相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

健やかな成長を祈り

今年も三人の幼子がご家族に手を引かれて七・五・三のお祝いに参詣されました。10日には弟子の純興師が家族で3才になる「華蓮(かれん)ちゃん」のお祝いに。15日は本村さんのご家族が3才の「千鶴(ちづる)ちゃん」のお祝いに。19日には林さんのご家族が同じく3才の「雫月(しずく)ちゃん」のお祝いにお参りでした。

ご家族皆さんとご一緒に読経・唱題、仏祖三宝の御宝前に今日までのご加護に感謝申し上げ、これからも心身共に健やかに成長できるよう御祈念を申し上げました。それぞれ元気なお子さんでこれからの成長が本当に楽しみです。ご家族のまじめなご信心はきっとご本尊様がご嘉納なされ、子ども達の未来を慈愛をこめて見守られることでしょう。

人生は何が起こるか分かりませんから、子どもが3才まで成長できたこともけっして当たり前の事ではありません。病気や怪我はもちろん事故や事件、災害などに巻き込まれることもあるのが人生ですから、無事であったことには自然に感謝の思いが湧いてくるものです。信仰を受持する者はその思いを仏様に向けることとなります。また、子どもたちはこれから長い人生を歩んでいきます。その道程は穏やかな時もありましょうが、厳しく険しい時もあることでしょう。人生は山あり谷ありですから、その一つひとつを乗り越えて、健やかに力強く歩んで行けるよう、仏様の深いご加護をお祈り申し上げました。

 

相武山 山主

 

2014年11月28日

あるがままに生きる

秋も深まり三師塔裏手のイチョウがようやく色づいてきました。緑の葉から黄色の葉に色変わりして、やがて樹全体が黄金色になり初冬の訪れを知らせてくれます。しばらくすると楽しませてくれた代わりに、一週間ほど落葉を片づける作務に追われることになりますから、本当に世の中は良くできているものです。

16日(日)の日曜法話会は今年最後の法話会でした。先月はプロローグとなる「世相」の話が長引いて、テーマの「あるがままに生きる」という内容に踏み込めませんでした。今月の世相は「七五三祝」について、七五三を祝う慣習のいわれをたずね、幼子が健やかに成長することの難しさ、幼子の成長に感謝しその未来を祈る儀式であることを簡略にお話し、スムーズにテーマに入りました。

テーマ「あるがままに生きる」は、人生には変えられることと変えられないことが有り、現実を受け容れて精一杯生きようという内容です。

はじめにスッタニパータから『この世において智慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。何となれば彼はあるがままに見るからである』との言葉を紹介。続いてダンマパダから『一切の形成されたものは無常である(諸行無常)。一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)。一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)。と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる』との言葉を紹介しました。共に原始仏典と呼ばれている経典で、仏教の基本的教えを伝えているといわれるものです。

続いて仏教は【諸法(あらゆる存在)は実相(真実のすがた)という立場】であることを説明。この考え方の意味を「あらゆる存在は偽りではなく真実であること。現実から目をそむけても何も変わらないこと。より良い人生のために、自らとその置かれている環境をよく観ること」が大切であると述べ、しかし、私たち凡夫はこの「あるがままに観る」ことが難しいことをお伝えしました。

次に【与えられた人生と自分が切り拓く人生】として、「変えられる環境と変えられない環境(生まれた時代・生まれた地域・両親と家族等々)。変えるべきか否か(転職、転居、結婚、離婚、等々)。自らの決断(決断のもとは自身の価値観、その価値観も変化する)。が求められる。人生最後まで価値観を高める必要性が有り学びの大切さを理解。変化をおそれない生き方。などについて話し、その上で、【自分らしく生きる】として、「人は一人ひとり異なることを認める(環境、能力、性格、好み等々)。価値観の多様性を認め、他者との違いにこだわらない。自分らしく生きる(皆んなと一緒でないことに不安をもたない)ことの大事さを述べました。

最後に【この舞台で生きる】として、「まずは現実を受け容れる。賜った人生に感謝の念を忘れない。自分の舞台(地域、家族、社会、老若男女)で人生を楽しむ。仏の道は心を磨き豊かな人生のためにある」ことをお話し、結びに【あるがままに生きる】とは、「人生を放埒に生きたり、あきらめと嘆き、不平と不満と愚癡で生きるのではなく、生涯かけて学ぶことと機縁のおもしろさ、精進努力することのすばらしさ、あらゆる事物事象に感謝の念が抱けるように自らの心を磨くことを愉しめること」とお伝えしました。

