相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

秋晴れの彼岸会

秋のお彼岸が近くなると各地から田んぼや畑の畦などに咲く彼岸花の報せが届きます。彼岸花は曼珠沙華(マンジュシャゲ)ともいいますが、華麗な姿をしていますからファンの方も多いようです。お彼岸にバスで当山に参詣された方は階段を上り、フェンスから顔をのぞかせていた一輪の彼岸花と対面されたことでしょう。3年ほど前から咲き始めた彼岸花です。墓苑入り口にある吉次さんの墓所の後ろにも3年前に植えた彼岸花が今年も花を咲かせました。今年は川脇さんの奥さんが鉢で育てていたという彼岸花を三師塔の裏手に植え替えましたし、興厳房が取り寄せた球根をあちらこちらに植えましたから明年の秋が楽しみです。

秋のお彼岸は7月と8月のお盆の後ですから一般的に菩提寺への参詣は少ないといわれますが、当山ではそうでもなくお盆同様にお参りされる方が多いようでした。20日と23日の法要には約130名ほどの参詣を頂きましたし、18日頃から今日まで連日、墓所や久遠廟へのお参りが多数ありました。顔や名前を存じ上げない親族や友人の方もお見えになって居られるようで有り難いことと思っています。信仰心が薄くなっているといわれる現代ですが、ご先祖や有縁精霊への供養には自然に足を運ばれるようです。お彼岸が特別意識されることのない習俗の一つとなって根づいているんだな~と感じました。

ズーラシア渋滞彼岸会は丁度シルバーウィークと重なります。今年は5連休となりましたが、すべての日が秋晴れというお彼岸と行楽にはもってこいの天候でした。当山の近くには「よこはま動物園 ズーラシア」があり、横浜市内はもとより東京や近県から多数の来園者があります。連休ともなれば最寄りのインターとなる「下川井インター」は大混雑。保土ヶ谷バイパスの上りは東名の横浜町田インターからつながり、バイパスの下りは本村インターを過ぎたあたりからの混雑です。当然中原街道も渋滞でした。連休や夏休みなどでは渋滞覚悟で行楽に向かう方がいますが、皆さん限られた休日を家族や友だちと楽しみたいということで、気持ちはよ~くわかります。渋滞を覚悟しているのなら渋滞もそんなに問題にはなりません。慣れた人は渋滞を楽しむ工夫をしながら目的地に向かう余裕さえあるようです。他方、渋滞を想定していない人は一向に進まない車のハンドルを握りながら、イライラして愚癡と不満の言葉が出てしまうかもしれません。時にはせっかくの行楽なのに車内の雰囲気が暗~くなることもあるでしょう。やはり何ごとにおいても「遇・不遇」「順境・逆境」など物事の両面を想像することが大事なようです。さらに不遇と逆境への心構えがあれば、それらをも楽しむことができるのではないでしょうか。彼岸会に参詣の方々でも渋滞にぶつかって難儀した方が居られるかもしれません。しかし、あせって苛ついてもどうにもなりませんし、事故などを起こしては困ります。渋滞の中、信心をもってお寺に向かっていることは、仏さまも故精霊もご照覧ですから、多少の遅れなど気にせず安心してお出で頂きたいと思います。

菩提寺への参詣といっても時間がかかり、電車賃やガソリン代もかかります。ご供養の用意などもありますから、信仰心や故人精霊への思いがなければできることではありません。20日・23日両日の彼岸会には、お盆同様遠方からの参詣者も多数居られました。横須賀からは本多さんご一家、平塚からは郡司さんご一家、市川からは松浦さん 和光市からは重吉さん、日本橋からは阪部さん等々、そして間もなく出産を迎える内堀さんも大きなお腹でお参りされていました。息子さんの送迎がなければ参詣できない坂上さんもお見えでした。何かと忙しい中参詣されたすべての皆さまのご信心に敬意を表するばかりです。

