がながれました。

この間、当山でも朝夕の勤行において被災地の復旧・復興を祈念し、祥月の命日や春秋の彼岸、お盆などには塔婆を建立して追善の供養を申し上げてきました。去る11日も早朝の勤行にて犠牲者の塔婆を建立し心を込めて読経唱題を申し上げました。これからも被災者の方々に心を寄せてまいりたいと思っています。

5年前の3月といえば当山で初めての日曜法話会を開催した時でした。大震災の直後でしたから躊躇した面もありましたが、仏教を弘めてゆく「布教」が新寺院建設の第一の目的であり、このような人心の混迷する時にこそ、法華経と日蓮大聖人の教えを伝えてゆかなければならないと考えて語り始めたことを思い起こしました。平成23年のことですからもう今年で6年目になります。「仏教に親しむ」を開催趣旨として、毎回25名~40名くらいの方々に聴講頂き、共に学べることを嬉しく思っています。

今月の法話会は13日に開催。法話会のテーマは『お彼岸について』でしたが、前段の「世相」では『東日本大震災から5年』について意見を述べました。はじめに皆さん承知のことながら、東日本大震災による甚大な被害の概要について説明。マスコミなどで報じられる被災者の声、復旧・復興の問題点などを紹介。結びとしての「学ぶべきこと」では、『教訓を活かそう(犠牲となった方々の鎮魂のためにも)。防災への心構え(自然豊かな我が国は自然災害も多いという自覚)。失って深く理解されることが多い大切なものの数々(当たり前と思っている生活のすべて。家族、友人、仕事、学校、地域、自然、ライフライン、安心、安全、信頼、愛情、地域、思いやり等々)。防災とより良い人生を送るためには、平素に緊急事態を想定することが大切』との意見をお伝えしました。
今月のテーマ『お彼岸について』は以前にも取り上げたものですが、一般の方から「知りたい」というリクエストがあったため再びの解説となりました。御開山日興上人は「未だ(まだ)聞かぬ者のためにはホトトギス 幾たび鳴くも初音なりけり」ということばが在ると伝えられていますが、すでに知識として理解している者にとっては当たり前のことでも、知らない人にとっては有り難いものです。前(さき)に知識した人には、初心者が知識することを温かく見守ってほしいと思いますし、また、先達として教え伝える人には、初心者がいる限り繰り返して丁寧に伝えることを心がける必要があると思います。

『お彼岸について』では、お彼岸の意義が「仏さまの世界(真実)を求める」にあることを述べ、法話全体のながれを「お彼岸のいわれを知る。仏教は彼岸(仏さまの世界)を求め願う。お彼岸の時季には仏道修行の功徳を積もう」と3段に分けて説明しました。はじめに「お彼岸は我が国の風習となっている年中行事(由来は平安時代か)。彼岸は1週間、中日は春分の日と秋分の日。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」祝日。秋分の日は「祖先をうやまい。、なくなった人々をしのぶ」祝日。春秋彼岸には多くの国民が寺院に参詣して先祖に供養をささげ、墓所などにお参りしている」ことを紹介。

そのいわれについて「語源がサンスクリット語のパーラミター「波羅蜜多」にあること。元来は仏の悟りの世界である向こう岸に渡るという意味。(此岸を迷いの凡夫の世界に喩え、川の向こう岸の彼岸を仏の世界に喩えた)。此岸から彼岸へ渡ること(仏道成就)を求め願うのが仏教」と説明。次に「凡夫は此岸に生きている」ことから、「此岸に生きているという認識を持つ。現実世界では刹那眼前の利害損得に陥りやすく、好きや嫌いの感情に流されやすい。上座部仏教(小乗経)では貪欲・瞋恚・愚癡を三毒とし、煩悩、業、苦からの解脱を説いた。大衆部仏教(大乗仏教)では 変毒為薬として三毒の超克を説くこと」を述べました。

まとめとして「彼の岸に渡ることが仏道の修行」であり、「修行とは仏の道を歩むということ(自らの愚かさを認め、仏の教えを信じ、学び行ずること)。此岸(迷いの世界)にいるという自覚が彼岸を求める信仰心を発す。仏道には学ぶことと修行が欠かせない」ことを述べ、菩薩が実践すべき六波羅蜜を説明して、彼岸会は仏道の功徳を積む好機(仏教の教えにふれて自身の人生を省みる機会、先祖を敬い家族や親族の絆の大切さを意識する機会)であることを伝えて法話としました。
法話会の後には聴講頂いた皆さんに、東日本大震災物故者諸霊の塔婆が建立された精霊壇に進んで頂き、供養のお焼香をして頂きました。次回4月の法話会は17日(日)午前11時から、テーマは「業(ごう)について」です。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2016年03月26日