相武山 妙法院のブログ

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相武山 妙法寺 ブログ

梅雨の晴れ間に

梅雨の晴れ間となった昨日23日(日)は、今年6回目の日曜法話会でした。今回のテーマは「最澄の心にふれる」サブタイトルは ー 続・伝教大師の願文ー です。
仏の道はさまざまなきっかけをご縁に、まず仏の教えを求める心を発(おこ)すことに始まります。その求める心はやがて願いとなり誓いとなって仏道を歩むことになります。 仏道を志す僧侶や信徒はかたちや表現は異なっても、それぞれに誓願(せいがん)を立てて仏門の前に立つのがならいです。
伝教大師(でんぎょうだいし)最澄は日本天台宗の開祖であり、大乗戒壇の礎を築かれた方です。宗祖日蓮大聖人は、釈尊と中国の天台大師、日本の伝教大師そしてご自身を法華経の行者の系譜として「三国四師」と称されたとおり終生尊敬しておられました。
その伝教大師最澄が20歳の頃に仏道に向かう自身の志を表明されたのが「願文」です。
「悠々(ゆうゆう)たる三界(さんがい)は純(もっぱ)ら苦にして安きこと無く、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は唯(た)だ 患(うれ)にして楽しからず。牟尼(むに)の日久しく隠(かく)れて慈尊(じそん)の月(つき)未(いま)だ照さず。三災(さんさい)の危(あやう)きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに没む ・・・・・」と、仏教の徹底した諦観からはじまる願文からは、その熱い求道の念(おも)いと澄み渡る清浄な境地が伝わってきます。
3月の法話会で仏道においては「発心(ほっしん)」と「発願(ほつがん)」が大切であることをお話するために、伝教大師の願文を参加者の皆さんにご紹介したのですが、世相へのコメントや「願文」周囲の説明に時間をとられてしまい、ようやく先月「願文」の前半をじっくりと学び、今月はその後半を学んだ次第です。大師の透徹した仏道への志は、声にに出して読み上げるとさらに増してくるように思えます。僧侶として仏道に身を置く者は、等しく鏡として拝読すべきではないでしょうか。

さて先月末から本堂と庫裡の間の小さな中庭に巣を作っていたツバメの雛がかえり、親鳥とその仲間がひっきりなしにエサを運んできます。雛のエサを求める鳴き声は一日中かまびすしいばかりですが、子供の泣き声と一緒でなぜか元気をもらっている気になるから不思議です。

巣立ちの準備も始まりました。日に日に大きくなる雛に対して巣が狭くなってきたな~と思っている内に、昨日の夕方、巣から1羽の雛が落ちてきて寺内は対応に大わらわでした。元気そうでしたから温かくして部屋の中で一晩を過ごし、朝早く籠に入れて高い場所に置いて上げると、早速親ツバメがエサを与え始めました。矢継ぎ早にエサをもらったひな鳥は元気いっぱいいったところです。からすなどの外敵に襲われることのない、狭い空間で4羽の雛が巣立ちの準備に入っています。巣も4羽が身を置くスペースはなくなりました。身体もどんどん大きくなり、少しずつ羽を広げて飛ぶ練習です。あと1週間もすれば巣立って行くのではないでしょうか。落ちてきたツバメの雛の対応で、ツバメの生態を調べることになり、調べている内に少しはツバメのことがわかるようになりました。ツバメのお陰で子供の頃にもどったような気になりました。
何ごともご縁だと思って感謝しています。

相武山 山主

2013年06月24日

うぐいすが鳴きホタルが飛んでいます

当山南西の田んぼでは、米作を専らにする地域からすると少々遅めに、先月中頃田起こしがあり、しばらくして水が引かれ、一週間ほど前に田植えがありました。苗が水田に並べられているすがたは、ささやかな日本の原風景といったところでしょうか。
その田んぼの用水路の周辺に今年もホタルが飛び始めました。養殖され飼育されたホタルではなく自然のホタルですから、数も少なくか細い飛び方ですが、この時季の下川井町の楽しみの一つです。

当山の在る川井地区は名前の通り、横浜の北西部から市内を潤す帷子川(かたびらがわ)の源流域になります。水の良い地域として知られ、大都市には珍しく名水といわれる井戸もすぐ近くにあります。水のきれいな地域であるからこそ、ホタルの生息も可能なのでしょう。そういえば、当山の開発の折にも地元の方からホタルに影響がでない土木作業を求められました。地域の方が「大事にしよう」という思いがあって、環境が守られていることがよくわかります。ここにも守ろうとする意志の有る人によって守られている事実があります。

仏の道も同様であろうと思います。何ごとにおいても護ったり伝えたりということは容易なことではありません。仏の道や信仰が本当に大切だと思う方の真剣な努力によって、ときには命をかけるような熱い思いによって、今日まで仏道や信仰は護り伝えられてきたのです。
広くいえば「歴史や文化、伝統や習俗なども」その価値に気がついた方によって護られているといっても過言ではないでしょう。しかし、自らの生活にその利害が直結するわけではありませんから、価値に気づく人は多くても、その価値を護るために努力し、伝えるために汗を流す人は少ないものです。大事だとか大切だということはわかっても、そのために心も時間も経費も費やす人は少ないということです。自然の豊かなこの地域に存在する当山は、これからもできる限り環境の維持に努めてゆきたいと考えています。ホタルの乱舞とともに山道にはホタルブクロがそこかしこに咲き始め可愛いすがたをみせています。

