相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

夏の終わりに

7月の中旬から8月の中旬までの猛暑がうそのように涼風がわたり、最高気温が30度を越えることもなく相武山周辺はすっかり秋の気配です。たくさんのトンボが秋空を気持ちよく舞っていますし、田んぼの稲穂も実をつけて頭を垂れ始めています。これから多少暑さの戻りがあるかもしれませんが、このまま実りの秋を迎えそうです。

先週の23日(日)は午前10時から境内・駐車場の草取り整備。11時からの法話会の前に1時間ほど世話人さんを中心に作務をして頂きました。日曜法話会常連の松田さんが10時前にお出でになったので、時間を間違えられたのかと思いましたら、すっかり作業の用意をされて駐車場の草取りをされていました。松田さんは当山の檀信徒ではありませんが、日蓮大聖人への信仰をお持ちの方です。当山より相武山だよりなどをお届けしていますので、ご覧になってご参加頂いたようです。松田さんは5年目に入った法話会にはほぼ皆勤賞で、いつもまじめにレジュメに目を通され聴聞されておられ、その学ぶ姿勢には敬意を表しています。

今月の日曜法話会は「仏事の心得」でした。6月の法話会では「お経のこころ」、7月の法話会では「法華経のこころ(1)」で、仏教の基本となる仏典と私たちが信行している法華経について解説しましたが、7月と8月のお盆、9月の秋季彼岸の間の法話会ですので、今月は日頃良くわかっていない仏事についての解説です。信仰の厚薄によって仏事への心構えは異なりますが、仏事の大切さを教えてくれる年配者も少なくなり、ライフスタイルや価値観の変化などから仏事も疎かになっているのが現状です。このような世相ですから、信仰に関心のない方や否定される方には価値観が違うので理解されることは難しいと思いますが、人間としての心や精神性を大切にする方、人間性や情操に価値をおける方に、理解を深めて頂けるよう努力しなければならないと思っています。

法話会の「世相」は高校野球についてのお話。高校野球選手権大会がさまざまな感動をよぶ理由について解説し、「結果を受け容れる。努力は無駄になることはない。今に集中すること。失敗に込められた教訓。人生には遇不遇がある事を知る。一途に打ち込めばそこには人生への教訓が満ちている。高校野球を楽しもう」と私の意見をお伝えしました。テーマの「仏事の心得」では、「仏事は仏道を敬い教えを現わすものであり、尊崇する仏教の教えと信仰を明らかにして、人生の節目を意義あるものとするものであること」を述べ、、「仏道の教えを伝承し、菩提寺の護持にも貢献するもの」であることをお伝えしました。

法話会終了後は聴聞された方々や世話人さんと納涼会、夏の終わりを意識しました。遠方から法話会に参加された方も居られ、お腹のすいた時間でのタイミングの良いランチタイムでした。前日から用意した食材を皆んなで焼いてバーベキューを楽しみました。一緒に食事を楽しむことは互いに打ち解け合う格好の場となります。準備をする時から、食材を調理して頂く折々に会話が弾みます。せっかく同じ時空に心身を置くのですから、心を開いての語りは食事にいっそうの味を引き立てます。

歓談も終りを迎える頃、南雲さんの娘さんのエリ子さんが見えました。お父さんと連絡をとることもなく突然のお参りで、納涼会に参加していたお父さんもびっくりでしたが和やかにご対面です。エリ子さんはお盆にお参りできなかったお母様へのお参りということでした。年に数回はお参りにみえるエリ子さんですが、二人の娘さんもすっかり大きくなったようです。失礼かなと思いながらお歳をきけば40代半ばということですから、歳月の流れは早いな~と、ついうなってしまいました。はじめてお会いしたのは昭和56年、エリ子さんが小学校の6年生頃だったでしょうか、とても愛くるしい娘さんでした。亡くなられたお母様もまだ40才をすぎたばかりで、皆んな元気溌剌でした。ついつい35年前の頃を思い出していました。そういえば、来年の春に開創35周年を記念して文集を発刊しようと、現在企画を進めています。〆切を少し延ばしてより多くの方に寄稿頂きたいと思っています。檀信徒の皆さまにはご協力よろしくお願いいたします。

