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相武山 妙法寺 ブログ

雨の宗祖御講

お隣さんから立派なタケノコを頂戴しました。土をとって早速ご本尊様にお供えして、取れたてのやわらかい旬の味を頂きました。やはり季節の食物は美味で有り難いかぎりです。すっかり春だな~と思ってあらためて境内に目をやると、レッドロビンはその名の通りの赤みの葉を伸ばし、サクラはもちろん、もみじや金木犀、夏ツバキや椎の木もやわらかい新緑の若葉を伸ばしています。芽吹きを初夏とするなら、もう春も過ぎて初夏のたたずまいといえるのかもしれません。時のながれは相変わらず早く、うっかりすると四季の移ろいの愉しみを味わうことなく流されて行きそうですから気をつけなければなりません。

13日は宗祖のご報恩講

今月の初旬から中旬はすっきりしないお天気が続きました。13日の宗祖の御報恩御講もあいにくの冷たい雨が朝から降っていましたので、日頃から信心を大切に参詣を志しておられる篤信の方々も、足下が心配で遠慮されるかと思っていましたら、体調の悪い方からは不参の電話を頂きましたが、思いの外大勢(といっても約20名ほどですが)のご参詣を頂き、献膳・読経・唱題とご一緒に宗祖への御報恩をお勤めすることができ大変有り難く思いました。

日蓮門下ではいずれの門流も毎月13日の日蓮大聖人の御命日忌には御講(御報恩講)を奉修しているように、13日は私たち門弟僧俗にとっては大切な日です。皆んなが意識をもって菩提寺に参詣し、御報恩を申し上げることができればすばらしいことですが、そうはいっても仕事や家庭の都合もあり、体調の都合もありますから、御報恩の思いがあっても参詣に至らぬこともあるでしょう。それは当然なことです。しかし仏道は行を修めて信を深めて行く道ですから、求道の心を起こして啓蒙しあい皆んなで参詣の和を広げて行きたいと思います。
さて、社会の高齢化が語られて久しくなりますが、現在は平均寿命は男性約80歳、女性約88歳といわれています。半世紀前と比べてみれば長寿社会になっていることがよくわかります。もちろんこれは平均寿命であって、それよりも短い人もいれば長い人がいるのは当然のことです。寿命は与えられたものですからまさに寿命で、明確に自分の最後の時を知る人は稀です。確かなことは仏教で明らかに示されるように、生者は必ず死を迎えるということをよく理解して、後悔のないよう一日一日の生活を大事にすることでしょう。
三世の生命を信じること

世界の宗教で来世を説かぬものはありませんが、仏教でも三世の生命が説かれます。「過去に命の営みが有り、今生、人間としての貴重な命を頂くことができた。与えられた人生の幕を閉じれば、その生きた善悪の業報によって来世の命が定まる」と。来世のことなどどうでも良いという考えではなく、来世に命の営みが続くのであるから、現在の生き方、日々の生活、心の持ち方に注意しようとなります。仏法への信仰も仏道の修行もこの一点が定まればぶれることはありません。

そのような境地に立たれているのでしょうか。毎月1日のお経日や13日の宗祖御講に参詣されるご信徒には、80歳を越えた方々が約10名ほど居られます。70歳以上の方を含めれば過半という現状です。遠路にもかかわらず高齢をおして法華経の御宝前に参詣される清らかな方々の姿には素直に敬意を表するばかりです。きっと宗祖日蓮大聖人の御照覧にあずかっていることでしょう。

かつて「眼の見えるうちに宗祖の御書を拝読しましょう。耳の聞こえるうちに御説法を聴聞しましょう。足の丈夫なうちに菩提寺に参詣しましょう」と繰り返しお伝えしてきました。篤信の方々は意のあるところをくまれて、「健康なことは当たり前ではない。仏法にご縁を結ばせて頂いたことも当たり前ではない。仏道修行の功徳を積むことができることも当たり前ではない」と理解されて精進をされているのかもしれません。今月の御講は冷たい雨の中での奉修となりましたから、いつにも増して参詣の皆さまのご信心が尊く感じられた次第です。