今月に入ってからはうぐいすも鳴き始めました。去年に比べれば少し時季が遅くなっていますが、ホーホケキョ、ホーホケキョとの鳴き声が時折森をわたっています。これからしばらくは参詣者を楽しませてくれることでしょう。
また、ツバメも雛がかえりました。ドライエリアのツバメの巣は残念ながら落下したものの、中庭の垂木をうまく利用したつがいは、無事に卵を産み、温めてふ化することに成功しました。4羽か5羽がふ化したようです。今はせっせと親ツバメがエサ運んでいます。次回には可愛い画像を提供いたします。

相武山 山主

 

2013年06月14日

南雲家のご法要

去る2日(日)、南雲洋子さんの第17回忌法要が、ご主人をはじめご家族の志のもとに当山で営まれました。南雲さんは当山が開創した昭和56年にご縁を結んで頂いたご婦人で、長年ご家族と倶に当山で信仰に励まんでおられました。お仕事をもちながら明るく元気にお二人の娘さんを育てていらっしゃいましたが、平成2年から3年にかけて、小脳の萎縮という病を発病、身体機能に支障を来されました。その後、約7年ほど治療に努められましたが、平成9年6月2日に逝去され、本年17回忌を迎えられました。
病にかかられてから、ご主人や娘さんによる温かく心のこもった介護や看病にふれて、私は本当に感銘をうけました。ご家族が互いに協力し連携しあっての介護には、「家族ならこのように在りたいもの」と私の眼には映りました。あらゆる治療と介護を尽くされた後、洋子さんはご家族に見守られながら安らかに目を閉じられ霊山に旅立たれました。
その後、長女のエリ子さんには2人の娘さん、次女のさつきさんには3人の息子さんが授かり、ご主人の南雲さんと倶に皆さんとても元気にご生活です。きっと奥さんが仏さまのお側からご家族を見守って居られるお陰でしょう。ご主人はご信心に篤く講中の要として長くご奉公頂き、1日のお経日や13日の宗祖御講には欠かさず参詣しておられます。墓所を当山に定められたこともあって、娘さんのご家族もそれぞれの都合に合わせてよくお参りをされています。普段の生活や思いをお母様にご報告して居られるのでしょう。法要と墓参の後には皆さんご一緒に客殿で食事をとり、和やかに洋子さんの思い出話しなどを語り合い、貴重な時間を頂きました。

そういえば3月には熊木ハナさんの第23回忌も執り行われました。熊木さんも昭和56年開創当時からのご縁です。今は息子の真治さんや孫の文康さんが当山でおばあちゃんの信仰を継いでおられます。開創当時の厳しい時代に明るく元気な「熊木のばあちゃん」には本当にお世話になりました。何かと世知辛い世の中ですが、信仰を大切にされるご家族の方々が追善の法要を勤めて頂き、親族縁者の方々が集まって、おばあちゃんへの供養ができたことを私も嬉しく思いました。その後の会食で熊木のばあちゃんの生前の人となりや、苦労話などを話すことができたのも供養の一環かと思っています。

また、年明けの1月4日には戸塚の佐々木さんが逝去されました。佐々木さんも開創以来のご信徒のお一人です。近年は怪我やご病気などさまざまなことがあって、あまり参詣ができませんでしたが、以前は年中行事にはもちろん、奥さんとお二人で戸塚の宅御講などにも参加しておられました。昨年の暑い夏を過ぎた頃、ご主人がガンを患っていることがわかり、入院を余儀なくされました。奥さんの献身的な介護を受けながら秋から冬を乗り越えたご主人でしたが、正月明けの4日にご逝去されました。佐々木さんと奥さんの希望もあって当山で葬儀式を執り行いましたが、九十余歳のお母様がご健在で、妹さんご夫妻や奥さんのお身内が参列されて、心のこもった葬儀式をもって御仏の世界に御霊をお送り申し上げました。ご遺骨は当山の永代供養墓「久遠廟」に埋葬され、現在安らかにねむっておられますので、久遠廟へのお参りの折にはいつも心の中から声をかけさせて頂いています。
という文章をまとめていると、なんと佐々木さんが久遠廟にお参りにお出でになりました。今日は月は違っても4日のご命日、久遠廟を掃除されお香を供えてのお参りです。有り難いことと存じました。

法事はご縁の深い故人の冥福を祈る仏道の営みであり、知恩・報恩を大切にする日本仏教の教えを示しています。しかし、当山の檀信徒の方々にはあまりみかけませんが、近年は法事ばかりか葬儀までも粗末に扱う方がおられるのは残念なことです。それは葬儀や法事の意味が良く理解できていないことや、その大切さを教えてくれる人がいなくなってきているためでありますが、また、生と死をよく見つめること、眼には見えないけれども存在する御霊(みたま)とのつきあい方がわからなくなってきた為ではないでしょうか。

法事を営むときには故人と自らの深いご縁に思いを馳せることができることでしょう。また、故人の人生を偲ぶことは、人生の厳しさや険しさを学ぶことともなり、他方人生の喜びや楽しみを知ることにもなります。法事は人を集めて盛大に行うことが目的ではありませんから、もちろん参集人数の多寡を問うものではありません。故人への追善供養を第一に心がけ、親族縁者の信仰心が深められることが何よりも肝要なのではないでしょうか。

 

2013年06月05日