相武山 山主

 

2015年08月30日

大切な一日

8月のお盆に川脇伸和さんが奥さん・お父さんと共に参詣されました。子どもが授かったといううれしいお知らせとご一緒です。9月には出産ということですから奥さんのお腹も立派になっていました。お父さんもとてもうれしそうです。お母さんの追善供養のために塔婆を建立し、読経・焼香・唱題とお勤めになりましたが、無事の出産もご本尊様に祈念されたことでしょう。法話聴聞の後には皆さんで墓所に塔婆を建立し香華を手向けていました。当然、子どもを授かったこともお母さんに報告されたでしょう。

伸和さんがお母さんに手を引かれて初めて当山のご本尊様に参詣されたのはまだ幼稚園に上がる前のことでした。それから30数年が経ちました。檀信徒の方々にはご承知の方も多いと思いますが、お母様はとても信心深い方で、お寺の各法要や諸行事にはいつもお参りされていました。また法華講の会計係を担当されたりご主人と一緒に境内整備などにもご尽力頂きました。その信仰心には心からの敬意を表しています。7年におよぶ闘病生活の後にお母さんが逝去されたのは平成19年9月のことでした。もう8年の歳月がながれます。伸和さんご夫妻とご主人からお孫さんを迎える報告をうけたお母さんは、温かいまなざしで霊山から出産を見守っておられることでしょう。

さて、8月のお盆は例年暑いと相場はきまっていますが今年の暑さはひとしおでした。当山では13日に宗祖月例御講と旧盆供養、15日に戦没者の追善法要と旧盆供養、16日に旧盆の供養というかたちで、それぞれ法要を執り行いました。各法要には毎月参詣の方々はもちろん、お盆ということで、いつもは多忙や遠路の都合で参詣が難しい方も参詣されていました。当山は周囲を市民の森に囲まれていますから街場より1~2度は涼しいのですが、エアコン設備のない本堂は涼風は入るもののやはり暑く、お参りの方は汗を流しながらの読経・唱題、法話の聴聞までハンカチやタオルを手放すことはできません。

仏道ではご先祖や有縁精霊に追善の供養をささげることは功徳を積むことであり、我が国ではお盆やお彼岸は伝統や文化・習俗として、多くの方の生活に溶け込み大切にされているものです。暑い最中、菩提寺や墓所に参詣し、読経・唱題・焼香・塔婆供養などその信行のすべてが功徳を積む行いですが、流す汗もまた尊い功徳を顕しているのではないでしょうか。かたちは心の表れですから、ご先祖や縁深い精霊への思いがなければ供養も思い至りません。参詣者の流す汗は真心からの思いそのものですから実に有り難いことと思います。追善供養の志を向けられたご先祖や諸精霊は、きっとその志を喜び感謝しておられることでしょう。流れる汗に仏道の功徳をみるお盆でした。

ところで、15日と16日の法要では前の大戦についてのお話をいたしました。

当山では開創已来毎年8月15日には戦没者追善法要を営んでいますが、これは前の大戦で犠牲となられたすべての方々への慰霊と追善を願っての法要です。犠牲者とは戦陣に散った方ばかりでなく、戦争に反対して処刑された方々までも含むものです。今年は戦後70年という一つの節目を迎えました。時あたかも国会では安保法案が議論されているところから、戦前戦中の厳しく険しい我が国の姿について説明し、戦争が如何に悲惨なもので在るかをお伝えしました。また、私たちが現在、民主主義や基本的人権を基盤に平和な社会を享受できるのは、前の大戦で犠牲となられた方々のお陰であることを確認しました。

