相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

新緑の季節を迎えて

華やかな桜の風情を楽しんでいると、木々の枝から新芽が吹き出してきました。当山の周囲ばかりでなく其処もかしこも新緑の季節を迎えました。やわらかな若芽が暖かさに引かれてぐんぐんと伸びています。まるで大地の力が淡い緑の葉を通して伝わってくるようです。

4月の「日曜法話会」は13日でした。うららかな春の陽気にも恵まれ、檀信徒や友の会の方など、いつもより少し多い約40名ほどの参加聴聞を頂きました。初めての方も3名、一般の方にも6名聴聞を頂き、「仏教に親しんで頂きたい」という開催趣旨が、少しづつ広がってゆくようでとてもうれしく思いました。
今月のテーマは「釈尊という人」サブタイトルは「釈尊の人生とその求めたもの」でした。4月8日は釈尊の誕生の日として、古来『仏生日』として親しまれてきました。多くの仏教寺院ではその誕生を祝福して降誕会などが奉修されています。富士門流上代の記述にも仏生日との表現がみられしっかりと意識されていたことがわかります。

始めに世相では「4/10、沼津市で起こった交通事故」についてお話をしました。新たな勤務地に長距離通勤し始めた中学校教諭が起こした朝の事故、小学生二人が被害を受け10才の男の子が尊い命を失いました。事故原因の究明や責任については警察などで調査され今後の事故防止に活かされることでしょうが、被害に遭われた子どもとそのご家族の悲嘆はあまりにも深いものがあります。どのような慰めの言葉もご家族の心に受け入れられることはないでしょう。
この事故について一人ひとり思うこと、考えることは異なることでしょう。もちろん正解と断定できることなどありません。しかし、不幸なこと、理不尽なこと、不条理なことを何かのせいにしたり、カルト宗教的に罰が当たった的な解釈などの意見はあまりに愚かです。もしそのような意見を聞くことがあれば正されなければならないと思いますので、私からは、「思議を超えた理不尽な事故。(なぜ、どうして)」「被害者と加害者、その家族の思いに寄り添おう」、その上で、私たちは「いつ何が起きても不思議ではない世界を生きていることを自覚しよう」と意見を申し上げ今回の世相のまとめとさせて頂きました。

テーマの「釈尊という人」については、仏教を正しく知るためには釈尊の人生を学ばなければならないこと。それも覚者としての仏陀ではなく人間釈尊を知ることが大切で、史実と伝説の相違をわきまえようと説明しました。さらに「釈尊を敬うことはその求めた道を敬うこと」という視点についてもお話をさせて頂きました。
その上で、釈尊の人生について、「誕生~その環境と生活~人生への懐疑~出家~求道」までを現代仏教学をベースに解説し法話としました。タイムオーバーとなりましたので、「成道~ 伝道と救済~入涅槃」のクライマックスについては5月(11日)の日曜法話会にお話いたします。4月の法話会は、今までで最も多くの参加聴聞を頂いたのではないでしょうか。法話会ではその趣旨である「仏教に親しむ」をテーマとして、不信の時代に少しでも仏縁を結ぶ機会となるよう努力してまいりますので、同心の方々にはご家族友人誘い合わせてこれからもご参加頂きたいと思います。

法話会の後には午後1時から毎月恒例の日蓮大聖人御報恩講を執り行いました。はじめに仏祖三宝尊に献膳を申し上げ、参詣者の方々と心をこめて読経・唱題、ご報恩のまことをささげました。その後、興厳房が「持妙法華問答抄」を拝読して法話をさせて頂きました。法話会から宗祖の御講をお勤めして、一人でも二人でも仏教への信仰心を発され、その志を持続せられて真の安心(あんじん)を得られるよう祈り上げた次第です。

