相武山 妙法院のブログ

相武山 妙法院のブログです。

相武山 妙法院

  • HOME
  • 相武山 妙法院
  • お知らせ&行事案内
  • 道の心得
  • 法話会
  • 墓苑・永代供養墓
  • 自然に親しむ
  • 交通のご案内
  • ブログ
  • サイトマップ

045-442-7688

  • ご相談について

〒241-0806 横浜市旭区下川井町1590-1

相武山 妙法寺 ブログ

小雨の鎌倉を散策

連休初日の23日、恒例となっている秋の鎌倉歴史散策の会を行いました。天気予報が的中し雨の散策会となりましたが、さほどの降雨でもなく、途中では雨が上がることもあって、紅葉に彩られた小雨の「鎌倉」を楽しく歩いてきました。今回も鎌倉の歴史と文化に詳しい酒井俊克さんのご案内でした。

予定よりも早く参加者が鎌倉駅に集い、9時45分には私からの挨拶、続いてご案内の酒井さんからの簡単な説明がありました。9時50分、雨の中を出発、始めに八幡宮の段葛を進み、その後、小池小路の藤原久時・北条時房の旧邸にて鎌倉幕府の将軍一覧と屋敷跡の説明をうけ、当時の武蔵大路の話しを聞きながら鶴岡八幡宮へ。源氏と武門の神とされる八幡宮のいわれ、源頼義、義家親子の前九年後三年の役の活躍から、頼朝の父義朝と鎌倉のゆかりなどの説明をうかがいました。

 

八幡宮から東に向かい、武士の鑑といわれた畠山重忠邸と頼朝の重臣三浦一族の邸跡から頼朝邸が置かれた大蔵御所へ。頼朝の開幕の志を偲びながら御所の裏手にある法華堂跡へと向かい、頼朝のお墓を訪ねました。近くには幕府初代公文所別当大江広元のお墓、二代執権北条義時と伝えるお墓もあります。
筋替橋から幕府政所(幕府の政務や財務を司る役所)を経て宝戒寺へ。この寺は北条執権邸旧跡で、北条氏滅亡の後、後醍醐天皇の勅により足利尊氏が慰霊のために建立した寺院といわれています。

宝戒寺からは小路を隔てた若宮大路幕府の跡に向かいました。この幕府跡は嘉禎2年(1236年)から元弘3年(1333年)鎌倉幕府滅亡までの幕府です。旧跡には作家大佛次郎の鎌倉邸宅「大佛茶亭」があり、今でも休日には一般に解放されています。この幕府跡から小道を歩いてほど近い所に、宇津宮辻子(うつのみやずし)幕府跡があります。ここは北条政子が亡くなった後、嘉禄元年(1225年)から嘉禎2年(1236年)までの11年間幕府が置かれたところです。

宇津宮辻子幕府跡からは住宅街の小道を歩いて蛭子神社に向かいました。この神社は宗祖ゆかりと伝える夷堂(えびすどう)を明治期にここに移した所といわれています。その傍らには史跡としての「宗祖辻説法跡」があります。大路と大路をわたす辻がこの辺りにあったのでしょうか。それにしても幕府や役所、重臣たちの屋敷に近すぎるような気がしました。ここから滑川にかかる琴弾橋をわたって古道を南に向かって歩くと、ほどなく比企ケ谷に至ります。ここには源氏の重臣比企能員の邸跡があり、宗祖御在世の頃に比企能本が法華堂を建立、妙本寺として今に至っています。

名越松葉ケ谷の宗祖御草庵跡に向かう途中には、ぼたもち寺として知られる常栄寺があり、竜口法難の折、桟敷の尼が宗祖にぼた餅を捧げられたという伝説を聞きました。安養院の裏手から松葉ケ谷の遺跡と伝える妙法寺の前を通って安国論寺へと向かいます。安国論寺はその名の通り、宗祖が立正安国論を著述されたと伝える寺で、松葉が谷の草庵跡とも称しています。ここでは御遺跡を見学しましたが、雨のために眺望の開ける丘に上ることはあきらめました。横須賀線の線路を越えて三番目の松葉ケ谷草庵跡と伝える長勝寺を見学して、駆け足の名越・松葉ケ谷探訪となりました。

長勝寺から材木座の住宅街をぬけて、六老僧の日昭師が開かれたという濱土の法華堂を見学、今はそのほとんどが三島市に移転して妙法華寺となっていますが、宗祖御在世の頃からこの地で法華経の教えが弘められていたことがわかります。そこからほど近いところに、伊豆御流罪の折に乗船されたといういわれを伝える妙長寺がありました。妙長寺からは元八幡社へここは源頼義が石清水の八幡神を勧請し迎えたところ。後に頼朝が鶴岡に遷宮してからは元八幡と称されています。その近くには芥川龍之介の旧邸がありました。