法要後の法話では、興厳房が『白米一俵御書』を拝読。前回の「善根(ぜんこん)」を積む話に続き小善成仏(しょうぜんじょうぶつ)と志の大切さを話ました。その後、私は前月に引き続いて『上野殿御返事』を拝読。前月は尹吉甫(いんきっぽ)・伯奇(はくき)父子の仲を裂いた継母の話、仏を恭う頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を提婆達多(だいばだった)が王子阿闍世王(あじゃせおう)をたぼらかして殺させたことについてお話ししました。

今月は波瑠璃王(はるりおう)と阿闍世王と提婆達多による仏やその弟子達への迫害についてのお話、末法で法華経を受持弘通しようとする時には、釈尊の在世よりも悪知識が盛んで大難が競い起こることについて解説。宗祖は「凡夫が仏道修行に志を立てるときには、悪魔・悪友・悪知識が親近してきて、必ず修行への志を妨害して信心を捨てさせようとするから、注意しなければならない」と教えていることをお伝えいたしました。

13日の宗祖御報恩講への参詣を皆んなで大切にしたいと願っています。

相武山 山主

 

2015年04月25日

仏生日にちなんで

私は朝と夕方、甲斐犬のリョウマと一緒に散歩するのを日課にしていますが、その道の周囲では3月の中旬頃からスミレなどいろいろな野の花が咲き始め、散歩の愉しみを豊かにしてくれます。雑木林にかかるヤマブキもそのひとつ。八重のヤマブキではありませんからシンプルなものですが、自然の移ろいのなかで時を得てその存在を知らせています。野原に広がるタンポポは背の高いセイヨウタンポポではなく昔ながらのタンポポで、モンシロチョウが止まっていたり、観ているだけで何か童心に還れるような気がします。花について私はあまり知識はありませんが、春夏秋冬に自然から語りかけられているようなこの地にご縁を頂いてからは、少しでもその名前や生態を知りたいと思うようになりました。有り難いことにインターネットという便利なツールがあるのでこれからも愉しみたいと思っています。

さて、寒の戻りもあって少し肌寒い感じの12日(日)午前11時から月例の日曜法話会を開催しました。今月の8日は釈尊ご生誕の日、その仏生日にちなんでテーマは「釈尊の道」としました。当日は約30名ほどのご参加を頂き、はじめにいつものように法話会の趣旨をお話しし、続いて「世相」として「ドイツ航空機墜落事故」を取り上げました。

世相の多くが事故や事件、災害等を話題とすることが多く、明るい話題が少ないのは残念ですが、この世界に存在する事物、起こる事象はすべて私たちの学びの対象ですから、目をそらすことなく受け止め、自らの意見を整理することも大切なことだと思います。今回の事件は精神疾患をわずらっていた副操縦士による事故といわれていることから、「精神疾患はいつでも誰の身の上にも起こること。他人の生命をあずかるという特別な人物には配慮とチェックが必要。以外に多い命を預かる職務。事故も病気もいつ起きても不思議ではない世界に私たち生きているという自覚。不信や不安ばかりに陥ったり、根拠のない楽観主義と快楽主義に流れるのは愚癡。諸行無常をよく理解し、三世永遠の魂の営みの中で、今を生きていることをわきまえたい」と私の意見をお伝えしました。

次に今月のテーマ「釈尊の道」。我が国では各宗各派の祖師などについては丁寧に解説されますが、釈尊については以外に粗い説明であることが多いようです。しかし、釈尊を知ることは仏教を知る基本であり、「釈尊の観たもの、釈尊の求めたもの」を学び、その歩まれた道を理解することは大切なことだと考えます。 法話会では釈尊の御一生をインドの地図と仏跡の写真を用意して説明しました。インドは日本の国土の9倍の広さがあり、釈尊は日本の国の2倍ほどの広範な地域を遊行され、人々に伝道教化しながらその生涯を歩まれました。

はじめに釈尊の生涯について『釈迦族の皇太子としてネパールのルンビニーに誕生。カピラヴァストゥ(カビラエ城)で成長され、人生への懐疑から真理探究への道に向かう。難行苦行を越えてブッダガヤーの地でついに正覚を得た。ベナレス郊外のサールナート(鹿野苑)で初転法輪(初めての説法)。その後45年にわたり、竹林精舎や霊鷲山のあるラジギール、祇園精舎のあるシュラヴァースティーを中心に智慧と慈悲に溢れた教えを説き続けた。ヴァイシャーリーで自らの入滅を予言した後、クシーナガルの沙羅双樹の下で入涅槃』となったことを解説。

