相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

子は宝

去る11日、金沢区の新倉さんより岳父となる坂本昭二様の葬儀を依頼されて栃木県までうかがいました。坂本さんは奥さんと二人暮らしで、奥さんは信仰しておられましたがご本人は仏教にあまり関心をお持ちではありませんでした。先月初旬、高齢のご本人の体調がおもわしくなく、医師からも準備をしておくようにアドバイスをうけたため、ご家族で話し合いの場を持ったそうです。先月の中頃、新倉さんを通じて「奥さんと子ども達が妙法院さんで葬儀を執行してほしい」旨の申し出を受けました。一時は持ち直しましたが、9日にご逝去。葬儀はご長男の住む宇都宮市の斎場で執り行うことになりました。

ご家族による家族葬でしたが、とても心のこもった葬儀でした。宇都宮ですから横浜からかなり遠いのかなと思っていましたが、当山が横浜町田インターのすぐ側ですから、往きも帰りも所要時間2時間20分ほどで、近いな~という実感でした。最近のインフラの充実に驚いた次第です。葬儀は法華本門のご本尊を奉安し、当山における常の化儀法式にて興厳房と倶に丁重に執り行いました。ご長男のご家族も信心にはあまりご縁がありませんでしたので、御通夜の読経唱題ご回向の後、15分ほど葬儀の意味とその大切さ、家族の縁(えにし)の深さと人生のおもしろさ、法華経とお題目には仏様の教えがこめられていること、そして、お贈りした法名(戒名)の意味についてお話を申し上げ、追善の法話としてご霊前にお供えさせて頂きました。

ご家族皆さんの故人を思う真心に支えられ、11日夕方の御通夜から翌日の葬儀・告別式、そして荼毘に付して初七日忌法要を執り行い、葬儀一切を無事に行うことができました。最後にお斎(おとき・饗応・精進落とし・会食)の席を設けて頂きましたが、皆さんより「良いお葬式ができました、おじいちゃんも喜んでいると思います。本当に安心しました」との言葉を頂き私も安堵いたしました。

葬儀は人生の最後を締めくくる大切な儀式であり、仏教では縁(ゆかり)のある故人を来世、仏様の世界にお送りする意義深い儀式とされています。昔から葬儀は大切にされてきましたが、近年都市部では核家族化が進み、その大切さを伝える家族や親族の助言などが少ないこともあって、一部には「直葬(ちょくそう)」というかたちも見受けられるようになってきました。直葬というのは宗教的な祈りや葬儀をすることなく、ご遺体を病院から葬儀社に運んで保管し、直接火葬場で焼骨にされることです。家族は火葬場の前に集まってご遺骨を収納するだけになります。魂の存在や永遠の命を信ずることもなく、人間を肉体的な存在としか理解できない唯物思想の方々にとっては、抵抗のないかたちかもしれません。もちろん経費も削減でき現代風といえるのでしょう。

しかし、人生はそれぞれが与えられた命の営みそのものです。誰もが辛いこと苦しいこと、愉しいことやうれしいことなど、喜怒哀楽いろいろあったことでしょう。その最後をおさめる時に、仏神への祈りも捧げられずに葬られるということは仏教者として本当に残念なことだと思います。ふだん信仰心がなかったとしても、縁ある人がその人生を閉じて、私たちの知ることのできない世界に旅立って行くのですから、「仏様のご加護を頂いて、どうか安らかであって欲しい」との祈りをなすのは、素直な人情というものです。その人情が時代の波に洗われようとしています。果たしてそれで良いのかなと?と私は考えてしまいます。一人の人間がその人生の終焉を迎えたのですから、葬儀を盛大にするかしないかということではなく、故人の尊厳を認めて家族だけでも集い、宗教的祈りを捧げて来世に送ってあげるのが人の道ではないかと思うのです。