相武山 山主

2014年04月20日

お経日とお花見

当山の南西側に広がる追分市民の森では3月23日に菜の花まつりが行われました。お彼岸中ですから足を運ぶ時間はありませんでしたが、市民の森を管理する地元の人々の主催で、春を迎えたこともあり、お花畑に植えられた菜の花を楽しもうという催しです。大都市の中の菜の花畑としてはチョットした規模で、花が満開になるとむせるような香りでいっぱいになります。今年は二度の大雪に見舞われたこともあり、例年より開花は遅かったようですが、当日はお天気も良かったので大勢の方が菜の花と春を楽しまれたようでした。
この時季たくさんの市民の方が3つの市民の森(追分、矢指、瀬谷)が続く当山周辺の散策を楽しんでいます。手ぶらで気軽に歩かれる方、リュックを背に歩かれる方、一人で鼻歌をうたいながら気楽に歩いている方、友だちと笑いながら歩いている方とそれぞれですが、春がやってきたんだな~というのどかな風情は平和でうれしいものです。

やはり春はサクラ
サクラは寒さのなかでつぼみをふくらませ、暖かさに誘われてピンクや薄ピンクの花が華麗に開き、やがて風に吹かれてはかなく舞い散ります。華やかさとはかなさを見せる姿は人生とも重なるようで、私たちの感性になじんでいるのではないでしょうか。
今年は墓苑周囲の河津サクラの開花が少し遅れましたが、本堂南側と雑木林のソメイヨシノはほぼ例年通りお彼岸が終る頃から咲き始めました。27日の小雨の中で咲き始めたサクラは、3日ほど前から風に舞い散るようになり、リョウマの鼻の頭にも花が乗っていましたが、桜花はいつもより長めに咲いて参詣者や私たちを楽しませています。

4月1日は月例の「お経日(おきょうび)」でした。相鉄線の三ツ境駅から当山に参詣された方々は、駅からのバス通りでサクラのトンネルをくぐって見えられたことでしょう。お経日は月の初めに菩提寺(ぼだいじ)に参詣して仏祖三宝尊をはじめ先師先達にご報恩申し上げ、この一月の信行精進を誓願(せいがん)申し上げる法会(ほうえ)のことです。また、この折りにご先祖や有縁精霊へのお塔婆供養をなさる方もおられます。古来日興門流(にっこうもんりゅう)では仏弟子としての信行を磨くために、この1日のお経日と13日の宗祖ご報恩講への参詣は、仏道修行の要と位置づけられてきました。仕事や用事があって参詣できない方や、病気や体調の都合で参詣できない方も当然おられますが、仏弟子としての自覚をお持ちの方々は、仏法護持のための浄財をささげられ報恩行を勤めておられます。中には三十数年欠かすことなく参詣されている方もおり、その尊いご信心には深く敬意を表する次第です。
勤行・唱題後の法話では、妙風新聞の4面「御心を拝して」のコーナーから、宗祖の御書を拝読してお話を申し上げ、参詣の皆さんと倶に仏道を学びましたが、これからも志のある方々が一人でも二人でも増えて、一緒に「お経日」を勤めて行けたら良いなと願っています。そのためにも内容を充実して行かなければならないと自戒しています。

本堂前のサクラも開花しましたのでお経日の後には皆さんと急遽お花見をしました。サクラの樹の下にカーペットを敷いて仰いだり、回廊から咲き誇る花を見上げたり、ベンチにすわってゆったりと愛でたり、それぞれのスタイルで温かいお茶と桜餅を頂きながらしばし歓談の一時をもちました。春を満喫したような気持ちになりとてもリラックスできましたから、明年もこのような機会を持てたら良いな~。あらかじめ花見のご案内をして、より多くの方々に楽しんで頂こうと思いました。