日蓮大聖人の言葉では、

★ 南部六郎三郎殿御返事『法華経の心は当位即妙(とういそくみょう)・不改本位(ふかいほんい)と申して、罪業(ざいごう)を捨てずして仏道を成ずるなり』。

★ 四菩薩造立抄『日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以(もっ)て論ずれば一閻浮提(いちえんぶだい)第一の富める者なり。是(こ)れ時の然(しか)らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押へ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し』

★四条金吾殿御返事『賢人は八風と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦・楽なり。をを心(むね)は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまぼ(守)らせ給ふなり』。

を拝読ご紹介し、今年最後の法話会を終了しました。

今年も1月から毎月1回の法話会を開催し多くの方々に参加聴聞頂きました。つたない法話かもしれませんが、多くの方に仏教に親しんで頂きたいという願いのもとに精進しています。法話会は年に2回地域紙に案内し、当山のホームページにアップしているだけで、まだまだ認知度は低いのですが、継続は力であり新たな道を切り拓く唯一の方策と承知していますから、明年も心を込めて取り組んでまいる所存です。仏道は僧侶だけで護持伝承できるものではありません。志のある方々のご理解とご協力を頂き、共々に護り伝えたいと願っております。

相武山 山主

 

2014年11月24日

思いやりのこころ

お会式が終わりほっとしていると上大岡の中澤さんから電話を頂きました。戸塚区の小林文江さんのお宅にお会式の桜の花と供物をお届けして来たとのこと。小林さんは当山の開創当時からのご信徒で、法華経と日蓮大聖人の教えを大切にしておられる方です。今年たしか94歳になるかと思います。お元気な頃はお経日や御講にもよく参詣しておられました。また御書をよく学ばれる方で、信仰そのものを愉しんでおられましたが、高齢の上に自宅からの外出も思うにまかせぬ体調となり、現在は参詣することはできない状態です。それでも不自由な中から、お正月やお彼岸お盆などには必ずご本尊様にご供養をお届けになり、ご主人やご先祖への供養も忘れることはありません。お手紙にはいつも「相武山だよりが何よりの愉しみです」とあり、たよりを発刊している私や興厳房のやる気を奮い立たせてもくれます。

小林さんはお会式に参詣はできませんでしが、折り鶴をたくさん作って上大岡の中澤さんにお届けになり、当山のお会式に供えてほしいとのことでした。するとその話を聞いた草ケ谷さんが折り鶴をデコレーションして、法会の受付に飾ってくれました。折り鶴を大切なお会式のお供えしたいという小林さんの想い、その気持ちを何とか活かして上げたいというお二人の思いやり、それらが一つのかたちとなってお会式の意義を深めて頂いたような気がしています。

中澤順子さんは息子さんの俊彦さんとご一緒に当山にご縁を結んで頂いておよそ31年となります。一般的に信仰への道に志を立てたとしても、その道は人生同様けっして平坦なものではなく起伏があるのが普通です。しかし、中澤さんは体調の思わしくない時以外に寺院行事を休まれたことのない求道心の篤いご信徒で、その志が揺らぐような様子をうかがうことは一度もありませんでした。いつも真摯に教えを求められ、日々に信仰を深めておらるれることには敬意を表するばかりです。
中澤さんは常にご自身の信行を磨かれるばかりか、講中同志の方々のことを気にかけておられる方です。もとより信仰は個人的な世界といって過言ではありませんが、同信の方と啓発し合い、励まし合うことによって、信仰世界が広がったり深まったりすることも事実です。法華講という信仰組織が宗祖御在世の時代から存在するといわれるのも、仏道と法華の道場を護るばかりではなく、講中という信仰組織が個々の信仰をまもり育てる意義があるからではないでしょうか。
他者との交わりを煩わしく感じる人も多い現代、何ごとも「大きなお世話」といって他者の存在を受け容れがたい時代でもありますが、それでも人は人間といわれるように、人と人との交わりの中から人生の多くを学んで行くのですから、ご縁を大切にしてゆきたいものです。

思いやりの心は仏道の慈悲の精神に通じるものです。世間でも「情けは人のためならず」と教えていますが、他者の悩みや苦しみを理解すること、悲しみや嘆きに同調すること、喜びや愉しみを共有することは、人間性を豊かにすることはまちがいありません。お会式をきっかけに一つの思いやりの心にふれて私のこころも温かくなりました。