続いて「釈尊の観たもの」として出家のきっかけとなった『四門出遊(カビラ衛城から外出した釈尊が観たもの。東門を出て老人に、南門を出て病人に、西門を出て死人に、北門を出て出家修行者に、それぞれ出会った。四つの事実を観た)』。また『人生は苦に満ちている』こと。生・老・病・死の四苦と「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五蘊盛苦」の四苦を合わせた四苦八苦。それらの苦しみは、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の真理をわきまえることなく、煩悩に流された愚かさによるものと観られた。
これらの真相を眼前にされた釈尊は、普遍の真理を尋ねる「真理の探究」を大事とされ、有限の人生であるからこそ意義深く歩む志を立てられました。覚者となった釈尊はその生涯を人々への伝道と救済にささげられたのです。

インド出現の人間釈尊ばかりではなく、法華経を中心として大乗仏教に説かれる「久遠の釈尊」についてもお話をさせて頂くつもりでしたが、時間の都合で次回にさせて頂くこととなりました。来月の日曜法話会は5月17日(日)午前11時から開催の予定です。

皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2015年04月17日

春のひと時

四季にめぐまれた我が国、春3月下旬から4月上旬にかけては各地でサクラを愛で、「つぼみで良し、咲いて良し、舞って良し」と、濃淡ピンクのサクラが楽しい話題となります。当山でも本堂前のサクラや墓苑雑木林のサクラが例年よりも美しく咲き誇りました。

周囲の市民の森のあちらこちらで、緑の木々の間から薄ピンクのほころびを観るのも風情があります。8年ほど前、当山西側の追分市民の森の斜面にサクラの苗木が植えられました。そのサクラが年ごとに年輪を重ねてみごとに成長し、最近は谷戸の景観に彩りをそえるまでになりました。植樹の当時から気にしていましたから、毎年春になると近くまで足を運んで、幹が太くなり枝が伸びる様子を楽しんできましたが、今年はすっかり谷戸の主人公のようでした。
3月下旬からほころび始めた当山のサクラは、暖かさに誘われてあっという間に1日のお経日には満開。1日のお経日には、毎月ご信心を大切に思われる方々が参詣しておられますが、今月は小学校に上がる颯太君が、お母さんと妹そして祖父母の皆さんと一緒にお参りされました。「小学校に無事に通えるように、事故などがないように」と、信仰心篤い家族の皆さんが颯太君を気遣う優しさが伝わってきます。私も法華経を読誦しお題目をお唱えして通学の無事を祈念申し上げました。
読経唱題の後には日蓮大聖人の御書を拝読して法話をさせて頂き、引き続いて、昨年初夏に開設したペット墓「慈愛」での慰霊祭を執り行いました。ご承知のように現代はペットが家族の一員としての存在となっています。可愛がっていたペットにも悲しいことに寿命があり、その命を全うした後もどうか安らかであってほしいと願うのは、一緒に生活していた人々の自然な人情です。当山でもかなり前からペット墓の設置を要望されていました。新寺院建設など厳しい状況が続いていて設置に余裕がありませんでしたが、昨年ようやくペット墓「慈愛」を境内に設けることができました。希望していた方々が「慈愛」にペットの遺骨を納められ、開眼供養と慰霊供養を執り行ってから約1年を迎えます。春サクラの咲く頃には毎年慰霊祭を行う予定としていましたから、関係者の皆さんにご案内の上慰霊祭を執り行いました。

ペット墓「慈愛」の前に慰霊供養の塔婆を建て、参列者一同にて読経唱題をいたし、心を込めてお線香を手向けました。ご縁を結ばれた皆さんは在りし日の可愛いペットに想いを馳せられたことでしょう。その後、小雨がぱらついてきたので、本堂と回廊に長机を出して参詣者の皆さんと茶菓を頂き、サクラを観ながら春のひと時を愉しみました。

相武山 山主

 

2015年04月14日