法要はいつものように執り行われました。唱題のうちに仏祖三宝尊へ献膳を申し上げ、法華経方便品・寿量品の読経、読経中には皆さん精霊壇に進んでご焼香をされ、唱題の後には懇ろにご回向を申し上げました。法要後の法話では『弥源太殿御返事』を拝読。はじめに彼岸のいわれについて、「仏教では私たちが住む世界を此岸(しがん)と呼び、仏さまの住む世界を彼岸(ひがん)と呼ぶ。此岸から彼岸には川が流れており、私たち凡夫は仏縁をたよりにこの川を渡って彼岸をめざします。この川を渡るということが仏道の修行ということですから、己れの煩悩と向き合い、娑婆世界の苦悩の荒波を乗り越えて行かねばなりません。まだ彼岸に至ったわけではありませんが、仏道修行をおさめ功徳善根を積むのがお彼岸の意義です。積んだ功徳は私たちが頂戴するのではなく、ご先祖や故精霊に回向されることを願うのです」と解説。

拝読した御書からは「法華経は三世諸仏発心の杖であり、法華経の行者である宗祖を杖・柱と頼み、仏道の志を積むならば、現世は安穏であり、後生は必ず善処たる霊山(りょうぜん)に至ると私たちは信をとること。他宗他門では仏菩薩の像を信仰の対象とするが、日蓮大聖人の教えを正直に受持する日興門流では、三世十方の仏は法華経から誕生した存在であり、法華経は諸仏の母である。宗祖はその魂魄を十界互具の曼荼羅として御図顕遊ばされ、信仰対象の本尊として一切衆生に授与された。私たち門弟は曼荼羅ご本尊に込められた尊い教えを信行の力で自らのものとして行きたい」と述べて法話としました。法話の趣旨を心に頂いた参詣者は、精霊壇に建立されていた塔婆をお持ちになり、それぞれの墓所に向かわれました。

すっきりとした秋晴れのお彼岸。参詣された方々は相武山周辺の緑豊かな自然にふれ、秋の草花をめで、トンボやアゲハチョウの乱舞を見て、菩提寺のご本尊様に心をこめて読経・唱題、法話を聴聞して仏道の教えにうなずかれていたようです。その一つひとつが仏道の功徳であり愉しみといえるものです。仏道とその信仰は偏った難行苦行を求めるものではなく、仏の教えにふれることによって心が開かれ、その営みが悦びとも楽しみとも感じられる世界ではないかと思うのです。

相武山 山主

 

2015年09月28日

修学の好季

実りの秋、相武山南西側の田んぼでは稲刈りが行われ、刈り取られた稲が干されて、いよいよ秋も本番という風情です。味覚の秋といわれるように、ブドウ・梨・栗・柿・リンゴ・みかんと次から次に果物が店頭に並べられています。まだ味わってはいませんが新米も出回りはじめました。秋ならではの味覚を頂くことができるのですから、自然の大きな恵みと栽培されている人々に感謝の思いが湧いてきます。旬の恵みを「お初(初物)」といいますが、私たち信仰者はお初を頂くとまずご本尊様にお供えいたします。それは、「自らが妙法によって生かされている存在であり、一切は妙法の果報であり恵みである」と信じている証です。鈴を打って唱えるお題目には妙法への篤い感謝の心が込められているのです。

さて、1月から毎月開催している日曜法話会も今月13日の法話会で今年9回目となりました。新寺院を建立した翌年の平成23年3月から始めた法話会は5年目に入り、檀信徒以外の一般の参加聴聞者も毎回6名から10名ほどおられ、いつも25名~40名ほどのご聴聞を頂いています。法話会は「仏教に親しむ」を趣旨としていますので、これからもより多くの方に足を運んで頂き、仏教に親しむとともにその教えを正しく理解して、人生に活かしてほしいと願っています。今年は10月と11月の2回を残すだけとなりましたが、いつも法話会でお話しする「世相」と「レジュメ」の構成には苦労しています。前日まで真剣にテーマと向き合い、当日はできるだけわかりやすくと心がけて法話に努めています。