ありがとうございました。

相武山 山主

 

2014年11月18日

和やかに営まれました

旭区白根町の熊切家の法事が先月末に当山で営(いとな)まれました。

熊切さんは今年87歳になりますが、ご自分で運転して当山にお出でになるほどかくしゃくとして居られる方です。一昨年の秋、当山に墓所をお求めになりました。昨年11月には病気療養中の奥様千恵子さんが85歳でご逝去。当山に葬儀式の執行を願い出られましたので、当山の法式にて葬儀を執り行いました。昨年末には七七日忌の法要と納骨式を行い、長年連れ添われた奥様のために真心の追善供養を捧げられました。

葬儀や法事では藤沢に住む息子さんの和敏さんご夫妻が中心となって、いつも子どもさん達皆んなで協力しながら営んでいます。その姿はとても和(なご)やかなもので、きっとお母さんの千恵子さんも仏さまの側で喜んでおられることと思います。

今年になって熊切さんは新たに仏の道への誓いを立てられ、ご本尊様をお受けになりました。その後、新盆を前に立派な仏壇を新調されました。6月末には新調された仏壇の入仏式を執り行い、月遅れのお盆には家族の皆さんが参集されてにぎやかに新盆の法要を勤められました。

一周忌の法要は少し早めに繰り上げて10月末に執り行われましたが、6人の子どもさんに恵まれた熊切さん、孫やひ孫まで集まると結構にぎやかな法要となりました。当日は皆さん数珠をかけられ、お渡した法華経要品に目を通して法要にご参加頂きました。法事では時に幼い子供たちが参列する場合があります。法要の意味はもちろん行儀作法の有り様もわからないと思いますが、何も分からないように見える子供たちも、心の奥に何かをしっかりと受け止めています。すなおな子どもたちは、勧めるままに数珠をかけ手を合わせてくれます。ときにはお経本を目で追ってもくれます。御宝前に燈明(とうみょう)がともされ、香がたなびき、供物(くもつ)がそなえられ、塔婆(とうば)が建立されている精霊壇(しょうりょうだん)に進んでお焼香もします。

幼い時に経験したことはすべて人生の肥やしとなりますから、法事という仏縁を体験したことは、日本の文化や伝統や習俗にふれることともなり、きっと思考の幅を広げ思索の深さを導くこととなるでしょう。さらに仏さまとその教え、供養を捧げた先祖精霊とのご縁を人生に活かすことになると思います。
法要後には墓参が執り行われ、その後、客殿にて熊切さんを中心にお斎(おとき・会食)となり、みんなで和やかに歓談しながら千恵子さんを偲び互いの近況を語り合っていました。

相武山 山主

2014年11月15日

厳かにお会式を奉修

一昨年の秋に興厳房が掲示板の前に植えた「10月さくら」が今年も清楚に花開くなか、当山恒例の日蓮大聖人お会式(おえしき)を奉修申し上げました。お会式は宗祖の御入滅された弘安5年(1282)10月13日の御命日忌の前後に執り行われる法要で、日蓮門下では一年で最も重要な法要です。

お会式を迎えるために11月1日(土)には午前11時から御宝前のお飾り、法要を荘厳申し上げるために皆んなで作ってきた桜の花を台座にしつらえます。人数が少なかったために少し時間がかかりましたが、大和市の吉田さんと金沢区の久保さんにお手伝い頂き、午後1時のお経日の前には終了。例年通り御宝前をお飾りすることができました。

午後6時からはお逮夜法要。お会式は「お逮夜(おたいや)法要」と翌日の「御正当(ごしょうとう)法要」の2日にわたって執り行われます。お逮夜は一般的な前夜祭のようなもので、翌日の御正当法要を前に意義を確認し、法会が無事に奉修できることを祈念いたします。当山のお逮夜ではご信徒による申状の奉読も行われます。申状は日蓮大聖人をはじめ御先師が時の為政者に対して、法華本門の教えを受持信行し国家の安寧(あんねい)と衆生救済を訴えたものです。御正当会では参列の教区僧侶によって奉読されますが、お逮夜法要では参詣信徒が奉読、御先師の御心にふれて頂いています。今年は中区の熊木さん、大和市の吉田さん、磯子区の辻本さん、緑区の瀬口さんご夫妻に拝読頂きました。それぞれ、所作(しょさ)を学びしっかりと練習を重ねられてきたので、緊張感の中にもよく通る声で朗々と読み上げられました。各自の信仰への念いはたしかに仏祖三宝尊のご嘉納あそばされるものと存じます。

