相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

健やかな成長を祈りました

七五三のお祝いに緑区の颯太君と中区の葵さんが当山にお参りになりました。古今東西、幼い子どもたちが無事に大人に成長することはそう容易いことではありませんでした。災害や争乱という事態に遭遇することもあるでしょうし、そのような事態に出会うことがなくても、栄養状態が十分ではなく、医療も未発達で薬や施術に恵まれていない時代には、大人でも健康を維持して生活することは難しいことです。まして幼い子どもが健やかに成長することは難しいことでした。
そのようなことから、3歳・5歳・7歳を迎えた子どもの成育に感謝し、さらに心身共に健やかに成長することを仏神に祈念するのが「七五三祝詣り」です。子どもの成長に感謝したり祈ったりすることは昔から各地で行われていたようで、その在り方は地域や家庭で異なるようですが、子どもを授かった親の願いはひとしく「健やかな我が子の成長」です。多くの方々が実感しているように人生は平坦な道ではありません。法華経の御宝前にお参りになった幼子にもこれからいろいろなことが起こることでしょう。でも仏教は「如意宝珠(にょいほうじゅ)」でありますから、仏縁をしっかりと握って、辛いときや苦しいとき、楽しいときや嬉しいとき、いつでも仏さまの教えを燈として、悠々と己れの人生と向き合って、明るく歩みを進めて頂きたいとご祈念申し上げました。

相武山 山主

2013年11月30日

慧光院の入佛法要

お会式が無事に奉修できてほっとしている間もなく、弟子の坂上純興師が三重県四日市市塩浜町に布教所を移転し、その入佛法要が9日(土)に執り行われました。純興師が四日市市に赴任して早14年が経ちました。倶に覚醒運動に参画していた妙徳寺の住職と三重教区に請われて四日市市に向かいましたが、赴任直前になって住職であった真下師の転向という事態に直面しました。純興師は戸惑ったものの妙徳寺のご信徒の要望もあり、初志貫徹の姿勢を堅持して精進してきました。志の高いご信徒とめぐり会い、苦労に苦労を重ねて慶事を迎えた次第です。
純興師は25歳で仏門に入りすでに26年の僧道を歩んできました。得度するまでは横浜港本牧埠頭での仕事でした。明るく一所懸命に頑張る彼は仲間と楽しく勤務し、会社からも大事にされて社長から将来を嘱望されていました。また当院青年信徒の中心として活躍していました。その彼がご両親の信仰に啓発されて発心し、得度式を挙行したのは昭和62年秋のことです。私もまだ35歳という若い師匠でした。それから今日まで私も純興師もいろいろありましたが、倶に仏道への熱い思いが後退することはありません。これからも互いに切磋琢磨してゆきたいと願っています。
入仏式の前日に興厳房と四日市市に入り夜遅くまで準備をして、北勢山(ほくせいざん・北伊勢地方)慧光院(えこういん・寿量品・自我偈より)の入仏式を迎えました。慧光院は四日市市の南部、港にほど近い場所にあり、目の前には塩浜小学校があります。敷地約60坪、建物約35坪の中古住宅を改修して法華の道場としたものです。落ち着いた地域にしっかりとした建物ですから、今後の布教に大いに資するものと信じております。
法要の模様は妙風新聞などで報道されることと思いますが、遠近の僧侶17名が参列、所属のご信徒と教区のご信徒も参詣されました。定刻に開式となりご本尊御開扉、献膳、読経、慶讃文(けいさんもん)奉読、読経、唱題と如法に奉修されました。引き続いて式の部にうつり、ご供養目録の奉呈、請書の授与、経過報告、来賓僧侶からの祝辞、信徒代表挨拶、住職謝辞とつつがなく執り行われました。
純興師にはこれからも厳しい道が続くことと思いますが、健康に十分留意し有縁のご信徒と倶に法華経と日蓮大聖人の教えを護り伝えて頂きたいと願っています。入佛法要では慧光院が社会に開かれた法華の道場として興隆することを祈念申し上げました。

相武山 山主

2013年11月30日

早くも冬のたより

東京では一昨日の11日に木枯らし1号が報じられましたが北国からは初雪のたより。強い寒気団の影響で昨日から今朝にかけては北海道や東北で積雪となりました。短い秋から一気に冬の到来といった趣きです。今年の冬は駆け足でやってきそうですから、大げさかも知れませんが「備えあれば憂い無し」です。お互いに寒さへの用意を怠らないようにいたしましょう。

さて先週の猛烈な台風30号は、フィリピンで犠牲者が1万人以上、被害者1000万人という想像を絶した悲惨きわまりない大災害をもたらしました。現在も大混乱の状況が続いています。各国から緊急支援の出動が報じられていますが、我が国からそう遠くない国ですから、日本もできる限りの支援を早急に行ってほしいと思います。世界はどんどん狭くなっています。国や地域や民族の壁を越えて皆んなで助け合う気持ちを高め、その実効へのシステムが構築されることを強く望みたいと願います。そのような実践の積み重ねがやがて国や民族の争いをも収めて行くことでしょう。