13日の法話会で「世相」としてピックアップしたのは「北関東豪雨災害」についてでした。10日から11日にかけて北関東地方をおそった豪雨は、鬼怒川の氾濫をもたらし大きな水害となりましたが、その原因は積乱雲が帯状に並ぶ「線状降水帯」によるということです。台風18号と17号の影響をうけての集中豪雨で、鬼怒川の堤防が決壊、想定外の豪雨に大きな被害が出ました。はじめに状況について説明し、「災害の人的原因、インフラや住宅の深刻な損壊、農作物と耕地の被害などを解説」しました。被災者の「自分のところは大丈夫だと思っていた。まだ大丈夫だと思っていた。まさかこんなことになるとは・・・。」という声を紹介しました。その上で、「何が起こるかわからないのが人生。大自然の活動に油断しない。過去の災害を参考にする。早めの避難勧告等々」災害への心構えを持つことをお勧めしました。最後に学ぶべきこととして「地球も一つの生命体。(あらゆる自然現象は地球も生命体として存在している証)。自然災害と向き合いながら生きる。他所の災害は明日の自身と受け止める。無駄でも良いから準備をする(何も無ければ幸い)。人生への教訓とする(災害を自らの人生にあてて見る)」をお伝えして世相への意見としました。

続いて今月のテーマ「法華経のこころ(2)」。内容は「法華経とその構成について」でした。「『法華経』(ほけきょう)は、初期大乗仏教経典の1つ。サンスクリット語では『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』といい。『正しい教えである白い蓮の花の経典』と訳される。法華経は仏教伝播の流れに乗って中国に渡ってきた。漢訳されたのは部分訳・異本を含めて16種といわれているが、現在まで完訳残存しているのは、「『正法華経』10巻26品(竺法護訳、286年)、『妙法蓮華経』8巻28品(鳩摩羅什訳、400年)、『添品妙法蓮華経』7巻27品(闍那崛多・達磨笈多共訳、601年」と解説。

次に「漢訳での総称を法華経というが、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』から「妙」と「蓮」が省略され、「妙法蓮華経」の略称としても用いられている。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、最も優れた翻訳として受容され、天台宗や多くの宗派の信仰上の所依の経典となった。天台法華宗、日蓮法華宗では、『法華経』を中心に『無量義経』を開経、『観普賢菩薩行法経』を結経として、「法華三部経」と呼んでいる。鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は『観音経』として宗派を越えて普及した。」ことを説明。

続いて「鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は序品第一から普賢菩薩勧発品第二十八まで、28品の章節で構成されており、内容を大別すれば『「本門と迹門』となる。隋の時代、法華経を中心に仏教の統一をはかった天台大師智顗は、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとするもの。本門とは釈尊が久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かしたもの。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬える。天台宗や法華宗一致派は両門を対等とし、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とする。」と述べて法華経の構成をまとめました。
最後は日蓮大聖人の報恩抄(ほうおんじょう)『何(いず)れの経にてもをはせ 一経こそ一切経の大王にてをはすらめ。而(しか)るに十宗七宗まで各々諍論(じょうろん)して随はず。国に七人十人の大王ありて、万民をだやかならじ、いかんがせんと疑ふところに一つの願を立つ。我八宗十宗に随はじ。天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく 一切経を開きみる ー 略 ー 仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべき』を拝読、宗祖の法華経受持の方途を示して9月度の法話を終了。

いつもの法話会より少し難しく思われる方が居られたかもしれませんが、一度に理解しなくても良いのですから、法話に親しみながら法華経への理解を深めて頂くことを願っています。時は秋、仏教を修学する好季といえましょう。10月の日曜法話会は18日(日)午前11時からの開催です。テーマは「法華経のこころ(3)」。法華経の中心テーマに焦点をあててその内容を解説し、法華経信仰の尊さをお伝えいたします。ご家族友人誘い合わせてのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2015年09月27日