2日(日)の御正当会では事前の準備のために、講頭の新倉さんをはじめ講中世話人の方々が12時30分頃から参集。駐車場、場外、場内、受付と諸役を分担し、法要を無事に執り行うための準備を始めました。定刻の前には多数の檀信徒が堂内に着席。開式にあたり執事の興厳房が「お会式の意義について」参詣者に説明しました。お会式については十分理解して居いる方もおりますが、初信の方や若い方も居られ、また、改めて意義を知って頂くことを願ってのことです。

定刻の午後2時、参詣者の唱題のなか教区僧侶が出仕、はじめに住職による献膳の儀。引き続いて参詣僧俗が真心で法華経要品を読誦。読経の進むなか御報恩の焼香が捧げられ、自我偈の前で磬が打たれて、臨席の僧侶が申状を奉読し住職が立正安国論を厳かに奉読しました。一つひとつの申状奉読後に参詣僧俗全員がお題目を三唱するのは、奉読したのは一人の僧侶でありますが、その奉読の志は参詣者すべての心であることを顕わしています。
法要に引き続いての講演は当山執事の興厳房でした。「苦難を法悦にかえて」と題して、『末法の法華経の行者である宗祖は、生涯にわたり仏道を歩み弘通するために、さまざまな苦難に遭われましたが、求道者(ぐどうしゃ)として苦難そのものを法悦(ほうえつ)ととらえられました。誰もが嫌い厭う苦難をどのように乗り越え、そればかりかどうして仏法受持の悦びとされたのか、宗祖の真摯な情熱と気高い信仰心を述べました。また、仏道は「功徳と罰」と称される現世利益と恐怖を対象とするのではなく、人生の深く尊い意義に気づくことであり、仏道の本質を見失うことのないように信仰に励んで行こう』と語りお会式講演としました。

住職挨拶では、『お会式は門下僧俗にとって親の法事よりも大切な意義があるといわれており、妙法院も開創以来34回目のお会式を檀信徒の方々と倶に厳かに奉修できた事を慶びたい。妙法院は檀信徒の皆さんの信心で護られており、ご縁を結んで頂いているすべての方々に感謝している。法会のお供物として小冊子「祖道の恢復に思う」と「法華経要品」を用意したので、一読頂くと共に朝夕の勤行にご利用頂きたい。それぞれ何かと忙しい人生だが、せっかくの仏縁、信仰心を励まして仏道を学び行じて頂きたい。妙法院は自然環境に恵まれ、立派な本堂も建ったのですから、各行事への参詣ばかりでなく「自分のお寺」と考えて、いつでも気軽に足を運び参詣を楽しんで頂きたい』と申し上げました。

新倉講頭は『昨年のお会式から一年間、ご住職と興厳師には檀信徒一同お世話になり、感謝している。信仰が緩(ゆる)みがちになるのは私たち凡夫の常、互いに励まし合って信仰心を高めて行こう。寺院行事も参詣者が少なければ寂しくなってしまう、菩提寺をお護りするのは檀信徒の務(つと)め、声を掛け合って皆んなで菩提寺に参詣しよう』とうったえて講頭挨拶としました。

この後「お花くずし」、お題目が唱えられる裡(うち)に御宝前を荘厳していたお花が講中世話人によってくずされました。ここでお会式の一切が終了。くずされたお花や果物、もちや供物は帰路につく参詣者に分けられました。

平たくいえば「お会式は宗祖のおまつり」です。日頃さまざまな事情で参詣が難しい方や遠路のために参詣が容易でない方も多数お参り頂きました。また、当日お参りできないので事前にお参りされた方、お参りができないのでご供養をお届けになられた方、すべての方々の真心によって、今年も宗祖への御報恩を申し上げることができたことに心より御礼を申し上げます。

相武山 山主

2014年11月10日

テーマに入れず

10月は19日(日)に日曜法話会を開催しました。前月のレジュメや掲示板にご案内した法話会のテーマは「あるがままに生きる」でした。当日は秋晴れの爽やかな天候に恵まれた行楽日和でしたが、志のある方々が参集。倶に仏教に親しむ有意義な時間を持ちました。