宗祖は「子はたから」という言葉を遺されています。いろいろな意味で子どもは宝となりますが、盂蘭盆(うらぼん)伝説の目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救ったこと、法華経では浄蔵浄眼(じょうぞうじょうげん)の兄弟が両親を正法に導いたこと、宗祖の御在世には池上兄弟が法華不信の父親をいさめて成仏への道に誘いました。このような姿に明らかなように、広大深遠なる親への孝養は仏道へ導くことに極まりますから、ご自身は仏道とのご縁を結ぶことのなかった坂本昭二さんが、奥さんや娘さんの信仰心に導かれ、法華経の祈りに乗って仏様の世界に旅立って行かれた姿に接し、あらためて「子は宝」という言葉を思い起こしました。

相武山 山主

2015年02月24日

興師会と熊木さんの23回忌供養

2月7日は富士日興門流の祖師「日興上人」の祥月命日忌です。

日興上人は宗祖がご入滅にあたって六老僧に補任された方で、日蓮大聖人の教えを厳格に承継され、今日に伝えられた高徳の僧侶です。日興門流では僧宝として尊崇申し上げています。上人は宗祖の佐渡流罪に随従され、宗祖身延入山にあたっても尽力されたことは史実に明らかです。また、日蓮門下がその教えをめぐってさまざまに論議がなされるなかで、日興上人はご本尊を宗祖所顕の十界互具の曼荼羅本尊とされ、教えを求める基本を御書(宗祖ご遺文)に定められました。さらに宗祖御影(みえい)を安置して朝夕給仕に勤め、唱題の在り方や法衣の化儀(けぎ)なども宗祖御在世の相(すがた)を護られました。今日私たちが宗祖の教えにふれることができるのも日興上人の護法伝持の賜です。門下僧俗はその恩徳に感謝申し上げ、毎年2月7日には興師会(こうしえ)を執り行っています。法会の御宝前には上人が好まれたという芹がお供えされることから、興師会は「せり御講」とも呼ばれています。

当山にとっても興師会は縁(ゆかり)深く、昭和56年のこの佳日を開創の日としており、今年は35年の歩みを踏み出すことになります。7日(土)の法会には意義をよく知られる檀信徒の方々が参詣され、みずみずしい芹をお供えして倶に読経・唱題、御報恩の誠をささげました。その後の法話では、ご誕生から御遷化まで上人のご一生についてお話を申し上げました。参詣の方々も上人への理解が深まったのではないでしょうか。

興師会を執り行った後、中区の熊木さんご夫妻の願い出による追善供養が執り行われました。熊木さんの父親、福太郎さんの23回忌追善のための法事です。諸般の事情から参詣はご夫妻だけでしたが、父親を想う優しい心は仏祖三宝尊のご照覧のもと、ご両親にたしかに通じたことと存じます。ご夫妻の孝養心にふれて福太郎さんもきっと喜んでおられることでしょう。

福太郎さんは当山開創当初からのご信徒で、当時すでに高齢であったことと、ご信心も古い方でしたから、講中の皆さんからは「熊木のじいさん」「熊木のじいさん」と親しまれていました。草創の頃をご存知の方はきっと覚えておられることでしょう。保土ケ谷の丘の上の布教所正信寮では熊木さんの姿をみない法会はありませんでした。いつもお寺の行事や法会には参詣され、お参りされる一人ひとりに声をかけて、その信心を励ましていらっしゃいました。

熊木のじいさんとの思い出はたくさんあります。二人だけで月例のお逮夜法要を勤めたことや、狭い裏庭で一斗缶をきったコンロを造り、お会式のお赤飯を福太郎さんご夫妻と一緒にふかしたこと、新横浜に仮りの堂宇を建立した時の大喜びの顔等々、人なつこい笑顔がすぐに思い浮かんできます。福太郎さんにはとても元気な奥さんがいつも一緒でした。下町によくおられる何かとお節介を焼いてくれる気の好いおばあちゃんでした。奥さんもご信心の篤い方で「熊木のばあさん」と皆んなに慕われていました。

息子の真治さん夫妻もご両親の思いを継がれた信仰心の篤い方です。23回忌を迎えてご一緒にご本尊様に読経唱題、追善供養の誠を申し上げました。法要を勤めていますと自然に在りし日のご夫妻の面影が浮かんでまいります。倶に日蓮大聖人の教えを学び信行に努めたこと、当山をよくお護りしてくださったことなど、感謝の気持ちをお供えいたしました。

