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相武山 妙法寺 ブログ

樹菜ちゃん家族でお参り

日曜法話会も終わってお彼岸の準備をしている先週の火曜日、お母さんの仕事の定休日にお父さんの休みも重なって、1才になった樹菜ちゃんが家族でお参りにみえました。お母さんはご両親である重吉さんご夫妻の信仰を受け継ぎ、以前から月に一度は定休日の火曜日に当山にお参りされています。7月などは猛暑の中、樹菜ちゃんを抱いて汗びっしょりのお参りで大変でした。いつも変わらぬご信心には敬意を表するばかりです。
昨年秋に初参りされた樹菜ちゃんもすっかり大きくなり、つかまり立ちをするようになって可愛い盛りです。これからもご家族で信心を大切に、気軽に楽しく参詣を続けてほしいと思っています。

妹の内堀さんご夫妻も都合をつけてはお参りを大切にされています。先月のお参りにはお会いできませんでしたが、お彼岸の法要にはご夫婦でお参りされていました。ご苦労様でした。当山では22日と23日の両日にお彼岸の法要を執り行いました。22日はお天気に恵まれましたが、23日はかなり強い雨が降っていました。それでも多数の方々が足下の悪い中を、仏道の修行、ご先祖・有縁精霊への追善供養のために参詣され、一緒に法華経を読みお題目を唱え、香華を手向けて御供養申し上げました。仏道のため、人としての心の在り方として有り難いことと存じます。

彼岸会の法話では、8月と9月の日曜法話会でお話した「業(ごう)のはたらき」についてを紹介し、仏教の考え方を基本に、「誡(いまし)めと燈(ともしび)」・「認めることから蘇生(そせい)が」と、業のもつ意義を私たちの生活に引き寄せてお話させて頂きました。日曜法話会も今年で2年目、1月から9月まで9回の法話会を開催し、それぞれ25名~40名のご参加を頂いております。仏教本来の教えにふれて頂きたい、仏道へのご縁を結んで頂きたいとの一念でお話を申し上げてまいりましたが、今年も残すところ10月と11月の2回の開催となりました。1回1回を大切に伝道に資したいと精進を重ねております。すっかり涼しくなってきて、自身の心をみつめ、人生を考える良い時候となってまいりました。ひとりでも多くの方々と一緒に仏教に親しんで行きたいと願っています。

相武山 山主

2012年09月29日

ぼた餅お講

末法の法華経の行者である日蓮大聖人は、その生涯を法華経の弘通(ぐつう)にささげられましたが、そのために大難四ケ度、小難数知れずと法難(ほうなん)の御一生でした。中でも最大の法難は文永8年9月12日の竜口(たつのくち)法難であります。時の北条幕府に対して、また当時の仏教界に対して法華経の正義を強訴する宗祖は、世間を騒がす悪党として罪科にとわれました。幕府より佐渡の島に流罪と裁決が下りましたが、佐渡の代官本間重連の屋敷(現在の厚木市依知)に向かう途中、江ノ島の竜口で斬首という事態を迎えます。しかし、不思議な光り物で難を乗り越えられ佐渡に流罪となりました。この法難の折に桟敷(さじき)の尼と伝えられる信徒が、宗祖にぼた餅をささげたという言い伝えがあり、この竜口法難会を別名「ぼた餅お講」と称することもあります。(秋だからオハギでは・・・という声もありますが)

当山では9日の日曜日にご報恩のための御難会(ごなんえ)を執り行いました。厳しい残暑にもかかわらず25名の方々が参詣。ともどもに法華経を読誦申し上げ、お題目をお唱えして宗祖へのご報恩を申し上げました。法会(ほうえ)の後の法話では下山御消息(しもやまごしょうそく)の「去(い)ぬる文永八年九月十二日に都(すべ)て一分の科(とが)もなくして佐土国へ流罪(るざい)せらる。外には遠流(おんる)と聞こへしかども、内には頸(くび)を切ると定まりぬ。余又兼ねて此(こ)の事を推せし故に弟子に向かひて云く、我が願既に遂(と)げぬ。悦(よろこ)び身に余れり。 人身は受けがたくして破れやすし。過去遠々劫より由なき事には失ひしかども、法華経のために命をすてたる事はなし」を拝読。厳しく険しい法難を仏道の法悦と受容された宗祖の御心に思いを致して法話を申し上げました。

