相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

おさめ御講と歳末大掃除

13日(土)と14日(日)の両日、今年最後の宗祖御報恩講を執り行いました。毎月13日の宗祖御講は日蓮門下僧俗が菩提寺に参詣して御報恩申し上げる大切な法会で、当山でも月例の中心行事となっています。ことに年末の御講は「おさめ御講」とよばれ、文字通りその年の信行の納めとなります。

法要後の法話は 両日ともに「種々御振舞御書」を拝読。日蓮大聖人は佐渡に流罪となった翌年、塚原三昧堂(つかはらさんまいどう)において諸宗僧俗との問答を行いました。その模様についてこの御書では簡略に説明をされていますが、その前段に『釈迦如来の御ためには提婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識(ぜんちしき)なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。 ー略ー 日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争(いか)でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』とのお言葉があります。

このお言葉からは宗祖の信念がよく伝わってまいります。『人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり』とは、読んで字の如しで、人を成長させるのは味方よりも強敵の存在であるということ。自らの存在を認めてくれる方々に囲まれるなど、種々の環境に恵まれ、心地よく自分のやりたいことをスムースに行えることよりも、恵まれない環境で、敵のような人に憎悪をもって臨まれることの方が、人間的には大きく成長することができるということを教えています。
仏道のための逆境には厭うことなく対峙され、その逆境を仏法を求める信仰のエネルギーに変えられた宗祖。そこには人生の貴重さとはかなさを知り、真の生きがいを求めてやまぬ宗祖の強い覚悟がうかがえます。また、同時に仏道を歩む者はその教えを燈として深く信受し、自らの人生における課題には目をそらすことなく向き合う勇気を持たなければならないことを教えています。

だれもが辛く厳しい環境は好まぬものです。逆境など御免蒙りたいと思うのが人情というものでしょう。そして優しく恵まれた環境を好み、自らに順調な環境を求めがちであるばかりか、そうならなければ不遇をこぼし、恵まれた人々をうらやましく思い患うことさえあります。しかし、人生は思うにまかせぬものであり、いつ何が起こるかわかりません。自らの生きる力を養い育てて行く姿勢を失えば、ことにあたって対峙することができず、乗り越えて行くことは不可能でありましょう。自心を磨き、鍛え、養うことのためには、逆境や敵はすばらしい存在でさえあるのです。人間は逆境に向き合い、乗り越えて大きく強く成長することができます。
法話では、「限りある人生において仏縁に恵まれ、法華経と宗祖の教えを信仰する果報に浴した私たちは、この言葉の意味をしっかりとくみ取り、勇気をもって自らの人生に活かして行こう」と参詣の皆さまに申し上げました。また14日(日)のおさめ御講の後には、客殿で世話人の皆さん方を中心に昼食を頂きながら懇親の一時を愉しみました。私も豚汁を作ったり皆んなで一品持ち寄ったりの気軽な会食でしたが、一年を振り返っていろいろと語り合い一年のおさめといたしました。

27日(土)は午前10時より1時間半ほど歳末の大掃除を行いました。歳末の多忙な時期にもかかわらず、多数の方が大掃除にご参加頂き、本堂や受付、ロビーや客殿のすす払いや窓ふき。さらに三師塔や寂静庵、境内の清掃からトイレ掃除、公道の雨水枡の清掃までしっかりと行うことができました。お陰様で気持ちよく新年をお迎えすることができます。ご参加頂いた皆さまに厚く御礼を申し上げます。

今年もご縁を結んで頂いたすべての皆さまのご支援ご協力を得て、ささやかに法燈(ほうとう)をお護りできたことに深く感謝を申し上げます。

相武山 山主

2014年12月30日

インドの仏跡巡拝

11月30日からインドの仏跡を巡拝してきました。日曜法話会などで釈尊のご生涯にふれているうちに、インドの仏跡を訪ねてみたいという声が寄せられ、幾人かの僧侶からも関心があったためです。さまざまな事情から最終的には僧侶3名、信徒6名、添乗員1名ふくめて10名での訪印となりました。
私にとっては15年ぶりの訪印です。企画の段階では15年前のかなり厳しい仏跡巡拝のイメージがつきまとっていました。厳しいというのはインド仏跡への旅では、道路などのインフラがかなり劣悪で、長時間のバス移動は体調に影響するほどでしたし、ホテルや食事、トイレや衛生面にもかなりの注意が必要であったからです。今回は年配者の参加が想定されていましたから、できるだけ負担がかからないように旅行会社と幾度も協議しました。インドにはさまざまな仏跡が遺されていますが、八大仏跡といわれる聖地を中心にゆったりとした旅程で、そのすべてを巡拝する企画となりました。経費も4社に見積もりをお願いして納得の行く旅行者にお願いしました。