相武山 山主

2015年02月20日

おめでたいこと & うれしいこと

立春が過ぎても寒さが続きますが、おめでたいこととうれしいことがありました。
先月の25日、泉区の高橋さんが旧宅を撤去して新居を建築することになり、その地鎮祭を執り行いました。地鎮祭は自宅など建設工事の無事を祈って執り行われる儀式です。儀式や行事が昔よりも大切にされなくなってきた現代でも、地鎮祭や起工式はよく見かける儀式ですが、一般的に仏式で行われるのは珍しがられます。というのも、我が国では自らの信仰を自覚している方が少数派であり、明治以降祝い事を神式(しんしき)で行い、葬祭法事などを仏式で行うことが一般的とみなされたきたからです。ちなみに結婚式は「にわかキリスト教徒」となって、キリスト教式によって行う人々が多いように見受けられます。当然、地鎮祭といえば一般的に神式と思われがちで、仏式で袈裟衣を着た僧侶が司祭することは珍しく思われるようです。

宗教的儀式には本来そこに教えと信仰が内在しています。古今東西の歴史を見てもわかるように、冠婚葬祭の儀式は自らの信ずる宗教によって執り行われてきました。我が国では現在、儀式や行事の多くがかなり形骸化しているようにみえますが、それは信仰心の希薄化や欠如によるものといえます。他方さまざまな儀式や行事が執り行われているのも事実で、形だけは調えておいた方が良いのではないかという潜在意識もあるのでしょう。そもそも神社が現在のような形になり、一村一社として祀られるようになったのは、「天皇中心の神国日本」を標榜した明治期からのことです。したがって地鎮祭や結婚式、初参りや七五三祝参りなどが、もっぱら神道(しんとう)式で執り行われるという認識の是非は問われてしかるべきものといえます。

日蓮大聖人の教えを信仰する当山のご信徒は、冠婚葬祭についても法華経の化儀化法に準じて行うよう努めています。高橋さんと息子の周作さんは、日頃から法華経と日蓮大聖人の教えを大切にしておられますから、居宅の新築にあたって、法華経の祈りをもって地鎮祭を行いたいと願われました。当日は建設地を整地し四隅に青竹をしつらえ祭壇を設け、法華本門のご本尊をご奉掲して、懇ろに地鎮祭と起工式の御祈念を申し上げました。法華経と日蓮大聖人に見守られて建設の所願もきっと成就することと信じております。おめでとうございました。

うれしいこと

今月1日のお経日は日曜日に執り行われました。お経日は毎月1日に行われる当山の月例行事です。月のはじめに菩提寺のご本尊様に参詣し、ひと月の信行を誓願し、先師先達へのご報恩を申し上げ、先祖有縁精霊への追善供養を営むのがお経日です。13日の宗祖御講(御報恩講)と並んで法華講衆の信行の功徳を積む一日となっています。

勤行唱題をつとめて法話を申し上げていると、お二人の方が遅れて本堂に入って来られました。6年ほど前に東京に転居されたTさんご夫妻でした。平成21年4月、当山本堂の起工式に奥さんがお参りにお見えになって以来お会いしておりませんでしたから、本当にお久しぶりでした。ご夫妻とは10年ほど前にお仕事の都合で横浜に来られてからのご縁です。旧寺院では折々に参詣になられてまじめに信行に努めておられました。その後、体調をくずされるなど心配することもありましたが、東京に転居されましたので疎遠になっていました。

時折、元気に過ごしておられるかなと想うことがありましたので、突然の参詣に少々驚きましたが、ご夫妻の元気なお顔を拝見してとてもうれしくなりました。お経日の後には近況についてゆっくりとお話をうかがうことができました。人生ですからいろいろなことがあったようですが、日蓮大聖人の教えを支えに夫婦が力を合わせてがんばってこられたことを知り感慨深いものがありました。また、ご夫妻からは当山の佇まいと環境についておほめの言葉を頂きましたが、これからも気軽に足を運んで信行の功徳を積んで頂きたいと思っています。