私が開創已来戦没者法要を執り行っているのは上記の理由によるのですが、さらには当時の仏教界の責任を強く思うからです。冷静に当時の仏教界や僧侶の言動を検証すれば、大きな責任があることがわかります。しかし、一部の仏教者以外その責任を認めて反省を明確に表明してはいません。私もその時代に身を置いていたらどのような姿勢であったかはわかりませんが、現代に仏道を歩む者の一人として、その歴史を反省し心から犠牲となられたすべての方々への慰霊と追善を心がけたいと願っています。8月15日は月遅れのお盆であるとともに私にとってはとても大切な一日なのです。

相武山 山主

 

2015年08月22日

秋をまねく虫の音

三師塔後ろの百日紅(サルスベリ)の開花が遅いな~と思って心配していましたが、ようやく咲き始めました。また、境内のあちらこちら、参道から駐車場まで「テッポウユリ・タカサゴユリ」とおぼしきユリが白い清楚な姿を見せています。しかし不思議なことにユリを植えた記憶がまったくありません。6月頃からユリかも知れないと思って雑草と間違って抜かないように注意はしていましたが、まさかと思うほどの強い繁殖力です。昨年の夏に咲いたユリが枯れてから種を飛ばしたのでしょう。形からテッポウユリかなと思っていましたが、ネットで調べたらその親戚筋でしょうか「タカサゴユリ」のようです。暑さの中、お盆にお参りに来られる方々への自然からの贈り物のように思えます。お参りにお出でになる方はお楽しみ下さい。

ところで、日中は蝉時雨が猛暑を引き立てていますが、数日前から日が暮れると虫の音が聞こえるようになってきました。昼間の陽射しを見ていると本当に秋の涼しさは来るのかなと思ってしまいますが、自然界ではゆっくりと秋への準備に入っているようです。やがて涼しくなり楽しみの多い秋を迎えることでしょう。
世界では国や地域ごとに春夏秋冬四季の彩りを愉しむことができると思いますが、その中でも我が国は「桜桃の春、夏の白雲、紅葉の秋、雪化粧の冬」と、ことにその恵みにあずかっているといっても過言ではないでしょう。そして一つの季節が盛りの時には、すでに次の季節が静かに来たるべき準備をしています。

自然界では四季の運行が穏やかに展開してゆきますが、私たちの人生もそれぞれに時の彩りがみられます。子どもの頃や青年の時代、壮年から熟年へ、そして老境を迎えます。仏教では「諸行は無常、あらゆるものは変化してやまない」と教えていますし、「生・老・病・死の実相をみつめて自らの人生を考えなければならない」と教えています。必ず訪れる「老いと病と死」これらを自らのこととして見つめることが大切ということです。

お寺ではいろいろな相談をお受けしています。当然のこと、信仰の在り方や仏教について、葬儀や法事のこと、お墓や供養についてなどの質問や相談が多いのですが、また、「老いや病、家族や人間関係、心の持ち方や悩みごと等々」日々の生活についての相談を受けることも少なくありません。仏教や法華経、日蓮大聖人の教えや仏事については、知りうる限り適切にお応えしています。他方、悩みごとや生活のことに関しては一緒に悩み考えて少しでも良い道につながるよう努めています。ほとんどの問題が簡単には解決できないものですが、仏教の基礎的な考え方である「諸行は無常、あらゆるものは変化する。生・老・病・死の真実をみつめなければならない」ということがしっかりと理解されていれば、最大の難問である「病と老いと死」の苦悩さえ克服は可能なのですから、要は仏道で説かれる「正見(あるがままに真実を見ること)」をめざすことが大事ということになります。

誰もが必ず老いや病や死を迎えることは承知していることですが、自らの事として直視し熟考する方は少ないのではないでしょうか。日蓮大聖人が聖愚問答抄に『生を受けしより死を免れざる理(ことわり)は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常の現起するを見ては、疎(うと)きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空(むな)しく衣食の獄につながれ、徒(いたず)らに名利の穴にをち、三途の旧里に帰り、六道のちまたに輪回(りんね)せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。嗚呼(ああ)老少不定は娑婆の習ひ、会者定離(えしゃじょうり)は浮世のことはり』と述べておられるとおりです。