八大仏跡というのは、ネパールにある釈尊降誕の地「ルンビニー」。釈尊が正覚を得られた成道の地「ブッダガヤー」。初めて説法をなされた地「サールナート」。弘教の地王舎城と法華経が説かれた霊鷲山の地「ラジギール」。祇園精舎と舎衛城の地「サヘート・マヘート」。母親マーヤ夫人のために天界で説法されて降下されたと伝えられる地「サンカーシャ」。最後の旅路にも登場する弘教の地「ヴァイシャーリー」。入滅の地「クシーナガル」です。それぞれ釈尊ゆかりの聖地として知られ、アジアをはじめ世界中の仏教徒が参拝に訪れています。

今回インドを訪問して15年前と大きく違ったなと思ったのは、道路などのインフラがかなり良くなっていること。食事や衛生面など生活環境が向上していることが実感できました。15年前の意識が強く残っていましたから、今回もその認識のもとで企画を立てましたが、旅程はもちろん服装や所持品も心配ご無用ということが数多くありました。帰国してからの感想は、八大仏跡を一度に巡拝することは厳しくても、ポイントをしぼれば「多少の経済力と体力があれば、1週間ほどで誰もが気軽に釈尊の仏跡を巡拝することができるのではないか」ということでした。

日蓮大聖人の仏法をより良く信仰するためにも釈尊への理解は大切なことだと私は思います。今回はすべての仏跡で読経・唱題をいたし、仏祖三宝尊と釈尊への御報恩を申し上げることができ、深い感動を覚えると共に彌々の信行をお誓いしてまいりました。海外に出ると日本のことが良くわかるとは言い古されたことですが、それにしても視野が広がることは事実です。視野が広がることさえ嫌がり、小さな狭い殻に閉じこもることをよしとする人もいますが、それは大変残念なことといえましょう。
御書に「日蓮は広略を捨てて肝要を好む」とか「日蓮が法門は狭きようなれども甚だ深し」とのお言葉はありますが、日蓮大聖人は偏狭さと頑迷さを訴えたわけではありません。他宗他門の人々と仏道について法論を求められた宗祖は、法華経の行者として生涯にわたって「仏法は道理なり」と主張され、普遍的な真理を求められました。したがって、広い視野に立たれていたのではないかと私は思うのです。

今回も若い僧侶が仏跡巡拝に参加されましたが、若い僧侶が仏教の原点であるインドの大地に立ち、釈尊の御生涯とその教えを学ぶことは、法華経と日蓮大聖人の教え、日興門流本来の教えを理解するためにも有益ではないかと考えます。宗開三祖の時代はもちろん、一昔前には考えられないほどの時間と経費で仏跡を訪ねることができます。現代に生を受けた者の果報とさえいえるのではないでしょうか。視野を広げてより深く妙法を会得し、宗祖の教えを弘通するためにも、多くの同信僧俗に釈尊の世界にふれて頂きたいと思います。

インド仏跡巡拝の感想はインターネットで各人各様いろいろと報じられていますが、私も率直な感想をまとめてお伝えしたいと思っています。まとまりましたら当山のホームページに豊富な写真と共にアップさせて頂きます。ちなみにこのブログトップの画像はベナレス、ガンガーの夜明けです。

相武山 山主

2014年12月26日

鎌倉を散策

秋空の広がる11月22日(土)、第8回目となる「鎌倉歴史散策の会」を開催しました。鎌倉の歴史や文化に造詣の深い中区の酒井俊克さんの案内で、毎年この時期に鎌倉と宗祖ゆかりの地を散策しています。今年は昨年の続きです。散策のテーマは「十一通御書ゆかりの地を歩く」の後半。極楽寺、御霊神社、長楽寺跡等々。

