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相武山 妙法寺 ブログ

仏道の修行をご回向

3月18日は彼岸の入りでした。この日の午前中、相模原市から高橋さんと息子さんの将太郎さんが、ご両親やご先祖の供養のために早々と参詣されました。お二人とも仕事などに追われてなかなか思うように参詣できないということで、少し前から「お彼岸には時間をつくって参詣しよう」と相談していたそうです。ご信心の篤かった宮崎さんの意志を継がれているようで、とてもうれしく思い一緒に追善の供養を申し上げました。その後お二人で墓所を丁寧に清掃され、お塔婆を建立して香華を手向けていました。
檀信徒の皆さんは彼岸法要が執り行われる21日のお中日か22日に参詣される方が多いのですが、墓苑には彼岸の入りから明けまで皆さん自由にお参りにみえ、境内には思いのこもったお香の煙が流れていました。妙法院の墓苑でやすまれている諸精霊も、家族・親族・友人のお参りをうけて、如何ほどかお喜びのことでしょう。

先祖や故人への想いを馳せ、眼には見えない魂の世界との交流を感じることができるのもお彼岸の功徳ではないかと思います。各自の心があらゆるものを観て判断し、人生の帰趨を決しているのですが、眼には見えない心の世界を疎かにすることの多い現代、精神の荒廃を危惧するのは私だけでしょうか。五官の感覚を超えた世界が意識の世界であり、その存在を認めると共にその世界は荒れやすいために、良く耕して栄養を与え、瑞々しい状態を維持することに努めなければなりません。仏道で精進を求めるゆえんです。

お彼岸は仏道修行の功徳をご先祖や有縁精霊にご回向申し上げる法要です。仏道の修行をおさめると善き功徳が積まれますが、その功徳を自らが頂戴するのではなく、ご先祖や縁(ゆかり)深い方々へ回(まわ)り向かわしめることを回向と称します。報恩と追善の仏事は積んだ善根功徳のすべてを、命の源であるご先祖や有縁の精霊にお供えしているのです。そこにはご先祖への敬意、縁深い精霊への愛情が明らかです。

当山では21日と22日の両日、午後1時から法要を執り行いました。法要の前には境内と墓苑の清掃が欠かせませし、仏華であるシキミの用意もあります。もちろん申し込まれたお塔婆も書かねばなりませんし、お参りの方への対応にも追われます。いつもの事ながら興厳房とバタバタしながら法要を迎えました。参詣者のお題目唱和のなか、御宝前への献膳と諸精霊へのお膳供養をいたし、法華経の読誦、お焼香、唱題と如法(法の如く)に進められ、塔婆供養を願われた方々へのご回向を申し上げました。

その後の法話では聖愚問答抄『 夫れ生を受けしより死を免れざる理は、賢き御門より卑しき民に至るまで、人ごとに是れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。 無常の現起するを見ては、疎きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空しく衣食の獄につながれ、徒らに名利の穴にをち、三途の旧里に帰り、六道のちまたに輪回せん事、心有らん人誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん』を拝読。
人生の無常を理解することができず、真実の安らぎを求めようともしないで、煩悩のおもむくままに六道輪廻を重ねやすい私たち凡夫の愚かさについて解説。せっかく仏縁を頂いのであるから、私たちはその愚かさに気づいて少しでも仏道を歩んで行こうと申し上げました。

併せて、お彼岸のいわれについても、日曜法話会のレジュメを抜粋して説明させて頂きました。お彼岸には、月例の行事にはなかなか参詣することができない方も参詣しておられ、また、子どもたちの元気な声が境内に響き、皆さんが少しでも仏教の教えにふれて頂いたことは有り難いことと思いました。法要後には三師塔への参詣と永代供養墓久遠廟への参詣を行いました。墓苑では各自墓所を浄めお塔婆を建立して香華を捧げられていました。

穏やかで心温まる春の彼岸会でした。

相武山 山主

2015年03月27日

お彼岸とは

すっかり気分は春ですが、春らしい暖かさかなと思ったら突然寒さがぶり返したり、まだ「ひねもすのたりのたりかな」とはいかぬ陽気の3月15日、開催した日曜法話会のテーマは「お彼岸について」でした。

日本の伝統であり習俗ともなっている春秋のお彼岸ですから、日頃から信心深い方でなくても、この時季には家族でお寺やお墓にお参りしたり、自宅の仏壇を浄め供物をそなえ香華を捧げられます。意識して嫌う人は別としてすっかり我が国の春秋の風情となっています。

しかし、子どもや孫たちから「お彼岸てな~に」とその意味を聞かれて、戸惑う方も少なくないことでしょう。もちろんしっかりとその由来と意味を承知の方も居られるでしょうが、習慣となり馴染んでいる季節行事ですから、改まって問われると躊躇してしまう方も多いのが事実です。忙しい生活の中で、せっかく心にかけ時間を費やして行っている仏教行事ですから、その意味がよくわかれば一層信仰の悦びが湧いてくることでしょう。