かなり時間が経ってきたことから、元八幡から鎌倉駅に向かうことになりました。皆んなで再び横須賀線を渡り、鎌倉開幕前からあったという辻の薬師堂を見学。続いてそのはす前にあって、宗祖辻説法の可能性をうかがわせる辻の本興寺を訪ね、往時の風光に思いを馳せました。少し北に上るとそこは町屋跡、鎌倉時代の商工や町並み、構成やはたらき(機能)などについて解説を頂き、その後、逆川のいわれを聞いて今回の散策説明は終了。逆川橋をわたって大町の裏通りを一路鎌倉駅に向かい、午後2時過ぎには小町通りの雑踏にまじり、参加者の皆さんと一緒に疲れを癒し空腹を満たすこととなりました。

ほとんど平坦な道でしたが散策の距離は約10キロメートル。約4時間ほどの鎌倉の歴史と宗祖の御遺跡探訪でした。ご案内解説頂いた酒井さんには厚く御礼を申し上げます。小雨にもかかわらずご参加頂いた皆さまも大変ご苦労様でした。

相武山 山主

2012年11月26日

里の秋

日本の秋を彩る紅葉もようやく山から里へと下りてきました。当山周辺の山道もそこかしこに秋の趣きです。北国からは雪のたよりも届けられ、ついこの間までの暑さが幻のように思えます。深まりゆく秋から初冬への移ろいは早く、寒がりではなくても寒さへの心構えは大切なようです。

さて、去る15日、目師会(もくしえ)を奉修申し上げたところ、参詣された緑区の落合さんから丹精込めたみごとな「かぶ」が御宝前にお供えされました。目師会とは第三祖日目上人の御報恩講(ごほうおんこう)であります。目師会は古来「かぶ御講」と称されている法会(ほうえ)であり、かねてそのいわれをご存知の落合さんご夫妻が、この日のためにかぶをお供えされました。行体(ぎょうたい)は信仰の上から志しの表れといわれますから、かぶにはご夫妻の信仰の真心がこめられ、その思いは宗開三祖の御照覧(ごしょうらん)にあずかるところと存じます。

昨日18日(日)は今年最後の日曜法話会でした。今年は1月の第1回からこの11月まで11回にわたって法話会を開催。少ないときは25人前後、多いときには約45人前後、平均約35人前後の方々の聴聞を頂きました。約1時間のつたない法話にお付き合い頂いた方々に感謝を申し上げます。
今年始めてという方々もおられ、「仏教に親しんで頂きたい、仏教にご縁を結んで頂きたい、法華経と日蓮大聖人の教えにふれて頂きたい」という開催目的は概ね達せられたように思っています。
昨日のテーマは「敬うこころ」、サブタイトルは「エゴと傲慢を離れ、真のやすらぎを」としてお話しさせて頂きました。世相は今の世の中を騒がす「尼崎変死事件」です。事件の概要を示し、その本質を仏教的視点から説明させて頂き、現代は自己を支えている存在、育んでいる存在への敬意と畏怖の思いが欠如し、エゴに振り回されている姿が横溢(おういつ)していることを解説。「善悪を具有(ぐゆう)する心、自身を映(うつ)す鏡を持たぬ悲哀、仏教は自己のエゴと対峙(たいじ)し超克(ちょうこく)を望む教え、仏神を畏敬(いけい)する心が人生を深く豊かにする」ことなどをお話いたしました。

ところで聴聞されている方々には気がつかないかも知れませんが、非力な私にとってこの法話会はかなりのプレッシャーです。準備には世相の情況把握から整理、仏教的視点の検討、聴聞される方々への取り組み方など、構想からレジュメつくりまで3日前後の時間を要しています。それでも聴聞される方々に、法話の意図するところが正しく伝わり理解されているかは不明で一抹の不安もあるからです。それでも昨年と今年の2ヶ年にわたって継続して開催することができました。ひとえにまじめで向学心のある聴聞衆の方々のお陰と感謝しております。

来年も引き続き開催する予定ですので、仏道の護持伝承のため、より多くの皆さまのご参加をお待ちしております。

相武山 山主

2012年11月19日

健やかな成長を願って

11日の日曜日、9月9日に誕生したばかりの白濱琥太郎(こうたろう)君が初参りに来山されました。ご両親に抱かれ、祖父母と伯母さん夫婦もご一緒の参詣です。というのも、琥太郎君の姉の玲李(れい)ちゃんが3才のお祝いにあたり、弟琥太郎君の初参りと姉の玲李ちゃんの七五三のお祝いが一緒になったからです。秋の休日、家族皆んなで幼い子供たちの成長を祈る機会とされました。

仏祖三宝尊の御宝前に心を込めて法華経を読誦、お題目をお唱え申し上げ、琥太郎君と玲李ちゃんの健やかな成長を御祈念申し上げました。幼子が成人となるまでにはさまざまな出来事があることでしょう。仏天のご加護のもと、苦・楽を活かしてたくましく育ってほしいと念じております。

 