参加者は午前9時30分に鎌倉駅西口の時計台の前に集合。皆さん時間よりも早く集合されていました。参加者(酒井俊克、新倉昇三、新倉勇、久保律子、勝又俊子、芦川裕子、芦川卓才、高取キヌ恵、鈴木真紀、大山謙道)を確認して鎌倉駅から江ノ電に乗車。最初は宗祖の敵対者として著名な良観房忍性を開山とする極楽寺見学のため、江ノ電極楽寺駅にて下車。鎌倉からは4駅目となります。極楽寺は真言律宗の寺院で北条重時の創建と伝えています。重時は北条義時(鎌倉幕府2代執権)の三男で、北条泰時(3代執権)の弟。宝治元年(1247年)から鎌倉幕府の連署として5代執権北条時頼を補佐した人物です。弘長元年に没し、その後、文永4年に良観房忍性が入山したといわれています。当時の為政者の庇護を受けて極楽寺良観は「生き仏」とまで称されていました。宗祖と厳しく対峙したことは広く知られ、十一通御書の宛先となっています。往時は周囲一体が極楽寺の境内で多くの伽藍があったようですが、時代の流れのなかで今はひっそりと佇んでいました。

極楽寺からは近くの史跡上杉憲方の墓を見学し、切通しから成就院に上り由比ヶ浜を見ながら、酒井さんから切通しの説明と北条幕府と新田義貞の戦の模様を解説して頂きました。その後、切通しを左折して御霊神社へと向かいました。極楽寺へのトンネルを左手に見て江ノ電の踏切をわたり着いた御霊神社では、関東平氏五家の始祖(鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)五霊を祀ったこと。後に鎌倉権五郎景政の一柱のみに祭神が集約されたことの説明をうけました。また、龍口法難の折り、宗祖が四条金吾殿のもとへ童を遣わしたお話もありました。


次ぎに御霊神社からほど近い四条金吾のゆかりを伝える収玄寺を見学。その後、宿屋光則の屋敷跡と伝える光則寺に向かいました。長谷寺の周囲や鎌倉大仏の高徳院への道は秋の鎌倉を楽しもうと多くの人が道を行き来していましたが、光則寺への道は人影がまばらでした。この寺院は宗祖の北条時頼への立正安国論奏上。日朗師などの入牢など、十一通御書にも縁のあるお寺です。本堂裏手のやぐらのような土牢跡も訪ねました。

光則寺からは長楽寺跡に建つ鎌倉文学館へ。長楽寺は嘉禄元年(1225)3月北条政子によって頼朝追福の為に建立された寺院。七堂伽藍を構えていたが、元弘3年(1333)5月北条幕府滅亡の際焼失したという。十一御書の宛先の一つでした。明治期に前田家の別荘として洋館が建てられたが、現在は鎌倉文学館として市民に開放されている。

時間の都合上中には入らず、小径を歩いて和田塚に向かいます。その途中、旧東海道について酒井さんから説明がありました。皆さん鎌倉時代の東海道と現代の東海道のイメージがかなり違うことに驚いていました。江ノ電の線路をわたって着いた和田塚では、鎌倉幕府の初代侍所別当として活躍しながら、北条氏との権力争いで滅ぼされた和田義盛とその一族についてのお話を聞きました。
このあたりですでに歩き始めてから3時間が経過。疲れている様子の方もおり、予定の散策コースを一部割愛して鎌倉駅へ向かうことになりました。由比ヶ浜から滑川をわたって材木座へ、現在の鎌倉八幡宮の前身である元八幡神社を見学し、横須賀線をわたって辻の薬師堂に至ります。宗祖の辻説法は有名で諸説伝えられていますが、薬師堂から本興寺付近にもその言い伝えが残っているそうです。

小町と大町を分ける往時からの道を散策しながら一路鎌倉駅へ。お腹もすいてすっかり足も重くなって来ましたが、ゴールが見えると頑張れるもの。途中ぼたもち伝説の常栄寺前を通り、比企一族の悲哀と日蓮門下の古刹として名高い比企谷妙本寺の門山に至り、ここで妙本寺と東身延と称されている本覚寺のお話を酒井さんからうかがって散策の解説は終了となりました。酒井さんは本当に鎌倉の歴史や文化に詳しく、よく学ばれているばかりか、必ず現地を歩かれて事蹟を確認しておられることに感心しました。

久保さんの万歩計によればこの日の散策は13000歩ということでした。ちなみに歩いた距離は約9.5㎞でした。昨年同様小町通りの峰本で美味しいおそばを頂いて散会となりました。参加の皆さんご苦労様でした。きっと鎌倉と宗祖への理解が深まったことでしょう。来年も春は「ぶらり鎌倉散歩(宗祖の御遺跡を訪ねて)」、秋は9回目の「鎌倉歴史散策の会」を開催したいと企画しています。

相武山 山主

 

2014年12月15日