相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

猛暑のなかで

連日の猛暑が続く26日の日曜日、当山では朝から世話人の皆さんと草取りをしました。午前10時からの予定でしたが午前9時過ぎから三々五々お集まりになり、それぞれのペースで11時過ぎまで作務に汗を流して頂きました。ご参加の皆さんは暑さ対策をされていましたが、それでも汗が吹き出すという表現がピッタリのような猛暑、本当にご苦労さまでした。草取りは5月頃から10月頃まで檀信徒の皆さんにご協力を頂いています。寺内でも普段から注意していますが、1日は24時間、1ヶ月は30日あまりしかありません。その他の作務や法務もあってなかなか思うようにならないというのが実状です。寺内の人力では追いつかないため、月に1度くらいの間隔で皆さんに随意でご協力頂いています。また、自由にお参りになって草を引かれたり、境内を清掃して行かれる方も居られます。それぞれの志はたいへん有り難く感謝をしています。


すべての寺院は仏教や信仰を大切に思う方々によって護られており、当山も諸寺院同様いろいろな方々にさまざまな形で外護(げご)を頂いています。僧侶も当然のこと懸命に仏道と道場を護るように努力をしていますが、檀信徒という護り手の存在がなければ、各寺院の存立は不可能となります。明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や戦後の荒廃、さらに山村の過疎化などによって、厳しい環境にある寺院は現在少なくありません。当山も余裕はまったくありませんが、ご信心を大切にされる方々がご縁を結ばれ、倶に仏道を学びながら真心からの護持を頂戴し支えられています。護り方は一人ひとり違うかもしれませんが、その心底には「仏さまを敬い その教えを尊ぶ信仰の志」が等しく見受けられます。真夏に汗を流しながら、菩提寺の境内や駐車場の草をとられる志は、仏さまがご覧になられてきっと笑みを浮かべておられることでしょう。これからも無理をせず体調を考慮してご協力頂きたいと思います。

午前11時から草取りに平行して「わらべ会 夏のつどい」が始まりました。今年は子どもさんや親御さんの都合がつかないこともあって、4名の子どもたちを中心にしたわらべ会となりました。少し淋しい感じもありましたが、興厳房が企画した予定にそって皆んなで楽しみました。参加者がそろったところで興厳房からスケジュールの説明があり、初めは私と一緒に法華経方便品(ほけきょうほうべんぽん)と自我偈(じがげ)の「れんぎょう(お経の練習)」です。興厳房お手製のお経本を持って、みんなで大きな声でゆったりとお経を誦しました。続いて私からのお話。「大きな声で元気に挨拶をして、メリハリをつけよう。人は誰もが姿も違えば考えも違うので、互いに違いがあることを認めよう」という事を中心にお話をしました。その後は興厳房と太鼓の練習です。紙で作ったバチで練習した後、太鼓の前に進んで興厳房のお題目の声に合わせて実際に太鼓を叩きました。

そうこうするうちに時間はお昼を回り、お母さん方やお父さん方が準備していた「流しそうめん&バーベキュー」のランチタイムとなりました。草取りを終えた世話人の方も参加して皆んなでワイワイと愉しく頂きました。食事を頂いたら子どもたちによる「スイカ割り」です。子どもたちは目隠しをしながら一歩一歩足を進め、スイカの前で棒を大きく振りかざし、一気に振り下ろせばみごとにスイカが割れました。割られたスイカはとても甘く皆んなで美味しく頂きました。スイカ割りの後は、本堂にもどって小原さんの案内で「パターゴルフ」と「射的」を楽しみました。小原さんは高齢者の面倒を見られる仕事もして居られるので、そこからのアイデアのようです。この間、大人たちはテントや流しそうめん、バーベキューなどの片付けと清掃をしました。

子どもたちは本堂でのレクレーションを終えて客殿に移動、興厳房の指導で「ウチワ作り」と「ペン立て作り」に集中しました。それぞれ立派に作り上げ夏休みの作品になったようです。最後は本堂にもどって私と興厳房からの挨拶、お題目を三唱して「わらべ会夏のつどい」は午後2時30分に終了。来年はもっと早くから案内を出して、より多くの子どもたちに夏の相武山を楽しんでもらいたいと思っています。

皆さん猛暑の中ご苦労さまでした。

相武山 山主

 

2015年07月30日

どうぞ安らかに

今月の初旬、檀徒の老川さんの紹介で安丸千壽(やすまる ちとし)さんの葬儀を当山客殿で執り行いました。安丸さんは当山の檀信徒ではありませんでしたが、三月ほど前、老川さんとご縁のある次女の美津恵さんから、「帰依しているお寺がないので、父のお葬式をお願いできますか?」と尋ねられました。私は「当山の法式で良ければできますよ」とお応えしました。美津恵さんは老川さんのお父さんの葬儀やその後の法事で、何回か当山にもお出でになっていて私も顔見知りでした。妙法院での葬儀や法事の有り様をご覧になってお願いしたいと思っていたそうです。お話を聞けば「お父さんの様態がすぐれず、お医者さんからも最後の用意をしておいてください」といわれたということでした。お父さんは九州大分のご出身で、横浜にはご縁のあるお寺も無く、かといって、「最近話題の直葬(ちょくそう)のように、祈りを捧げる葬儀もしないでそのまま火葬にするようなことはしたくない」と家族で話し合っていたそうです。