この秋は10月の27日(土)に片岡彩葉(いろは)ちゃん、11月4日(日)には菅野元稀(げんき)君がそれぞれご家族とともに七五三のお祝いに参詣されました。彩葉ちゃんは3才、元稀君は5才のお祝いです。ご家族とご一緒に御本尊様にこれまでのご加護に感謝を申し上げ、これからの健やかな成長を御祈念申し上げました。祈りの時には神妙で落ち着かない二人も、千歳飴を渡す頃には元気な顔をみせてくれました。これからもいろいろなことがあると思いますが、家族皆んなで信仰を支えに雄飛してほしいと念じております。

深いご縁を信じて法華経と日蓮大聖人への信仰を大切にされるご一家が、人生の節目節目に菩提寺に参詣して信仰をささげられることは、家族のきずなを深め、それぞれの人生に歴史を刻むことにもなり、尊く有り難いことと存じます。
どうぞ皆さまが日々健やかでありますように。

来たる18日(日)は今年最後の日曜法話会を開催します。テーマは「敬うこころ」です。仏神を敬い畏れるこころを喪失しがちな現代、善悪に染められる心からあらゆる行動がなされ、人生の禍福が織りなされて行きます。仏神とその教えを敬う功徳についてお話させて頂きます。
23日(金)には鎌倉歴史散策の会を開催します。参加は締め切られましたが皆さんと秋の鎌倉を楽しみたいと思います。

相武山 山主

2012年11月15日

お会式フォト

2012年11月12日

御会式(おえしき)を奉修

3日(土)と4日(日)の両日、当山において日蓮大聖人御大会式(ごたいえしき)を厳(おごそ)かに奉修(ほうしゅう)申し上げました。前(さき)に講中(こうちゅう)の皆なで御宝前(ごほうぜん)を荘厳(しょうごん)申し上げるサクラの花を作り、境内堂宇を清掃してお迎えした法会では、末法(まっぽう)有縁(うえん)の導師(どうし)である日蓮大聖人にご報恩のまことをささげました。
3日の御逮夜(おたいや)法要には夜分にもかかわらず、例年より多くの信徒が参詣され、法華経読誦の後、恒例となっている信徒による申状(もうしじょう)奉読では、中澤順子さんが日蓮大聖人、芦川正明さんが日興上人、芦川裕子さんが日目上人、熊木真治さんが日道上人、髙幸三さんが日行上人の申状をそれぞれ謹んで奉読されました。引き続いての法話では御大会式(ごたいえしき)の意義についてお話をさせて頂きました。

4日の御正当会(ごしょうとうえ)はすばらしい秋空に恵まれ、清々しく澄んだ大気の中での御会式(おえしき)となりました。新倉さんをはじめ講中世話人の方々が2時間ほど前から集まられ、1時間前には参詣者のための準備が調いました。妙法院の駐車場はぎっちり詰めても約25台ほどしか駐められないため、今年もお隣の湘南サンテクノ社さんの駐車場をお借りしました。それら駐車場の整理や受付の設置、またお花くずし等への準備を行って参詣の方々をお迎えした次第です。講中世話人の方々には法要や行事の度に、いつも裏方の大役を担って頂き、有り難く心より感謝しています。

今年は開式の前に私から御会式(おえしき)の意義について要点を説明させて頂きました。と申しますのも、近年新たに仏縁を結ばれた方々も多くなり、また、日頃から仏法を聴聞(ちょうもん)される機会の少ない方にも、お会式のいわれについてよく理解頂きたいと願ってのことです。末法の世に衆生を成道へと導かれる宗祖のお立場とその御入滅、法華経寿量品に説かれる「滅不滅(めつふめつ)・常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)」について簡単に解説し、立正安国論と御先師の申状奉読の意義、そして、御宝前を荘厳申し上げるサクラの花のいわれ等についても説明しました。

午後2時、司会進行を務める熊木真治さんの案内によって教区僧侶に出仕頂き、法要は献膳・読経・焼香と次第して法華経寿量品長行を終えて磬(けい)一打、引き続いて日有(にちう)上人申状、立正安国論、日蓮大聖人申状と奉読を申し上げました。御先師の申状奉読が供えられて、自我偈(じがげ)の読経・唱題にて法要を終了。参詣僧俗は法要を通して仏道精進の誓願を立てさせて頂きました。その後、執事の興厳房が「御仏(みほとけ)と共に生きる」と題して法話をさせて頂き、緊張しながらも一所懸命私たちの信仰の在り方について所信を語りました。

法話の後には私よりの住職挨拶と講頭の新倉さんからの挨拶があり、引き続いて唱題の中、講中世話人によるお花くずしが行われました。御宝前を荘厳申し上げていたサクラの花やお供物が丁寧にくずされ、参詣者にふるまわれるため受付に下げられました。最後に皆んなでお題目を三唱して法要は無事に終了。参詣者は受付でサクラの花とお供物を頂き、大切なお会式に参詣できた悦びを胸に笑顔で家路につきました。秋の夕暮れは早く、皆さんが帰られる頃には陽が西に沈みはじめていました。

相武山 山主

2012年11月06日