相武山 山主

2014年04月10日

春のお彼岸から

暑さ寒さも彼岸までといわれるように、春の暖かさに誘われて野原や畑のいろいろな草花が花を開かせ、日も長くなってきたな~と思っているともう春のお彼岸。当山では3月21日(金)と23日(日)の両日、午後1時からお彼岸の法要を執り行いました。今年は3連休となりましたから、東名高速の横浜町田インターから車で5分の当山周辺は、横浜の南北を縦貫する保土ヶ谷バイパス(現在日本一の交通量といわれています)と、横浜市北部を東西に走る幹線道路の中原街道が交差する下川井インターが大渋滞。予定の時間では法要に間に合わなかった方も居られたようです。
保土ヶ谷バイパスは年間を通して渋滞で知られる道路ですが、行楽のシーズンや連休の時期は近くに日本有数の規模を誇る動物園「ズーラシア」もあって、いっそう渋滞がひどくなります。当山の各行事や法要に参詣される檀信徒や友の会の皆さんには、今までも渋滞でシンドイ思いをされた方が多いのではないでしょうか。
東名横浜町田インター付近の国道16号線の高架化が進められたり、東名高速の海老名から南北に圏央道が間もなくつながるようですから、保土ヶ谷バイパスの混雑も少しは緩和されるかもしれませんが、第三京浜の港北インターから東名の横浜青葉インターに抜ける首都高速の支線ができるまでは渋滞が続くことが予想されます。日曜法話会や各種の行事法要に参詣される皆さんには、時間に余裕を持ってお出でくださるようお願いいたします。備えあれば憂い無し、心のゆとりが事故を遠ざけます。

お彼岸の中日にあたる21日には、仏祖(ぶっそ)三宝尊(さんぽうそん)と御歴代正師へ献膳(けんぜん)を申し上げ、お塔婆(とうば)が建てられた精霊壇(しょうりょうだん)にもお膳をお供えして、参詣された檀信徒の皆さんと読経・唱題を申し上げました。先師先達への報恩(ほうおん)感謝と先祖有縁精霊への追善供養の思いは、ご本尊様への参詣と法華経読誦・お題目の声となって如法(にょほう)に現わされました。心の中の思いはかたちになって初めて伝わって行くものですから、参詣の修行と読経・唱題の響きがことのほか有り難いと感じた次第です。

その後の法話では『崇峻(すしゅん)天皇御書』の末文「仏法と申すは是れにて候ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品(ふきょうほん)にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐(ほんかい)は人の振舞ひにて候ひけるぞ。穴賢穴賢。賢(かしこ)きを人と云ひ、はかなきを畜(ちく)という」とのご文を拝読。
「釈尊一代の要となる教えは法華経であり、その法華経の修行の要は不軽品に説かれる不軽菩薩の振る舞いにあります。不軽菩薩はあらゆる人々の心の中に有る、仏と成るべき仏性(ぶっしょう)を敬って但行礼拝(たんぎょうらいはい)に努められましたが、この不軽菩薩というのは釈尊の修行の姿を説かれたものです。
釈尊がこの世にお出ましになり、教えを説かれた本意は『人としての振る舞いを示される』ことにありました。仏教の教えは広く深いものですが、『限りある貴重な人生を如何に生きるべきか、人としての振る舞いは如何にあるべきか』ということがその中心テーマで在り、釈尊は人としての最上の振る舞いを出世の本懐とされ、お弟子たちにもそれを望まれました。
釈尊のそのような教えの根本には『仏性を尊び・人を敬う』という心があります。人は人間といわれるように、人と人との関係性の中からその徳性が磨かれるのですから、好きな人や嫌いな人、信じられる人や信じられない人、愛すべき人や憎らしい人、尊敬できる人や軽蔑すべき人、温かい人や冷たい人、優しい人や厳しい人、等々人生に織りなされるさまざまな人間関係を、あるがままに受け止めて、心豊かに自らの人生に活かすことが求められています。
とはいえ、感情の動物といわれる私たちにとって、好き嫌いや愛憎を離れて悠然たる境地に心を置くことは容易なことではありません。それでも仏さまが『法華経に縁を結びその教えを信ずる者は、あらゆる人々の仏性を認めることが、最も大切な心得である』と教えられているのですから、そのお言葉を正直に受持・信解して仏道を一歩一歩あゆんで行きたいものです。

