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相武山 妙法寺 ブログ

法燈の相続を願い

秋らしい澄んだ青空が広がる10月13日、宗祖祥月のご報恩講の前に福井家の墓石の開眼法要が当山で執り行われました。(開眼法要とは建立された新たな墓石を前に、建立の所願を祈念申し上げる法要です)。福井さんは3年前まで当山でご一緒に信行精進しておられましたが、ご夫妻で奥様の故郷徳島に転居されました。ご主人は京都のご出身、奥さんは徳島のご出身です。

徳島に転居されたご夫妻が当山に墓所を求められたのは、真摯な信心を生きがいとされるご夫妻が、常に法華経とお題目の流れる当山を「終の棲家」と決められたことであり、ご主人の両親のご遺骨を分骨して供養したいという願い、さらには妙法院に墓所があれば横須賀と横浜で生活する子供さんたちやお孫さんたちも、妙法へのご縁をたしかに結ぶことができるのではないかという希望によります。さわやかな開眼法要には遠路にもかかわらずご家族がそろって参列されました。

学業や仕事の習得に追われ、自分探しや家庭を築き始める若い時には、信仰にふれることも難しいといえましょう。また、身体も健康で夢や希望に向かっている頃には、自分自身を見つめ、仏さまの道を学ぶことや信行に努めることにも関心は及びにくいものです。しかし、厳しい人生の課題と向き合わなければならない時、より良く生きる道を求め始めた時、家族や親族・友人などへの祈りが必要と思えた時、これから起きるであろう人生のさまざまな局面に、仏教の叡智と信仰を持つことは大変心強いことです。そのためにも仏縁を結ぶことが大切です。

仏縁を結ぶことなく仏教の叡智と信仰を得ることはできません。仏道の尊さとすばらしさを信受できた信仰者であっても、他者に仏道の尊さと信仰のすばらしさを伝えることは容易ではないでしょう。たとえ我が子であったとしても同様です。否、親子や家族の方が信仰を伝えるのは難しいかもしれません。したがって、仏教を恭い法燈の相続を求めて、家族の幸いを願うならば、慈悲の心に立脚したいろいろな工夫と努力が必要となります。

法燈の相続を願って執り行われた開眼法要、福井さんご夫妻の真摯な思いは必ず成就するであろうことを私は静かに信じています。

相武山 山主

 

 

2015年10月31日

荘厳心に思う

今年も残すところ2ヶ月ほどとなってきましたから、少しずつ冬の準備を始めなければなりません。四季の移ろいは愉しいものですが、反面煩わしさがあるのも事実。しかし、仏教では「心の持ち方一つですべての景色は変わる」と教えていますから、やがて来たる寒さの季節も楽しめるように心の準備をしたいものです。

さて、この夏から秋にかけて、泉区の高橋さん、平塚市の郡司さん、緑区の板倉さんのご家庭では新たに仏壇やお厨子を調えられました。信仰歴の長い高橋さん郡司さんは古くなった仏壇を新調され、3年ほど前に仏縁を結ばれた板倉さんはお厨子を新調されました。仏壇やお厨子を新調するということは、仏法を敬いその教えを大切にしたいと願う信仰心の現れに他なりません。それぞれのご信心がご本尊様を荘厳申し上げ、仏道のたしかな功徳を積まれました。

仏法を顕現した御本尊様を篤(あつ)く恭(うやま)う志は、さまざまな仏縁が心の奥底にある仏性に響き、仏道に心を発(おこ)すことが源となっています。その発心(ほっしん)を持続して生涯にわたって仏道を紡(つむ)いでゆくのが仏法の信仰者です。人生も平坦ではないように仏道もけっして平坦なものではありません。法華経では正法は「難信難解」(仏さまの覚られた世界は信じがたく、理解しがたい)と説かれますが、煩悩にまみれて生きる私たち凡夫には、清浄で気高い仏さまの世界は容易には信解(しんげ)し難いものです。