私たちは愚かな凡夫ですから、あらゆるものは突然顕われるように思いがちですが、事物事象には必ず何らかの因縁縁起があるものです。蝉時雨に虫の音が混じるだけでも秋の気配が伝わってきます。物事の道理を心に修め、想像力を少し高めるだけで、壮健な時に病の到来や老いの厳しさを理解することができるのです。それだけでも人生の悩みや苦しみから解放されることに通じます。 私たちも自然界のように時が来る前に心の準備を調えて置くことが大切だと思います。

月遅れのお盆が近づいてここ数日墓所にお参りされる方が多くなって来ました。明日13日は宗祖の御報恩御講、15日と16日には戦没者追善法要とお盆の追善法要を執り行います。檀信徒皆さまのご参詣をお待ちしています。

相武山 山主

2015年08月12日

新しい仲間

夏も盛り、当山隣接の「追分市民の森」では百日草とヒマワリが咲き始めました。市民の森の杉木立には一服の涼を求めて多くの方が散策に訪れています。うだるような暑さという言葉がピッタリの8月1日は月例の「お経日」。お経日は月始めに檀信徒皆さまの信行増進と御先師先達への御報恩、ご先祖有縁精霊への追善供養を申し上げる法会です。お経日には信仰を大切にされる方々が参詣されます。時間に余裕のある年配の方が多いのですが、その信仰への思いは、必ず仏祖三宝尊の御照覧にあずかって来世の果報をもたらすことでしょう。

それにしても連日の猛暑、1日はそのピークかと思うほどに各地から37度、38度、39度と高い気温が報じられました。じっとしていても流れる汗、当山の本堂には空調設備がありませんから暑さもひとしおですが、風があれば市民の森をわたって涼風がぬけてゆきます。しかし、その風も檀信徒の席までで、内陣の僧侶席にまでおよぶことはありませんから、扇風機をつけていても内陣はかなりの暑さです。元来、お寺は修行・修学の道場ですから、暑さも寒さも修行の一つのスパイスのようなものです。ちなみに私は空調の整備されていない時代に青少年期を過ごすことができた果報かと思って、一年中読経・唱題に勤めています。お経日の法話(妙風新聞の「御心を拝して」から『新尼御前御返事』について)が終ると興厳房が参詣の皆さんにアイスを配ってくれました。小さな可愛いアイスですが、一口ほうばると口の中に冷たさが広がり、一時の涼感を得ることができます。皆さん一息ついて帰路につかれました。

その後、私と興厳房は中澤俊彦さんと一緒に小さな池作りをしました。中澤さんは以前から境内に小さな池があったらいいな~と思っていたそうで、先月突然「ご住職、今、ホームセンターに来てるんだけど、プラスチックの池を買ってお寺に持って行っても良いですか」という電話がかかってきました。私と興厳房もかねて小さな池があったら良いね、といっていたので異論はありません。早速中澤さんは即決、少し大きめの池を届けてくれました。その後、水草や藻をお持ちになったり、川石を拾ってきたり、ということで、「では1日のお経日の後に作業をしよう」ということになった次第。

池は参道横のアジサイの群れの手前に設置することにしました。固い地面でしたから掘るのに少し難儀し、水平もとってはいませんが、1時間ほどで無事に設置ができました。その後、水を入れてポンプを作動、水の循環を確認して作業は終了です。昨日、長津田のホームセンターで睡蓮とメダカを求めてきました。メダカを飼うのは初めてなので成育が心配でしたが、思い切って買い求め、夕方にはできたばかりの池に放流しました。今朝心配して見に行きましたら、みんな元気一杯に泳いでいて、ほっと安心です。開山したばかりの妙法院では、うれしいことに花や草や鳥などいろいろな新参者がやってきて境内を賑わせてくれます。睡蓮もメダカも新しい仲間です。みんなで大切にしてゆきましょう。

相武山 山主

2015年08月04日