『賢(かしこ)きを人といい、はかなきを畜(畜生)という』とは、人間は何もしないで黙って放っておいても人となるわけではありません。環境や教育、志や生き方によって一人ひとりの人生が異なるように、人としての教育を受け、心を耕(たがや)し教養を身につけて人となって行くのです。仏道では理性や心性を磨くこともなく、放埒(ほうらつ)な心のままでは畜生と何ら変わることがないと戒(いまし)めています。人は学ぶことによって、また教えを活(い)かすことによって、自心を振り返ることによって、人となって行くことを知らなければなりません。
お彼岸にあたって法華経の御宝前に参詣し、ご先祖や有縁の精霊に供養を捧げるということは、人を敬うということの実践に通じる営みです。お寺ではさまざまな法会や行事が執り行われますが、それらを仏道信行の機会と心得て大切にして頂きたい」等々と申し上げお彼岸の法話といたしました。

けっして長くはない宗祖のお言葉ですが、心を澄まして拝読すれば、その意味はどこまでも広がり、その奥行きも汲めどもつきぬ深みのあることがわかります。仏道の功徳は教えを学び、その修行をおさめることによって積むことができるものです。仏縁があってもそのままでは宝の持ち腐れとなってしまいますから、お互いにじっくりと信行学に努めたいものです。

法話の後には三師塔(さんしとう)に参詣、有志の方々と読経・唱題、お線香を捧げて仏祖三宝尊へ報恩感謝を申し上げました。続いて永久納骨堂「久遠廟(くおんびょう)」に参詣、同じく読経・唱題、有縁精霊にお線香をお供えして追善の供養を申し上げました。

23日は午前11時から今年3回目の日曜法話会でした。テーマは「仏教とは(二)」でした。1月の法話会「仏教とは(一)」では仏教の現実とその多様性についてお話をしましたが、今回は仏教諸宗派に通じているその基本思想についてのお話。
注目の世相は2つの話題「聴力を失ったという作曲家佐村河内守(さむらごうちまもる)事件、理研研究員小保方晴子さん等によるSTAP細胞の件」から、スーパーマンやヒーロー・ヒロインを安易に求める愚。優れた人や尊敬すべき人はいるが、完璧な人や全能なる人は存在しないことについて意見をのべました。また、レスリング女子金メダリスト吉田沙保里選手の父吉田栄勝さんの急逝からは、諸行は無常、あらゆる事物・事象は縁起の法によって存在しており、いつ何なることが起きるかわからないとの認識が大切と意見を述べました。
法話会に参加された方の多くは、客殿で昼食を摂られて午後1時からの彼岸会に参詣されました。4月の日曜法話会は13日(日)午前11時から。テーマは4月が釈尊の誕生月であるところから「釈尊という人」です。同日は宗祖の月例ご報恩講が午後1時から執り行われます。皆さんの参加聴聞をお待ちしています。

相武山 山主

2014年04月08日

賢い選択

最近は人生の終焉(しゅうえん)を穏やかに迎えるため、また、人生の最後を自らの望むように閉じたいと願って「終活(しゅうかつ)」を意識する人が多くなっています。終活というのは「人生の最後をより良いものとするため、事前に準備を行う」という意味になります。
「諸行は無常」として生老病死を正面から受け止める仏教では、自らの死を見つめることによって生の貴重さに思いをいたし、限られた人生であるからこそ、あだや疎(おろそ)かにすることなく意義深い生活を送りたいという願いを持つことになります。
したがって終活を考えることは、仏教的には至極当然なことといえますが、少し前までは「自分や家族の最後を語るなんて縁起でもない」などという言葉を聞くことも少なくありませんでした。
最近は多くの方が冷静に考えるようになってきたばかりか、終活を意識することがより賢明なことと認められてきたようです。当山でも檀信徒や友の会の皆さんばかりでなく、その友人・知人の方からも相談を受けることがあり、それぞれの環境や希望にそってお話をさせて頂いています。