前のブログでお会式の模様をお伝えしましたが、お会式が執り行われた後も参詣することのできなかったご信徒の方からご供養をお届け頂きました。信仰を積み重ねられた有縁信徒の方々が、お会式を大切に思われていることがわかり有り難く存じた次第です。謹んで御宝前にお供えさせて頂き志の旨を申し上げました。
お会式は普段諸般の事情から参詣できない方も参詣されますから、例年懐かしいお顔を拝見できたり、ご信徒同士旧交を温める機会ともなっています。今年も静岡県伊東市から樺山さんご夫妻が遠路にも関わらずご信心をもって参詣されました。伊東市に転居されてもう14年ほどになりますでしょうか。以前は年に数回お参りになっていましたが、最近もお会式とお正月には川崎市に住む娘さんのA子さんと一緒に必ずご参詣になられます。75歳になられるご主人もお身体に配慮が必要で大変ですが、奥様も数年前から立ち仕事や歩行に難儀を来すようになり、ご参詣も両手に杖を持たれてのお参りでした。樺山さんご夫妻は妙法院開創当時からの深いご縁で、戸塚の樺山さんのお宅ではよく宅御講を開かせて頂きました。出版社にお勤めだったご主人には法華講を結成した時に講頭をお務め頂き、奥様も会計係やたよりの刊行に尽力頂くなど、倶に法華経と宗祖の教えを学び信行する33年来の同志です。

また、当山開創の機縁ともなった三浦さんは88歳になられました。転居などのために移籍されていましたが、近年再びご一緒に信行に励むことができるようになり、娘さんのK子さんと倶に毎月の日曜法話会や各行事に元気に参詣しておられます。両家の方々との出会いはもう33年前のことですがつい昨日のように思い起こされます。
今年のお会式には草創当時の方々が大勢参詣頂いていました。タイミング良く集まられた方だけでしたが皆んなで記念の撮影をしました。樺山さん、酒井さん、南雲さん、高さん、西村さん、竹越さん、中澤さんのご家族というメンバーでした。
当山はご縁を結んで頂いた方々とご一緒に仏道の心を磨いて行く法華の道場です。これまでも仏道を大切に思われる有縁の檀信徒に護られ支えられてまいりました。そのご信心に深く敬意を表すると共に、これからも志を同じくする方々と仲良く信仰に励んで行きたいと念じております。

相武山 山主

2013年11月13日

厳かにお会式を奉修

2日・3日の両日、無事厳(おごそ)かに日蓮大聖人のお会式を奉修申し上げました。日蓮門下にとりまして秋のお会式(おえしき)は最も大切な法会(ほうえ)です。ご信心篤(あつ)い皆さんと9月頃から準備を進め、今月1日のお経日には御宝前(ごほうぜん)を桜の華でお飾りしてお会式をお迎えしました。
2日午後6時からのお逮夜法要(おたいやほうよう)では、例年通りご信徒の方々にご先師の申状(もうしじょう)をお読み頂きました。お会式では宗祖の立正安国論とご先師の申状(もうしじょう)が奉読され、「末法(まっぽう)という仏教史観と法華本門(ほっけほんもん)の教えによる衆生救済」という日興門流(にっこうもんりゅう)の信仰が明らかとなります。
夕闇が静かに当山をつつむなか、お会式の前夜祭ともいえるお逮夜法要には12名の方が参詣され、共々に末法の法華経の行者である宗祖の「滅不滅(めつふめつ)・常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)」をご報恩申し上げました。厳かに法華経読誦の声が流れるなか、申状(もうしじょう)を奉読される信徒はお焼香をささげ、自我偈(じがげ)の前で磬(けい)が打たれると、まず執事の興厳房が日有上人の申状を奉読。続いて住職が立正安国論を読み上げ、大聖人を新倉昇三さん、日興上人を中澤順子さん、日目上人を熊木真治さん、日道上人を秋山宣彦さん、日行上人を阿部一博さんが奉読されました。皆さん信仰への熱い思いを心に込めてしっかりと読み上げられました。唱題の後、お会式の意義について住職が法話を申し上げお逮夜は終了。