しかし、仏さまはあらゆる仏力をもって衆生を教化し救済しようと願っていますから、私たちはささやかな仏縁でも疎かにしないで、過去・現在・未来の三世にわたる真実の安らぎを求めてゆくことが大切です。求め続けることの大切さを世間では「継続は力」と教え、日蓮大聖人は『受くるは易く、持(たも)つは難(かた)し、さる間、成仏は持(たも)つにあり』と述べ、誰もが発心することはできるが、その発心を大切に育てて、仏道の目的である成仏をめざそうとするなら、日々の信行の積み重ねが大事であることを教えています。

仏道の目的である成仏とは「仏に成る」ということですが、この成仏という言葉にはさまざまな意味が込められています。たとえば「己れと向き合い、真実の自己を確立する」ということもいえるでしょうし、「仏さまの教えを深く敬い、実践修行して仏さまの心にふれる」ともいえるでしょう。いずれにせよ仏の教えに生きようと願う心の営みです。

仏壇やお厨子を新調するということはその志がかたちに現れたものであり、『よく荘厳されました。功徳を積まれましたね』と喜ばれる行いです。一般的に荘厳は「そうごん」とよまれますが、仏教では「しょうごん」とよみます。その意味は御本尊様を美しくおごそかに飾り恭うということです。仏道には「信は荘厳から」という言葉がありますが、それは寺院や道場の伽藍はもちろん、御宝前の立派な装飾にふれて信仰心が啓発されるという意味です。本来仏法を恭う心によってご本尊様を荘厳申し上げるのですが、その荘厳というかたちが、さらに信仰心を深めたり、新たに仏縁を結ばせるきっかけになるのです。心はかたちを求め、かたちは心を発し調えることになり相互に影響を与えあうのです。

御本尊安置のお仏壇を新調するばかりでなく、折々に仏壇を清掃することも荘厳といえます。また、仏さまにお水や仏飯、お供物を供えるのは供養ですが荘厳ともなります。お灯明やお香をお供えすることも荘厳心の現れです。華美を求めたり、見栄で競うのではなく、仏法を恭い大切に思う素直な信仰心から自然にわき上がるものが荘厳心といえましょう。

人は誰もが「自分が価値のあると思うことに、時間もお金も労力も、そして精神力も費やすもの」です。信仰心が薄くなっている現代日本では、仏道を学んだり、信行に努めたりする方は少数派かもしれませんが、永遠の真理を説き、人間として歩むべき道を指し示す仏道は、最も優れた価値があるといえましょう。何なるものに価値を見出すかに、その人の見識と人間性が現れるのですから、仏法という尊い教えを信ずることができた方々には、よりいっそう仏道の功徳を積んで頂きたいと願っています。

相武山 山主

 

2015年10月30日

受賞者のことばから

秋はいろいろなイベントが目白押しですが、中でも10月に発表されるノーベル賞には世界が注目しています。毎年、発表が近くなると受賞候補者がマスコミを通じて伝えられ、関心のある人はあれこれとにぎやかに意見を交わしています。現代世界で最高の学問的・人道的栄誉とされるノーベル賞。しかし、その受賞者は広い対象者に比してまことに僅かな存在です。時代的な事情やその他の理由によって受賞することができなかった優れた人物もいるでしょうし団体もあることでしょう。受賞に至らなくても優れた人物や団体がいることは周知の事実でもあります。また、未だ埋もれている人物も多数いることでしょう。多くの対象者から厳密に受賞者を選定するのですから、選考委員の作業も困難を極めるものだと思われます。

そもそも、ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞で、人類に学問的・人道的に貢献した人物や団体に送られる賞です。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、+経済学 の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物や団体に贈られます。経済学賞だけはノーベルの意向とは関係なく死後70年あとに金融機関などの後押しにより設立されました。

ふり返れば国民の多くが戦後の荒廃から気力を振り絞って立ち上がるために頑張っていた昭和24年、湯川秀樹氏がノーベル物理学賞を受賞。多くの国民に勇気と誇りを与えたのは66年前のことでした。その後も我が国は各分野で受賞者を輩出しましたが、21世紀に入ってからはそのスピードが加速しているように思えます。今年も二人の研究者が受賞しました。「医学生理学賞」に北里大学・特別栄誉教授の大村智さん。「物理学賞」に東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章さんです。大村さんの受賞理由は「寄生虫による感染病に対する新しい治療法の発見」。梶田さんの受賞理由は「ニュートリノに質量があることを示すニュートリノ振動の発見」でした。