会者定離(えしゃじょうり)は世の常ですから、お寺でも当然のこと出会いや別れがあります。出会いはうれしいものですが別れは淋しく悲しいものです。ですから、もうお会いできないかも知れないと思って居た方と再会できることは人生の悦びの一つだと思います。

寒さの中にうれしいぬくもりをもたらしたご夫妻の来訪でした。

相武山 山主

2015年02月15日

日曜法話会 「三つの毒について」

今年初めての日曜法話会を1月25日(日)に開催しました。

地域広報誌タウンニュースをご覧になり、初めて参加聴聞された方3名を含め、継続参加の一般の方や檀信徒方々と親しく仏教を学ぶ機会をもちました。平成23年3月から開催している「日曜法話会」は5年目を迎えました。23年には9回の開催、24年、25年、26年にはそれぞれ1月から11月まで11回の開催ですから、法話会も今回が43回目となります。一般的にも仏教や信仰への偏見や誤解が見受けられることから、少しでも正しい理解を頂きたいと願って、「仏教に親しむ」をテーマにその基本的な思想や信仰の在り方などを中心にお話をしてまいりました。

当山の法話会は「法話会の趣旨」と「世相」、そして「テーマ」という3部構成のながれ、毎回レジュメを作成してお話をしています。法話会の趣旨は初めての方のためや、法話会の意義付けを確認するためのものです。次ぎに毎回時のニュースなどを対象に世相についてのコメントを伝え、参加者の皆さんにも現実の事象について一緒に考えて頂く機会としています。テーマでは仏教の基本的な考えや宗祖の教えを学びます。今月の世相は「吹き荒れるテロ事件」。テーマは「三つの毒について」でした。

世相についてお話をするのは、仏教が現実から目をそらすことなく、一切を直視することをその基本姿勢としているからであり、また、仏教本来の教えが抽象的なものではなく、現実生活を豊かにすることのできる教えであることを伝えるためです。今回は先月、パキスタン・ペシャワールの軍事学校を襲撃し141名もの子ども達を殺害したパキスタン・タリバーンによるテロ。年明け早々フランスでの週刊新聞「シャルリ・アブド社」襲撃関連テロ。そして深刻な事態となったイスラム国による邦人人質事件などから「吹き荒れるテロ事件」について、まず、それぞれの事件の概要をレジュメにそって解説。これらのテロ事件は、思想的・宗教的・民族的な対立が暴力のかたちとなって現れたものであり、「テロ事件の根幹には偏見と憎悪の存在」があることを指摘。事件から学ばなければならないこととして、基本的な人権の尊重。それぞれの多様性を認め合うこと。寛容の精神を育むこと。暴力は絶対否定されるべきこと等を伝えました。

テーマ「三つの毒について」とは、仏教が求める「迷いや悩みや苦しみ苦悩からの解放」のため、その源をたずねることを意味しています。三毒は仏教において苦悩の原因である根本的な三つの煩悩のことで、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)を指し、煩悩を毒に例えたものです。貪瞋痴は「貪欲 むさぼること」「瞋恚 怒ること」「愚癡 無知でおろかなこと」。「煩悩」の原義は klesa (苦しむ心)とされ、私たちを悩まし、害し、間違いに導く不善の心を煩悩と呼んでいます。釈尊は人生苦の根本煩悩とされるこの三毒を、解脱のために克服すべきものとされました。三毒の解説には原始仏典『スッタ ニパータ』より、「貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れる ことなく、犀の角のようにただ独り歩め」等を紹介。仏道では己れに内在する三つの毒と向き合うことが大切であることをお伝えしました。

時間の都合上、テーマの半分ほどしかお話できませんでしたので、次回2月22日(日)の法話会で続きをお話いたします。法話会は一般に開放されています。檀信徒の方々には「より正しい理解と信仰を深めるため」、初信の方や一般の方々には「仏教に親しみ、人生に仏教の叡智を活かすため」、日曜日法話会を「学びと修身」の機縁として頂けるよう、今年も精進してまいります。

来月も皆さまのご参加をお待ちしています。

相武山 山主

 

2015年02月04日