15日の法話会にはインターネットで開催を知ったという方をはじめ、35名ほどのご参加聴講を頂き一緒にお彼岸について学びました。始めに法話会の趣旨を説明し、続く「世相」では川崎市多摩川河川敷での13歳の少年が殺害された事件を取り上げ、『人間の持つ残虐性』についてのお話。事件の概要と犠牲者の少年に関する説明の後、閉鎖された組織や社会のもつ危険性、善悪の判断に迷惑することもある不安定な青少年の時期、そして、「仏教では十界が説かれているように誰もが善悪の心を具有している、自らの心をコントロールして人生を歩むことが大切」とお伝えしました。

テーマの「お彼岸について」のサブタイトルは『此岸(しがん)から彼岸(ひがん)へ』です。はじめに彼岸の語源がインドの古代言語サンスクリット語のパーラミターの意訳で、「彼岸」に到ることを意味していることを解説。次に、「彼岸は此岸に対する言葉で、『かなたのきし』ということで川の対岸をさすこと。仏教ではこの彼岸を仏さまの悟りの世界に喩え、私たち凡夫が住む『こちらのきし』すなわち此岸を迷いの世界に喩えていること。仏道では迷いと苦しみからの解放を求め、偽りのない安らぎの世界に生きることを説くことから、彼岸とは自らが川を渡って理想の世界に到る行為をあらわしていること」を説明。

続いて彼岸で大切なことは、「凡夫(ぼんぶ)の自分が此の岸に居るという自覚であり、五欲の追求に明け暮れる自我(じが)の存在を見つめることができなければ此岸を観ることはできない。眼前の感情や欲望に翻弄されて満足し、それが人生だと考えている人には彼岸を求める道心は発(おこ)らない」「五欲は5つの感覚器官に対する5つの対象のことで,形体のある物質 (色) ,音声 (声) ,香り (香) ,味,触れてわかるもの (触) をいい、また、財欲,色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲を五欲という」を説明。

その上で、「仏道は彼の岸をめざすものであり、道心(どうしん)を発すことが基本。欲望と感情の世界(此岸)を離れて真実の幸福(彼岸)を求める心。人生の遇不遇(幸不幸)の意味を探り、普遍の真理を尋ねること。人生は有限であり意義深く歩もうという志が大切」であることをお伝えしました。

最後に渡河(河を渡る)こそが仏道を歩むということであり、仏道では六種の修行「六波羅蜜(ろくはらみつ)『布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若』」が勧められていることを説明。結びに「深い意味がわかっていなくても、お彼岸には仏道の功徳を積み、その功徳をご先祖や有縁の精霊にご回向することが大切。菩提寺への参詣、お墓へのお参り、お塔婆の建立、法華経の読誦、お題目を唱えること、仏壇を浄め香華を捧げ、お供物をそなえること等々、すべて仏道の修行であり、尊い渡河のすがたです」「お彼岸の時季には、ご先祖や有縁精霊への想いをいたし、静かに自己の人生を省みて、来世にも思いを馳せて仏道に心を寄せて頂きたい」と述べて法話といたしました。

来月の日曜法話会は4月12日(日)午前11時からの開催です。4月8日が釈尊の降誕会(こうたんえ)ですので、テーマは「釈尊の道」としてその足跡をたどります。皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

2015年03月25日

あの日から4年

今年も3月11日を迎えました。

忘れようとしても忘れられないあの日からもう4年となります。

朝のお勤めの時に心を込めて犠牲となられた方々への追善供養を申し上げ、被災復興途上の方々への所願成就を祈念申し上げました。近代稀な大自然災害として世界中を震撼させた「東日本大震災」。地震国日本でも歴史に刻印される大地震でした。大地を揺るがし、大津波を招き、原子力発電所を崩壊させた大災害です。直接的な犠牲者が2万人を越え、膨大な被災者の救援と再生への道も未だ定かにならず、原子力発電所の崩壊はその廃炉へのめどさえ立っていません。今なお東北の人々の 悲嘆と憂いは解消されていないのです。

それでも被災された方々は世界中の人々からの激励と自らの持てる力で立ち上がろうとしています。その原動力は犠牲となられた家族・親族・友人への思いからではないでしょうか。人智人力の及ばぬ自然の猛威によってもたらされた大災害に、私たちは抗すべき術をまったく持ち得ませんが、その事実を厳粛に受け止め、そこから立ち上がって意義在る人生送らなければ、突然の災害に尊い生命を犠牲にされた方々に申し訳ないと思うのです。
11日は被災地はもちろんのこと、全国各地でそれぞれが深い追悼の祈りを捧げました。東京では政府主催による追悼式が国立劇場で執り行われ、そこでは岩手県・宮城県・福島県の被災者を代表して3名の方が追悼の言葉を述べました。いずれも当事者でなければ語ることのできない深く重みのあるものでしたが、ことに動けなくなった母親を残して自ら生きる道を選んだ菅野彩加さんの話は、その心中が思いやられて胸が熱くなるものでした。「愛する家族を失う、それも突然に、しかも眼の前で、助けることも出きず、自らは生きなければならない」となれば誰もが語る言葉をもたないでしょう。