それでも人生で直接葬儀に関わることは度々あることではありませんから、「どうしたら良いかまったくわかず不安だった」ということでした。核家族化によって家族や親族の関係が希薄になり、昔に比べれば地域の連帯も強くはありませんから、現代、ことに都市部では葬儀の在り方も大きく変わってきています。もちろん葬儀は故人や関係者の人生観や信仰観が大きく影響しますから、価値観の変化とともに多様性をみせてきたということかもしれません。さらに我が国では宗教心や信仰心が、健全に教育される機会はあまりありませんから、「仏神を敬うこころ、その教えを尊ぶこころ、魂の永遠性を信じて来世への旅立ちを大切にしよう」という、精神的な営みも見失いがちなきらいがあります。
あらゆることは心の所産ですから、仏神とその教えを鏡として、己れの心を見つめることがなければ、まことの幸いを得ることは難しいものです。ここに古今東西、宗教的な概念が存在するゆえんがあります。「現在と物質がすべて」と考える唯物論者や宗教否定論者の方には望むべくもありませんが、仏神を敬い魂の永遠性を信じる方にとって、葬儀や法事などの仏事を営むことは単なる儀礼では無く、私たちにとって精神性がいかに重要であるかを示しているのですから大切にしたいものです。

安丸さんご逝去の報を頂いて、直にご自宅に枕経(まくらぎょう)にうかがい、初めて故人と面会することになりました。千壽さんは穏やかなお顔で安らかに眠って居られるようでした。ご本尊をご奉掲して法華経を読誦し南無妙法蓮華経のお題目をお唱えして、心よりご冥福をお祈りしました。翌日、葬儀のためにご遺体は当山の客殿に移され、仮通夜、御通夜、葬儀・告別式、と3日間にわたって成仏への祈念を懇ろに申し上げました。ご家族の皆さんも私からお渡しした本宗の数珠をかけ、法華経のお経本を開いて故人への祈りをささげられました。ご遺体は当山から出棺となり、横浜市北部斎場で荼毘にふされた後、本堂においてご遺骨を安置し初七日忌法要を執り行いました。ここで葬儀の一切は終了。その後、会葬者の皆さんは客殿でお斎(おとき、精進落しともいう)の場をもち、故人を偲び冥福を祈っておられました。

御通夜ではいつものように、読経・唱題・ご回向の後に私より追善のための法話を申し上げました。「葬儀を執り行うのは、与えられた貴重な人生を閉じて来世に旅立つ故人の魂が、どうか安らかであって欲しいと祈り願う心をかたちに顕した儀式であること。曼荼羅本尊をご安置して法華経とお題目をお唱えするのは、仏さまの教えを敬う心を表している姿であること。故人は与えられた人生を一生懸命に歩まれ、仏縁に導かれてこれから仏さまの世界に旅立って行くこと。生死の境を見ることとなる葬儀の場では、故人の冥福を祈ると倶に自身の生と死について思いを馳せることが大切であること。家族・親族となることは不思議なご縁、何ごともプラスばかりということはなく、プラスとマイナスがあって存在しているので、思議を超えたご縁を上手に活かしてほしい。人生は損か得か、好きか嫌いか等ばかりに振り回されやすい、得がたい人生をより良いものとするためにも、己れの心を映す鏡である仏教や信仰を大切にして頂きたい」等々を申し上げ、最後に故人にお贈りした法名(一般的には戒名)について説明させて頂きました。

帰路につかれるご家族からは、「本当に心のこもった良いお葬式でした。これで私たちも安心できます。お父さんも喜んでくれていると思います。・・・・・」との言葉を頂き私も安堵いたしました。

相武山 山主

2015年07月29日

学びの機会

梅雨の最中の6月20日(土)と21日(日)、静岡・神奈川両県の同志が熱海市の松風苑に集い、東海正信連合会の夏期研修会が開かれました。毎年此の時季に開催される研修会も今年で19回目を迎えますが、仏教を学んで信行を深めたいと願う方にとっては貴重な学びの場となっています。

定刻の13時より開会式。はじめに教師代表の応身寺荻原師による挨拶。師は「皆んなで真摯に行学を磨き合おう」とのべ挨拶としました。続いて坂口興妙師が研修会についての諸注意を発表。第1時限目の講義は奥興正師による「白米一俵御書」の御書講義。『爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず、月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり』などのご文から宗祖の観心の法門をわかりやすく説明されました。第2時限目は三浦優道師による「三草二木の喩え」について。法華経に説かれる7つの比喩の一つ三草二木の喩は、一切衆生の有り様は異なっていても、仏さまの慈悲は降る雨のように等しく注がれていることを説明されました。第3時限目は大山興厳師による「天台大師について(2)」。昨年に引き続き、御書に頻出する中国の天台大師の御生涯を丁寧に説明されました。第4時限目は坂口興妙師による「インド旅行記」の講義。見聞したインドの状況について説明、視野を広げることの大切さを語りました。