ノーベル賞受賞者にはインタビューが殺到しますが、とっさのことであるからこそ本人の生の声を聞くことができます。取り繕うこともなく、飾ることもない言葉が多いようです。私はいつも「そうか、そうだよな~。やはりちがうな~」などと感心してしまうことが多いのですが、冷静で辛口な隣人は「そんなことはじっくりと人生を歩んでいる人や、自然と向き合って謙虚に生きている人からはよく聞く声だよ」といわれます。それはそれで意味のあることでしょう。「老若男女・賢愚を問わず、誰が語ろうが真実は真実である」ということですから。それにしても今回も心地よい率直な言葉を聞くことができ、気持ちが晴れ晴れとして気力を頂きました。いろいろな言葉や出来事に感動するか否かは、一人ひとりの感性によるのですから、感動の押し売りなどできませんが、お二人のコメントを2~3ご紹介したいと思います。エッセンスを並べるだけですので、それぞれに意のあるところをお汲みとり頂ければ幸いです。

大村さんは「科学者は人のためにならなきゃ」と述べました。『幼少期、祖母から「とにかく人のためになることを考えなさい」と言われてきた。研究者になりましても、分かれ道に来たときはそういう基準を考えた』と。次に「もっと勉強しなきゃいかんと思った」と述べました。それは、山梨大学を卒業して東京都立墨田工業高校定時制の教師となった大村さんが、『夜間の工業高校だから、近辺の工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する人がほとんど。あるとき期末試験の監督をしていると、飛び込んできた(生徒の)一人が、手に油がいっぱいついていた。私は一体何なんだ。ショックだった。もっと勉強しなきゃいかん。本当の研究者になろうと思った』。(楽な道を行くと本当のいい人生にならない)と。
また、「成功した人は人より失敗している」とも語りました。それは『やったことはだいたい失敗するわけでしょう。思ったよりはるかに難しかったり、うまくいかなかったり。しかしうち5回、6回、7回やっているうちに、びっくりするぐらい上手くいくときがある。その味を味わうと、あとは何回失敗しても怖くない。それが研究の楽しさですよね。1回失敗してそれでだめだと思ったらだめですね。失敗したからよかった、これは絶対役に立つと思いながら続けることが大事ですよね』。さらに『いろいろやりたいことはあると思うけど、これやると失敗する、じゃなくて、やってみようという気を絶えず起こさなきゃだめ。成功した人は失敗を言わないですよ。でも人より倍も3倍も失敗している。だから1回失敗したからって、若い頃はどうってことないよ。とにかくやりたいことをやりなさい』(記者会見場に詰めかけた学生に失敗を恐れないよう説いた)と。

最愛の奥様への感謝も忘れることはありません。『真っ先に報告したのは「心の中で亡き妻・文子」研究者としていちばん大事なときに支えてくれた』と、16年前に亡くなられた奥様への思いを述べました。さりげない言葉の一つひとつに重みがあると感じたのは私ばかりではないように思います。

次に梶田さんは「グループ全体の栄誉」と述べました。『ニュートリノ研究というのは、一人でできるようなものではなく、スーパーカミオカンデですと100人を超えるチームが一つの目標に向かって共同で研究をして、成果を出していくというようなプロジェクト。ノーベル賞には、私の名前を出してはいただきましたが、スーパーカミオカンデ、そしてカミオカンデの研究グループが認められたということだと思う』と。

「地道な継続」が大切と述べました。『きちんと(研究を)やっていけば、何かに結びつくんじゃないかと思ってきちんとやった。自分の進んでいる道が正しいと思って頑張った』と。