追悼の言葉を述べた3名の方の後ろには、何万何十万という悲しみと嘆きを抱えながら、厳しい生活と向き合っている人々の存在があります。人生は思うようにならないものであり、理不尽なことや不合理なこと、理由のわからない災害や事故にも遭遇すると教えられていますが、あまりの心労になげやりになることもあるでしょう。立ち上がることが辛い時もあるでしょう。それでも犠牲となった人々の無念の思いに心を寄せるからこそ、涙をふりきって前を向いて歩みを進めているように見えます。

今回、横浜などでは幸いにも直接の被害を蒙ることはありませんでしたが、何ごとも明日は我が身ということですから、これからも皆んなで陰に陽に被災地の復旧復興を支援して行きたいと思います。また、地震の多発する大地を祖国とする私たちはその現実をしっかりとみつめて、一日一日を大切に歩まなければなりません。それが大震災の犠牲となられた方々への慰霊に通じる道ではないかと思うのです。

相武山 山主

2015年03月12日

うれしい春のたより

自然の豊かな相武山の周囲では、梅もほころび墓苑西側の雑木林の河津桜もきれいなピンクの花を咲かせ始めました。足下では蕗のとうが顔をのぞかせ春の訪れを伝えています。また、受験を乗り越えた若者とそのご家族からもうれしい春のたよりを頂きました。

例年1月から2月、3月にかけては受験のシーズンを迎えます。当山でも縁り(ゆかり)深い檀信徒の皆さまより受験の御祈念をお受けいたします。中学の受験から高校・大学・専門学校と受験もさまざまですが、それぞれ人生の大きな岐路であり、いろいろな意味で一人ひとりの人生に大きな影響を与えるものです。本人ばかりではなく家族や親族、友人にも影響を与えることでしょう。関係者の皆さんには緊張するシーズンといっても過言ではありません。御祈念を依頼された住職の私も関係者の一人に仲間入りさせて頂きますから、私もしばらくの間緊張感に覆われます。

受験の御祈念ですからご本尊に合格を祈念するのは当然のことですが、ただひたすら合格することばかりを祈っているのではありません。まず、「健康な体調で受験に臨めるように」「事故や事件に巻き込まれることなく受験に臨めるように」「本人の持てる力が遺憾なく発揮されるように」「そして希望が叶えられるように」と祈念させて頂きます。さらに、望み通りの結果が得られない時にも、努力したことはけっして無駄になることはありませんから、「受験という貴重な体験を通して、現実の厳しさを受け容れる勇気と強さを見いだすことができるように」と祈念をさせて頂いています。

私は「幸不幸を問わず人生に起こるすべての事象には意味がある」と考えています。それは仏教が眼前の問題を直視し、あるがままを受容した上で、その超克をはかることによって、まことの幸いを得る道だと考えるからです。あまり深く考えずとも、人を鍛えて成長させることが「艱難辛苦」であることは古今東西のことわりであり、小説を読んでもドラマを見ても私たちが感動するのは、厳しい環境や険しい事態を必死に乗り越えてチャレンジする姿ではないでしょうか。

いささかでも思いを発(おこ)し実践するならば、そこには何らかの結果が現出します。それらは求めた良い結果か、求めたくない悪しき結果に分れますが、いずれにせよ結果が示され、それによって果報がもたらされるのです。結果は変えようがありませんが、果報は本人の心の持ち方で如何様にも変化が可能です。同じ結果であっても悲観し意気消沈して前進をあきらめるのか、悔しさをバネに発奮してさらにチャレンジするのか、当事者の心持ち如何(いかん)ということです。いずれにせよ、結果の如何を問わず、思索し行動したことは、何もしないで人情や世相の流れに身をまかせ、評論家然として御託を並べるより尊いことです。

我が国の春は若者には一つの試練のときですが、結果の如何ばかりにとらわれず、持てる力のすべてを発揮して自身の課題と向き合ってほしいと思います。心を発(おこ)し行動をなすならば、タイミングの差はあっても必ずや良き果報を得ることになるでしょう。

幸いなことに今年は御祈念申し上げたすべての方々に花開くたよりがもたらされ、私も心から喜んで仏祖三宝尊にご報告を申し上げました。しかし、ここも人生の一里塚、良き結果を得られた皆さんが、ご家族や周囲の方々への感謝を忘れることなく、いよいよ精進され活躍されることを祈っています。

相武山 山主

 

2015年03月09日