三宝供養の功徳を回向 

駐車場からの参道に「宮城ノ萩」を植樹して4年、「武蔵野萩」を植樹して3年目となりました。土との相性が良かったのか毎年それぞれ気持ちよく花を咲かせています。可憐な花が風にそよぐ姿はとても風情があり、こころに一服の清涼剤になります。万葉の昔から多くの人に愛されてきたのも宜なるかなと思います。先日、興厳房が参道の草取りをしていたらハギの子どもをいくつか見つけました。実生のハギです。植え替えをして他所に移そうとしましたが、砂利混じりの堅い土にも負けることなくしっかりと根付いていて、なかなか引き抜けません。あらためてその強い生命力に感心してしまいました。多少の環境の厳しさなど「生きる」と決めたものには障害とならないのかもしれません。参道の堅い土から可愛い実生を引き抜きながら、私も最後まで少しぐらいの逆境に負けることなく人生を全うしなければと思いました。

小西さん第7回忌

去る9月6日の日曜日、神奈川区の小西さんが息子さんと一緒にご主人の第七回忌追善供養のために参詣された。故小西肇さんは平成6年頃に当山の檀徒となられた方です。日蓮大聖人の教えに帰依され、信仰にはとてもまじめで一途な方でした。逝去される2年ほど前までは、雨が強く降ろうが風が吹こうが必ず月例の行事にお見えでした。本堂ではいつもご自身の所定の場所に身を置かれ、録音テープをおいて法話を録音しておられたのが印象的です。お話を聞かれる姿も真摯なもので、得心される時には大きくうなずいておられたことを覚えています。平成21年10月、82才で霊山に旅立たれました。奥さんはお勤めや家族のお世話などで、小西さんとご一緒ということはあまりありませんでしたが、お経参りなどではいつも一緒に法華経を読誦しお題目をお唱えされます。また、親しくお話もさせて頂いていますので、これからも心を豊かにするため、気分転換のため気軽にお寺に足を運んで頂くようお伝えしました。故小西さんも奥さんの参詣される姿を霊山からご覧になればきっと悦ばれることでしょう。

山野さん第7回忌

12日(土)の土曜日には、鶴見区の山野さんがご主人とご親族と共に、お母様の第7回忌追善供養のためにお参りされました。山野さんのお母様玉枝さんは当山の開創の年からのご信徒でした。家庭環境の都合などもあってお参りにみえることはそう多くはありませんでしたが、逝去されるまでまじめな信心を貫かれた方です。山野様には4人のお子様がいました。私は年に一度自宅にお経参りにうかがっており、その時には山野さんは娘さん達に信仰を伝えようと、呼び寄せておられました。同居しておられたのは、玉枝さんの葬儀を取り仕切り、今回の法事の施主を務めた末娘の加枝さんでした。当時は高校生だったでしょうか。今では成人された二人の子どもの成長を温かく見守るしっかり者のお母さんです。多忙の加枝さんは春秋のお彼岸やお盆などにお塔婆の供養をされていますが、新寺院が建立されてからは初めての参詣でした。

懇ろに読経・唱題をいたし山野さんのご回向を申し上げた後の法話では、「信心を大切にしておられたお母様が皆さんの志を喜んでおられること。何ごとも突然に成るものはなく、少しずつ着実に積み重ねられることによって成り立っており、学業や仕事、家族や交友関係、趣味や習い事、そして信仰も継続することによって磨き上げられ、より良いものになること。故山野さんをはじめ多くの檀信徒の方々の志が実って相武山も現在に至っていること。仏教は己れの心を見つめることが基本であり、仏さまの教えを学び修めることによって人生の充実をはかることが大切」とお伝えしました。