「探究心が大切」と述べました。『何かがすぐに役立つものではなくて、人類の知の地平線を拡大するような研究を、研究者個人の好奇心に従ってやっている分野』。『われわれの住む宇宙というのは、まだまだわからないことがたくさんあります。大きい問題は、1日や2日の短い研究では解決できるものではなく、たくさんの人が興味を持って長い年月をかけて解き明かしていくというもの。そのような宇宙の謎解きに、若い人たちに是非参加していただきたい』と。研究グループへの言葉やそれぞれの言葉に梶田さんの研究者としての謙虚さと精神があるように思いました。

お二人の言葉を聞いて、「その道に優れた人の見識はその道にしか通じないものもあるが、万般に通じるものがあり、その道の優れた人は他の世界(未知の分野)に対して謙虚である」ことと「奥行きの深い言葉にはその人の人間性がにじみ出ている」ことがよくわかりました。人にも言葉にも出会いがあります。それを活かすことが出来るか否かは一人ひとりの感性によりますから、感性を磨いてゆきたいものです。

相武山 山主

2015年10月27日

御会式を迎えるために

昨日は気象庁から『西高東低の気圧配置となり、寒波の影響もあって関東地方と近畿地方では木枯らし1号が吹いた』という発表がありました。朝早くから北風が強いな~と思っていましたから、なるほどと得心した次第です。北海道からは降雪のたよりが届きましたから、冬の足音がひたひたと忍び寄っているようです。

当山では来る11月2日(月)と3日(火)の両日に「日蓮大聖人御会式(にちれんだいしょうにんおえしき)」を奉修申し上げます。2日の御逮夜(おたいや)法要は午後6時から、3日の御正当(ごしょうとう)法要は午後2時からです。当門流の年中行事では宗祖の御会式が最も重要な法会(ほうえ)ですから、夏の終わりからゆっくりとお花作りをはじめ準備を進めてまいります。1週間前となる昨日は堂内と境内の清掃を行いました。例年のように窓やサッシの清掃と回廊や境内の清掃です。風が強ければ御会式までにまた汚れるかも知れませんが、御会式を迎えるために浄めるという志が大切です。汚れたらまた浄めればよいだけのことです。

10時からの掃除でしたが、川崎の芦川さん夫妻が用事があるので前にトイレの掃除をさせてくださいと9時にお見えになり、客殿横のトイレとロビー横のトイレを掃除して帰られました。10時前には阿部さん、竹越さん、奥田さん、安西さん、新倉さんご兄弟、小原さんたちがお出でになり、本堂の窓や回廊、ロビーや受付、そして客殿のサッシからエアコン・長押まで、2時間ほどかけて皆んなで汗を流しました。貴重な休日、皆さんそれぞれに用事もあることでしょうに、ご協力には感謝するばかりです。お寺は大勢の方々に支えられ護られていますが清掃の時にもそれを実感しています。

御会式は私たち日蓮門下にとっては最も大切な行事ですので、法要の御宝前を荘厳申し上げるために桜の花を作ったり、いろいろと準備をしなければなりませんが、本堂と境内を浄めることも大事なことです。宗祖への報恩感謝と信心の大切さに想いを馳せる方々の志によって今年も無事に御会式を迎えられそうです。

お供えのお餅は今までJR中山駅側の和菓子屋に注文していましたが、この春お店を閉じられたということで、新しい餅屋を探して注文しました。昨年まで中区の坂上さんが御会式の御宝前にお供えされていた「寿りんご」も、今年はりんご園が廃業となりお供えすることができません。ミカンや柿、リンゴなどの供物も今年から注文先を代えることになりました。時代の流れや環境の変化は認めなければならないもので、「誰もが移りゆく時代の中で、今どのように生きるべきかが問われます」が、お寺も同様です。時代や移ろいやすい人の変化にうろたえることなく、愚癡にながされず、いたずらに歎くことなく、出来ることを一生懸命努めて行きたいと考えています。

本日、檀信徒の皆さまにはハガキにて参詣のご案内をいたしました。一人でも多くの方が宗祖の御会式に参詣され、仏縁をたしかめて清らかな功徳を積んでい頂きたいと願っています。

相武山 山主

2015年10月26日