初めての参加者も居られましたから、法話会の趣旨『仏教に親しみ、その教えと信仰について正しい理解を。学ぶことは継続が大切。仏道は求める心が基本、いつでも何でも尋ねよう』と、お寺の役割『仏道を護り伝える道場。信徒僧俗の修行の場、僧俗が仏道を学び信仰を深める場、人生に疲れた時に心を癒やす場、汚れやすい心を浄かにする場、仏教の伝統や歴史を伝える役割を担う』について説明しました。

よく参加聴聞されている方や檀信徒の方々には毎回のことなので、十分承知されていることですが、初めての方にとってはやはり大切なプロローグではないかと思います。

毎回、テーマの前には「世相」を取り上げて、私の所感を申し上げていますが、世相とは世(よ)の相(すがた)ということです。仏道では『現実を直視する』ことが基本的な姿勢であり、あらゆる事物事象は一人ひとりの人生に影響を与えているばかりか、存在と出来事のすべてが学びに満ちているからです。眼前の事物事象をどのように見るかは百人百様。それぞれの見方にその人の見識と価値観が現れているといっても過言ではありません。仏道に身を置く末弟としての意見をお伝えして、参加者の皆さん各各に世相をお考え頂くコーナーです。

世相はどちらかといえばいつも事件や災害の話題が多く、暗く厳しい話題になりがちですが、10月の話題は「ノーベル賞受賞者のコメント」で明るい話題を取り上げました。全世界が注目するノーベル賞、受賞者は世界的な研究や社会貢献を認められた人々ですから、受賞にあたってのコメントはいつも私の関心事の一つです。一昨年IPS細胞の研究で受賞した京都大学山中教授のコメントも人柄がにじむもので、とても愉しい気持ちで聞かせて頂きました。喜びと感動をお裾分けして頂いて大変得をした気分です。

今年も各受賞者のコメントはそれぞれに意義深いものでしたが、世相では日本人3氏と平和賞の2氏の受賞コメントをピックアップ。日本人3氏はLED開発(青色発光ダイオード)で受賞した赤崎勇・名城大教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授です。選考委員会の受賞理由は「省エネで環境に優しい青色発光ダイオード(LED)を発明した。従来に比べ、長寿命でエネルギー効率が高い。多くの研究者が失敗する中で三人は成功した。二十世紀は白熱電球が照らしたが、二十一世紀はLEDによって照らされる時代になるだろう」というものでした。

見聞した3氏のコメントはそれぞれの人柄や研究へ思い、そして人生観が表れているもので、その発言に対しての私の所感を語りました。

次にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのコメント、カイラシュ・サティアルティ氏のコメントを説明。「女性や子どもの人権と教育」に命をかけて取組んできた崇高な志と活動には敬意を表するばかりです。その発言は人間の尊厳にかかわるもので思索と示唆にとみ、多くの人々に感動を与えるものでした。ここで詳細はひかえますが、ことにマララ・ユスフザイさんについては、昨年の国連総会での演説が印象に残っていたので、再度その演説を聞いてみました。英語は良くわからない私でも、彼女が一生懸命に訴えていること、その内容のすばらしさは言語の違いを越えて伝わってくる名スピーチで、あらためて感動しました。

受賞者のコメントからは多くのものを学ぶことができます。端的に特徴をいえば『好奇心、信念、勇気、探究心、改革、決断、努力、主張、権利、自信、誇り、謙虚さ、優しさ、生きがい、持続力、諦観等々」となりましょうか。勇気と優しさ、自信と謙虚さなど、一つひとつを取り上げて並べてみると相反するようにもみえますが、要は置かれている時と機と場所によって心のバランスをとって対処しているのでしょう。自らの持っている価値観を磨き上げ、見識を高めて自分らしい人生を切り拓いてきたことがわかります。

当山の法話会ではよくあることですが、10月の法話会では世相への意見が長引いてしまい、テーマに入ることができませんでした。11月16日(日)今年最後の法話会であらためて「あるがままに生きる」についてお話をいたします。

今日と明日は当山で恒例の日蓮大聖人お会式を奉修いたします。日蓮門下にとっては最も大切な法要です。雨模様という予報もありますが「雨もまた良し」で、信仰も法会も天候に左右されるものではありません。ご信心の篤い檀信徒の皆さんと倶に厳かに宗祖への御報恩を申し上げたいと思います。

相武山 山主                                                                     、

2014年11月01日