翌日はお昼頃から講頭の新倉さんを中心に世話人の方々が参集。参詣者(さんけいしゃ)の受付や駐車場整理、場内整理などの打ち合わせを行い、無事に法会を奉修できるように準備を行いました。法会は午後2時開式ですが30分ほど前から三々五々参詣者が集まりはじめ、開式10分前に執事の興厳房が簡略にお会式の意義と流れについて説明をしました。信仰の長い方には良く理解されていることでも、仏縁を結ばれてまだ間のない初信の方々や、普段あまり参詣して居られない子どもさんやお孫さんなどには、「なぜお会式を大切に執り行うのか、お会式の法要ではなぜ立正安国論や申状が拝読されるのか」について理解して頂きたいと考えてのことです。開式前の説明ははじめての試みであり、短い時間ですのでどこまでわかって頂けたかは不明ですが、儀式や行事にはすべて意味があるのですから、繰り返し学ぶことによって理解を深めて頂きたいと願っています。

定刻の午後2時、司会の熊木真治さんが「ただ今より日蓮大聖人御大会式(ごたえいしき)御正当(ごしょうとう)法要を奉修いたします」と開式の言葉を宣べ、参詣者が太鼓に導かれてお題目をお唱えする中、神奈川教区の僧侶が出仕(しゅっし)されました。献膳、読経、焼香と如法に進み、自我偈(じがげ)の前で磬(けい)が打たれると、鈴座の常度寺住職綿貫徹道師が日有(にちう)上人の申状を厳かに奉読され、続いて住職が立正安国論を奉読、その後、臨席僧侶によって御先師の申状が読み上げられました。申状の奉読が終わると寿量品自我偈の読誦から唱題にうつり、参詣僧俗一同は宗祖へのご報恩謝徳を申し上げると共に信行の増進を祈念いたしました。

法要後は「聖人の御義(おんぎ)に生きる」と題して住職が講演。宗祖は御入滅(ごにゅうめつ)にあたり六老僧(ろくろうそう)を定めて末法の衆生救済を命じられましたが、それは日蓮門下を6門流に分けることが目的ではなく、それぞれが有縁(うえん)の教化の地域において、法華本門の教えを弘通(ぐつう)することを願われたものでした。しかしご入滅から間もなく、輪番で宗祖の墓所にお給仕を申し上げるという約束も護られなくなり、法華本門の教えとは異なる天台沙門を名乗る弟子も現れるなど、宗祖の教えは乱れてゆきました。他の仏教諸宗同様日蓮大聖人を宗祖と仰ぐ日蓮門下も今では十数派に分かれている現状です。

甲斐(かい)と駿河(するが)の両国で法華弘通に精励していた日興上人は、身延の地頭波木井(はぎり)実長(さねなが)を教化したことをはじめ、さまざまな面から自然に宗祖九カ年在山の聖地である身延の地を護る中心となってゆきました。しかし、後に身延に上ってきた六老僧の一人民部日向(みんぶにこう)師や、地頭の波木井氏等と信仰上の意見対立をみることとなり、やがて宗祖の教えである法華本門の教えを守り伝えてゆくためには、宗祖のゆかり深い身延の山であっても離れなければならないとの覚悟にいたりました。その経緯と決意を述べた手紙は、波木井実長氏の子息にあてた『原殿御返事』として伝わっています。

そこには「身延沢を罷(まか)り出(い)で候事面目(めんもく)なさ、本意(ほんい)なさ申し尽くし難く候へども、打ち還し案じ候へば、いづくにても聖人の御義を相継(つ)ぎ進(まい)らせて、世に立て候はん事こそ詮(せん)にて候へ」とあります。この言葉はゆるぎない日興門下の根本精神であり、中でも「いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせん」は要(かなめ)となるものです。この意味をしっかりとつかみ取ることができなければ、日興門流を名乗ってもその精神に立っているとはいえません。

講演のテーマ「聖人の御義に生きる」とは、門流の祖日興上人が何よりも「聖人の御義」を大切にされたこと、あらゆる世俗的な権威を超えて「宗祖の教えそのもの」を至高の権威として仏道を歩まれたことであります。具体的には宗祖9カ年在山の身延山は門下にとってまさに聖地であり、日興上人は権威とされるその聖地よりも、宗祖の教えそのものをより高い権威とされたということになります。私たちもその尊い志を承け継ぎ聖人の御義に生きたいものです。
また、信仰ばかりではなく人生においても「自分は何を権威とするのか、物事の軽重をはかる価値観を磨いているか、人生において本当に大切なことは何なのか」が問われていることをじっくりと考えなければなりません。御正当会には約140名ほどの方々が参詣されましたので、少々時間を頂き相武山妙法院における仏道の基本精神について申し上げた次第です。

法話の後には新倉講頭が「皆んなで信心を磨きあい、菩提寺である妙法院をしっかりとお護りして行こう」と挨拶。その後、唱題のうちに講中世話人の手によって「お花くずし」が行われ、御宝前を荘厳していたお花がくずされました。お題目を三唱して御正当会は閉式となり、帰路につく参詣者には桜の花とお餅、ミカンや柿やリンゴのお供え物が、子供たちにはお菓子がご婦人有志によってふるまわれました。

相武山 山主

2013年11月12日