法事は今生の営みを終えた縁(ゆかり)有る人々のために、葬儀を終えてから33回忌頃まで執り行われる仏事のことです。仏事は故人を偲ぶための「偲ぶ会」という側面もありますが、仏事というように単なる偲ぶ会ではなく、故人の追善供養のために「仏法僧の三宝を供養する」ということが肝要となります。仏さまを敬い、その教えを尊び、僧侶を供養して功徳を積み、その功徳を大切な故人に回向(回り向かわす)するために法事は行われるのです。現代では時折故人を偲んで家族や親族が集い、食事をして法事をしたとする考えもあるようです。もとよりそれぞれの思いは自由であり、なにをもって供養とするかも自由ですが、仏教において法事というのは、「仏法僧の三宝を供養し、その功徳を回向すること」というのが常道であることも知って頂きたいものです。小西さん、山野さん共に家族によるささやかな法事でしたが、心のこもった法事が営まれ、故人も霊山にてきっと喜ばれていることでしょう。

相武山 山主

2015年09月25日

続 久しぶりのお経参りで

先月の19日、港南区の竹村さんのお宅にお経参りに伺いました。毎年出来るだけ多くのお宅をお参りしたいと思っているのですが、お寺とご信徒との都合が合わなかったり、お経参りを遠慮したいという方も居られて、ここ数年40軒前後しかお伺いできず申し訳ないと思っています。竹村さん宅へ伺うのも久しぶりでした。

竹村さんはお母様の操さんが平成8年に逝去されてから兄妹でのご生活です。信仰心の篤かった故操様は当山開創間もない頃からのご信徒で、よく御書に親しまれていた方です。お元気な頃には月例の行事などに仲の良かった坂上さんとよくご一緒にお参りされていました。また文筆力のある方で流れるように思いを認めたお手紙を何回か頂きました。その人柄は穏やかで文学的素養があり品性を感じさせる方でした。霊山に旅立たれてもう19年ほどになりますが、青森県八戸市に住む娘の那須由美子さんは、月遅れのお盆と12月の御命日忌には必ずお塔婆を建立し追善供養を願われています。故操様も子どもさん達が健やかな生活であるように霊山より見守っておられることでしょう。

お経参りに伺う前の15日夕方、竹村さんからお電話を頂きました。「明日、テレビ朝日で『妻と飛んだ特攻兵』というドラマが放映されますが、モデルとなった特攻兵は母の弟です。時間がありましたらご覧ください」というご案内でした。我が国では終戦の日が近づくと戦争に関わるドキュメンタリーや解説番組、ドラマなどが放送され、戦争に対する意識が喚起されます。私は意味のあることだと思うので、興味深い内容だと思う時にはテレビをつけています。

竹村さんからご案内頂いたドラマは、その前宣伝を見聞したこともあって見させてもらいました。 放映サイドからは「昭和20年8月15日の玉音放送から4日後、8月19日の満州で、特攻隊員である夫と共に、戦闘機に乗って飛び立った女性がいたことを。なぜ、終戦の4日後に特攻作戦が敢行されたのでしょうか。そして、なぜ夫婦で特攻機に乗り込んだのでしょうか…。ノンフィクション作家・豊田正義氏が取材を重ねて明らかにした、知られざる太平洋戦争の史実を描く「妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻」をもとに豪華キャストで映像化。終戦から70年を迎える節目の今夏、スペシャルドラマとして放送します」と解説がありました。

ドラマで山内節夫のモデルとなったのは谷藤徹夫さん、妻・房子のモデルとなったのは朝子さんという。この谷藤徹夫さんが故竹村操さんの弟さんです。筆者は竹村さんのお宅にも取材に訪れたということでした。ドラマで紹介された谷藤夫妻の写真が竹村さん宅の経机に置かれており、読経・唱題を申し上げ、竹村家先祖精霊への追善とともに、谷藤夫妻へもご回向を申し上げた次第です。