この御難会に旭区白根町の阿部キセさんが昨年に続いて手作りのぼた餅を御宝前に供えられました。かねて準備をされて供えられたぼた餅は、法話の後に下げられ、参詣者の皆さんに召し上がって頂きました。控えめな甘さが絶妙で本当に美味しいぼた餅でした。一緒に添えられたこれまた手作りのタクアンも美味しく皆さん大喜びでした。

宗祖の御心は悠久の時をへて私たち門下の心にひしひしと伝わってきます。色あせることなどまったくありません。仏道への思いが稀薄であれば感じないことかもしれませんが、「たった一度の人生、賜った命をどのように用いるべきか」という宗祖自身の問いかけは、その崇高な志と深い覚悟、そしてたしかな実践によって輝きを増し、愚かで怠惰な私たちに「その生き方で良いの・・・」と問いかけているように思います。

当山南側の田んぼでは稲穂が垂れはじめています。間もなく刈り入れでしょうか。

相武山 山主

2012年09月12日

よ~く目を凝らし

日曜日から月曜日にかけて、横浜ではミニゲリラ風の強い雨が時折降り、降り方に若干の注文をつけたいなと思いながらも、久しぶりの慈雨に草木も潤い、初秋の涼感を得ることができ心から感謝しています。私たちはおよそ、水や空気、草花や樹木など在るのがあたりまえと思っているものには、有り難いと感謝することは難しいものです。失ったり失うことになるかも知れないと思い至って、はじめてその価値に気づくことが多いのは愚かな凡夫の性でしょうか。

首都圏の水瓶である利根川水系の貯水量が心配とマスコミから報じられて、そういえば関東のこの夏は雨が少なかったなと思い、水源の地域でも小雨のために雪解けや梅雨時の蓄えも厳しくなってきたことがわかりました。ゆたかな森林と水に恵まれてきた我が国に住んでいると、生命の源につながる水の貴重さにもついつい油断してしまいます。ちょっと周囲を見渡せば、水を得るために世界中で本当に苦労している国や地域がたくさんあります。またかつての我が国にもありましたが、大気が汚されて健全な生活が脅かされている地域や都市もたくさんあります。日常的でその存在があたりまえと思ってしまうと貴重な価値が見えなくなり、有り難いという感謝の思いも生ずることはありません。安全な水をいつでも飲むことができる、きれいな空気のもとで生活ができる、ということを「あたりまえ」と思ってしまえば、その維持に努めようという工夫も疎かになります。そしてやがてはそれらを失うことにもなりかねませんから大いに注意が必要です。これは自然ばかりでなく人間関係など人生万般にわたることでしょう。

「諸行は無常」あらゆるものは変化して止まないと説く仏教では、あたりまえのことはなに一つないと説かれています。すべては因縁の上に仮に存在しているに過ぎず、因縁が変化すればその果報も変化するのですから、好ましいことも好ましからざることも、常に定まった状態にあると観ることは誤っていると教えています。現在の情況は移りゆく瞬間に与えられているに過ぎませんから、自らをとりまくすべてのことがらによ~く目を凝らし、恵まれていることには有り難い(有ること難い)との思いを意識することは大切なことではないでしょうか。それはまた、幸せへの道でもあります。

当山の東側、隣家の栗林の栗は夏の日射しをうけながら、先月から日に日に大きくなって立派になってきました。今月末か来月はじめには収穫となることでしょう。虫の音には秋の訪れを覚えますが、夏には夏の良さ、秋には秋の良さがあります。忙しさから少し離れ、秋に己れの心をうつしてゆったりと楽しみたいものです。

相武山 山主

2012年09月07日