終活といっても、終末医療への対応や所有財産の処分や帰属、葬儀式や納骨のかたち、死後の供養までかなり広範な意味をもちますが、与えられた人生の幕を閉じるにあたって自分の意思を明らかにしておくことは大事な心得といえるでしょう。さらに大事であるからこそ後回しにしないで、健康な心身であるときに熟慮しておくことが大切です。年齢にもこだわる必要はありません。心身が衰え不安定になってから考えるのではより良い終活とならない場合もあります。人の考えや望みは変わるものですから固執することなく、今の気持ちを整理し、書面にしておくことから始めるのがベターといえるでしょう。終活への姿勢が変われば改めて示し直せば良いだけのことです。
誰もが差別なく訪れる旅立ちの時に、人生や家族はもとより、友人や社会のすべてに「ありがとう」と感謝の言葉をもってお別れができるように、健やかなときにこそ終活を考えることは賢い選択といえるでしょう。

住田さんの旅立ち先月調布市にお住まいの住田さんが逝去され当山の客殿で葬儀式を執り行いました。住田さんはプロのカメラマンで、長く新宿で写真館を営んでおられた方です。93才の人生でした。当山とのご縁は友人方の延長線上からのものです。
住田さんご夫婦はお子様がなく、また兄弟もいらっしゃらないご夫婦でしたから、とても仲の良いご夫婦であったようです。その愛する奥様T子さんが平成19年10月10日に逝去され、葬儀式は近くの寺院で行いましたが、その後の追善供養と納骨を安心して行いたいと願われ、友人の勧めによって当山にお出でになりました。後継者がいないこともあって、奥様のご遺骨を当山の永久納骨施設である久遠廟に納められ、住まいも遠く高齢であることから永代供養も希望されました。永代供養は当山の大過去帳に記入して毎月の命日忌にご回向申し上げる供養のことです。施主がお参りにならずとも記帳された精霊の命日には朝夕の勤行においてご回向申し上げています。
住田さんは彼岸やお盆など折々に供養を届けられたり、体調の良いときには手紙も頂きましたが、昨年は奥様の7回忌法要を当山で執り行われました。30年来の親しい友人であり、常日頃から家族同様のおつきあいをされていた保土ケ谷区の荻野さんのご家族とご一緒でした。足が不自由でしたから車いすでのお参りでしたが、「7回忌の供養をしてあげることができて本当に良かった。これで思い残すことはありません」ととても喜んでおられました。
身寄りがおられないため葬儀式は親友の荻野さんが施主となってくださいました。また、ご本人の後見役となる福祉施設の方がお出でになり、「住田さんのご意思を生前にうかがっていましたので、その希望にそって葬儀式と久遠廟への納骨と永代供養をお願いします」といわれました。私にも同様のことをおっしゃっていましたから、住田さんがご自分の終活をしっかりと考えておられたことがわかります。そのお陰でまったく混乱なく葬儀式を執り行うことができました。
住田さんの自宅からご遺体を客殿にお迎えし、簡単な祭壇を設けて式場を調え、当山の化儀作法にのっとり、納棺・枕経・仮通夜・通夜・葬儀式・出棺・荼毘・初七日忌法要と4日間にわたって懇ろに勤めさせていただいた次第です。
仏縁をしっかりと結ばれた住田さんは、法華経と日蓮大聖人のお題目に送られて霊山に旅立って行かれました。奇しくも旅立ちの日は月は違いますが奥様のご命日と同じ10日でした。これから毎月10日には当山の御宝前にてご夫妻の追善ご回向を申し上げることになります。

 

相武山 山主

2014年04月04日