宗祖の御書からインド紀行まで幅の広い講義でしたが、各講師はそれぞれレジュメを作成して丁寧に解説していました。聴講者も大いに参考になったことと思います。講義の後には皆んなで勤行をつとめ、その後は天然温泉の恵みにあずかり、夕刻は愉しい友好懇親の一時をもちました。

2日目の第1時限目は永山郁道師による「病気(健康)について」と題しての講義。はじめに御書に見られる病気の言葉を整理され、宗祖が病気に対してどのような見解であったかを説明されました。宗祖は「病によりて道心は起こり候」とのべ、病によって仏道への発心があることなど、病気についてはマイナスばかりでなくプラスの側面があることを解説しました。第2時限目は私が「日蓮正宗の教義について」と題して講義。戒壇本尊に対しての法義と信仰を中心に、近代日蓮正宗の教学の混乱と誤りについて述べました。その後、質疑応答がなされ講義は終了。続いて参加者は5箇所に分かれてのグループ懇談会。それぞれ意見交換や質疑応答が行われました。閉講式の前には各グループの代表者が懇談会の模様を報告。信仰に関しての素朴な質問や意見が報告されました。研修会は松田教尊師の挨拶をもって無事に終了。学びの機会を得た約70名の参加者は明年の再会を約束して帰路につきました。

学ぶことは人生を豊かに過ごすための力となり、また、学ぶことを疎かにされない人は若々しい心を持(たも)つことになります。私たちは生涯、求道心(ぐどうしん)を大切にしてゆきたいものです。

相武山 山主

2015年07月19日

蝉も鳴き始めました

横浜では6月の末頃から今年の梅雨の本番を迎え、7月の9日まで半月ほどお日様の顔をほとんど見ることがありませんでした。といっても九州地方のように激しい豪雨があったわけではありません。静かに梅雨らしい鬱陶しい日々が続いたということです。それでも紫陽花をはじめ夏を前に季節の草花が次々に野原を彩ってゆきますから、季節と自然の運行の妙を思います。10日に晴れ間がのぞくと昨日までの一週間、真夏を思わせるような厳しい暑さが続きました。
4日ほど前からは蝉の音も聞こえるようになりました。蝉の音といえば夏の季語ですから、気象庁から梅雨明けのご託宣はありませんが、夏がやってきたんだな~という気分になります。そういえばリョウマの散歩の折りにトンボも見かけるようになりました。間もなく夏の到来のようです。この一週間は全国各地から35度~39度という猛暑が報じられました。30年~40年前に比べて気温の高さに驚かされます。やはり地球の温暖化が進んでいるのでしょうか。

自然科学研究者からの指摘では、温暖化は私たち人類の責任といわれていますから、次の時代のためにも、今を生きる私たちがしっかりと考えて行動することが求められています。人類の生活の在りようによって、目に見えないかたちで複雑に進む温暖化ですから、「ここが問題」「こうすれば」という単純な解決策があるとは思えません。地球を一つの生命体として考えて対処することが肝要かと思うのです。それでも指をくわえて見過ごすことはできないのですから、温暖化が問題であることを一人ひとりが認識し、より多くの人々と自然の大切さ語り合うなど、意識を共有することが賢明ではないかと思います。

12日(日)は午前11時から日曜法話会でした。テーマは「法華経のこころ」で、6月のテーマ「お経のこころ」の続編です(法話会については他のブログで解説します)。その後、私の師匠である日達上人の第37回忌法要を奉修。私は昭和38年3月、日達上人の弟子として得度を許され仏門に入りました。私の今日があるのはひとえに日達上人の御高徳によります。在りし日のお姿をお偲びして、参詣者と倶に心を合わせて読経・焼香・唱題と御報恩を申し上げました。法要後には私から日達上人の御生涯と近年大石寺の歩みについてお話を申し上げました。

13日(月)は月例の日蓮大聖人の御報恩講でした。猛暑の中、宗祖へのご報恩を思う信心の篤い方々が参集。ご一緒に読経・唱題し、懇ろに宗祖への御報恩を申し上げました。法要後の法話では「上野殿御返事」を拝読。熱原法難の起こることを覚悟された宗祖が、内外からの障魔に信心を破られないように、上野殿(南条時光殿)の信心を励まされていたことをお伝えしました。

15日(水)は7月お盆を執り行う方々の盂蘭盆法要でした。12日から14日までそれぞれ墓参などの参詣があり、当日は参詣者と倶にご先祖や有縁精霊への追善供養を申し上げました。法要後の法話は宗祖の「盂蘭盆御書」を拝読。盂蘭盆のいわれについて「盂蘭盆経は中国で作成されたお経、仏教の救済と神道の祖先崇拝が融合してお盆の行事となっていること。お盆の歴史は日本書紀に遡ること。塔婆を建立して供養されたご先祖や有縁精霊が喜んでいること」などをお伝えしました。当山では檀信徒の希望もあり、7月と8月に盂蘭盆会を執り行っています。

今日は台風11号が西日本に近づいているようですが、被害の少ないことを心より祈っています。

相武山 山主

 

2015年07月16日