お参りを終えてから特攻されたご夫妻をはじめ、谷藤宅にちなむお話をいろいろとうかがい、故操さんのこともより理解が深まりました。「世間は狭い」という言葉がありますが、身近かなところに不思議なご縁が有るものです。

相武山 山主

2015年09月17日

久しぶりのお経参りで

妙法院では毎年、夏を中心に「お経参り」をしています。お経参りは檀信徒宅の御本尊様に一年に一度はお参りしたいという思いと、親しく言葉を交わしたり、信仰の心をお伝えする機会としているものです。他宗他門でもお盆経といったり棚経といったり、表現は異にするかもしれませんが昔から行われています。お寺によっては春秋のお彼岸や夏のお盆、そして年末と、一年に4回ほど檀信徒宅を訪問することも珍しくはなく、それだけお寺と檀信徒の関係が親しみやすいものでした。

私が約38年ほど前に在勤しご奉公していた讃岐本山本門寺(香川県)でも、お寺と檀信徒の関係はまるで親戚づきあいのような面がありました。多くの檀家さんは年に数回三好副住職(当時の本門寺住職は日達上人が兼務)に挨拶に見えていましたが、それは肩肘の張ったものではなく、気軽な時候の挨拶と近況報告のようなものでした。本門寺は700年以上の歴史を有する大寺でしたから、歴史の荒波を越えながら、自然に寺檀関係が調っていったようでした。 大坊だけでも約350軒ほどの檀家さんが居られましたから、私は夏しかお参りに伺うことができませんでしたが、副住職さんに伺うと少し前までは年に4回必ず檀家参りをしていたということでした。お盆経はすべての檀家さんをまわるわけではなく、都合の悪い方などは除きますから、約250軒ほどでしょうか。朝の7時頃からまわり始め夕方6時頃までまわります。1日に40~50軒のお参りが続いたでしょうか。結構な修行になりました。

初めての時は驚くことばかりでした。ご家族が在宅で一緒にお参りされる家庭もありましたが、半数ほどは留守宅でした。お参りする予定の2~3日前には、世話人さんが各檀家さんに「謙道さんがお参りにくるよ~」と声をかけているそうです。地域一体が大坊の檀家ですから、隣家の方に「次は○○さんのお宅」と案内されますが、留守宅にもどうぞといわれます。まず、留守宅に鍵がかけられていなことにビックリです。恐る恐る玄関を入っていきますと、案内の方が「あちらに仏間があるから、散らかっているけど気にしないで拝んでください・・・」と去って行きます。 「エッだれも居ないの・・・」と驚きながら、お灯明とお線香をつけて法華経の方便品と自我偈を読誦、お題目をお唱えしてご家族の信行増進と泰平、ご先祖の追善ご回向を申し上げます。ご本尊様の前にはご供養・御布施が供えられ、書き付けが置かれています。書き付けはおよそ「今日は有り難うございます。ご供養をよろしくお願いします」というものでした。

宅の様子はまるで家族が来るかのよう。洋服があちらこちらに置いてあったり、洗濯物もそのまま干してあったり、居間と客間をチョットかたづけたという程度で、普段の生活のままでした。極めておおらかなものです。 それまでも「人や自然を信じて生活する」というような、地方での生活の話を見聞したことはありましたが、あらためて「何ごとも信じられない」と思いがちな都会での生活と比べてしまい考えさせられました。ただし、それから約38年ほど経ってしまいましたから、今どうであるかは私もわかりません。不思議なもので過去をふり返っていると、自然に三好副住職ご夫妻をはじめミキ婆さんやマスミさん、婦人部の方や世話人さんたちの顔が懐かしく思い出されてきます。讃岐の皆さんには本当にお世話になり優しくして頂きました。今の私があるのもその当時の方々のお陰と感謝を忘れることはありません。(つづく)

相武山 山主

 

2015年09月16日